2章 日常は変わりゆく④

 それはどういうことだ? ひとまず話を最後まで聞くことに専念する。

「あなたがケガをしたのは火事の中に飛び込んだせいで、屋上で銃に撃たれたケガ人なんて出なかったし、死者が出ることもなかった。そういうことになったのよ」

「神代はどうなった?」

「私の組織が回収した。数日もすれば、あなたのお友達は、そもそもこの世に生まれなかったことになるの」

「あの……意味がわからないんだけど」

 俺は決して頭が悪いわけじゃないのだが、こればっかりはキャパシティーを超えている。SFの話をしているのかこいつは。

「記憶の扱いに長けた能力者がいるのよ。これ以上被害者を増やさないためにも、能力者の存在は世間には隠さなくてはいけないの」

「そうじゃなくって……なんだその、組織とか能力とかって……」

「そうよね、一から話さないとね……」

 覚悟を決めたような彼女の顔つきに、俺の心も一気に引き締まる。

「まず、あなたは今、とても特殊な状態にいるの」

 特殊な状態? そりゃ、銃を持った男に襲われて散々だったのはたしかだが、話を聞くにそれだけじゃないという感じだ。

「屋上であなたたちを襲った桐生という男――彼は、人間にはない力を持った特殊能力者なのよ」

 また能力というワードが出てくる。しかも今度は特殊能力者と来た。俺は見知らぬ女に二次創作のアイディアでも聞かされている気分になっていた。

「『分岐操作の能力、オブザーバー』……。彼は凡人には見えない世界線を観測できて、その名のとおり、その分岐を操作することができるの」

 女の説明はこうだった。

 桐生には、桐生自身にしか見えない〝空間〟があるらしい。その空間では、桐生はレールの上を進んでいて、たくさんの分岐点を自分の意思で選ぶことができるというのだ。

「Aの世界の未来が彼にとって都合がよいものであればAに分岐させることができるし、逆にBがよければBに進むこともできる」

 俺たちが対峙していたのはそんな人外の力を携えた人間だというのだ。

 しかしながら、そんなバカげた話は鵜呑みにできない。

「この町には、そういう力を持った能力者がたくさんいるの」

 アスカ町全体に及んでいるとなってきて、ますます聞くに堪えなくなった。

「彼らの行動理念は様々よ。お金が欲しければ能力を使って強盗を行い、殺意があれば平気で人も殺す。欲望、怨恨、思想、愉快犯。どれも人としての範疇を超えたものばかりだわ」

「お前もそうだって言うのか」

 俺は冗談交じりに言ってみた。最後まで聞くことに決めたのはいいが、正直、現実味を帯びない内容に飽き飽きしていたのだ。

「いいえ、違うわ。いちいち茶化さないで。敵だったらわざわざ説明しないわよ」

「じーっ」

「……むぅ」

 無口だった女の子から鋭い視線を浴びてしまう。どうやら大人しく聞いておいた方がよさそうだ。

「私たちは……むしろその逆よ。〝異端能力者〟に対抗するために作られた組織――〝機密対策機構〟。そこに私たちは所属している」

「Confidential information the protection。その頭文字をとって 〝CIP〟と呼称することもあります」

 さすがに退屈だったのか何かの癖か、無口っ子が補足するようにスラスラと喋った。

「そういえば、そんな通称もあったわね」

「…………」

 無口っ子が困ったような顔をする。そんな顔されても俺は知らん。

「まあ公にはされてない極秘の組織よ。私たちの任務は、アスカ町を中心に散らばる異端能力者を確保し、能力を消去したうえで、彼らを一般人として元の生活に戻してあげること」

「異端能力者と機密対策機構か……」

 俺は彼女の説明の中から、二つの集団の名前を反芻した。

 ここまでの話を整理してみる限り、おそらくその二つは争いあっているのだろう。

 つまり俺と神代は、その争いに巻き込まれたということだ。

「私からあなたに質問したいことがある」

 一通りの説明は終えたようで、女は別の方向から切り口を入れてきた。 

「桐生は、何か気になることを言ってなかった?」

「どういうことだ?」

「彼がこれから行こうとしている場所とか……住んでいる場所とか。何か彼の行方がわかりそうなこと」

「それをお前に教える義務が俺にあるのか?」

 病室内の空気が冷めていくのがわかる。二人とも、この反応は予想外だったみたいだ。

 そもそも俺は、まだこいつの話を信じたわけじゃない。

「お前たちが本当にそんな力を持っているってどうして言い切れる? あたかも味方のフリをしているけど、それを教えた途端に、桐生みたいに俺を殺そうとするかもしれない」

「……ふぅ、わかったわ」

 女は観念したように、顔を俯かせる。

「お願い」

「承知しました」

 そして何やら合図を出したかと思うと、微動だにしていなかった無口っ子が顔色一つ変えずにこちらに近づいてきた。

 なんだ、本当に殺す気か?

「失礼します」

 体の自由が利かず、そのまま肩口を触れられてしまう。

「…………」

 瞳を閉じて、彼女なりの何かをやっているようだった。

 触れられているところを中心に俺の体が煌々と光りだす。

「何やってんだよ」

「静かにしてあげて。すぐに終わるから」

 そう言われた次の瞬間、全身が軽くなっていく感覚に陥った。

 これは……ケガが治っていってるのか?

 それは俺の勘違いなどではなかった。

 桐生に銃で撃たれてできた穴も、転んで擦りむいた足や腕の傷も、さらに言うなら全身を覆う疲労感すらも、すべてが元々の正常な状態に戻っていく。

「……?」

 何かあったのだろうか、途中、無口っ子が表情を歪めたような気がした。。

 手足を開いたり閉じたり、首を動かしたりして自分の体を確認してみる。

 痛くない。まるで最初からケガなんてしていなかったみたいだ。

「俺の体に何をしたんだ」

「あなたを治療してくれたのよ。この子はそういう能力の専門なの」

 女が無口っ子を目配せして自分のことのように得意げに言う。

 本人はこれくらいどうってことなさそうな様子だった。

「これで信じてもらえる? 特殊能力は存在するのよ」

「……」

 なんて言い返したらいいのか、咄嗟に言葉が浮かんでこなかった。

 これだけのことをされて信じないというのもおかしい。たしかに俺の体は治療されたのだ。凡人にはない力が存在すると、この肉体で証明されたことになる。

 特殊能力は存在する。それに関連する能力者と組織も、実在していることになるのだ。

 そう確信した途端に、煮え切らない気持ちが沸々と湧き上がってくる。

「……それなら、なんでもっと早く助けに来なかったんだ?」

 こんなところで喚いたってどうしようもないのは明白だったのだが、この気持ちを誰かにぶつけないと収まる気がしなかった。

「異端能力者とかいう奴を捕まえるのがお前たちの仕事なら、もっと早く助けてくれたってよかったじゃないか……。そうすれば、神代は死ななくて済んだかもしれないのに……」

「……」

「……」

 いやな静寂が病室内に訪れる。

 別に彼女に責任を押し付けようとしているわけじゃない。だけど実感がなかったんだ。神代がいなくなってしまったということを俺は決して認めたくはなかった。

「ごめん。変なことを言った。色々あって気が動転しててさ、心にもないことを言っちゃったな。君たちにも、君たちのやるべきことがあったんだよな」

 黙ったままの彼女たちに謝るように――こんな空気にしてしまった分を取り返すために、下手な作り笑いをする。

「桐生のことについては何もわからないよ。協力はできそうにない」

 話がひと段落したところで、珍しく無口っ子が口を出してきた。

「……あの、ところで、私から一つよろしいでしょうか」

 俺と女の視線が集中するが、動じる様子はまったく見せない。

「彼の体についてなんですが」

「もしかして、そうなの?」

「はい。治療しているときにその可能性が散見しました」

 女の顔つきがここ一番のものに変わっていく。

 心なしか嬉しそうに見えるが、何かいい知らせでもあったのか。

「私の名前は逢河美咲。あなたの名前は?」

「え、ええ? 吉祥叶真だけど……」

 ようやくここでそれぞれの自己紹介が行われる。考えてみれば、逢河がここにやってきたのは、本当に突然のことだったからな。

「ねえ吉祥、あなたも私たちの組織に入らない?」

「いきなりすぎるんだけど。順番にわかるように話してくれ」

「この子が言うには、あなたにも特殊能力の素質があるらしいのよ」

「俺に?」

「自由に扱えるようになれば、きっとあなたを支える大きな力になるはず」

「だけど、どうしてお前たちの仲間になる必要がある?」

「それは……」

 勢いを急になくした逢河が言い淀む。

 無口っ子が代わりにといった感じで喋りだした。

「組織の一員とならなかった場合、あなたは〝異端能力者〟と見なされ、能力をはく奪されたうえで、それに関連するすべての記憶を、人生に問題がないように一から書き換えられるのです」

 おぞましい発言にゾッとする。逢河は説明の際に『能力を消去したうえで、彼らを一般人として元の生活に戻す』と表現していたが、実態はそんなに単純な話ではなかったのだ。

「そういうことなの……。だから吉祥には、できれば一緒に来てくれると嬉しい」

 記憶を消される……か。実のところ、正直それも悪くない気はしていた。

 俺も世間と同じように神代のことを忘れてしまえば、罪悪感から逃げることができる。いっそのこと今日の惨事についてすべて忘れて、まっさらな人生を送りたいくらいだった。

 ……けど、それで本当にいいのかな。

「もう少し考えさてくれ。頭を整理する時間くらいくれてもいいだろ」

 これは優柔不断というわけではない。俺にとっては今後を左右する重大なターニングポイントかもしれないんだ。

 逢河は少し思案した後、仕方ないといった感じで目を開いた。

「わかったわ」

「よろしいのですか?」

「大丈夫よ。吉祥なら変に言いふらしたりしないでしょ。もしそうなったら、なったらで、手を打てばいいだけだから。今回は彼の気持ちを尊重してあげましょう」

 相変わらず丁寧な所作で、物音一つ立てずに立ち上がる。

「今日はここまでにしておく。また今度、きっと会いに来るから」

「一つだけ気になったことがある。どうして能力者なんてものが生まれたんだ? しかもよりにもよってアスカ町を中心に」

「それについてはまた次回説明させてもらうわ。言ったでしょ、また会いにくるって。私も結構忙しいのよ」

 行きましょう。そう言って、逢河と無口っ子が出口へ向かう。

 無口っ子が先に出て行った後で、逢河は思いつめたような横顔を見せた。

「お友達のことに関しては本当に気の毒に思ってる。ごめんなさい、たしかに到着が遅れた私の責任よね……」

 それがどうにも見ていられなくて、俺はわざとそっぽを向いた。

「またね、吉祥」

「うん」

 視線を戻したとき、そこには誰もいなかった。

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