9.そして

 娘の持つ瑠璃玉が壊れた。ルリはそう言った。

 それが意味するところは、つまり――


「かあさまのもとへいけなくなった。げんいんはわからないが、たしかめるすべはない」


 ルリは、紺碧に金を散らした瑠璃玉のような目に強い光を宿して、淡々と事実を口にする。


 考えてみれば、あり得る話ではあった。

 娘が持つ、ルリの魔力を込めた瑠璃玉はひとつだけだ。『拠点』であるそれが失われてしまえば、ルリが娘の元へ行き来することはできなくなる。


「……腕輪とは、そうそう壊れたりするものではないだろう」


 竜はそう言ったが、


「ふつうにせいかつするぶんには、そうだろうとおもう。せいぜい、ひもがきれてバラバラになるていどだ。そのくらいなら、かあさまのことだ、すぐになおしてしまえるはすだ。だが」


 ルリは一旦言葉を切って、


「かあさまは、もはや『ぶじん』といってさしつかえないじつりょくがあるのは、紅玉こうぎょくさまもよくしっていることだろう。そんなかあさまのうでわが、こわれたことはじじつだ。わたしをなにかにまきこまないためか、かあさまじしんがまきこまれたのかは、わからないが」


 竜は口を開かない。ただ、ルリの言葉を聞いている。


「もしそうだとしたら、そうとうなこと・・ではあるが。紅玉さま」


 ルリはじっと竜を見つめる。


「かあさまをはじめ、コハクさまにクラノもいる。ひとかただけでも、そうとうなじつりょくしゃだ。すぐにどうこうとは、かんがえにくいのではないか」

「だが、実際のところはわからないだろう」

「それでも」


 竜の言葉にかぶせるように、


「わたしたちにできることは、いまはない」


 乏しい表情ながらも、目の光を微かに揺らしてルリは言い切った。



 ◇ ◆ ◇



 娘たちに関する情報が何もないまま、ルリと竜は、『紅き竜と巫女の代理』としての日々を過ごしていた。


「では、行ってくる」


 籠を背負い、ルリは山の薬草を採集しに出かける。毎日の日課だ。

 時に獣や魔物、魔獣などと出くわして戦うこともままあった。

 最初の内は実力不足で、隙を見て退散することも多かったが、


「紅玉さま。きょうは角兎のしゅうだんにかった」


 ルリは、戦利品うさぎを数羽竜に掲げて見せ、その場で解体を始める。その手つきも慣れたものだ。


 ルリは日々魔法を練習をしながら、竜の散らしきれなかった魔力を吸収し、山の魔力濃度を少しずつ下げてもいた。

 竜の魔力は徐々にルリの身体に馴染み、やや不安定だった存在をたしかなものに変えていた。人間でいう、五~七歳のあたりをさまよっていた身体が変動が抑えられるようになったのだ。


 身体が安定すると、力の使い方も安定する。ルリはまじないを使わずとも、自力で魔法を発動できるようになった。そして、狩りの成功率も徐々に上がっていった。

 獣からの戦利品である毛皮や肉、骨などは、加工して商いの品に。

 作り方は娘からよく教えられていて、数こそ少ないものの、ルリはなかなか見事な一品を毎度作り上げている。

 が、


「ルリ。それは私の古い鱗だろう」


 しれっと竜の古い鱗で作った品を紛れ込ませるので、竜は呆れた。

 娘のようにはすまいと、毎度言葉を変えて苦言を呈すのだが、

 

「つかえるものは、たとえ紅玉さまのうろこであってもつかう」


 娘に仕込まれた方針を、ルリも強く守っていた。


 ルリは、娘が今までやっていたように、麓の村でそれらを商った。

 山の恵みを売って、村の名産品や旅の商人から品を仕入れ、また次の村へと下りて流すということを繰り返していく。


 ただただ娘の代理をしているように見えるが、どうやらそれだけではないようだ。竜がそう気づくのに時間はかからなかった。



 娘の姉アカネの息子、アーベン。

 ルリはその赤子に会うことを楽しみにしているようだ。

 娘が生まれた村を訪れる際、ルリは必ず、アーベンの家へと足を運ぶ。


「じゃまをする」

「ああ、こんにちはルリ様。アーベンなら今ちょうど起きたよ」


 訪ねてきたルリをアカネが招き入れ、アーベンのいる部屋へと案内する。

 目当ての赤子は、揺りかごの中で手を伸ばし、機嫌よく声をあげていた。


「すこし、大きくなったか」

「そうなんだよ。授乳間隔も長くなってきてさ、ようやくちょっと楽になったんだよな」

「それはいいことだ」


 アカネの話に相槌を打ちながらも、ルリの目はアーベンに釘付けだった。そっと指を伸ばし、柔らかそうな頬をつついている。

 そのおもしろさは、竜にはよくわからない。

 ただ、ぎこちなく赤子をあやすルリの様子を、首飾りから見守る時間は悪くないものだった。


 アカネをはじめ、麓の人間から記憶が消えているとはいえ、娘も甥の姿を見たいだろうに。

 いまだ安否が知れない娘を思い、竜は毎日のように砂漠方面へ視線をやるのだった。



 そうして、瞬く間に三年が経過した。



 ◇ ◆ ◇



 霧が濃い朝だった。

 細かい水の粒が熱い竜の鱗に触れ、蒸発してまた宙に漂うことを繰り返す。

 竜の体温はとても高い。その体表で熱された霧は蒸気となり、『紅き竜と巫女の領域』はとても蒸し暑いことだろう。おそらく、普通の生き物は一瞬しか耐えられまい。


「紅玉さま。少しあつい」


 そんな白い蒸気の中から、ルリが藍色の髪を結いながら現れた。胸元には、竜の加護を持つ紅い逆鱗の首飾りが揺れている。

 ルリはこの三年で大きく成長した。最近は、人間でいう七歳程度の姿で安定している。

 たどたどしかった言葉づかいもだいぶ滑らかになり、表情も多少豊かになった。


「首飾りがあっても暑いか」

「うむ。熱されすぎだ」


 ルリは手のひらでぱたぱたと顔を扇ぐが、熱風しかこないことに気づいて顔をしかめた。


「こう霧が濃いと、きかないかもしれないが……。ためしてみよう。『風よ、巻け!』」


 天上へと片手を高く突き出し、ルリは声を張りあげる。手のひらの先から竜巻が現れ、周囲の蒸気を巻き込みながら上空へと消えていく。

 茹だるほどに熱く厚く、山の頂を覆っていた蒸気と霧はほとんど晴れてしまった。

 代わりに、少し冷たい空気がやってくる。


「これでいい」


 腕を組んで、ルリは大儀そうに頷いた。


 この三年で、ルリは魔力と魔法の扱い方もだいぶ様になってきた。最近はまじない札を使うよりも、自分で魔法を発動することの方が多いくらいだ。

 実力も申し分ない。一対一であれば、熊型の魔獣にも負けないだろうと竜は目している。


「今日はあの村へ下りる日か」

「そうだ。アーベンに会ってくる。最近はひとりで着替えなどもできるようになったし、あいさつも返すようになった。こどもの成長というのは、とても早いものだな」


 もはや主目的が商いではなくなっているが、当のルリは気づいているのだろうか。

 他の村へ行くときはそつなく仕事をこなすので、余計にそれが際立っている。


「ルリ。お前、本当はもう少し身体を成長させることができるのだろう? しばらくその姿でいるのは何故だ」

「将来的には母さまくらいの姿になるつもりだが、今はこれでちょうどいい。ここから徐々に成長していく方が都合がいいのだ、紅玉さま」

「……」


 どう都合がいいのかとは、ルリは言わなかったが。

 今は何も言うまい、聞くまい。

 竜は何とも言いがたい気持ちで目を細めた。


「日が昇ってきたな。わたしはそろそろ行ってくる」


 ルリは村へ持っていく品をまとめ、『拠点』である瑠璃玉が置いてある洞穴へと歩いていく。


「遅くなる前に戻るのだぞ」

「わかっている。また泊まりに呼ばれたときには、ちゃんと戻ってほうこくする」


 ルリは顔だけ竜に向けて、紺碧に金の粒を散らしたような目を凛々しく輝かせた。

 今日もおそらく遅くなる。竜は心の中でため息をついた。



 そんなことだから、いつも通りの日だと油断していたのかもしれない。

 竜にしては珍しく、ルリの首飾りにつけた紅玉のかけらにも気を向けず、昼寝でもしようと目を閉じたところだった。


「紅玉さま!」


 息を切らし、『拠点』のある洞穴からルリが走って来る。

 出かけてから半刻も経っていない。


「どうした、ルリ……。忘れ物でもあったのか?」


 竜は微睡まどろみかけていた目を開ける。視界に映るルリは肩で息をして、荷物すら持っていなかった。


「そのようすだと、気付いていないのだな。いや、いい。気にしないでもらいたい。少しだけ待っていてほしい」

「何を言っているのだ……?」


 竜は緩慢な動作で頭を持ち上げる。

 意識は半分、眠りの世界にあった。もう一度瞼を閉じれば、すぐにでも寝入れる状態だ。

 しかし、



「お母さん!」



 久しぶりに聞く、しかし忘れようもない声が竜の意識を一気に覚醒させた。


「お母さん、いますか! 私、帰ってきました!」

「娘か!」


 竜自身も驚くほどの勢いで巨体を起こす。

 色々と加減をしなかったため、地面を踏みしめた際の振動と、地響きを伴う声とでルリが体勢を崩していた。しかし、竜の意識は娘の声がした一点に向けられている。

 娘が山の頂へと戻るとき、いつも使っていた道。

 懐かしい気配は、すぐそこに。


「だたいま戻りました!」


 三年。

 竜という生き物にとっては短いはずの時間を経て、娘が現れた。

 後ろに兄竜カナリヤと、もうひとり分の人影がある。


「ああ、よくぞ戻ってきた」


 竜は、娘と兄竜を快く迎え入れる。

 が、すぐに目を見開いて固まった。

 兄竜のそばにいた人影は、娘の叔父であり師匠でもあるクラノではなかった。

 翡翠のような淡い緑色の髪と目を持った、ルリよりも幼い少年が、戸惑いを隠さずに辺りをきょろきょろと見回していた。


 この感じは覚えがある。


 ルリは片手で顔を押さえ、兄竜は気まずそうに視線を外す。

 娘だけは笑顔だったが、まじない札について追及したときのように若干目が泳いでいる。

 竜は一瞬で大体のことを察し、盛大なため息であたりに強風を起こした。



 ◇ ◆ ◇



「娘、兄者。まずは改めて、よく戻ったと言わせてもらおう」


 竜は、三年ぶりに顔を合わせた娘と兄竜を労った。

 しかし、娘と兄竜は竜の前で正座している。ルリは竜と娘たちの中間で、神妙な顔をして座っていた。

 娘が、なぜか膝の上で兄竜を抱えている。それについてひと言もの申したかったが、娘の背中に隠れるようにしている翡翠色を見てやめた。


「ようやく帰って来られました。お久しぶりです、お母さん」

「心配かけたな。お嬢さんを預かっていながら、長い間連絡できなくて悪かった」


 娘は輝かんばかりの笑顔で。兄竜はどこか気まずそうに視線を反らして、返事をする。

 長旅のあいだ、色々あったのだろう。娘は顎に二、三小さな紅い鱗が増えていたし、兄竜までもがどこか逞しさを増していた。

 いや、しかし。


「私に何か言うことがあるだろう」


 竜は目をすがめ、ひとりと一頭に射抜かんばかりの視線を向ける。

 もうひとりいたが、そちらは勘弁してやることにした。

 娘と兄竜は、示し合わせたかのように、さっと竜から視線を外す。


「師匠のことでしたら、多分ここへは戻りません。ある国のお姫様と結婚したんですよ」

「そうそう、あれは驚いたよなあ!」


 だんっ!

 遠慮も加減もない竜の尾の一撃が、地面を打ち据える。地鳴りを伴い、地面が大きく揺れる。衝撃で、竜以外の全員が少し浮き上がった。


「悪行三昧で、魔王と呼ばれている者を皆で討ち取って」

「いやあ、ほんとにあれは」


 だんっ!

 今度は一撃目よりも強い。

 表情が増えたはずのルリは務めて無表情に徹しているし、翡翠色の頭は娘の背中からほとんど見えなくなった。

 しばし、沈黙がその場を支配する。

 痺れを切らした竜が三撃目を地面に叩き込もうとしたとき、娘が口を開いた。


「大体のところはおそらく、お母さんのご想像通りだと思います。私たちは旅に出てカナリヤさんから魔力の制御について学び」


 カナリヤ・・・・さん?

 竜は眉|(ないが)をぴくりと動かす。

 名乗りの「コハク」でなく、娘は兄竜の真名を口にした。魔法生物である竜族の真名を呼ぶのは差し障りがあると、娘はよく心得ていたはずだ。

 察していつつも意識から追い出していた可能性が、竜の胸をざわりと騒がせる。


「本当に色々ありまして。ルリからもらった腕輪が壊れたり、先ほどの魔王やら予想外のことでこのようなことになったりしましたが」


 娘は、顎にまで進出した鱗を指し示す。


「当初の目的自体は果たせたんです。私はもう、竜の魔力の影響をこれ以上受けることはなくなりました。ただ……」


 娘は言葉を濁し、自分の背中に隠れている少年に目をやる。


「オレも油断してたんだけどな、その……なんだ。いざ当事者になってみると気づかないもんだな、ほんとに、直前まで。つまりさ、オレとクレナイとのあいだで……うん。お前たちにあったまんまのことが起きちまったんだよ、セキ」


 兄竜はそう言って、クレナイの膝から下りて、翡翠色の少年の手を引いた。

 隠れていた少年は、クレナイの背中から姿を現す。

 片手を兄竜、もう片手をクレナイの手とつないで、おどおどと落ち着きなく竜を見上げる。


「ボ、ボクはヒスイ・ネフライトっていいます……。え、えっと! はじめまして、おばあさま!」


 ヒスイは、竜――セキを「おばあさま」と呼んだ。

 つまり、そういうことだ。


「そうかヒスイというのか弟よ。わたしはルリ・ラピス。ルリという。お前の上のきょうだいにあたる。長旅で疲れているだろうが、おもしろいところへ案内してやろう」

「え、でも、おかあさまたちが……」

「これから大人の話がある。わたしたちがいたら邪魔だろう。さあ、こっちだ」


 ルリは素早くヒスイの手を取り、見事な早口で説明しながら『拠点』へと消えた。

 ふたりが麓の瑠璃玉へと転移した(どうやらヒスイも通れるらしい)ことを、首飾りにつけた紅玉のかけらを通して見たあとで、



「兄者ーっ!!」



 紅き竜セキは、この百年で一番感情的な咆哮を、炎とともに天上に吐きだした。

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