【合作小説】Resurrection

高城 真言

Scene1

 妹の寝室の前には、先ほど部屋を出たばかりの王宮医師の姿があった。


「殿下のご様子は?」


 俺は訊ねた。医師は暗い顔で、静かに首を横に振った。


「この熱では戴冠式は無理です。今暫く安静が必要かと」


 そう呟くと、丁寧に礼をしていった。俺はそのまま医師の背中を見送った。

 妹はこの国に代々伝わる王族の最後の一人として、女王となる資格があった。しかし、昔から体が弱く、こうして熱を出したり全身が痛くなったりしてしまう。王宮内では妹を憐れむ意見が多いものの、やはり一刻も早く儀式を済ませて正式な女王としたいという意見も出始めていた。


 俺はそっと妹の部屋に入った。白い天蓋付きのベッドに数々のヌイグルミが置かれていて、その真ん中に殿下――俺の妹――が眠っていた。今は医師の処方した薬が効いているのかよく寝ている。まだ幼い妹は、年齢以上に細く、色が白い。こんな彼女の小さな肩に、この王国がかかっていると思うと少し胸が締め付けられた。

 妹の顔を見て、俺は自分を奮い立たせた。この無垢な天使を守れるのは俺しかいないのだ。

 起こさないように、俺は足音を忍ばせた。扉に手をかけたところで、背後で動く音がする。


「……お兄ちゃん? 待って」


 少し熱に浮かされた声だった。振り返ると妹がベッドから起き上がっていた。


「殿下、御気分の方はいかがですか?」


 俺はあくまでも仕事として接する。


「もう大丈夫だよ。お兄ちゃんがいてくれたからかな」

「さようでございますか。それは良うございました」


 彼女はたった一人の妹だ。純粋な王家の血を引く、正統なる王女なのだ。だが俺は違う。血縁上は兄だが、俺には王家以外の血が流れている。王族として血が穢れているのだ。正式な血統を重んじる王家で、俺の立場は無い。ただ幼い殿下のための従者として、こうして働くことが許されている。


「それでは私は失礼いたします」


 深々と礼をすると、俺は部屋を後にした。


「お兄ちゃん――」


 妹の声を扉で遮った。こんなにも苦しいなんて。俺は妹を守ると言いながら、彼女に自由すら許してはいない。たった二人のきょうだいなのに、自然に話すことすらままならない。

 せめて。せめて体が丈夫であれば。妹の笑顔を陰から見続けることが出来るのに。

 回廊の角を曲がったところで俺は胸に秘密の作戦を決行することを決めた。



 夜。俺はこっそり宝物庫に入り、最奥に置かれていた王冠を持ち出した。その足で妹の部屋に向かう。


「殿下、御休みのところ失礼します」


 声を抑えて妹の部屋に入った。彼女はうとうとしていたが、俺が来たことで目が覚めたようだった。


「どうしたの、お兄ちゃん?」


 月明かりの射す部屋で、俺は後ろ手に持っていた冠を見せた。


「あ、王冠。どうして?」


 首をかしげる妹に、俺は悪戯っぽく言った。


「殿下、今宵、ここで秘密の戴冠式を行いたく思います」


 彼女の顔が明るくなった。


「どうか、ご内密に」


 俺は口に人差し指をあてる。


「内緒ね」


 妹も声を潜めて応えた。

 宝物庫から儀式の王冠を持ってくることは重罪なのは分かっていた。それでも俺は王冠の奇跡を信じたいのだ。妹が話していた王冠の奇跡を。それはどんな願いも叶うというもの。王族のみに権利があるようなので俺では奇跡を起こすことは出来ないが、妹であれば神の御業が起きるかもしれない。仮に起きなくても、こうしてたまに部屋に忍び込んで妹と戯れることが、家族として許されるはずだ。


「では、殿下」


 俺が促すと、妹はベッドの上で出来るだけ姿勢を正した。天蓋を避け、俺は彼女の頭に王冠を乗せる。

 王冠は透明なクリスタルで出来ており、それ故王族は『クリスタルの一族』などと呼ばれていた。

 冠を頂いた妹は、そっと目を閉じた。月光で光る王冠は、妹には不釣り合いなほど冷たく青い光沢を放っていた。

 少し笑うと、彼女はおもむろに王冠を頭から外した。


「やっぱり重いや」


 楽しげにそう呟くのだった。


「これで殿下も立派な女王ですね」


 妹の笑顔を見て、俺も笑みで返した。


「わたし」


 俯くと、彼女がポツリと話し始めた。


「いつもお兄ちゃんに迷惑かけてばっかり。だからお願いしたの。せめて一日だけでも元気になりますようにって」


 妹はぎこちなく笑った。


「王冠のお話が本当になると良いね」


 俺も願う。もしも王冠の物語が本当であれば、この少女のささやかな願いを叶えて欲しい。



 夢を見た。それは一面の花畑だった。澄み切った青空の元、赤く鮮やかな花が咲き乱れていた。甘く、苦く、どことなく懐かしさを感じる香りが鼻腔をくすぐる。俺はその見たこともない花畑にぼんやりと立っていた。

 遠くで誰かが踊っているのか、小さな影がふわりふわりと動いていた。俺はそれを見ながら安堵とも焦燥ともつかない息苦しさを感じた。

 小さく動く影がこちらに近付いてくる。俺は思う。駄目だ。こちらに来ては駄目だ。駄目なんだ。

 近付いてきたのは少女だった。彼女は泣きながら懇願するのだった。


「――――」と。


 妹と秘密の戴冠式を行った後、俺はその足で王冠を宝物庫に返してきた。行きも帰りも誰にも出くわさなかった。俺はその幸運を王冠のお陰だと密かに思っていた。



 朝になり、いつものように妹の部屋に従者として挨拶に向かった。


「おはようございます、殿下。御気分はいかがですか?」


 朝日が広がる部屋に、見ることのない景色が広がっていた。いつも妹の寝ているベッドの天蓋がまとめられていた。ベッドの中に妹はいない。


「おはよう、お兄ちゃん」


 妹は窓辺に座っていた。今日は普段とは比べ物にならないほど顔色が良かった。血色も良く、表情に活力がみなぎっていた。


「わたし、元気になったの!」


 彼女は俺に走り寄ってきた。走る妹を見るのは初めてかもしれない。


「殿下、御身体に触りますよ!」


 俺は慌てて制止したが、妹はそのまま俺に抱きついてきた。


「平気ー。身体、痛くないの。熱もないの!」


 彼女は無邪気な笑顔を向けた。俺を抱きしめる腕もしっかりしている。昨日までの力ない、弱弱しい姿は鳴りを潜めていた。


「これもきっとお兄ちゃんのお陰だね」


 これほど明るい妹の顔を、かつて見たことがあっただろうか。妹はいつも周囲に気遣って笑顔を振りまいていたが、それにはどこか影があった。無理をしていることが痛いほど伝わる笑顔だった。今日はどうだろう。心の底からはしゃぐ妹を見て、思わず涙が溢れそうになる。


「殿下。お元気だとしても、今日も医師の診察はありますからね」


 目の潤みをこらえ、妹を嗜めた。日々の健康診断は欠かしてはならない。

 はーいと彼女はバツが悪そうに答えた。俺から離れると、「こんなに気分が良いんだったらなくても良いんだけどなぁ」と誰に聞かせる訳でもなくごちていた。

 王宮医師の診察結果も、全くの健康ということだった。



 診察を終え、妹は王宮の庭に走っていった。日光を浴びることは健康を促進するからと医師に言われていたのもあったが、ずっと室内から見下ろしていた庭の植物を近くで見たいと願い出たのだった。

 城の広い庭で駆け回る妹を遠くから眺めながら、俺はこんな日が永遠に続けば良いのにと思った。



 夢の中、少女は走る。赤い花畑を。

 俺は動けない。赤い花畑の中で。

 彼女に近寄ってはいけない。何故だか分からないが俺は思う。近寄ってはいけないのだ。

 さもないと、終わってしまうから。

 でも、俺は動けない。


 彼女が欠けていく。髪が。腕が。足が。胴体が。

 そして俺の傍で泣くのだ。


「――――」



 日差しが柔らかい。俺はいつも通り妹の部屋に挨拶に行った。


「おはようございます、殿下」


 ベッドに彼女はいなかった。日差しを浴びるように窓辺に腰掛けていた。


「おはよう、お兄ちゃん」


 妹は明るく微笑む。今日も顔色が良い。俺は胸をなでおろした。

 日課の医師の診察結果も良かった。日光を浴びるように言われたので、妹は王宮の庭に走っていった。

 俺は城の陰から妹を見遣りながら、安堵していた。そして、こんな日が永遠に続くことを祈った。

 もしかしたら、クリスタルの王冠が妹の願いを聞き届けてくれたのかもしれない。一日と言わず、こうして毎日元気でいられるようにしてくれたのかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えた。



 風が吹いた。庭で咲き誇る花々の香りが柔らかく漂う。俺にもその匂いが感じ取れた。

 次の瞬間、俺は花畑に立っていた。それは赤く鮮やかに乱れている。甘く、苦い香りにむせ返る。

 誰かの気配がして振り返ると、そこにはひび割れたガラスの体の少女がいた。

 彼女は叫ぶ。


「――――!」


 気が付くと、そこは城の中だった。優しい日光が差し込み、その青空の元で妹が駆け回っていた。

 さっきの映像は何だったんだろうか。俺は内心首をかしげた。


「お兄ちゃーん!」


 妹が俺に手を振る。俺も軽く手を振りかえした。

 気のせいか。もしかしたら疲れているのかもしれない。俺は先ほどの出来事を忘れることにした。

 そうだ。全ては良くなっているのだ。妹は元気なのだ。それだけで良いではないか。


 俺は幸せを噛みしめた。


 お姫様はいつまでも楽しく過ごしました。

 いつまでも。いつまでも。

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