サラマンダ― 激闘す!

暗く僅かにかび臭い石造りの小部屋。

太い鉄格子がはめられ、行き来を完全に遮断している。

 そんな牢獄の中に、”炎の巫女”としてこの世界に召喚された焔 杏奈は膝を抱えて座り込み、肩を震わせていた。


(お父さん、トカゲ助けて……)


 彼女は必死に亡き父と、そしてこの世界で出会った頼りになる唯一無二のパートナー:サラマンダーへの想いを馳せる。

そんな彼女へ黒い影が二つ落ちた。


「へへっ、こいつびびってやがるぜ」


 鉄格子の向こうで兵士の一人が杏奈を小ばかにするようにそう言い、


「大人しそうだしやっちまうか? どうせ処刑されんだしよ」


 もう一人の兵士はいやらしい笑みを浮かべながら、杏奈を舐める様に視姦する。


 スカートから覗く肉感の良い太腿、瑞々しい肌、そしてたわわに実った果実のように立派な胸。


(別に好きでこんな身体に生まれたわけじゃない。なのに男はなんで……)


 いやらしい目で見られることへ、ただ単に怒りを覚えるだけで済めばどんなに楽なものか。”そんな目でみるな、変態!”と言い返すだけで良いのならどんなに楽か。

 杏奈に憤る、という選択肢は湧かない。

代わりに顔を覗かせるのは、恐怖。

男たちのいやらしい視線は心を抉(えぐ)り、過去の悲しく辛い記憶を思い出させる。

 それは杏奈から立ち上がる力を奪い、冷たい床の上に縛り付けていた。

身体はまるで凍えてしまったかのように震え続ける。


「なんじゃ、お主らこの婆としたいのかい。良いぞえ、良いぞえ、うひひ」


 すると一緒に閉じ込められていた杏奈が”お師匠様”と慕う、老婆の魔導師が鉄格子に張り付き、妖艶で不気味な笑みを浮かべた。


「これでもわしはむかーし、テクニシャンと呼ばれていてのぉ。お主らのような若いもんにはまだまだ負けんぞい、うひひ!」

「や、やめろ婆! 気色悪い……行くぞ」


 衛兵は顔面を蒼白させてそそくさと居なくなる。 

それを見届けるとお師匠様は真面目な顔で踵を返し、未だに震えている杏奈の肩を優しく抱いた。


「すまんのぉ、杏奈。わしが魔法さえ封じらていなければお主にこんな不憫な想いをさせずに済んだのにのぉ」


 お師匠様は魔力を封じるために付けられれた赤い首輪を指ではじく。


「ありがとう、お師匠さま……」


 見た目は不気味な老婆。

しかしこの世界へ呼び出されて、右も左もわからなかった杏奈を、時に厳しく時に優しく導いてくれたのはこの老婆であった。


「大丈夫じゃ。お主には炎の精霊サラマンダ―様がついておる。必ずや巫女たるお主を助けてくださるだろうよ」

「お師匠さま……」


 人語を話せ、とても強くて頼りになる小さなトカゲ。

燃えるような熱さを持つ彼を思い出すと、杏奈の体温が上がり、震えが収まる。


(大丈夫、きっとトカゲが、サラマンダ―が助けに来てくれる……必ず!)


「炎の巫女、そして大魔導師。これより貴様等を処刑場へ移送する!」


 いつの間にか現れた兵士達が牢獄を開け、杏奈とお師匠様を無理やり引きづりだす。


 縄で腕を縛られ、兵士に引きづられるままほの暗い石造りの回廊をよたよたと歩き続ける。

やがて数日ぶりに眩しい太陽の下に晒された杏奈は、眩しさで思わず顔をしかめた。


 砂と小石ばかりの荒れ地。

周囲はぐるりと高い断崖に囲まれていた。

 中心には大量の薪が敷き詰められた二つの十字架があり、その横ではもうもうと炎を上げる松明を持った兵士が二人静かに佇んでいる。

十字架の向こう側には柵が張り巡らされ、沢山の群衆が十字架へ向けて歩かされる杏奈とお師匠様へ憐みの視線を送っていた。


「これより新生シュターゼン国へ反抗した二名の処刑を執り行う!」


 杏奈とお師匠様が十字架に括り付けられ、執行役の騎士が高らかに声を上げた。


「この者どもは邪悪な魔力を使い国家転覆を計った大罪人である! よって新生シュターゼン国初代国王マリオン=ブルーの名の下に、伝統に従い火炙りの刑を科すものである! 見るが良い、皆の者! これが国家に逆らった愚か者どもの末路だ!」


 松明を持った兵が杏奈の足元にある大量の薪へと歩んでゆく。


(トカゲ、信じてる……! トカゲ……!)


「その処刑、ちょっと待って貰おうか?」


 群衆の中から男の声が高らかに響いた。

ざわついていた群衆は押し黙り、兵たちも動きを止める。


 柵の向こうの群衆が二つに割れ、声の主が姿を晒す。

頭から襤褸きれを羽織った怪人物は、おもむろにフードを脱ぎ去る。


 まるでトカゲか、竜か。

真っ赤な鱗と、鋭い牙を口から生やした蜥蜴人間。


 真っ赤な体のリザードマンが堂々と胸を張ってその姿を現したのだった。



●●●



「貴様、何者だ!」

「俺はサラマンドラ。しがないリザードマンの旅人さ」


 柵の向こうで処刑を仕切っていた騎士が叫び、俺は敢えてニヒルを装って答えてみる。


「サマランドラだと? ふざけた奴だ!」

「両親が精霊様にちなんでつけてくれた名前でね。この名前を侮辱するってことは、俺の大事な両親の名誉を傷つけることになるねぇ!」


 騎士は眉間に皺を寄せて、顔を真っ赤に染める。

明らかに俺のふてぶてしい態度に怒っている様子だった。


(よし、乗ってきた!)


「殺せ! この生意気なリザードマンから処刑せよ!」


 騎士の指示を受けて、柵の錠が開き兵士達がなだれ込んでくる。

事態の急変に詰め掛けていた群衆は蟻のように散ってゆく。

 戦う場が広くなるのはとてもありがたい。


 俺は飛びかかってきた兵士へ向けてフゥーと、”炎の吐息”を吐いた。

吐息は炎となって最も近かった全身鎧の兵士を赤い炎で包み込む。


「ぐわっ!」

「こ、こいつ、火を吐くリザードマンだと!?」

「恐れるな! この程度の炎、我らが装備でどうてことはない!」


(やっぱ耐火装備なのね。なら!)


「GAAA!」


 俺は思い切り地面を蹴って、一気に兵士の懐へ潜り込む。


「どぉーりやー!」

「ぎゃふ!」


 アッパーのように拳を振り上げれば、ガツンと顎を打たれた兵士が綺麗な弧の字を描いて吹っ飛んだ。

すると脇から複数の熱を感知する。

 ひらりと身をひるがえすと俺の脇を鋭い槍の穂先が過って行った。

矢継ぎ早に別の兵士が槍を突き出し、ステップを踏んで回避する。

そして既に”真っ赤に発光させた鋭い爪”を思い切り振り落した。


 鋲で木の棒へ打ち付けられている穂先が、まるで発泡スチロールのように溶断される。

そればかりか、


「あちち!」


 熱を受けた棒が燃え出し、兵士は思わず投げ捨てる。

物理と属性の二つの側面を持つスキル【ヒートクロー】の威力は物凄かった。


「ふん!」


敵へ向けて、俺は尻尾をスイングさせれば、大の大人が軽々と吹っ飛び、地面の上を球のように跳ねて倒れた


「どうした? 貴様等はその程度か?」


 両手に発動させた【ヒートクロー】の熱は俺の周囲に陽炎を発生させ、それを見た兵士達は冷や汗を浮かべながら息を飲む。

 そんな兵士達の情けない姿が愉快でたまらなかった俺は、チロリと舌を出して笑う。


「お、恐れるな! 行け!」

「「「わぁぁぁぁー!!」」」


 騎士の指示を受け、兵士達は悲鳴にも近い叫びをあげて再び突撃を開始する。

鍛造された眩い剣が、研ぎ澄まされた無数の槍の穂先が俺を狙って突き進む。


 しかし真っ赤に発光し、灼熱を帯びる俺の爪が空間へ赤い軌跡を無数に刻む。

鍛え上げられた剣も、槍の穂先も、全ては苛烈な熱を帯びる爪にあっさりと溶断され、砂ばかりの地面へ溶け落ちて行く。


「ぐわっ!」

「よ、鎧が! ぎゃっ!?」

「た、耐火装備が――うわっー!」


 ヒートクローが耐熱加工を施した敵の胸当てを、籠手を、兜を容易に切り裂く。

更に伝播した熱は装備をまるで鉄板のように赤く熱し、その下にある生身の肌を焼く。

兵士達は熱から逃れるために次々と耐火装備を脱ぎ捨て、脱兎のごとく飛び跳ねて退散していった。


「い、出でよイフリートヒュンフ! あの生意気なリザードマンを叩き潰せ!」


 とうとう一人きりになってしまった騎士がそう叫んで剣を振り上げる。

すると彼の背後にある断崖の上から真っ赤な炎が飛び出て、俺の前へ降り立った。


「グオォォォッ!」


 業火のような炎を帯びた巨大な魔獣は、虎のような咆哮を上げて目前の俺を威嚇する。


「はっ! お前の咆哮程度で怯む俺ではないぞ!」


 俺はイフリートへ叫びをぶつけ、自分自身の炎を呼び起こする。

周囲の空気が一瞬で乾き、熱風が周囲を席巻する。


「GAAA!」


 咆哮と共に湧き出た炎が俺を包み込み、筋骨隆々なリザードマンの身体を燃やし始めた。


「ニム、今だ! 杏奈とお師匠様を!」

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