6.竜と娘の日常:自家製鍋敷き

 最後の生贄の一行が帰って行く。


「終わりましたね」

「ああ」


 娘が竜の巫女を名乗った日を含めて、ふた月おきに六度目。村々からの使いがひと回りしたことになる。

 もう、生贄が運ばれてくることはない。


「娘。お前はいくつになった」

「あら、いつもいっしょにいましたのに。十六と半年です」

「いいのか? 娘盛りを、こんな人気のない山で過ごして」

「いいんですよ。今まで以上にあきないに集中できるようになりましたし」

「そうか……」


 娘は、たびたび麓に下りては山の恵みや村々の名産品を商って、また生活に必要なものを買い入れている。

 首尾よくやっているうちは聞かないだろうなと、竜は空を仰いだ。



 それからしばらく経ったある日のこと。

 全体的にくすんだくれないの山の前で、娘は思案している。


「どうした、私の鱗など集めて」


 竜は後ろから声をかけた。

 娘が前にしているのは、竜から剥がれ落ちた鱗の山だ。生えていた場所によって大きさはさまざま。娘が首飾りにした逆鱗は例外として、新しいものほど色鮮やかで熱を持つ。


「これだけあるなら、何かに使えないかなーと思いまして」


 娘は竜に向き直る。手には、娘の顔くらいの鱗を持って。

 暗褐色の鱗は古いとはいえ、人間が素手で持てる温度ではない。火竜である竜の加護が宿る、逆鱗の首飾りを身につけているからこそできる芸当だ。


「そのままにしておけばいいだろう。竜の鱗とはいえ、放っておけば朽ちて土に還る。火口に投げれば火柱が上がるがな」

「眠っている火山を起こす意味はないですね」

「私の力にはなるがな。今の状態でも十分な熱量だ」

「それで食事がさほど必要ないわけですか」


 一般的に、火竜は火山――たとえ、それが今活動していないとしても――にいれば地熱を力にできる。そのため、繁殖期を除いて頻繁な食事を必要としない。間食として魔獣を狩るくらいだ。


「この黒い鱗は……あ、砕けますね」

「ほとんど熱も魔力もないからな。人間の手でも砕けることもある。だが油断するなよ、枯れ草に放り込めば火種くらいにはなるぞ」

「扱いが難しいのですね」


 パキパキと、古い鱗を砕きながら娘は呟いた。




「お前は思いついたことをすぐに試したがるのだな」


 竜は、呆れとも感心ともつかない感想を、小さなため息とともに口にした。

 娘は、先ほど砕いた古い鱗を金属製の桶に入れたものと、水の入った桶をかたわらに置き、枯れ草と枯れ枝を積み上げて小さな山を作っていた。

 あるていど空気が入るようにやんわりと積み上げて、桶から鱗の破片をひとつかみ取り、小山に振りかける。

 少し待つと、小山から白い煙が立ち上り、小さな種火が生まれた。娘が木筒で息を吹き込むと、枯れ草と枝の小山はたちまち燃え上がる。


「うん、簡単ですね」


 満足げに頷いて、桶の水をかける。

 しかし、


「あ、これは失敗かもしれません」


 娘は金属製の桶を持って川の方へ消える。ほどなくして、水入りの桶と火ばさみを持って戻ってきた。

 鱗の破片を火ばさみでひとつひとつつまみ、桶の水に落として回収する。

 破片を入れた水は、じわりと熱を持ち始めているはずだ。


「少し考えればわかることでした……後始末に気をつける必要がありますね。ちなみに、この状態の鱗が熱を持たないようになるにはどれくらいかかりますか?」

「気にしたことがないな」

「なるほど。ちょっとためしてみましょう」


 娘は破片を落とした水に手を入れたりしながら、何か色々思いついたようだった。




「……さすがにそれはどうかと思うぞ」


 竜はまぶたを閉じて、ため息とともにそう言った。

 娘は、太い紐を編んで縁を囲った暗褐色の鱗を地面に置き、その上に水入り鍋を乗せていた。

 三十数える頃には鍋底から泡が出て、さらに十五数えると沸騰した。


「でも便利ですよ」


 悪びれもせず、娘はにこにこと笑顔を浮かべている。


「この紐は燃えない素材でできているそうです。麓で行商人から手に入れました。これがあることで、直接熱に当てられないものも温めることができますし、もう少し工夫すれば温かさを保てます。持ち運ぶときに熱を通さない手袋などがあれば火傷もしません」

「鱗の首飾りをしているお前は火傷せんだろう?」

「普通の人が使うときにですよ。ためしにひとつ作って売り込んでみましたら、けっこういい値がつきました。喜んでもらえましたし」

「……売ったのか?」

「使えるものはなんでも使います」


 娘は両手を腰に当てて胸を張った。


「素材は明かしていません。わずかながら残っている、紅き竜の加護のことも。時間が経てば熱も加護もとれて、普通の鍋敷きになりますよ」

「……」


 永きに渡り、生きとし生けるものに恐れられている紅き竜。朽ちる前のものとはいえ、自身の鱗が、よりによって人間に鍋敷きにされるとは。

 去来する思いを言葉で表現する気も起きず、竜はただただ、目を閉じてゆっくりと頭を左右に振る。

 発生した強めの風が娘に当たる。娘は両足を肩幅に開いて踏みとどまり、余裕さえ感じさせる笑みを浮かべていた。


「ちなみに破片の火種も感触はよかったです」

「あれもか……」

「陶器の小さな壺に入れて浴槽に沈めると、何時間かお湯を温かいままにしておけるそうで」


 そういう使い方もあるとは盲点でした。

 悔しがる娘を、竜はなんとも言えないぬるい視線で見やった。



 後日。

 竜は、再利用された鱗の鍋敷きが「火も使わず湯が沸かせる便利な道具」として評判を呼び、鱗の破片とともにそれなりに重宝されているという話を、嬉しそうな娘から聞かされた。

 素材が明かされなければ山の頂が騒がしくなることもないだろうが、竜は何日間か不貞寝をして過ごしたのだった。

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