第3話 ロング・グッドバイ

 レン様との勉強会から数日が経ったこの日、私はお嬢様とベランダで洗濯物を干していた。


 今日は学校がお休みの日で、午後は以前からお嬢様とお約束していた若者に流行りのカフェに行く予定になっている。


 お嬢様はずいぶんと楽しみにされていたようで先ほどから、「パフェ」や「ティラミス」などのスイーツの名前を会話のあちらこちらに登場させていた。


「ねえ、やっぱり洗濯物を干したらすぐに行こうよ」


「ダメでございます。このあとお嬢様は宿題を、私は掃除をしなければならないのですから。カフェはそれが終わったらにいたしましょう」


「ケチー」


 お嬢様が唇を尖らせ大変味わい深いお顔をされたが、私はこれからお屋敷を守るためにと対峙しなければならないのだ。


 私たちロイド・スチュワード四世はカビを蛇蝎だかつの如く嫌っていた。


 黒や白や赤や緑の色彩を操り、胞子で増殖する悪しき存在が我が物顔でお屋敷を跋扈ばっこしていると考えただけで、人間でいうところの反射なのだろう、身体が勝手に漂白剤を手にし、カビのせん滅を始めているのだ。


 以前、本社ホストコンピューターに問い合わせてみたところ、ロイド・スチュワード四世には潜在的にカビ嫌いが多いとの回答を得た。精密機械であるからカビが苦手なように設定プログラムされているのかもしれない。


 そこで気になるのは私たち四世を改良したロイド・スチュワード五世のことだ。


 彼らも私たちロイド・スチュワード四世と同じようにカビ嫌いなのだろうか。世界トップクラスのアンドロイドはカビ嫌いを克服し、漂白剤とは無縁の生活を送っているのだろうか。


 それを本社ホストコンピューターに訊ねてみたところで、ロイド・スチュワード五世に関する情報は教えてくれない。


 本社ホストコンピューターといえば、近頃はずいぶんと無口になったようだった。朝の起床起動時や夜の就寝充電時には必ず本社ホストコンピューターと通信する義務プログラムがあるのだが、こちらからの情報は吸い上げるくせに、あちらからの応答はなく、ひどく付き合いが悪いのだ。


 そんなことを思い起こしていると、お屋敷の前に数台の車が停まったのが見えた。


 すべて海外製の黒塗りの高級車で、お嬢様が目を細められてしまうほどの眩い光を放っている。


 運転席から降りた中年の男性が深く頭を垂れて後部座席のドアを開けると、スーツに身を包んだ壮年の男性と若い男性が降り立った。


 そして、我が家の呼び鈴へと指を伸ばしたのだ。



※ ※ ※



「どちら様でございますか?」


「君はロイド・スチュワード四世だね。所有者はご在宅かね?」


 客人を迎えるべく玄関ドアを開けると、十指に近い数の男性たちが立っていた。


 気難しい表情をした先ほどの壮年の男性が一歩前へ踏み出し、叱責するような物言いで私のあるじである奥様の名前を口にした。


「主はそのお名前で間違いございませんが、五年前にお亡くなりになりました」


「では現在の所有者は誰かね」


「失礼とは存じますが、あなた方はどちら様でございますか?」


「この私に質問を質問で返すとはプログラムがなっておらんようだ」


 壮年の男性は鼻の下に蓄えた髭を撫でつけてから、社員証のようなものを私の目の前へ近づけた。


「AI監視局の人間だ」


 本社ホストコンピューターに問い合わせるまでもなく、その団体はすでに私の脳内メモリー情報知識があった。


 人類と生物、地球のため、AIの平和的活用を推進している組織で、アンドロイドはもちろん、アンドロイドを研究・開発する科学者と企業がロボット工学三原則に則った活動をしているかどうか見極めることに心血を注いでいると聞く。


 その団体がなぜ――?


「君がリコール対象だというのに未だにご対応いただいていないと報告がありましてな。それが事実かどうか確認させていただきたい。所有者はどなたかな」


「あたしだけど」


 私の後ろからお嬢様が顔を出された。


 壮年の男性はお嬢様を見るなり、手を叩いた。


 称賛や敬意が含まれた拍手とは異なり、湿度と粘着性を伴ったその音は、まるでカビが繁殖する際に音を発するのであれば、こんな音ではないだろうかと想像する。


「これはこれはとても可愛らしい所有者様。何度も通知をさせていただいているので、すでにご存じかと思われますが、お宅のロイド・スチュワード四世はポンコツの欠陥品。リコール対象でございます。リコールは義務。義務を怠れば違反、すなわち逮捕されます。それは未成年者とて同じこと」


「あたしを逮捕しに来たってこと?」


「このままリコールされなければ、最悪、我々はお嬢さんを逮捕しなければならないという話ですよ。なぁにロイド・スチュワード四世を我々に預けていただければ、手荒な真似はしませんからご安心を」


 そう言うと彼は一緒に車を降りた若い男性を私たちの前に押し出した。


「彼はロイド・スチュワード五世です。四世をリコールに出している期間は何かと不便でしょうから、代用品としてご利用ください。若い女性には人気の顔立ちタイプですよ」


 これがロイド・スチュワード五世――。


 私は彼を見てただ純粋に驚いた。


 なぜなら、人間とアンドロイドの区別がつかなかったからだ。


 どれだけ注意深くしても、彼が発しているであろうアンドロイド特有のオーラ電磁波を感じ取ることができないし、長い手足とスラリとした外見ボディは言うまでもなく、黄金比を駆使した美しい顔は美術品を鑑賞しているかのようだった。

 

「ロイド・スチュワード四世は心を持ったためにリコール対象となっているのですよ。心はあまりにも不安定で人間にも扱いきれない魔物です。アンドロイドが心を宿してしまえば、きっとロボット工学三原則が破られ、人類にとって脅威となるでしょう。さあ、お嬢さん。心を持った不気味なアンドロイドを早く手放しなさい。あなたにはこの完成されたロイド・スチュワード五世を新しいパートナーとして迎え入れてほしいのです。それが人類の幸福なんですよ」


「よろしくお願いいたします。お嬢様」


 壮年の男性に促される前にロイド・スチュワード五世がうやうやしく頭を下げた。


「ロイド・スチュワード五世はスムーズな意志疎通が可能」といつかの記憶データが甦った。


 五世には私にはない、場の空気を読む機能も備わっているようだ。


 世界トップクラスのロイド・スチュワード五世に対して、私はリコール対象のポンコツのアンドロイド。


 心を持つと疑われたばかりか、ロボット工学三原則に反する疑惑まで持ち上がってしまうのは、型落ちよりも受け入れがたい現実で、私は同じアンドロイドとして負けを認めざるを得なかった。


 お嬢様は私ではなくロイド・スチュワード五世と過ごされた方が幸せなのだと壮年の男性の言葉に同意していた。


 だから、五世がお嬢様のお手を取り、


「このロイド・スチュワード五世、お嬢様の執事として働かせていただきます」


 と言ったとき、私は何も言えなかった。


 しかし、お嬢様は違われた。五世の手をおもいっきり振り払われ、大きな声を出されたのだ。

 

「あんたなんかいらない、もう帰って!」


 そして、壮年の男性のピカピカに磨かれた革靴を強かにお踏みになった。


「何をする、この小娘が!」


「うちのロイドはどこも故障してないわ。アンドロイドが心を持つことはそんなに悪いことなの? それにポンコツなんかじゃない、優秀な執事よ。おじさんの頭の方がよっぽどポンコツじゃない!」


 お嬢様はもう一度、壮年の男性の足をお踏みになると、私の手を取られた。


「逃げよう、ロイド」


 私はお嬢様と共にお屋敷の裏口から外へ飛び出した。


 振り返ると、壮年の男性は片足でぴょんぴょんと跳ねながら、部下らしきスーツの男性たちに怒号を浴びせた。


「追え、追え!」


 一瞬、五世と視線が絡んだ。彼の無機質な瞳は従うべき主を決めかねているようだった。



※ ※ ※



 お嬢様の小さな足と私の機械で作られた足。

 

 二つの足音は五線譜の音符が弾むように軽やかだ。


 弾むのは足ばかりではない。


 胸が、弾む。


 そう胸が弾むのだ。


 この心地をそのように表現するのが正解だと推測できた。


「ここまで来れば大丈夫でしょう」


 上がった息を整えながらお嬢様は心の底から可笑しそうにお笑いになった。


「お嬢様、淑女はそんな風に大きなお口でお笑いになるものではございません。先ほども初対面のお客様に本当のことを仰ったり、失礼なことをされては困ります。そういった物事は胸の内に押し込めておくことも素敵な淑女の条件でございます」


 これでは奥様に「あなたは私の娘をずいぶんお転婆娘に育てたのね」とお叱りを受けてしまう。


 お嬢様をお守りし、素敵な淑女にお育てするのが私の役目なのだから。


「ロイドだって今失礼なことを言ったじゃない」


「はて、私は失礼なことを口にしたことなどございません。真実を申し上げたまでです」


 ピエロのようにおどけてみせると、お嬢様はまた大きなお口で笑われた。


 それから、休符を並べたような沈黙が訪れた。


 私はいつの間にか繋がれていた手を一瞥してから沈黙を言葉で埋めた。


「ひとつお訊ねしてもよろしいでしょうか? アンドロイドの私は心など持っておりません。AI監視局に精密検査をしてもらえばわかることです。それなのにお嬢様はどうしてお逃げになったのですか。今からでも遅くありません。連絡をお取りください」


「じゃあ、逆に訊くけど、欠陥品でもなければ、ポンコツでもないあなたをAI監視局はどうして修理したがっているの? あいつらはあなたが心を持っているから怖いだけなのよ。あなたの方が人間なんかよりよっぽど上手に心を扱えているわ」


「ではAI監視局の話は本当なのですか?」


 お嬢様は頷かれた。


「本当よ」


「でしたら尚更、私が心を持つことで人間を不快にしないためも、私は欠陥部分を修理し、完璧なアンドロイドになりたいと願います」


「あたしがそれは絶対にイヤなの。リコールに出してしまえば、せっかく神様からもらった大切な心を失ってしまうわ」


「それではお嬢様にご迷惑をおかけすることに」


「遠慮しないで迷惑をかければいいじゃない。だってあなたとあたしの仲なのよ。今更、迷惑どころで壊れるような繋がりじゃないわ」


「ですが――」


「ですが、じゃない! あたしはありのままのロイドがいいの。天然で、空気が読めなくて、人間の面倒くさいプロセスが好きで、容赦なくピーマンを食卓に出すけど、ちょっと変わり者のあなたが好きなの。だから、完璧になる必要なんてないわ。ロイドはロイドのままでいればいいのよ」


 私の身体の奥の方に泉があると仮定して、その泉は続く日照りにより枯渇し、周囲には動植物が一切近寄らなくなってしまっていた。ところがお嬢様のお言葉には再び泉を湧かせ、動植物を呼び寄せ、生き生きと生命を輝かせる力があった。


 泉が湧いているのは大体この辺りではないかと見当をつけ、私は自分の胸に手を当てた。少し温かさを感じるのは気のせいだろうか。


「痛み入ります。しかし、変わり者というのは褒め言葉と受け止めてよろしいのでしょうか」


「褒めているに決まってるじゃない」


「存じておりました。冗談でございます」


「生意気。山田太郎のくせに」


 そう仰ったお嬢様は頬に薄紅の花びらを散らされた。そして、繋いだ手を力いっぱい握られる。


「ねえ、ロイド。これからどうする?」


「しばらく街を歩いてからお屋敷へ戻りましょう。彼らがそう長く留まるとは考えられません」


 この窮地を脱する方法を本社ホストコンピューターに問い合わせれば、私たちの居所をAI監視局に伝えてしまう恐れがあったため、私は通信を控え、脳内メモリーとこれまで拾い上げた情報データからそう判断をした。


「それでは少し早いですが、お約束していたカフェに立ち寄りましょう」


 嬉しそうにお嬢様が微笑まれたとき、私は自分の足が動かないことに気が付いた。


 右足、左足、交互に動かそうとするのだが、景色が進まない。


 進まないどころか、どういうわけか私のカメラは地面を写している。


 両腕の感覚もお嬢様のやわらかい手の感触も感じない。


 カメラを少し上方に動かしてみると、頭のない私のボディが立ちすくんでいた。そして、もう一度カメラを後方へ動かすと――。


 ロイド・スチュワード五世が何やら武器のようなものを私に向け、二度、三度と引き金を引いている。


 恐らく、銃ではなく、アンドロイドを破壊するための道具なのだろう。


 私は頭を落とされたのだ。そう気が付いたときには遅かった。


 私のボディは吹き飛んだ。


 お嬢様はご無事だろうか。


 カメラをもう一度傾かせると、お嬢様は私の片腕を胸の前でお抱えになり、泣き叫ばれているところだった。このお姿を見る限りでは大変お元気そうで怪我はされていないようだ。ロボット工学三原則はしっかり遵守されている。


 さすが優秀なアンドロイド、ロイド・スチュワード五世。


 奥様のご命令を遂行できないのは心残りではあるが、彼にならばお嬢様を安心して任せられる。


「ロイド―――――!」


 これが私の最後の記憶記録だ。

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