5章 グラヴィティ・ジェネレート⑦

 ***


 痛い痛い痛い痛い。

 胸の痛みしか感じられない。

 俺という人間が壊れてしまったような感覚だった。

 これが〝心筋梗塞〟……? 死にそうってレベルじゃないぞ……!

「ぐあああああああっ!」

 傍から見ればバカみたいに叫んでいる男に見えるかもしれない。だけどこうしていれば痛みが緩和できるような気がして、狂ったように叫び続けるしかなかった。

「いい泣き方するじゃねーか! 悪魔でも乗り移っちまったか? あーン?」

 悪い冗談をかましやがって……! これも桐生の分岐によるせいなのか?

 先ほどから一歩も動かずにひたすら笑い転げる桐生。

 あいつのオモチャとして終わるのは御免だ。

 俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ……。それじゃ、あいつらに顔向けできないだろ……!

 そもそもどうしてこんな風になってしまったのだろう。

 研究者がエリアの開発中に引き起こした事故によって、特殊能力を携える人間が多く生まれ、そして能力者はCIPと異端能力者に分かれた。

 元に戻そうというCIPの理念はわかる。

 だけど、異端能力者が何をしようとしているのか俺には理解できない。

「何故こんなことをする……? お前は、元の生活に戻りたいとは思わないのか?」

 胸を手で押さえたまま、聞かずにはいられず桐生に問うた。

 心なしか、痛みが少し和らいでいる気がする。まだいけるはずだ。

 こちらは真剣だというのに、桐生は笑い飛ばすだけだった。

「オマエ、バカか?」

「え?」

「テメーは大人しく能力が消されるのを良しとしてるのか?」

「当たり前だ。お前みたいな奴が他にもいるせいで、たくさんの人が悲しむことになるんだ」

 現に俺は異端能力者の存在のせいで、親友と大切な同級生を失ってしまったんだ。

「それはCIPの考え方だろ。――いいか? 俺たちは選ばれたんだよ」

「選ばれた?」

「どっかの誰かがやった研究なんざ関係ねぇ。結果として、俺たちは人にはない力を手に入れたんだ。何故それを失わなくちゃならない?」

 感極まっているのか、急に桐生の動きが大げさになる。

「この力があればなんでもできンだぜ。どんな欲望も、何もかもが、自分の思うままにできンだ!」

 たしかに逢河は言っていた。異端能力者は人としての範疇を超えた行動を起こすと。

 その根本には、〝人智を超えた力を手に入れてしまった〟ことにあるのだろう。

「オマエはそんな力をただ正義のためだけに使うのかよ。これは俺が幸せになるために神が与えた力なんだぜ!」

「ふざけんなよ……。そういうことかよ」

 ようやくわかった気がする。五年間もCIPと異端能力者が争っているのは、桐生のような思想を持った奴がたくさんいるからだったのか。

 予想はしていたけど、だとしても、やっぱり俺には理解できない。

「そうやってお前たちは私利私欲のために行動して、たくさんの人を巻き込む気か!?」

「知らねーな、力を持たない人間のことなんてよぉ。よく考えろ。俺たちは生きているステージが違うんだ」

 完全に凝り固まった考え方だな。

 力を手に入れるだけで人が変わってしまうというのは、こういうことを指すのだろうか。

「あと、言っとくが、俺をそこいらの連中と一緒にするなよ。言ったよな、俺は世界を支配する人間だ」

「結局その支配なんてものも、お前の薄ら寒い野望だろ」

「いいやできる。俺たちにはその力と可能性がある」

 ただスケールのでかいことを言う青い男の妄想かと思ったら、桐生は楽しそうに言った。

「俺は自分以外のすべての能力者を始末し、世界で一人だけの能力者になる! そうしていずれ〝この世界を支配する世界線〟に分岐させてやンだ!」

「バカらしい……」

 バカ話はもううんざりだ。

 こんな奴にこれ以上付き合っている場合じゃない。

 こんなところで死んでたまるかよ!

「……くっ。……うぐうううう!」

 話に夢中になっていたせいで忘れかけていたが、俺は桐生の能力に掛かってしまっていたんだった。

「あはははは! どうすンだよクソネズミィ! そんなボロボロの体でよぉ!」

「俺がお前の野望を阻止してやる! 世界の支配だって? ふざけんな、お前にそんなことはさせない!」

「だったら止めてみろよ。それができンならなぁ……」

 実際のところ、虚勢を張ってみたものの、痛みが治まることはなかった。

 だがまだ引き下がるわけにはいかない。

 俺にはこの状況を打破するための仮説があった。

「ああ止めてみせるよ。何が世界線の分岐だ。そんな力で、この俺を殺せると思うなよ」

 だから俺は強い意志で食い下がる。

「桐生、お前の能力は、自分の走っているレールの分岐を操作することで、自分の望む未来を選ぶものだったよな。だったら、その分岐がそもそもなかった場合はどうなるんだ?」

「何を言ってやがる?」

 珍しく顔を歪ませる。俺の発言の意図に焦りを感じ始めたのか?

「お前はさっき言ったよな。『いい分岐が見えてきた』って……。それはつまり、直前までは、〝心筋梗塞になる分岐〟が見えなかったんだろ」

「だからなんだってンだよ」

「どうしたんだよ桐生。まさか俺の言っていることが図星なのか?」

「うるせぇ! クソネズミが下らねぇことを抜かしてんじゃねーぞ!」

 間違いないな。きっと桐生の能力にも限界があるんだ。

 神代が五発目で実弾を撃ったのは、四発目までの蓄積で追い詰められたから。

 俺が心筋梗塞になったのは、肉体や精神にダメージを追って追い詰められたから。

 つまり、〝死〟に直結する分岐が見えてくる条件として、対象者に〝死が近づいている〟と思わせなければならない。前向きにそう考えることもできる。

 そうでなければ、もっと早く俺を殺す分岐に変えることもできたはずだ。

「俺が生きようと思えば思うほど、お前の選んだ分岐は崩れていくんじゃないか? だからお前は、俺に死にそうだと思わせるために、追い詰めるようなことをするんだ」

「……チィ」

「生きるために精神力でお前の能力に打ち勝ってやるよ。俺は生きる。絶対に生きる」

 生きる生きる生きる生きる生きる!

 俺は重力支配の能力――グラヴィティを使って、桐生に過重力をかけた。

「ぐっ! なんだこれは……!」

「分岐は変わり始めたんだよ。世界が俺の死を容認しなかったってことだ」

 さらに重力を大きくしていく。

 まだ胸の痛みが完全になくなったわけではないが、桐生が悲痛に満ちた表情をしているということは、俺にも勝機があることを示していた。

「諦めるんだ桐生! お前の能力で俺を殺すことはできない! 生きようとする思いの大きさが、お前とは決定的に違うんだ!」

 被害者を増やさないために、異端能力者である桐生を止めてやる。

 しかしながら、過重力は相当な大きさになっているはずなのに、あいつはまだ笑うだけの余裕があったみたいだった。

「それがなんだってンだよ? 結局オマエが勝てないことに変わりはねーんだよ!」

 壊れた機械のように、強弱のあるデタラメな嗤い方をする。


「あははははははは! いっそのこと、全部吹き飛びやがれえぇぇぇぇ!!」


 プロペラやモーターが稼働するような音が聞こえたころには、もはや手遅れだった。

「ははは……なんだこれ」

 乾いた笑いが漏れてしまう。

 だってそうだろう。目の前にあるのは、苦しそうに過重力に耐える桐生の姿と――その背後に迫る、不愉快な軌道を描いてモールに突っ込もうとしている一機のセスナ。

 なんでセスナがここに墜落しようとしているんだ。

 〝セスナが墜落する世界線〟にしたってことか……?

 そんなの無茶苦茶すぎるだろ……。イカれてんだろ……。

 俺は一歩も動くことができずに、セスナ直撃の瞬間まで立ち尽くすだけだった。

「面白いな……それ……」

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