4章 失うもの⑦

「……うぅ、くそ……くそっ……!」

「どうやら一足遅かったみたいね」

 声がした方を振り返ると、息を切らした逢河が立っていた。

「……逢河」

 呆然としていると、いつの間にか逢河は、俺の近くまで移動していた。

 慣れたように、血を流す少女の体に手を当てる。

「酷い状態ね……。そっちの子は? 何があったの? 説明して、吉祥」

「それは……見てのとおりだろ」

「見てもわからないから説明してって言ってるのよ」

「……」

「ねえ吉祥! 聞いてるの!?」

 俺がわざと目を逸らしてるのに、こいつは肩を掴んで無理やり聞き出そうとしてくる。

「うるさいな! こんなことになって、こっちだって気持ちの整理がつかねーんだよ!」

「吉祥……」

「異端能力者のその子は、追い詰められた末に屋上から飛び降りたんだ。しかも伊吹は能力の巻き添えになった。……見りゃわかるだろ」

 逢河の憐れんだような目がきつくて、俺は投げやりになっていた。

「大体、お前がもっと早く来ればこんなことにはならなかったんだ! 前だって……神代は死ななくて済んだんだ! ……全部、全部ッ!!」

 これまでのことを思い出せば思い出すほど、逢河の遅刻が許せなくなってくる。

 アスカ高校の場所を知っているって言ったくせに、こいつの到着は遅かった。

「その子が飛び降りたのも……! 伊吹がこうなったのも……! 全部お前の――」

「私の……?」

 勢いに乗せてすべてをぶちまけようと逢河の顔を見た途端に、あらゆる激情が冷めていくのを感じた。

「お前、の……」

 ……いや、本当はわかってる。

 逢河に責任があるわけじゃない。

 神代が死んだのは俺が一人で突っ走ったから。

 少女が飛び降りたのは俺がちゃんと説得できなかったから。

 伊吹が意識を失ったのは少女を救えなかったから。

 そうだ……全部、俺のせいだ……。

「なんでもない……ごめん……」

「いいえ、私の方こそごめんなさい……」

 行き場を失った感情を揉み消すために、相変わらず一言も話してくれない伊吹をきつく抱きしめた。

 きっと逢河にも、すぐに来られない事情があったんだ。息を切らしていたし、CIPとして別の人を救っていたのかもしれない。それなのに一方の俺は……。

「伊吹は目を覚ますのか?」

 実際には生きているし、目もしっかり開かれているというのに、状況が状況のせいで、そんな聞き方をしてしまう。

 逢河は伊吹の顔を覗き込み、頬をさすったり、瞳孔の確認をしたりしていた。

「意識がここにはないって感じね……。息もしていて間違いなく生きているのに、意識や感情が彼女の体からなくなってる」

「ああ……その子が言ってたな、哲学的ゾンビって」

「たしかに、あれはあくまで思考実験のものだけど、これはまさにその状態ね」

「治せないのか? 病院で俺を治療してくれたみたいに」

 一筋の希望に託したものの、逢河は首を横に振る。

「厳しいと思う。肉体的なダメージならどうにかなるけど、これは完全に能力の影響を受けているわ。……最悪の場合、治すことができるのはきっと……」

「もしかして――」

 俺はそれ以上を自分で言いたくなかった。

「能力者本人ってことになるわね」

「そんな……。そんなのってアリかよ……!」

 やっぱり無理だ。どうにかしてこの感情を抑えたいのに、俺の意思とは無関係に涙が溢れてくる。

「うぅ……なんでこうなるんだよ……! 楽しみにしていたんだ! 俺に料理を振舞ってくれるって、伊吹は笑顔で言ってくれたんだ! この前の火事では俺を励ましてくれたし、見舞いにだって何回も来てくれた……。今思えば、ライブハウスに誘ってくれたのも、伊吹なりの退院祝いだったのかもしれない……。なのにどうして……! その伊吹がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ。伊吹が何をしたって言うんだよ……」

 頼むよ伊吹、教えてくれ……。俺はどうしたらいいんだ……。

 俺は伊吹のために、何をしてやればいいんだ。

「俺がもっと強ければ……こんなことにはならなかったのかな……。俺なんてただ正義感が強いだけで、それに伴った結果を残せたわけじゃない」

 悪い考え方ばかりしてしまう。俺は過去の出来事に重ねていた。

 またか……。また俺は余計なことをしたっていうのか……?

「そもそも、彼女はただ、死んだ彼氏の学校に来ていただけだったんだ。そこに殺しの目的はなくて、だから、俺が手出しする必要なんてなかったんだ……」

「そんなことないわ。どうして彼女が何もしなかったと言い切れるの? あなたが異端能力者と戦ってくれたからこそ、被害者を抑えられたと考えることもできる」

「けど、全員を救えなくちゃ意味がないだろ……。無いと有るとじゃ大違いだ」

 俺が子供のように喚き散らしていると、それに気圧されたのか、生気のなかった伊吹の右手が微かに動いた。

「……」

 今のは、俺の頬を撫でてくれたのか? お前は、俺を慰めようとしてくれたのか?

 伊吹を抱えたまましばらく考えた結果、俺は一つの解答に行きついた。

 これ以上、今日みたいなことを続けさせたくない。

 自分が弱いせいで回りから大切な存在を失うのも嫌だし、誰かが死んでいくなんてそんなの悲しすぎる。

 俺が弱かったからこんなことになったんだ……。もうこれ以上、こんなことを繰り返すわけにはいかない。俺の日常を、誰かの手で壊させやしない。

「伊吹は俺が病院に連れて行くよ。さすがに家に帰せる状態じゃないしな」

「わかった。その子はあなたに任せるわ。異端能力者の身柄は私が預かるわね」

 俺の言葉を聞いて安心したのか少女の方に足を向ける逢河。

 俺はようやく覚悟を決めた。

「そういや逢河、仲間になるかって返事、まだしてなかったよな」

「……そうだったわね。それで、どうするの?」

 そうして大きな背中に言う。

「やるよ俺。お前たちの仲間になる。……そんでもっと強くなって、こんな悲しいことはこれっきりにしてみせるよ。……こんな俺に、それができるかな?」

 こちらに振り返った逢河の顔は微かに笑っていた。

 この状況でこんなことを言うのもなんだけど、朗らかな笑みだったと思う。

「ええ、あなたならきっと、できるわよ」

 俺はやる。絶対に成し遂げてみせる。

 その決意を忘れないように、俺は最後にもう一度、伊吹の体を抱きしめた。

「うん……」

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