6.ルリのいる日々

 竜の兄竜と、娘の叔父であり師匠である男がやってきた翌日。

 早速、ルリの巫女修行が始まった。


「やっていることは、基本的にはものの売り買いですね」


 ゆったりとした真新しい巫女装束を纏ったルリの前に、娘はいくつか物を置く。


「山で採集・収穫したものを、麓の名産品や旅の商人たちの商品などと売り買いして、それを村々で繰り返していきます。こちらの主力は山で採れる薬草などです」

「やくそうか」


 ルリは広げられた品々の中から、紫色の植物を手に取った。


「それは紫の薬草ですね。山で採れるもののひとつです。風邪をはじめ、季節性の流行病はやりやまいなどによく効く薬の原料になります。時期が近づいたら多めに用意しておくといいでしょう」


 娘は他にも数点、よく扱われる薬草をルリに説明していった。


「このあたりは、珍しい薬草や薬の材料が豊富に採れる土地として、外の国では有名なんだそうです。ですから、旅の商人などが買い付けに来るんですよ。山……特に山頂付近で採れるものは稀少ですから、少々高値をつけておきましょう。売れすぎても、肝心の数が減って用意できなくなりますからね」

「しょうちした。たびのしょうにんからは、なにがてにはいる?」

「様々ですが、道具や魔法道具が多いですね。外からのものは高い技術で作られています。麓ではすでに日用品として馴染んでいますから、よく動きます。暮らしぶりの割に技術的に凝った道具が多いのは、そういう交易の事情があるからなんですよ」

「そうか」


 ふむふむと、ルリは頷きながら薬草の細部を観察していた。


「それと。これは私たちにしか用意できないものです」


 娘はそう言って、自信ありげに「鍋敷き」と小さな壺に入った「砕かれた黒い鱗」を指さした。


「やはりそれも売るのか……」


 竜はうんざりと目を細める。


「もちろん。使えるものはお母さんの鱗でも、ですよ」


 娘は竜に向かって胸を張る。隣でルリも同じように胸を張っていた。

 竜はふたりを避けてため息をつく。

 ちょうど通りかかった兄竜が、その直撃を受けて飛ばされてしまった。



 ◇ ◆ ◇



「かあさま、これをつけてほしい」


 ルリが娘に差し出したのは、瑠璃の珠と組紐を使った腕輪だった。


「あら、素敵ですね。あなたがこれを?」

「さよう」


 ルリは頷く。


「瑠璃はわたしのしょうちょうだ。だから」


 ルリは娘の手首に腕輪をつけて、十歩ほど離れた。

 そして次の瞬間、その姿はかき消える。


「こういうこともできる」


 ルリは娘の隣に立っていた。


「まあ!」

「わたしのまりょくをこめた瑠璃があれば、わたしはいっしゅんでいどうできる。ここと、むらにちかいやまのふもとに瑠璃をおけば、わたしにとってべんりなのだが」


 ルリはそう言って、無表情で娘を見上げた。

 まだ表情はうまく動かせないのだが、目に期待の色が見て取れる。


「わかりました。あとで準備しましょう。そういうことなので、お母さん」

「瑠璃ならある。好きなだけ持って行け」

「ありがとうございます」


 娘は竜ににっこりと笑顔を向けた。


「ルリ、あなたにもおそろいの腕輪を作りましょう」

「それはいいかんがえだ」


 数日後。

 洞穴のひとつに、大人が抱えるほどの大きさの瑠璃珠が置かれた。六つの村にほど近い山裾の道にも、小さな瑠璃珠が隠された。

 そしてルリの手首には、娘とおそろいの瑠璃と組紐の腕輪が飾られている。



 ◇ ◆ ◇



 娘は作業用の洞穴にいた。

 座った娘の手と敷物の上に、紙片が大量に広げてある。


「よう。何やってんだ?」

「コハクさん」


 娘は、洞穴に入ってきた小さな竜の、名乗りの名を口にする。

 カナリヤという真名を知ってはいるが、それを呼ぶのは魔法生物である竜族にとって危険であるし、失礼なことだ。娘はそこをよくわきまえていた。


「なんだそれ」


 コハクは紙片の束を覗き込む。無地で、娘の手におさまる縦長の紙片だ。


「まじない札というものです。一枚につき、魔法をひとつ吹き込める使い捨ての魔法道具ですね。魔法の素養がない者でも魔法が使えるんですよ。私はお母さんに忘却の魔法を吹き込んでもらって使っています」

「へえ、ここにもあるのか。オレもクラノと旅の途中で見かけたことがあるよ。これとはちょっと違うものみたいだったけど」

「それは、えー、きっと作り手の癖がでるのではないかと」


 若干、娘の目が泳いだ。


「ふーん……?」


 コハクはいぶかりながら、娘の顔を覗き込む。

 娘はふいと、わずかに目線を外した。


「まあいいか。それで、この大量のまじない札はどうするんだ?」

「ルリに持たせようと思いまして」

「おチビに?」

「はい。今後も山の境界線を越える人間はいるでしょうし、ひとりでも対処できるように、ですね。ルリの体格では、お母さんのところまで大人を担いでくることも難しいでしょうから」

「お嬢さんはできるのか……」


 クラノの弟子だしな、とコハクはぶつぶつ言いながら納得した。


「かあさま」


 洞穴の入口から、幼い口調の声が娘を呼ぶ。


「ルリ。あら」


 娘が振り向くと、手に幅細の髪紐を一本持ったルリがいた。後頭部の高い位置でふたつに結わえてあった髪が片方、ほどけてしまっている。


「ゆるんでしまった。わたしにはまだなおせない」

「いいですよ。こちらへ」


 ルリは招かれるまま、娘の元へ歩く。そして、


「これは、まほうどうぐか?」


 敷物の上に広げられたまじない札に気づいた。近くにあったものを一枚手に取る。


「ええ。魔法を吹き込んで使う、使い捨ての道具ですよ。私が不在のあいだ、あなたに持たせようと思いましてね。主に侵入者の対処のために。お母さんに忘却の魔法を吹き込んでもらおうかと」


 娘はルリの髪を結わえながら説明する。

 ルリは「ふむ」と、顎に手をやり考える仕草をすると、


「かあさま。わたしは紅玉こうぎょくさまと、コハクさまのまりょくをもと・・にしてうまれたまほうせいぶつだ。そのふだがなくとも、ぼうきゃくのまほうをはじめ、まほうはつかえるとおもうのだ」


 その言葉に、娘はコハクを見る。

 コハクはルリの頭のてっぺんからつま先までじっと見ると、


「……ありえるかもな。今は身体の魔力が不安定だけど」

「まりょくがあんていするまで、そのふだをつかっていくことになるが、おぼえられるはずだ」

「そうなのですか」


 きゅっと、娘は幅細の紐を蝶結びにしてルリの髪を仕上げた。


「コハクさまは妖精竜だとおききした。どうか、わたしにまほうをおしえてもらえないだろうか」


 ルリは、紺碧に金の粒を散らしたような目でまっすぐコハクを見る。

 コハクはその視線を受け、


「ま、いっか。特に手間でもないし、教えてやるよ」


 あっさりと了承した。


「お嬢さんもいっしょにやるかい? その札を使って、身体に貯まりやすくなった魔力を少し散らせるかもしれない」

「本当ですか?」

「ああ。それに、オレがその札に色々な魔法を吹き込んでおけば、これからの旅に役立つだろうしさ」


 コハクはまじない札を一枚前脚でつかむと、ふっと何かを吹き込んだ。そしてそれを娘に渡す。


「忘却と記憶操作の魔法は妹が専門だな。それ以外なら大体使えるから、何でも言ってくれ」

「ありがたい」

「では、お言葉に甘えて。実戦を想定するなら、どうやって練習しましょうか?」

「クラノにぶつけてみればいいさ。あいつにゃ魔法はほとんど効かないし」

「お、なんか呼んだか?」


 洞穴の入り口から、娘の叔父兼師匠でコハクの相棒である男、クラノが顔を覗かせた。


「師匠。ちょうどいいところ――に!」


 娘が、コハクから受け取った札をクラノに向けて投げつける。

 鋭く飛んだそれは、小さな竜巻の魔法として展開した。

 竜巻はクラノに当たる寸前で、砕けるように消滅する。

 クラノは特に気にした様子もなく、「なんだなんだ?」と楽しそうに中の面々を見ている。


「そうそう、使い方としてはそんな感じ。そこに意識して自分の魔力を上乗せするんだよ」

「なるほど」

「うむ」


 ルリは右手を上げ、クラノに向ける。


「かぜ」


 一言発すると同時に、先ほど娘がまじない札で起こした小さな竜巻の魔法が展開された。それは先ほどと同様、クラノにぶつかる寸前で砕けて消える。


「こうか」


 ルリは手を下ろす。その身体は、魔法を使ったことで体内の魔力を消費したらしく、五歳程度にまで縮んでしまった。


「む、こうなるのか。からだのせいちょうを、あんていさせるひつようがあるな」

「お、チビはもう何か覚えたのか。やるじゃねーか相棒!」


 クラノが洞穴に入ってきて、腰に両手を当てているルリと、ぽかんと口を開けたコハクの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 娘が結い直したルリの髪はくしゃくしゃに乱れてしまった。


「師匠は私たちの的になってくださいね」


 乱れたルリの髪をほどいて櫛を通しながら、娘はにこにこと笑う。


「ならお前も、薙刀とその札で武術稽古な」

「望むところです」


 娘とクラノの師弟は、不敵に笑い合った。




 ここは山頂、洞穴群の外。


「……誰もいないな」


 一頭残された竜はぽつりと呟いた。

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