ノーデン領主

 ニールの顔は真っ青だった。


「ニール、父上になにかあったのか?」


「容体が……オーランド様をお呼びです。早く来てください!」


「ああ!」


 オーランドは寝間着のまま廊下を駆けた。ローレンスと最期の話もできないまま、永遠に離れてしまうのは嫌だった。実の父親ではないらしいが、オーランドにとってローレンスは誇れる父親だ。オーランドがローレンスの部屋に駆け込むと、ローレンスはぐったりと寝台に沈み込んでいた。彼の足音に気づき、ローレンスはまぶたを開いた。


「オーランドと二人きりにしてくれ。頼む。席を外してくれ」


 途切れ途切れのかすれた声だった。すっかり年を取ってしまった父親に、オーランドはどうすればいいか分からなかった。


「承知しました、領主様」


 ニールが介護士とともに出ていった。扉が閉まるや否やローレンスはオーランドを諭した。


「教会と対立するな。教会と対立することは、神に逆らうことと同義だ」


 オーランドはローレンスには全くもって同意できなかった。教会にニールは望まない去勢を受けさせられそうになった。ハーヴィーは暴行され。壮絶な死にかたをした。なにより、教会に自分も殺されかけた。彼は強い調子でローレンスにかみついた。


「神に逆らう気はありません。実際に、俺は大天使ウリエルの託宣に従っている。ウリエルに、中央の神父は子供や女を犯しているから、彼らと繋がりのある者を追い払えと言われたからなのです。罪深い事をしておきながら、なんの罰も受けずこの世で一番清いのは自分たちだという顔をしている輩の言うことは聞けないというだけです」


「言うことを聞いてくれ。……もうすぐ、何も、お前には言えなくなってしまう」


 懇願され、オーランドは姿勢を正した。父親は危篤なのだ。いつまで話せるのかさえ、もうわからないのだ。静かな悲しみが、オーランドの心に押し寄せてきた。


「……この時だからこそ、お前に説明しなくてはならないことがある」


「遺言、ですか」


「遺言書はもうしたためてある。先ごろ、国王が崩御されたな」


「なぜ、王の話が?」


 話が飛んだ。確かに、崩御は一大事だ。だが、ローレンスの体調と関係はない。オーランドは戸惑った。


「お前は私の息子ではない。私の……孫なんだ。お前は、王の弟、次期国王となる、アルス様の息子だ」


「俺が、王子だというのですか? 嫡子ではない、とは以前に聞いていましたが」


 予想もしなかった言葉に、オーランドは仰天した。息も絶え絶えにローレンスは語った。


「若い頃に、私は身分の低い女と恋をして、子供が出来た。ナオミという娘だ。父親らしいことは、何一つしなかった。そのせいか、彼女は荒れに荒れたそうだ。ナオミはブリュンヒルドと共に男装して、国中を武者修行と称して回っていたのだ。その時に、彼女たちは王弟の一味と諍いがあり、ナオミは辱められたが、結局は王弟の愛人になったそうだ。そしてナオミが十四歳で産み落とした子供がオーランド、お前だ」


 オーランドは驚きでものが言えなかった。俺はローレンス・ガ―ディンの嫡男ではないと聞いていた。だから殺されかけたのだ。俺をゴミか何かと同じように扱ったデリックの態度から、俺の父親はノーデン領主よりも身分が低いと思い込んでいた。なのに、俺の父親は、次の王だ。息子ではなく孫だとしても、ローレンスと血が繋がっていたことは嬉しかった。しかし、俺の父親はハーヴィーを殺した神父と同類の、獣のような男だ。心の整理がつかない。黙ったままのオーランドへ、ローレンスは告げる。


「アルス様が王になれば、お前は第一継承者だ。……おまえには、名乗り出る権利がある。このままノーデンを継ぐのもよい。だが、名乗り出るなら、私に連絡をとってきた、中央の貴族が協力してくれる」


 オーランドは熟考する。王の座は、誰もが憧れるものだ。この国の王になったとして今より広い領地でそれらの舵取りをできるか。王になったらどうするか考えている自分に気づいて、オーランドは思考を慌てて止めた。誰もが憧れるから王になる、というのは世間一般の望みだ。俺自身がどうしたいのか考える必要がある。

 オーランドは目を閉じた。瞼の裏に最初にうつったのは、爆撃機だった。教会をあっさりと燃やした、恐るべき敵。その次に、鮮やかなオレンジ色の船が姿を現した。資源を求めてやってきたフォーサイスたち。敵も友もいる、外国の存在。外国とうまく付き合うには、教会の影響の排除が不可欠だ。そして――姿を消してしまった、カーラ。すべての始まりは、俺と彼女が出会ったことから始まった。ノーデンをカーラと一緒に良くしていきたい。これが、俺の望みだ。オーランドははっきりと自覚した。

 オーランドはローレンスの目を直視した。父の目には昔の堂々とした眼光は無く、今にも消えそうなろうそくの火のような揺らめきがあるばかりだった。ノーデンを背負う力が父から消えていることに、オーランドは今更気づいた。これからは俺が、ノーデンを負う番だ。


「自分には……ノーデンだけで精一杯です。王の器ではありません」


 オーランドははっきりと言い切った。俺は、俺の意志でノーデンを――カーラに手伝ってもらった、ノーデンをよりよくするという望みを叶えたい。王の座など、俺には必要ない。


「そう、か……」


 ローレンスは安心したように目を閉じた。彼は二度と目を覚ます事は無かった。


 ローレンスの逝去に伴い、国王の葬式と、それに続くアルスの戴冠式にはオーランドの代役としてルーシが出席し、オーランドはローレンスの葬儀を取り仕切ることになった。

 オーランドがアルスの戴冠式に出席した方がいい、と中央の貴族は言ってきたが、オーランドは断った。女を乱暴した末に孕ませたという時点で、ハーヴィーを弄んだ神父と同類だ。実の父親とはいえ即位を祝う気にはなれなかった。

 葬儀と新領主になる準備を進めながら、オーランドの右手は無意識に白い蛾の首飾りを探していた。

 教会の手の者は追い出し、西部アメリカ共和国とのつながりも何とか友好的な物にすることができた。だが、状況はめまぐるしく変わり続けている。予断は許されない。一人で歩むには険しすぎる道だ。寝る前に、カーラと話し合えたら――怒っているから二度と口をきいてもらえないかもしれない――言葉を交わせなくてもいい、せめてそばにいてくれたら――いや、俺の方から彼女を捨ててしまった。オーランドはがくりと項垂れた。ため息さえ漏れる。

 時代は容赦なく進んでいた。それでも、白い蛾の首飾りは見つからない――カーラとオーランドの時間は、あの嵐の前日で止まっていた。


 豊穣の白き翼 了

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