永遠のとなりに

シュート

第1話 奈々と父と真理

  昨夜の銀色の糸のような雨は止み、いつもと変わらぬ朝のひとつが始まる。まだ薄暗い部屋のベッドの上で起き上がり、両手をあげ、心持ち身体を捻りながら、まるで蝶が羽ばたくように小さな伸びをする。天候を確認するために深緑の遮光カーテンを開けると、部屋が弾けるように明るくなった。窓を少し開けベランダを見ると、鉢植えのガーベラの葉先に、昨夜の雨がいくつもの球を結んでいるのが見える。朝の優しさに愛想笑いを浮かべ、そっと窓を閉める。 

 まだ眠い目をこすり、ようやく今日の予定を思い出す。ベットを離れ、まずは洗面所に行き、顔を洗った後、歯磨きをする。次にキッチンへ移り、グリーンスムージーを作り、お気に入りの江戸切子のグラスに注ぐ。もはや、毎朝のルーティーンとなっている一連の動作が終わったところで、ダイニングの椅子に座り、一息つく。

 昨夜、今付き合っている男と酒を飲み、些細なことから言い争いになってしまったことが、まだ固いしこりとなって胸に重く残っている。考えみると、最近の喧嘩は、全部自分が一方的に男に突っかかることから始まっている。自分でもわからないのだけれど、何の脈絡もなく、突然怒りに似た痛痒に襲われるからである。男には悪いと思うが、男のほうにもいくばくかの責任があるとも思う。

 それと、すでに二人の間の恋の熱量のバランスは崩れていて、私の心は不機嫌なほどに乾いている。そのことに気づかない、あるいは敢えて気づこうとしない男のあざとさに、苛立ちを覚えるのである。

 恋の魔力は、人を溶かすというけれど、自分には何かが欠落しているのだろうか、恋にも冷たい感情しか持ちえない。いつもどこかが冷めていて、平坦にしか愛せない。それを自分でもわかっているから、無理にでも夢中になっているように自分の心を騙そうとするのだけれど、決して成功しない。

 気持ちを切り替えるために、まだ手をつけていなかったグリーンスムージーを、二回にわけて飲み干す。その後、溜まっていた洗濯物を幾度かにわけて洗濯したり、念入りに部屋の掃除をしていたら、あっという間に午前の時間は過ぎていた。少し早めに軽めの昼食をとり、午前十一時半に家を出た。

今日はデートでもないので、白のインナーの上にカーキのミリタリージャケットを着て、デニムパンツを合わせる。スニーカーも白をチョイスすることで定番のカジュアルコーデとなった。

最寄りの四ツ谷駅まで、のんびりと歩き、五分程で着く。タイミングよくホームに入ってきた快速高尾行きの電車に乗り込み、立川駅で降りる。途中各駅停車との待ち合わせなどで、四十分弱かかってしまった。予定より少し遅れ気味なので、足早で駅構内の一番端にある青梅線のホームへ移動する。

 立川を出た青梅線は、単線上を進み、土手を登り始める。間もなく右へカーブし、中央線の上を跨ぎ、立ち並ぶ家々のすぐ横を走って行く。やがて、電車は、徐々にスピードを落とし、西立川駅へと滑り込む。その後も電車は住宅地の中を走り進んで行く。

青梅線と聞いた時、きっと畑や山の中を走って行くのではないかと、勝手に想像していたのだけれど、車両の両側に見える風景は住宅地ばかりで、都心とあまり変わらない。

  ガタンゴトンという音とともに、一定のリズムで走る電車の揺れの心地よさに、大谷 奈々は次第に睡魔に襲われていた。正面に座る乗客の顔が次第にぼやけ、薄らいだ意識は子供の頃の、少し悲しい思い出へ引き込まれて行く。やがて瞼の裏に浮かんできたのは、母と二人で父の田舎へ行くために乗った列車の中の映像だった。

 もともと母は、明るく愛想が良いことから人付き合いも得意のように思われがちだけれど、実は極端な人見知りで、特に初めて会う人とのコミュニケーションは神経を使うため苦手なのである。そんな母が、結婚後、その報告のために父の田舎へ行くこととなった。結婚したばかりの母には、さすがに、拒否はできなかったのだ。そこで母を待ち受けていたものは、酒席の場で、大勢集まった親戚や近隣の人たちから、自分や家族のことを根掘り葉掘り聞かれたり、地元の風習を諭されたりすることだった。しかも、長旅で疲れている母を、ほぼ一晩中拘束したのだという。

 人の好い父方の祖父母は、ただニコニコしていただけだったらしいが、その分、周りの親戚たちが黙っていなかったようだ。

 地元の人にとっては、何も特別なことをしているのではなく、昔からある田舎の習わしを行っただけなのだろうとは思う。でも、女子大を卒業したばかりの、当時二十三歳だった母にとっては、耐えがたいものだったと想像がつく。もし、自分が同じ状況に遭遇したとしたら、自分も同じ思いに駆られていたと思う。

 でも、それ以上に母を打ちのめしたのは、父がそんな母の気持ちをちゃんと理解しようともせず、フォローやサポートをしてくれなかったことだったらしい。孤独な状況に陥っていた母に寄り添おうとしなかった父によって、母の心は深く抉られてしまった。行事の主役として立ち回らなければならなかった父には、心の余裕がなかったのかもしれないけれど、やはりそれは言い訳になってしまう。

 以来、母は父の田舎へ行くことを拒絶し続けた。孫である奈々が産まれた後、その顔を見たいということで父方の祖父母のほうから、数度だけ東京に来たことがあるらしいけど、母のほうから父の田舎へ出かけたことはなかったという。そのせいで、奈々には父方の祖父母の記憶がまったくない。

 祖母が亡くなった時でさえ、母は行かず、父ひとりで帰省した。しかし、祖父が亡くなった時は、さすがに長男の嫁として葬儀に出ざるを得なくなり、やむなく母は奈々を連れて二度目の帰省に向かったのである。 

 父の実家のある駅に近づくにつれ、母の口数は少なくなり、やがて奈々が話しかけても返事さえ返ってこなくなった。母の繊細で研ぎ澄まされた心は、冷たい氷のように硬くなり、溺愛する奈々の気持ちすら受け止められなくなっていた。ひとり取り残された奈々は、自分にも襲ってくる不安に懸命に耐えながら、膝の上のバックから、帰省の前日に母が買ってくれた漫画本を取り出した。どんな内容の本だったか、もう思い出せないけれど、奈々は、母と自分のふたつの不安を追い払うおまじないを唱えるように、小さな声をあげながらその本を読み始めた。当時まだ小学四年生だった奈々には母の心の底に何があるのかわかるはずもなかったが、母が横顔に貼りつけていた不安や怯えが、波紋のように広がっていくのを、子供心にも感じとっていたのだった。

「次は羽村」という車内アナウンスで、時の迷路を彷徨っていた奈々は目を開ける。涎が出ているのではないかと、人知れず唇を拭いながら、あれから随分と時間が流れ、何もかもが変わってしまったと、奈々は思う。

 羽村を出た電車は、これまでとは違い、畑などが見られる風景の中を進む。やがて、東青梅を出ると、再び単線上を走りながら終点青梅駅へと向かう。このあたりからは、遠くに聳える奥多摩の山並みが進行方向に確認でき、ああ、青梅に来たんだなあという実感がわく。

終点青梅駅に着き、すべての車両のドアが開いたところで、ホームに降りる。空気がひんやりしている。今朝は花冷えで、奈々がマンションの部屋を出る時も少し寒いと感じたけれど、やはり青梅まで来ると温度が違う。都心と比べると二度から三度低いといわれるのが頷ける。平日のせいか、終点青梅駅で降りた客はあまり多くはなかった。他の客たちに従う形で、改札口へと向かう。途中、地下道を通るのだが、両サイドの壁面には「鉄道員」「ティファニーで朝食を」等々の昔の映画の看板が飾ってある。一年半前、初めてこの地下道を通った時、奈々は看板を見て、父を思い、少し複雑な気持ちになった。この地へ引っ越してきた父は、この看板を見て何を感じたのだろうか。

 今日は父に会うために休みをとった。四月も中旬になると、新年度の新たな仕事が増え、本格的に忙しくなる。そうなると、有給休暇の申請が出しにくくなってしまうので、第一週の水曜日の今日を選んだ。なぜか、奈々の勤める会社では、水曜日には重要な会議や打ち合わせが行われない。そのことも、今日を選んだ理由になっている。

 駅前のロータリーを抜けると、そこは旧青梅街道だ。街道沿いには昭和を感じさせる古い建物が立ち並び、また昭和三十年代を彷彿とさせるような映画看板が数多く掲げられている。「丹下佐膳」「少年探偵団」「悲しき口笛」といった日本映画のものや、「ローマの休日」「俺たちに明日はない」「ヘッドライト」など洋画の名作のものもある。これらの看板は、かつて映画館があった頃に映画看板を手掛けていた看板絵師の久保坂観氏によって描かれたものだと、父から教えてもらった。ただし、今、青梅の街に映画館はないらしい。看板以外にも、街道沿いの一角には、「昭和レトロ商品博物館」や、「昭和幻燈館」「赤塚不二夫会館」などが建っていて、青梅は昭和の街と言われる。いつかゆっくり散策してみたいと思う。そんな青梅街道を越え、さらに五分ほど歩いたところに、父の自宅がある。

 父がそれまで住んでいた目黒のマンションを突然売って、青梅に引っ越したのは、二年以上前のことだった。生活する上では、はるかに便利な目黒を離れ、なぜ青梅という地を選んだのかが、奈々にはわからなかった。思い返しても、父と青梅を結びつけるものは何もない。何か深い思いがあってのことなのか、あるいは、仕事などで偶然立ち寄ったこの街に惹かれただけのことなのか。不可思議だったので、一度だけ父に聞いてみたが、「ただ都心から離れたかった」というだけで、真意は未だにわからない。

 住宅街に入ると、どこの街にも見られる日常の景色が広がる。犬の散歩をしている人。おぼつかない足取りで歩く老人の姿。赤ちゃんを抱えた若い母親の、どこか自信に満ちた笑顔。しかし、こうして歩いている時でも、四日前の土曜日に祖父から聞かされた鮮烈な話が耳の内側に貼りついていて、時々意識の端を掠める。

 子供の声のする方を見ると、小さな公園が目に入る。遊具はブランコと滑り台があるだけ。でも、花壇に植えられたツツジが赤、白、ピンクなど色とりどりの花を咲かせいて心豊かな気持ちにさせてくれる。公園を過ぎ、道端を歩いていると、人家の広い庭に植えられた木の枝に、二羽の鳥がとまっているのが見えた。スズメにも似ているが、胸から下腹まで縦線が走っているところを見ると、シジュウカラだろうか。シジュウカラは言語を話す鳥としても知られる。そう思って見ると、愛らしい姿で交わしている鳴き声は、不慣れな恋を楽しんでいるようにも思える。

 蒼々とした空気は身体を柔らかく包み、私の内側に溶け込もうとしている。明るく静かな春の光の中、さらさらと清潔な風が、どこからか、ほのかに甘酸っぱい香りを運んでくる。ゆるやかに流れる時間に愛撫され、街の一部になる。

 季節はいつも、こんな具合に何食わぬ顔をして、突然目の前に現れる。青すぎて遠い空に見つめられながら、アスファルトに落ちる影たちを踏んで、ただ歩いていると、歩いていることだけが自分のすべてであるようにさえ思える。

 大きなマンションの駐車場の角を曲がると、父の家の垣根が見えてきた。最近、職人の手を入れたのだろうか、きれいに刈り揃えられている。父の家に来たというだけのことなのに、なぜか緊張してくる。垣根に沿って歩きながらリビングのあたりを覗き見ると、レースのカーテンの透き間から、ぼんやりと中にいる女性らしき姿が見える。今日、奈々がこの時間に訪れることはわかっているはずなのに、どうしてだろうか。そんなわだかまりを抱えながら、門扉のところへたどり着き、チャイムを鳴らす。すると、ほどなく、「はい」という父の低い声が聞こえた。

「私ですけど」

「ああ、ちょっと待って」

 玄関のドアが開き、父親が出てきた。一年半ぶりに見る父は少し瘦せたようにも見えるけれど、その体躯は若い時とほとんど変わらない。身長は百七十八センチで、平均より少し高い。細身だけど、痩せているというより、引き締まった身体といったほうがふさわしい。顔は身体に比して小さい。今では柔和になったとはいえ、鋭い眼光を放ち、高い鼻と殺いだような頬の線が、相対する者に緊張感を与える。今日は焦げ茶色のジャケットの下に白のタートルネックのセーターを着ている。ボトムは濃紺のパンツを履いている。今年五十六歳になるが、案外若々しい。奈々の顔を見て少し懐かしそうな表情を見せながら近づいてきた。

「久しぶりだな」

 そう言いながら、門扉を開け、自分は後ろ向きになり、さっさと玄関へと向かおうとする。その背中に、奈々はおい被さるように聞く。

「ねえ、誰か来ているの?」

 父は振り返りもせずに、

「ああ」

 とだけ答える。

 父に続き、玄関へ入ると、そこには女物の白い靴が丁寧に揃えて置かれてあった。絶妙なつま先ラインとフォルムが足元を女性らしく、美しく見せる洗練されたデザインのペリーコのローヒールパンプスだった。その瞬間、奈々は誰が来ているのかを悟った。

 三倉真理。デビュー作の役名をそのまま芸名にしている。本名は、橋本百合。苗字は養父のものと聞いている。今では知らない人はいないといえるほど有名な女優だ。彼女は、何かの撮影の帰りに、気まぐれに父のもとに立ち寄ったのだろうか。それとも、奈々が来ることをわかっていて、父がこの時間に呼んだのだろうか。もしそうだとしたら、なぜ‥。


         二

 父についてリビングに入ると、ソファーに座っている真理の姿が見えた。白のカットソーの上に薄いピンク色のふわふわのジャケットを着て、下はデニムという、春っぽくてすごく可愛らしいスタイルだった。いかにも真理らしいと思う。

「奈々ちゃん、久しぶり」

 こちらを見た真理は、ソファーから立ち上がり、奈々のもとへ近づいてきた。両手を広げ、自分より十センチ以上背の低い奈々を屈みこむように抱きしめる。まるで親鳥に抱きかかえられた雛のような状態に、戸惑いながらも、奈々も真理のやや肉感的な背中に手を回す。その瞬間、いい匂いが奈々の鼻を掠める。なんという香水なのだろうかと、少ない香水の知識を探るがわからない。身体を離した真理は、まじまじと奈々を見つめ、

「元気そうで、良かったわ」と言う。

「ありがとうございます。真理さんもお元気そうで」

「うん、私はいつも元気よ」

真理は奈々より四つ年上だから、今年三十歳になるはずだけど、いつ見ても美しい。爽やかな花の香気にも似た色気は、男性のみならず同性のフアンも虜にしている。若い女性の憧れの顔として、雑誌などで紹介されることも多い。奈々もそのひとりである。隣にいる真理の顔を盗み見しながら、自分もこんな顔に生まれたかったと思う。

 顔の輪郭は卵型だけど丸顔に近い。やや細めの眉。目ははっきりとした二重で、大きいけれど目尻りが少し下がっているのと、目と目の間の距離がやや広いため、柔らかな印象を与える。鼻は高いけれど鼻筋がスーッと通っていて広がっていないため、それを感じさせない。また、上唇が厚くぼってりしていて、それがセクシーさに繋がっている。各パーツは比較的中央に集まっているけれど、均等に配置されていて整った顔をしている。要するにバランスがいいのだ。女性らしい色気を持ちながら、清楚で可憐な部分も併せ持つところがフアンを魅了すると同時に、幅広い役柄を演じられる魅力ともなり、映画関係者をとらえて離さないものとなっている。しかも、肌は抜けるように白く、透き通っている。身長は百六十八センチあり、肉感的でありながら手足は細く長く、抜群のプロポーションをしている。

 それに引き換え自分は、目は二重で大きいけれど、やや吊り上がっている。目と目の間は狭く、目力があるので、それだけで気が強そうに思われる。鼻はかなり高く、顎ががっしりしていてエラが張っている。口は大きめである。要するに、典型的な男顔なのである。女の子らしい柔らかさとか、色気を感じさせる顔ではない。たまに、綺麗ですねなどと言ってくれる人もいるけれど、その冷たい言葉の響きの中に、僕は好きな顔じゃないけどねとか、私は別にあなたのような顔になりたくはないけどといったニュアンスが含まれているように思ってしまう。もちろん、奈々の思い過ごしの部分もあるのかもしれない。でも、自身が自分の顔を嫌いなので、そう思えてしまうのだろう。これで、モデル並みのスタイルをしていれば、バランスがとれているのかもしれないけれど、奈々は身長百五十三センチと小柄で、身体全体が薄く、子供のような体型をしているため、顔と体のバランスがとれていないのだ。顔と性格は父に似ているのに、身長だけは母に似ていた。母も小柄だった。

「さあ、真理ちゃんも座って」

 父の言葉に促され、二人はソファーに並んで座った。そんな二人の様子を、父は嬉しそうな顔をして眺めている。

 いったん座った奈々だったが、土産のことを思い出した。ソファーの横に置いた手提げ袋を持って立ち上がる。

「これお土産」

 紙袋のまま父に渡す。袋に書かれた店名を見て、中身がわかったようだ。

「ありがとう」

 好きなものを受け取り、珍しく上機嫌の顔を見せながら続ける。

「そういえば、この間、友人からおいしいコーヒーをもらったんだ。今淹れてくるから待っていて」

 そういうと、父は立ち上がり、いそいそとダイニングテーブルの奥のキッチンへと行ってしまった。リビングは十八帖。父のお気に入りのコルビジェのネイビーの二人掛けソファーがL字型に配置されているが、対面にも父用の一人掛けのソファーが置いてある。来客数に会わせて使い分けているのだろう。

 低めのソファーとコーヒーテーブルの印象を高めているのは、天井から吊り下げられたグリーンのシェードのペンダント照明や少し背の高いオレンジ色のシェードのフロアスタンドと壁面の絵画だ。目線より少し高いポイントに視線を向けさせることで、天井高や空間の広がりを感じさせている。サイドボードの上には、父が趣味で集めている有田焼の壺や絵皿などが飾ってある。全体的におしゃれであるし、センスは悪くないと思う。

「真理さん、この間のCMの件、本当にすみませんでした」

 父の背がキッチンへ消えたのを確かめて言った。

「すいませんでしたなんてやめてよ。楽しかったわよ、あのお仕事」

 その時のことを思い出すような顔をして真理が答える。

「そう言っていただけると、嬉しいです」

 奈々の勤める広告代理店が、大手損保会社のCMの依頼を受けたのだ。その時、損保会社から、CMに起用するタレントは三倉真理でお願いしたいと指名されたのだった。なんでも、同社の会長が、三倉真理の透明感をいたく気に入っているという噂だった。しかし、三倉真理は、CMには出ないことで有名な女優だった。もともと真理はテレビへの露出が少ない。CМ出演は皆無だったが、テレビドラマへの出演も数回ある程度だった。それも友情出演という形で、限られたシーンに出ているだけだ。ドラマ以外のトーク番組やバラエティ番組への出演もほとんどなく、このことから私生活が謎とされている。最近では珍しい、映画一本で活動している「映画女優」といえそうだ。

 一般にTVCMに出ることは知名度アップにつながり、むしろ歓迎される。CMから、その人気に火がついた女優も多いのである。それなのに、これまで出たことがないのは、特定の色をつけたくないという事務所の戦略であるとか、本人の強い意志のためであるなど、いろいろな噂があるが、本当のところはわからない。これまでにも、複数社の依頼を断ってきたことで知られている。だからこそ、損保会社は、三倉真理を起用して世間にインパクトを与えたかったのかもしれない。しかし、最近、広告代理店に転職したばかりの奈々は、こうした詳しい事情は何も知らなかった。

 ある日、部長の山本に呼ばれ、部長室の中に入ると、妙ににこやかな山本の顔に迎えられた。

「これから、一緒に専務のところへ行ってほしいんだ」

「えっ、何でですか」

 奈々は、祖父と専務が知人ということで、この広告代理店に転職している。いわばコネ入社である。なので、専務とは入社前に会ってはいるが、入社後は立場が違うので、これまで数回しか会ったことがない。専務は奈々が苦手なタイプの男だった。

「私、何かしましたでしょうか」

 自分が何かしでかしたことで、専務に呼ばれたものと思い、奈々は思わず、そんな言葉を口にしていた。

「違う、違う」

 山本は、まだにやけた顔を見せながら言う。

「君に、大きな仕事の担当をしてもらう必要ができて、それで専務が直々に、君に話があるというんだ」

 それでなくとも、奈々がコネ入社であるということが社内に知れわたっていて、一部妬みのような感情を向けられることもあったため、特別なことをされるのは、奈々にとっては迷惑なことであった。

「それは、私じゃなくてはダメなのでしょうか」

「もちろん、そうだよ。だから、専務が直接君に頼みたいと…」

「私に、直接、頼みたい…」

 なんとなく、いやな予感がした。しかし、専務からの頼みと言われれば、断ることはできないと覚悟して、山本と一緒に専務室へ向かった。

 久しぶりに会う専務の矢田毅は、相変わらず高級スーツを着こなした、隙のない紳士だった。その席で言われたのは、大手の損保会社からCMの話があったこと。そのCMに起用するタレントとして、先方から三倉真理の指名があったこと。そして、奈々が三倉真理と親交があることを山本から聞いたということだった。だから、奈々から、真理にこの件をお願いしてみてくれないかというものだ。ただし、真理は、これまでCMには一本も出たことがないとも聞かされた。その時、奈々は新年会の酒席で、迂闊にも、自分が三倉真理から可愛がられていると話してしまったことを後悔した。だが、もう遅かった。専務の依頼を断ることはできない。

「やってくれるよな」

 有無を言わせない口調だった。

「わかりました。受けていただけるかはわかりませんけど、話しはしてみます」

 そう答えるしかない。

「そうか、良かった。頼むよ」

 頼むよとは言っているが、その裏には、なんとしても成功させろという圧力が垣間見えた。専務が頭の切れる、優秀なビジネスマンであることは、奈々も認める。だけど、会う都度こうして尊大な態度をとられると、奈々の心は寒くなる。

 奈々がこうした種類の男を好きになれないのは、傲慢不遜であることが、自分の正しさを証明し、自分を守ってくれる唯一の術だと信じて疑わない一部の政治家の薄っぺらな虚栄心のようなものが、透けて見えてしまうからである。社会的動物である男は、いつも心に上げ底の靴を履かせているような部分もあるけれど、そのヒエラルキー意識は、大概、こんなおぞましい形で現れる。女は、その感性でこんな男たちの本性を一瞬で見抜いてしまうことを、男たちも理解すべきだ。

 それはともかく、仕事としては対処しなければならない。奈々は悩んだ。確かに奈々は真理と親しい。奈々は真理のことが好きだし、真理も奈々を妹のように可愛がってくれている。でも、そんなプライベートな関係があるからこそ、余計に真理には話しにくかった。でも、私を受け入れてくれた専務のために覚悟を決めて、真理に話すことにした。

 この日なら時間がとれると言われ、奈々は指定の場所に出かけて行った。そこは、芸能人の隠れ家として雑誌などにも紹介されている目黒の住宅街にひっそり佇むフランス料理の店だった。そんな店の佇まいに気後れしたこともあり、なかなか用件を切り出せなかった奈々に、「何か話があるんでしょ」と、真理が助け船を出してくれた。奈々が勇気を振り絞ってCMのことを話した時、一瞬真理は奈々の顔を見ながら沈黙した。ああ、やっぱり無理だったのだと、奈々は思った。しかし、次の瞬間、「大丈夫よ、奈々ちゃんの頼みですもの。喜んで引き受けるわ」と言ってくれた。そのことに、奈々は今でも感謝しているけれど、あの一瞬の沈黙で、真理が今までCMにでなかったのには深い理由があったことを想像させ、奈々は、本当に申し訳ないと思っている。

「本当によかったんでしょうか」

「何言っているのよ。奈々ちゃんから初めてお願い事をされて、本当に私は嬉しかったんだから」

「ありがとうございます。専務も、部長も、みんな喜んでます」

「そう。良かったわ。でも、奈々ちゃん、仕事のことだけじゃなくて、何でも私に相談してね」

 奈々の肩に軽く手を乗せ、真理は優しく言う。奈々は一人っ子であり、真理も理由があって兄弟姉妹がいない。だから、二人とも兄弟姉妹というものがわからない。そんな二人だから、姉のように、妹のようにという思いはあるのだけれど、もともと不器用な奈々は、どう向きあえばいいかわからない。しかも真理は有名な女優である。だから、どうしても一歩引いてしまう。でも、真理のほうはいつも積極的だ。

「真理さん、いつも私のこと気遣っていただいて本当に嬉しいです。でも、真理さんは、私にとっては大きな存在で、眩しすぎます」

「何で?、私が女優だから?でも、女優なんて、職業の一つに過ぎないのよ。私にとって奈々ちゃんは、心を許せる大事な妹、みたいなもの。残念ながら血はつながってないから、みたいなものと言っているだけ。私も、奈々ちゃんに甘えることがあると思うから、奈々ちゃんも私に甘えてね。お願いよ」

 と、手を合わせる仕草をする。

「はい」

 心底嬉しかった。これまでも、いつも真理のほうから近づいてきてくれた。父が家を出て行ってしまった時、母が亡くなった時、就職のことで悩んでいた時…。祖父母はいつも味方だったけど、やはりあまりに近い分、奈々に一方的に甘かった。でも、真理はもっと深く奈々と向き合ってくれた。ひたすら奈々のことを考え、時に厳しい意見も言ってくれる。奈々は誰かに相談しようと思っても、いざとなると自分の心の扉を自ら閉じてしまうところがある。そんな奈々の性格をよく理解している真理は、奈々の悩みを察知して、真理のほうから近づいてくれるのだった。きっと、父から情報を得ているのだと奈々は思っている。いつか、十分に時間をとって話をしたい、話を聞いてみたいと思うのだが、真理が有名女優であることが気後れになって、自分からはなかなか近づけないでいる。

 三人分のコーヒー茶碗をお盆に乗せて父が戻ってきた。

「さあ、飲んでみて。きっとおいしいと思うよ」

 それぞれの前に差し出されたコーヒーを、思い思いに飲む。確かにおいしい。

「監督、おいしい」

 真理が父の顔を見ながら言う。

「どうだ、奈々」

 自分にふられて奈々も答える。

「確かにおいしい」

「そうだろう」

 満足げな顔をした父は、再び真理のほうへ顔を向けて言う。

「しかし、今度の『未来のあなたへ』はいいね。いい作品に出会えた。それに真理ちゃんが光っている。すばらしい」

 真理が主演をした最新作のことだ。

「ありがとうございます。監督にそう言っていただけただけで嬉しいです。かなり悩んだ役でしたけど、演じ切ることができました」

「うん、本当にいい」

 少し遠くを見つめるようにしながら言う父の顔をみながら、今、父の頭の中を過っているものは何なんだろうかと思う。この人は、やはりまだ映画を捨てきれないでいるのではないか。光のささない海の底でまどろむことを敢えて選んでいるのか。真理も、そんなことを感じたのであろうか。

「監督、もう一度映画を撮る気持ちはありませんか」

 差し迫ったような声で言う真理に、

「いや、もう無理だ…。今更映画の世界には戻れない」

「なぜですか。私は監督の作る作品が大好きです」

 そう言われても、父の顔に生気はなかった。「ありがとう。今、そんなことを言ってくれるのは真理ちゃんだけだ。でも、僕はもう監督じゃない」

 寂しそうでもなく、悲しそうでもなく、ただ静かな表情で答える父。

「そうですか。残念です。でも、私はずっと待っています」

 まっすぐ父の顔を見つめ、唇を少し震わせながら、真理が言った。静かな父に対して、真理の熱い想いがひしひしと奈々に伝わってくる。真理と父とを結びつけているのは、二人の間でぶつかり、壊れてしまいそうで壊れない強い「想い」なのかもしれない。しかし、父にこんなことを言えてしまう真理が羨ましかった。自分と父との距離よりもずっと近いように思える。

「もうその話は止めよう。そんなことより、奈々が持ってきてくれたフルーツタルトがあるからみんなで食べよう」

 自分の気持ちを断ち切るように、再び父は立ち上がり、キッチンへ向かった。

「ごめんね、奈々ちゃん。私のわがままな気持ちが出てしまって」

「いえ、真理さんの気持、私も嬉しいです」


                三

 三倉真理は、父が監督になって二作目の作品でデビューした。ヒロイン役のオーディションが行われ、三万人の中から選ばれた。演技の経験はまったくない素人だったが、透き通るような美しさを持ち、一方でそれに相反する、どこか冷めた、暗く、どろどろしたものも持っていて、それが死の光の中にさらりと溶けてしまうような危うい魅力を醸し出し、父の監督魂を焚きつけたらしい。

 この作品は、大ヒットし、父にとっても出世作となった。真理は、様々な賞の新人賞を受賞し、父も監督賞を受賞した。その後、真理は、次々と話題の作品で主演をはる女優となっていき、今でも第一線で活躍している一流の女優だ。

 一方、父もその後何本も映画を撮り、その都度注目作品となった。結果、映画監督としての実力を認められ、さらに次々と作品を世に出していったのだが、なぜか、次第にその内容が難解なものになり、一部の映画マニアには受けるが、一般受けのしないものとなっていった。映画評論家の中には酷評するものも出てきてしまった。そのことに苛立ちを覚えたのだろうか、父の生活は次第に荒んだものとなって行く。家に帰らないことも多くなり、家族は崩壊の道へ進んでいった。

 だが、映画界から忘れさられようとしていた矢先、父のもとへ新たな映画制作の話が持ち上がった。父の監督としての力を以前からずっと評価していた映画プロデューサーがいたのだ。世の中には、己の信念を崩さない人がいる。今でも父は、そのプロデューサーに深く感謝しているという。

 再起を期した父は、再び三倉真理を主役とした映画を撮ることにした。この作品は、奇跡的な大ヒットとなり、父の監督としての評価が改めて高まることとなった。しかし、父はその作品を最後に、映画界から突然身を退いた。世間には何の理由も告げなかったため、真意を知るものはいない。おそらく、一番心を許しているであろう三倉真理でさえ、何も聞かされなかったというのであるから、閉じ込めてしまった思いを測る手立てはない。

 そんな父は、今、文芸評論家として仕事をしている。もともと造詣の深かった文学や歴史の知識を活かしている形だ。関連の書籍なども結構多数出版されている。また、関連した講演なども各地で盛んに行っているようだ。

 今父のもとを訪れる映画関係者は、三倉真理と映画プロデューサーの二宮順平という男のみだ。しかも、二宮は釣り友達として遊びに来るだけだという。監督を辞めてしばらくは映画関係者も来ていたようだが、父のほうがそうした人たちを避けるようにしたため、みな次第に遠ざかっていったようだ。三倉真理に対しても、父はもう関係ないのだから来ないでいい、来ても何の力にもなれないと言い続けていたようであるが、真理は頑として聞きいれなかったという。それほど、父と真理の関係は深い。

 そんな二人を、大学時代に映画研究会に所属していた奈々は、こう評価している。

 まずは、三倉真理。時々雑誌などで演技がうまい女優のランキングが発表されるが、真理は必ず上位に入っている。時には、一位にランク付けされることもある。

 奈々が考える真理の圧倒的な演技に内包される本質は、役に自分を一体化させて役に命を吹き込むだけでなく、真理の芯の部分に霧のように堆積された孤独感や苛立ち、漠とした不安、ふつふつと沸き上がる喜び、怒りや恐怖といった生の感情や情念を、生来もっている高い美意識のもとに感受性豊かに、時に典雅に、その役の各シーンの中に表現しているところにあると思っている。それでいて、決して役を超えない。役ごとに別々の人物を創り上げ、真理自身を主張することはない。まさに、カメレオン女優と言われる所以でもある。一見体当たりの、全身を使った全力の演技に見えながら、そこには完璧なほどのしたたかさと、一方で僅かな力によって崩れ落ちてしまいそうな脆弱性としなやかさが混在していて、その凄みは観る者の心を揺さぶり、逃げ場のない世界へと導く。

でも、素の真理を知っている奈々は、時々映画の中の真理が、脚本家が創り出した人物なのか、真理自身なのかわからなくなることがある。なぜなら、映画女優としての真理がいくつもの顔を持っているように、素の真理もいくつもの顔を見せるからだ。わざと難解なことや自虐的なことを言って、相手の反応を楽しんだり、かと思えば、夢見る少女のような目で遠くを見つめて夢物語を紡いだりする。極めて理性的で現実的な真理と、何かに取りつかれたような神秘的な行動をとる真理。

 本当のところ、何が真理を突き動かしているのかわからないけれど、それでも真理は真理なのである。こんな風に、まだまだ奈々の知りえないミステリアスな部分を、その内側にいっぱい持っている。だから、映画女優としての真理と、一人の女性としての真理は、奈々の中で混然一体の存在となっている。不可思議で不可解で、その本源を読み取れないからこそ、奈々は心を奪われる。

 父の松本義隆については、こう思っている。

 父は自ら脚本を書く。その中で父は、自身の中にある焦燥や倦怠、頽廃や憂い、悲痛なまでの欲望や切実にも思える頑なさなど淀んだ感情や観念を難解で哲学的な言葉を使って表現する。一時期、父の映画が難解なものになったのは、この難解な言葉をそのまま映像化してしまったせいではないかと思っている。

 言葉による絵画化が詩であると、ある詩人が言っている。だとするならば、映像による言語化が映画ではないかと奈々は思う。

 映画は言葉ではなく、映像に語らせることがある。饒舌になるのではなく、すべてを現す一瞬を掬い取り映像にすることもある。たとえ主人公が映っていたとしても、その表情だけですべてを語らせたりもする。そして、そんなシーンのほうが観る人の心に深く刺さることさえある。さらには、映像で言葉を超えようと試みることもある。

 父は、いったん書いたその重い言葉を、何度も何度も書き直す。その過程で言葉は昇華され、ものすごく単純な言葉へと変わる。それを父は作品の中で、誰もが心の中に持っている一見ありふれた情景として映像化し、観客の心の中に落とし込む。実際の映像は、色とりどりのビーズやガラス片や貝殻などで満たした手作りの万華鏡のような、鮮やかで、類い稀な映像世界を生み出している。

 一見、計算では作り出せない偶然の美しさを演出しているが、実はそこには、父にしかできない精緻で綿密な脳内コンピュータが生み出した多くの仕掛けが、罠のように組み込まれている。そんなことを何も知らない観客が万華鏡を覗き穴から見ると、その煌びやかさと儚さと悲哀の色に魅了されるのである。実に感覚的で、刺激的で、まるで見てはいけない幻影を見せられているのではないかと感じることさえある。父の創り出す映像美が、今奈々が付き合っている男の目指すものに似ていることに気付いたのは、最近のことである。

 奈々が映画研究会に入ったのは、映画に強い興味があったというよりも、父のことを知るためであったと言って良い。でも、わかったのは結局、映画監督としての父だけだった。

 奈々の大学の映画研究会では実際に映画を作るグループと、映画鑑賞をして映画について研究するグループがあったが、奈々は後者のグループに所属していた。奈々はその活動を通じて、映画や映画監督というものについて深く考えるようになっただけでなく、自分の人生についても考えるようになった。それは今の自分にも影響を与えているようにも思う。

 でも、近くにいたのに全く知らなかった映画監督としての父は、知れば知るほど、やはり遠い存在だった。映画も父の作品も含め、いっぱい見た。その中で、三倉真理という一人の女優についても考えることとなったのだ。

 とはいえ、映画について奈々は、もちろん素人である。けれど、四年間の部活動で、奈々なりに達した結論がこれだった。

 あくまでも、奈々の個人的な考えであり、しかも、いかにも学生が考えそうな青臭い映画論なので、その道のプロから見れば、ピント外れな偏った見解と叱責を受けるかもしれない。万が一、父に話そうものなら、完膚なきまでに論破されることはわかっている。だから、話すつもりは毛頭ない。でも、奈々は今でも自分の考えが正しいと思っているし、今でも自分の感性を信じている。

 父と真理のことを考えながら、同時に奈々は、この家はなんと広いのだろうと、全く関係ないことを考えていた。

 一階はLDKのほかに六畳の客間がある。二階は約二十帖の書庫と八帖の仕事部屋兼書斎、六帖の寝室がある。独り住まいにしては広すぎて掃除だけでも大変だろうと思うが、もともときれい好きの父は掃除も嫌いではなく苦にならないらしい。

 奈々は父がキッチンに消えたのを見届けた後、部屋の様子をさりげなくチェックしていた。まるで、単身赴任の夫の部屋を訪れた妻のようではないかと自嘲はするのだけど、母に代わってという正義のもとに正当化する。今父は独身なのだから、女の影が見えたとしても何の問題もないし、どちらかといえば、奈々もそれを歓迎すべき歳になったのかもしれない。でも、奈々は未だにそれは嫌だった。それほど母への思いが強い。この部屋は前来た時と変わったところはないように思える。しかし、客間もトイレも風呂場も、そして二階もまだ見ていない。後で全部見るつもりだった。こんな娘は嫌だろうなと、自覚はしているけれど。


                四

 奈々の土産のタルトを持って現れた父は、なぜか少し照れくさそうな顔をしていた。

「真理ちゃんも、この店のタルトがおいしいいの、知っているよね」

 そう言って、父はタルトの入っていた箱を真理に見せる。奈々が持参したのは、キルフェボングラメゾン銀座の「赤いフルーツのタルト」だった。六種類ものベリーがデコレーションされているもので、程よい酸味のラフィネクリームがフルーツの甘酸っぱさを引き立てているものである。酒飲みでありながら、甘いものにも目がない父が、このタルトが好きだと知っていたので、奈々が買ってきたものだ。

「ええ」

 真理の答えを確認した後、箱ごとテーブルに置いて言った。

「奈々、悪い、ナイフと皿を持ってきてくれるか。忘れてしまった」

 今日の父はどことなく変だと思いながら、キッチンへ向かう。ついでに、キッチンをチェックするが、特に変わったところはない。ナイフと皿を持って戻り、箱から取り出したタルトを切ろうとすると、父が奈々からナイフを奪った。自ら三等分に切ってそれぞれの前に差し出す。今まで、そんなことをする父を見たことがなかった。今日は妙に二人に気を使っている。自らコーヒーを振舞うということもおかしい。いつもなら、奈々に淹れさせていただろう。普段なら梃子でも動かない父のこの落ち着きのなさは、何が原因なのであろうか。心の内を見られないようにという思いが、父のわざとらしい態度となっているようにも思えるが…。その理由はこの時点の奈々にはわからなかった。ただ、その後も違和感はずっと続いたままだった。

「ところで、奈々、転職して仕事はうまくやっているのか」

 今日初めて、自分のことを聞かれた。父が、この青梅に引っ越す少し前に、奈々は父の友人が専務をしている広告代理店に転職した。奈々は、今日初めて父から自分のことを聞かれたことに気づき、少し腹が立っていた。少しは私の事にも関心を持ってよ、お父さんと。

「ちゃんとやってます」

 自然とぶっきらぼうな返事になる。

「当たり前だ。仕事はちゃんとやってくれなくちゃ、困る」

 父のほうもぶっきらぼうに答える。お互い、なんでこんなふうになってしまうのだろう。    

 行方不明となった言葉の欠片を、不愛想な表情に閉じ込めているかのような父との、ちぐはぐな会話は、いつも奈々を深淵の闇へと突き落とす。

「ちょっと、監督、その言い方ひどいですよ」

 真理が奈々の代わりに怒って言ってくれたが、父は聞き流している。すると、真理が続けた。

「この間、私奈々ちゃんの会社の仕事をしたんですけど、みんな奈々ちゃんのこと褒めていましたよ」

 奈々の頭の中に、部長の山本と、課長の田中の顔が浮かんだ。特に山本は社内外で調子がいいことで知られている男だ。真理の初めてのCМの仕事を自社が受けることができたことを誰よりも喜んでいる山本は、今後も真理を取り込みたいと願っているに違いない。だから、真理と親しい奈々を、これ以上ないというほど褒めたことだろう。

 撮影の日は、奈々が他の仕事でいけなかったため、どんな様子だったかはわからないのであるが、大体のことは想像できる。

「真理ちゃんが奈々の会社の仕事をしたの

?」

 何も知らない父が驚きの表情を浮かべ、真理に聞いていた。

「ええ」

「知らなかった。私からもお礼を言うよ。ありがとう」

「いやだ、監督。仕事をもらったのは私のほうですよ。だから、感謝しているのは、私のほう。奈々ちゃんから直接お話をいただいて、本当、嬉しかったんです」

 奈々のほうに顔を向け、嬉しそうな表情を見せながら真理が言う。

「それならいいけど。で、どんな仕事」

「損保会社のCМの仕事です」

「えっ、お前、真理ちゃんにCМの仕事をさせたのか」

 突然険しい顔をし、声を荒げた父。

 子供の頃の父は、どんな時でも、どんなことがあっても感情を表に出さず静かに話した。それがかえって怖かったのだけれど、最近の父は感情を抑圧することなく、すぐに表情に出すようになっている。年をとったせいなのかわからないが、単純でわかりやすくなったともいえる。そのこと自体は悪くないのかもしれないが、しかし、奈々は「お前」と言われたことに傷ついていた。これまで付き合った男に「お前」と言われたことはなかったし、これまで父に「お前」と言われた記憶もない。真理が今まで一度もCМの仕事を受けたことがなかったことは知っている。しかも、それには何らかの理由があるらしいということも、専務から聞かされていた。でも、奈々が直接真理にCМの話をした時、真理は何も言わずに引き受けてくれた。だから、奈々は余計なことは詮索しなかった。だが、今の父の怒りようは何だろう。父の理不尽なまでの怒りようを目の当たりにして、テレビに出ないようアドバイスしたのは、ひょっとして父だったのではないかと疑った。

 だからと言って、「お前」と言われる筋合いはない。ふくれっ面をしながら何も答えずにいる奈々に代わり、真理が口を開いた。

「監督、奈々ちゃんを責めないでください。奈々ちゃんは何も悪いことしていませんし、それに、私がこれまでCМの仕事をしてこなかったことについて、みんな誤解しているようですけど、本当のところ何もないんですから。ただの偶然です」

 今度は父が黙ってしまった。本当は何か言いたかったに違いないが、真理にそう言われてしまったら、何も言えないのだろう。

「本当なんですよ。うちの事務所の偉い人がが私の気持ちを勘ぐって、私に何も言わずに勝手にCМの仕事を断っていただけですから。だから、今回の仕事は私も嬉しかったんです」

「そうなのか。ならいいんだけど…」

 父がぼそっと言う。全然納得していないのがわかる。そんな二人のやりとりを見ていて、奈々は父はやっぱり自分より奈々のことを信頼していると思った。自分と父との間にある違和感は、不穏当な翳りを作り、ますます二人の距離を広げてしまう。父が変わることは期待できない以上、自分がこの距離を縮めなければならない。そう思って、今日奈々は父に、今付き合っている男とのことを相談するためにここへやって来た。奈々が今抱える一番大事でかつ深刻な問題を、父に相談することで、自分と父の、このややこしい関係も多少は変わるのではないか。そんな期待が少しはあった。しかし、もはやそんな気持ちも萎えてしまっていた。

        

                五

 奈々が今付き合っているのは、大崎俊という男だ。

 奈々は恋をする時、無意識に相手の男に、父親にはないものを求めてきた。俊の場合、どこまでもまっすぐな瞳の中に閉じ込めた、ガラス球のような危うい美しさと、その甘く切ない弱さに惹かれた。ふと見せる寂しげな顔には、咲けない花のようなもどかしさが浮かんでいて、いつも孤独と同居している奈々の心と同化し、奈々にとって一筋の曙光ともなっていた。それは結局、愛情などという何の根拠にもなり得ないものにただ逃げているだけだと、奈々もわかっているのだけど…。 

 しかも、父とは違うタイプの男を選んでいたはずなのに、後になって気づいてみれば、これまで奈々が付き合ってきた男はみな、どこか父と似ている。

 中でも鮮烈に覚えているのは、大学三年生の時に付き合った山崎慶介という男のことだ。

 慶介とは、当時盛んだった学生が企画した合同コンパで出会った。物腰が柔らかく、中性的な慶介は、女性の中に一人混じっていても全然違和感を感じさせない澄んだガラスのような存在だった。父にはない、そんなところが魅力的に見えた。何度かグループで会っているうちに、好意は恋に似たものになっていた。しかし、自分からアプローチすることなど考えられず、遠くから眺めているだけだった奈々に、慶介のほうから誘いをかけてきた。

「一緒に買い物に行かない」

 まるで、女友達同士のような誘い文句に驚いた記憶がある。しかも、著しく人見知りの奈々にとって、慶介の丸みを帯びた声は、そよ風のように心地良かった。そんな男らしさのまるでないところに、奈々の心は吸い寄せられることになる。

 付き合い始めても、慶介の態度は変わらなかった。相変わらずの優しさと気配りに奈々の心は満たされていた。ただ、柔らかな雰囲気のせいで女に警戒心を抱かせない慶介の周りには、常に多くの女がいて内心心穏やかではなかった。それでも、恋人は奈々一人しかいないという慶介の言葉を信じることにした。というか、そういう男と付き合うからには、信じ切ることでしか不安から逃れる方法はなかった。

 だが、付き合いだして半年も過ぎると、二人の関にあった緊張関係も緩み、奈々の生来の気の強さが表に出るようになっていた。その頃から、慶介は徐々に奈々との距離を取ろうとするようになっていた。しかも、その行動の後ろに女の影を感じさせるものがあった。まだ女の勘に過ぎなかったが、なぜか確信めいたものを感じていた。そうなると、奈々の性格から黙って見過ごすことはできない。ざらついた空気の中で、二人の時間だけがねっとり流れて行くのが許せないのだ。確証をつかむために、尾行するチャンスを伺うことにした。

 その日も、奈々は授業終わりの慶介と、喫茶店で話をしていた。すると、慶介の携帯に電話がかかってきた。表示された名前を奈々に見られないよう、素早く携帯を取り上げた慶介は、慌てた様子で店外に出ていってしまった。しばらくすると、慶介は、後ろめたさをごまかすように、いかにも申し訳なさそうな表情を顔に貼りつけて戻ってきた。

「悪い、急用ができちゃったからさあ、先に帰るね。ごめん」

 片手を顔のところまであげ、拝むように軽く頭を下げた。何も言わず、ただ観察している奈々。パンツのポケットの中をまさぐり、自分のコーヒー代金だけを財布からもぎ取るように出し、バラバラとこぼすようにテーブルの上に置く。一連のわざとらしい姿は醜いだけだ。結局、そのまま奈々の返事も待たずに店を出て行った。疑惑だけが波紋のように広がる。

 よほど慌てていたと見えて、自分が座っていた横の椅子に置き忘れた慶介のノートが見えた。そのノートをつかみ、奈々も店を出て、慶介を追いかけることにする。

 店を出たとたん、夏の焼けつくような日差しに出くわし、一瞬目眩に襲われる。気合を入れ体勢を立て直し、走るように歩き出す。泡立つ奈々の心に追い討ちをかけるように、生ぬるい風が吹き寄せてきて、奈々の苛立ちに拍車をかける。万が一慶介に見つかったとしても、ノートを渡すためだったと言えばいいと言い聞かす。地下鉄の駅までは七~八分。少し前に慶介の後ろ姿が見えた。追尾しながらも、奈々の胸に嫉妬心はまったく湧いてこない。そんなことのために尾行しているのではなく、正鵠を射るためにやっているのだと自分の行動を正当化する。

 地下鉄に乗ると思われた慶介が、駅を通り過ぎた。これで、自宅に帰るのではないことがはっきりした。まっすぐ坂を下り始めた慶介が向かったのは、少し離れたところにあるJRの渋谷駅だった。

 山手線の新宿方面のホームにあがったところで、慶介は再び携帯を取り出し、誰かと何かを話している。そこへ電車が滑り込み、慶介は慌てて電車に乗り込む。少し離れた場所にいた奈々も、慶介を目で追いながら同じ車両に乗る。二つ先の代々木駅で降りた慶介は、原宿方面に戻る坂道を下っていた。そして、大きなビルの横の、あるマンションへと吸い込まれていった。

 奈々は、慶介が代々木駅で降りた時からこの場所へ来るだろうと想像がついていた。そこは、大学の同じ遊び仲間の一人である時田ミエが住むマンションだった。奈々も他の仲間と一緒にこのマンションに一度だけ訪れたことがあるので知っていた。

 奈々とはまったくタイプの違う、一見可愛らしさ満開のミエに心を奪われたのだろう。男と見れば誰にでも媚びを売るミエを奈々は好きになれなかった。慶介がそんな女に心を向けたのかと思うと、奈々の頭の中を白んだ空気が包む。その夜、奈々は次第に輪郭を現してきた別れに、醒めた表情を向けていた。

 翌日、ノートを渡すからと慶介を喫茶店に呼び出した。現れた慶介は、昨日と同じ服を着ていたが、平然としている。ノートを受け取る慶介に、悪びれたところは見受けられない。

「昨日はごめん」

 とは言ったものの、反省の色は伺えない。返したノートをペラペラと捲っているだけだ。奈々のほうも、そんな慶介の態度を無視して言った。

「話があるの」

 いきなり切り出した奈々に、慶介は感情のない顔を向ける。回り道してあげるほど優しくはない。昨日尾行して、慶介がミエの住むマンションに消えたという事実を伝えた上で「嫌いになったらなったで、そうはっきり言ってくれればいいじゃない」

 奈々の心の中では、まだどこかでただの浮気だと思いたかったので、嫌いになったわけではないという答えを微かに期待していた。

しかし、慶介は自分を見つめる奈々の視線を切るようにして、曖昧な笑顔を浮かべながら、柔らかく言った。

「そんなこと言えるわけないじゃない」

 言えるわけないと言ってしまったことで、嫌いになったと言っている。しかも、この男は言わなかったことを優しさだとアピールまでしているではないか。開き直ってしまった慶介に、奈々の感情は土気色に変わった。

「わかったわ。じゃあ最後に聞かせて。私のどこが嫌になったの。きついところ?」

 奈々が思い当たるのはそこだった。しかし、慶介の答えは意外なものだった。

「きつい性格なのは最初からわかっていたさ。でも、そこは好きなところだった。俺、そういう女性好きだからね」

「じゃあ何なの」

 わずかに湧いた怒りを悟られぬよう、意識して声を押し殺し、静かに言った。

「そうやって、いつも冷静なところ。焼きもちすら焼けないところだよ。俺のこと本当に好きだとは思えなかった。ずっとね」

 こんな状況なのにも関わらず、慶介は感情を露わにすることもなく、いつもと変わらぬ穏やかな口調で話す。それは、この男にとってはすべてが他人事だからだ。その後、自分が何と答えたのかは、もう覚えていない。それほどに、慶介の最後の言葉は堪えた。今でも時々奈々の耳朶に蘇る。砂のような味の恋が終わった時だ。手応えのない恋は手応えのないままに終わった。中性的で、いつも女に合わせる優しい男のはずだった慶介は、案外、冷静でニヒルで、自信家の男だった。フラれてはじめて、慶介が父に似ていたことに気づいた。

 人を見る目には自信があるけれど、男を見る目は、あんまりないのかもしれない。でも、それよりも、自分のほうに問題があるのかもしれないという不安がずっとある。今は少しは変わったと思いたいけれど…。


                 六

 俊も例外ではないことに、最近気づいた。案外、父に似たところがある。そんな辻褄の合わない自分の感情に胸のあたりが重くなり、辟易としてしまう。二週間前、その俊から奈々はプロポーズされた。二人が付き合って二年がたっていた。俊が三二歳、奈々が二六歳なので、結婚するにはちょうどいい時期であることは確かだ。

 奈々が俊と初めて出会ったのは、あるクライアントのCМ撮影現場に奈々が担当者として行った時のことだった。もらった名刺には、株式会社ОGY映像企画・代表取締役社長大崎俊と印刷されていたが、名前の下には字体を変えてアートディレクターとも書かれていた。

 これは後でわかったことだが、社名のОGYは会社を立ち上げたメンバーの頭文字からとったものだった。Оは社長の大崎、Gは専務の権藤隆二、Yは経理部長の山田拓也のことである。安易で安っぽい命名ねと俊に言ったら、怒られたけど。現在は、技術スタッフなども含め、総勢一八名の中小企業である。ちなみに、俊が社長になっているのは、俊が社長の器だからではなく、業界では俊が一番知られた存在だったということと、俊の出資額が一番多かったからだという。でも、俊はもともと現場が好きだし、自分には現場仕事のほうがあっているとも思っている。だから、本当は社長にはなりたくなかったのだが、成り行き上ならざるを得なかったらしい。そこで、立ち上げメンバー三人で話し合い、実際の経営は経営能力の高い専務の権藤が行い、俊は監督としての仕事を優先してもいいということになったのだそうだ。

 初めて俊と出会った時の印象は最悪だった。不愛想で、居丈高で、しかも担当者として丁寧に挨拶した奈々に対し、全身を舐めるような目を向けてきたからだ。できれば二度と一緒に仕事をしたくないというのが、その時の奈々の感想であった。 

 しかし、そんな俊から撮影の翌日に電話があった。昨日の撮影について、説明したいことがあるので、事務所に来てほしいとのことであった。昨日あれほど不愛想だった俊が、電話口では妙に丁寧な言葉遣いで、しかも低姿勢だった。そのあまりの変わりように、奈々は逆に警戒したほどである。しかし、仕事についてのことなので、断るわけにもいかず、結局事務所に出かけることにした。

 事務所で待っていた俊は、現場で会った時とは違い、きちんとスーツを着こなしていて、なんだか嬉しそうな表情を見せた。わざわざ出かけて行ったのに打ち合わせはたいした内容のものではなく、わずか三十分で終わってしまった。あの電話は奈々を呼び出す口実であったことがすぐに読み取れるほどわかりやすいものであった。その後食事に誘われ、青山のしゃぶしゃぶ店へ行った。その時にも、会わせたい人間がその店で待っているからと、もっともらしい理由をつけていた。現れたのは、専務の権藤だった。実質的な経営者である権藤に、奈々を引き合わせておきたかったのかもしれないが、権藤は多忙なようで、挨拶だけしてさっさと帰ってしまった。結局、俊と奈々の二人で食事をすることとなった。なんだかすっかり騙された気分ではあったが、改めて俊と話してみると、案外好感の持てる人間だということがわかった。その日を境に、俊は何かと理由をつけては奈々に連絡を寄越すようになり、二人だけで会う機会も増えた。そして、三か月後には恋人となっていた。

 二人ともお酒が好きなこともあり、デートの最後はバーやスナックで盛り上がることが多かった。ある時、いつものようにデートの締めに六本木のバーに行った。いつにも増して酔っていた俊が、奈々が映画監督の松本義隆の娘であることを知っていると告げた。それを聞いた瞬間、奈々の酔いは醒めた。

 俊は奈々と初めて会ったあのCМ撮影の日に、事務所へ戻って様々な情報を調べ、奈々が松本義隆の娘であることを知った上で、翌日奈々を呼び出したのではないかという疑念を感じてしまったのである。自分がバカにされているようで、嫌悪感を持った。すっかり酔いから醒めた奈々は、強い口調で俊に問いただした。すると俊は、やや慌てた様子を見せながらも、そんなことは決してない。あくまでも、付き合うようになった後に、仕事仲間から偶然聞いたことだと言い繕った。だが、その答えは、今でも奈々の心の底に残ったままだ。

 俊からすれば、今の今、奈々のことが好きなのだから、そんなことはどうでも良いのではないかという論理に違いない。そんなことに拘ることのほうがおかしいと心の中では思っている。もちろん、決して口には出さないが。しかし、奈々にとっては、自分が松本義隆の娘であることを俊が知ったのが、付き合う前なのか後なのかは大事な問題なのだ。そのことを俊はわかっていない。そのせいか、最近では、飲むと必ず、父に会わせてほしいと言うようになっていて、気に食わない。

 TVCMの監督である俊は、自分も映画を撮りたいと思っている。映画監督に対する強い憧れがある。夢を持っている俊は好きだ。しかし、父に会うことがそんな夢への近道であると考えていたとしたら、それは間違いだ。だから、未だに父には会わせていない。というか、俊と付き合っていることすら父には報告していない。

 上方志向の強い男は、自分が上へ上がれると思うならば、時にどんな手段でも使おうとする。手段となる可能性があると思えば、些細なことにも食らいつき利用しようとする。

 その姿は前向きな男らしさにもなり得るし、また逆に浅ましさにもつながる。俊もそういう男の一人だ。それは、俊が奈々の父に会わせて欲しいと言ったことで、わかりやすいものとなった。それでも、奈々は俊のことが嫌いにはなれなかった。そういうところが、俊の欠点だとしても、その欠点を上回る長所がたくさんあるからだ。

 たとえば、俊が見せる先天的な優しさ。瞬間的に出る俊の優しい行動は、それが決して作為的なものではないことを示していた。いつも、奈々のことを気にかけてくれる。常に前向きで、後ろ向きなことを言うのを聞いたことがない。聞き上手で、奈々の言いたいことをうまく引き出してくれる。会話の引き出しが多く、話していて楽しい。しかも、ひとりの対等な人間として会話してくれることが嬉しい。さらに、美的センスが優れていて、俊が作り出す映像世界は見る人を惹きつけてやまない……。数え上げたらきりがない。

 それに、これは第一条件ではないけれど、外見も奈々の好みだった。きりっとした眉。切れ長の目なのに、少し垂れているところが優しい印象を与えている。鼻筋は通っていて、少しこけた頬と尖った顎が男らしい。

 誰でも欠点のひとつやふたつはある。欠点を上回る多くの長所が欠点を打ち消してくれているのだから、何の問題もない。そう自分に言い聞かせてきた。そう信じるようにしてもいた。だから、少なくともプロポーズされるまでは、奈々にとって俊は大好きな恋人に違いなかった。


                 七

「ねえ、監督、奈々ちゃん、最近お母様に似てきたと思いません。顔は以前にも増して監督に似てきたと思うんですけど。話し方とか、声とか、全体の雰囲気とかがお母様に似てきたように思うんですけど、どう思います、監督」

 父の秘蔵っ子でもあった真理は、わが家によく遊びに来ていた。母も、真理のことは気に入っていたようで、それを歓迎していた。だから、真理は母のこともよく知っている。

「う~ん、というか、奈々は子供の頃から妻に似ていたよ。性格もね」

 そう言った父の顔を、奈々は思わず見上げた。父が自分のことをそう思っていたというのは意外だった。顔は誰もが父に似ていると言うし、自分でも子供の頃からそう思っていた。それがずっと嫌でもあった。でも、それだけではなく、性格も自分では父に似ていると思っていたのである。

「私の性格が母に似ているって、本当にそう思っているの」

 自然に挑むような口調になっている自分に気づく。

「嘘なんか言ってもしょうがないだろう」

 どうとらえたらいいのだろうか。自分でも気づかないところが母に似ているというのだろうか。もちろん、血を分けた母子であるのだから、全く似ていないといったら嘘になる。どこかが似ていても不思議はないけれど、やはり自分の性格は父のほうに似ていると思う。もういない母のことが懐かしく蘇ってきた。

 母は横浜にある大きな総合病院の娘として生まれた。上には二人の兄がいる。それぞれ、祖父が経営する病院で、副医院長として、院長である祖父を支えている。母は唯一の女の子ということもあって祖父母の深い愛情に包まれて育った。特に祖父は母のことが可愛くてしかたがなかったようだ。いわゆるお嬢様として、世間一般から見ればやはり甘やかされて育ったことと思う。その分、わがままな性格だったに違いない。奈々が知っている母も、十分にわがままだったから。その点からしても、自分は母とは違う。

 一方、父は地方都市からさらに奥に入った小さな町の小さな工務店の家に生まれた。職人肌で、しかもかなりの変わり者だったという祖父は、自分が嫌な仕事はすべて断ってしまうことから、収入が少なく、貧しい暮らしぶりだったという。家計を支えていたのは、祖母で、いつも複数のパートを掛け持ちしていたらしい。父が大学まで進学できたのは、多分にこの祖母の支えがあったからだと思う。ただ、父は頭は良かったので、高校も大学も公立に進学している。しかも、大学入学にあたってはそれに加え、試験で奨学金の受給が決まり、難しいと思われた進学への道を自ら開いた形だ。

 そんな、全く違う環境で生活していた父と母がどうして出会うことになったのか。それは、ただの偶然であった。それを運命といえば、いえなくもないけれど。

 母の女子大時代の友人の父親が映画配給会社の役員をやっていたことから、映画製作の現場を見学できるということになり、その友人と母が見に行ったところに、父がいた。当時、助監督だった父は、役員からの紹介ということで、二人の世話役をしたのであるが、その時に、父は母に一目惚れした。清楚で、上品で、美しく、しかも控え目な母に、一瞬で恋をしたと、奈々は子供の頃に父から聞かされた覚えがある。映画の助監督なので、何人もの女優を見ていて、綺麗な女性はもちろん多く知っていたはずであるが、母には全く別の美しさを感じたようである。奈々もその頃の母の写真を見たことがあるが、娘の奈々ですら、その美しくかつ愛らしさに目を奪われた。もちろん、自分の母親として、ずっと一緒に過ごした母も十分に美しかったけれど。

卵型の輪郭の顔に、大きくてまん丸な目が並んでいる。笑うと、その目が横に細く広がり、優しい顔になる。鼻も高すぎず、奈々の鼻のような自己主張がない。口は小さめで、可愛らしい。いかにも女性らしい美しさと色気を持ちながら、幼女のように明るく天真爛漫なところがあり、接した人をみな惹きつけてしまう。でも、父の心をわしづかみにしたのは、瑞々しく純真な心を映した、母の際立った上品さであったらしい。どちらかといえば、貧しい家庭で生まれ育った父にとっては、母の生まれ持った品のある美しさは眩しかったのかもしれない。だから、父が母に恋をしたのはわかる。でも、母がなぜ結婚相手に父を選んだのかが、子供の頃の奈々には謎だった。だから、一度思い切って母にその理由を聞いたことがある。すると、母は「成り行きよ」とだけ答えた。

 しかし、それは嘘だ。母が「成り行き」なんかで結婚を決める人間ではないことは、奈々がよく知っている。後に、祖父母から聞いた話と、多少の奈々の推測も併せて考えると、きっとこんなことだった。

 母が恋に落ちたのは、今まで自分の周りにはまったくいないタイプの男と出会ってしまったからだ。つまり、父との出会いである。寡黙で、まるで哲学者のように、いつも現実を超えた遠くを見ている。しかし、こと映画に関しては、熱くいつまでも語る。自分から母にアプローチしておきながら、どこか醒めていて、母を見ていない。そんな、自分が今まで会ったこともない御しがたい「男」に、母が強い興味を抱いたことは十分に想像がつく。

 恋は時に本人たちの意思を超えて、「状況」のうねりを作り、飲み込もうとする。同時に、恋は愛と違って、人を美しくもするが、エゴイストにもする。

 二人の恋が、というより母の恋を燃え上がらせてせてしまったのは、祖父母の反対だった。母を溺愛していた祖父母は、それまで母の願いは全て叶えてきた。しかし、そんな祖父母が、二人の恋愛だけは決して認めようとはしなかった。

 その当時、母はまだ大学の四年生だった。一方の父は、八つ年上で三十歳の映画の助監督。祖父母からすれば、不安定極まりない職業にしか映らない。しかも、父の家と母の家では、家柄が違いすぎる。その上、母は、当時、学歴も家柄も申し分のない祖父の経営する病院のメインバンクの頭取の次男と付き合っていた。いわば許嫁のような存在だ。だから、祖父母が反対したのは当然のことだった。

 にも関わらず、自らを黒い渦に巻き込むような「状況」に、母の心は奪われてしまう。むしろ、そんな状況を楽しんでいたのかもしれない。だから、反対が強ければ強いほど、その深みへと自らを落としてしまった。歪曲された母の恋情は、もう誰にも止められなかった。

 恋のゴールは必ずしも結婚ではないが、突っ走っていた母にとっては、結婚というゴールしか選択肢がなかった。そこには、祖父母に対する意地のようなものも含まれていたに違いない。結婚しなければならなかったのである。自尊心の強い母は、恋に破れて祖父母のもとに戻ることなどありえないこと。わがままに育った分、どこまでも我を通そうとする、母のある種子供じみた部分でもある。

 また、母は、結婚すれば、あの御しがたい父も母の思い通りの男になると、冷静に考えていたはずだ。子供の頃からモテた母は、どんな男でも、結局は自分の思うようになると思っていた節がある。しかし、母のその思惑は見事に外れることになる。

 母の結婚は、「成り行き」ではなく、母が自らの強い意志で突き進めた結果としてある。恐らく恋愛に興味はあっても、結婚には関心の薄い父は、それに乗っただけ。なので、父にとっては、母との結婚は「成り行き」だったといえるかもしれない。

 母の卒業を待って行われた二人の結婚式は、祖父母も含む周りの人達の反対を押し切って行われたため、親しい友人数人が集まっただけの寂しいものだったという。それでも母は、まったく後悔していないという。自分の思いを成し遂げたのだから、それはそうだろう。

 それでも、結婚生活はうまくいっていたらしい。母は甲斐甲斐しく、父の世話をしていたようだ。祖父母とは、その後も音信不通状態が続いていたが、孫の奈々が産まれたことで事態は変わった。母が祖父に手紙で奈々の誕生を知らせたのである。もともと祖父母は娘である母のことが憎かったわけでもなく、嫌いになったわけでもなく、ただ心配していただけだ。祖父母のほうも関係修復のきっかけを探していたところだったのだろう。だから、すぐに反応があった。祖母から母のもとへ連絡が入ったのを契機に、徐々にわだかまりは解け、気がつけば以前と変わらぬ関係に戻っていた。母が祖父に手紙を出したのは、なんだかんだといっても、実家の経済力に頼りたい母がとった、したたかな行動のひとつである。

 祖父母の経済的支援を受けられるようになったことで、結婚生活は安定していた。それほど豊かではないけれど、穏やかで幸せな生活が続いていた。父の仕事も順調で、幸いにも助監督から監督になった。そして、三倉真理を起用した監督二作目の作品が大ヒットとなった。さらに、その後の作品も次々ヒットを生み、監督としての評価が高まると同時に、世間的にも知られる人物となった。

 しかし、父と母の歯車は、二人も気付かぬうちに少しずつ嚙み合わなくなっていて、家族の土台を蝕み始めていたのだ。

 順調な仕事は、収入を大幅に増やし、生活環境を大きく変えた。もともと裕福な家庭に育った母は、特に変わることはなかった。だが、父への影響は大きかった。監督として有名になると、映画関連の仕事だけではなく、映画以外の執筆活動やTV出演などの仕事もするようになり、交際範囲も広がっていった父。その過程で、付き合い上使わなければらならないお金が増えたことは理解できるが、同時に父にとっては使えるお金が増えたことにもなったのだろう。そのことが、父がそれまで抑圧していた欲望に火をつけてしまった。砂を吐く貝のように、欲望に駆られてしまったのだ。最初それは、遊興費に使われている程度だったが、いつしかその欲望の対象は女に移る。しかも、その相手が玄人から素人になり、やがて数人の女優と浮名を流すまでに発展していった。ちょうどこの頃から父の作る映画が難解なものとなっていて、世間から厳しい批判も受けるようになっていた。そんなことが、父の歪んだ性格をさらに歪め、父は自分を壊すように乱れた生活の中へまっしぐらに進んでいった。当然ながら、わが家は崩壊に向っていった。

 母は父を激しく責め、夫婦喧嘩が絶えなくなっていたと思われる。しかし、おそらく二人で話し合ったのだろう、奈々の前では、決して喧嘩する姿を見せなかったため、実は奈々は二人の関係がそれほど深刻だとは思っていなかったのだった。その実態を奈々が知ったのは、ある夜の出来事であった。

 午前二時頃に珍しくトイレに起きた奈々が、階段を降りて一階に着いた時、応接間の電気が点いていることに気づいた。中からは、母の感情的な声が聞こえ、両親が言い争いをしていると理解する。そのまま素通りしようかと思ったが、気がついたら、応接間のドアに耳を当てていた。

「あなたは、私たちがどんな思いで暮らしてるのかわかっているの。誰かを不幸にしておきながら、自分は幸せになれるなんて思わないでよね。いい加減、気づいてよ、自分のしていることに」

 おそらく、これまでも繰り返し父に向けられた母の怒りの言葉に違いなかった。父が何か答えているが、声が低く小さいため聞き取れない。母のすすり泣く声だけが聞こえる。

 しばらくして、父が何か言い、それに母が呆れたような声をあげる。

「それで、あなたは奈々のことをどう思っているの。奈々をかわいそうだと思ったことないの」

 父が自分のことをどう思っているかということについては、奈々自身も、父に一番聞きたいことだった。父が答えたが、やはり何も聞き取れない。父の発する声が低い音となって伝わってくるだけだ。

「もういいわ。お願いだから、いっそのこと、私を殺して」

 ヒステリックではあるけれど、本当にそう願っているような母の切迫した声色に、奈々の心は凍る。

「そんなことを言うのはやめなさい」

 珍しく張り上げた父の大声は、ドア越しに奈々の耳にもはっきり聞こえた。

「何よ、偉そうに。そんな勇気もないんだったら、さっさと離婚してください」

 感情を押し殺した母の声は、今でも何かの折に、奈々の耳に響く。

 永遠に続きそうな両親の激しい言い争いに初めて触れ、心臓に錐で穴を開けられたような痛みが走る。自分には何もできないという空虚な気持ちと、自分が生まれてこなければよかったのではないかという底知れぬ悔いが胸を濡らす。いたたまれなくなった奈々は、急いでトイレを済ませ、二階の自室に戻った。

 心を締め付ける息苦しさに、なかなか寝付けなかったが、知らぬ間に入った眠りの中で、奈々は悪夢にうなされた。

 寂寞とした冬の浜辺に、一人立つ奈々。地平線の彼方まで広がる透明な紺の夜空から、酸のような雨が降り、一枚の銀色の布となる。夜空と接する無表情な海の裂け目からは、無数の棘のような白波が押し寄せてきて、奈々を飲み込み泡となって消える。奈々は夢の中で、声にならない悲鳴で身体を震わせた。

 やがて父は家に帰らくなり、何日も何日も家を空けてしまうのだった。何不自由なく育ち、苦労らしきものの経験のなかった母は、打たれ弱かった。塞ぎ込んだり、逆に泣き叫んだりするようになり、精神的に追い込まれていった。そこには奈々の知らない母がいた。母はたぶん自分がそうであったように、奈々をまるでペットのように可愛がった。ベタベタといった言葉が似あう、まとわりつくような愛情表現に、子供ながらに鬱陶しく思ったこともある。そんな母が、自分を裏切った夫の顔に奈々が似てくるにつれ、「あんたはあの人に似ているから嫌い」とまで言うようになっていた。

 奈々は父から可愛がってもらった記憶はほとんどない。もともと子供が嫌いだったのか、それとも子供との接し方がわからなかったのかはわからないけれど、父は奈々をあまり側に寄せ付けなかった。奈々が小さかった頃に、家族で遊園地や旅行に出かけたことがあり、その時の写真の一部が残っているが、そのどれを見ても、父は楽しそうな顔をしていない。父に抱っこされた記憶もない。だから、奈々は父が帰って来なくなっても、正直なところ、それほど寂しいとは思わなかったのである。だからといって、奈々は父が嫌いではなかった。

 しかし、母の心はどんどん荒んでいった。愛する夫に裏切られたということだけでなく、大事に大事に育てられ、自尊心が人一倍強かった母は、自分の存在価値まで否定されたように思えたのだろう。泣きじゃくる母を奈々が抱きしめながら、「お母さん、私がいるから大丈夫よ」と言ったこともある。心をすり減らし、ボロボロになった母を見かねた祖父母が、二人を実家に引き取った。それからほどなく、父と母は離婚した。

 母から離婚を告げられた時、奈々は「そう、わかった」とだけ言った。二人の間の関係が決定的なことは、子供の奈々から見てもわかっていたので、そう言うしかなかった。そんな奈々を抱きしめながら、「ごめんね」と母は言った。奈々は無言で首を横に振り、自分の部屋へ走るように戻った。

 ベッド横の冷たい壁に凭れた奈々の目からは止めどなく涙が流れた。あの夫婦喧嘩を聞いてしまった時から覚悟していた。わかっていた。わかっていたはずなのに、悲しみの重さをわかっていなかった。心の襞に爪を立て、思い切り傷つけてみる。しかし、流れ出た生ぬるい血が胸にせりあがってくるだけだ。

 しばらくじっとしていたが、やがて気持ちを吹っ切るために、可笑しくもないのに笑ってみるがうまくいかない。あの時奈々は、生きていくためには時に自分が大事に思うものも捨てなければならないことを理解した。いい意味でも悪い意味でも「諦める」ということを覚えた。

 以来、奈々は、以前に増して感情を表に出すことが少なくなった。

 離婚した母は実家の姓の、大谷楓となった。奈々も松本奈々から大谷奈々へと変わった。離婚しても夫の姓を名乗り続けることはできる。母はそうしたかったようだ。しかし、結局祖父母に反対され、旧姓に戻ったのである。あれほど憎んでいたように見える父の姓に、母がなぜこだわったのか、奈々にはわからなかった。が、そこには、きっと奈々には測り知れない母の複雑な思いがあったのだろう。今の奈々には、なんとなくわかるような気がするけれど。離婚した父が、真理を再度主役にした映画を撮り、脚光を浴びることとなったのは、この頃のことである。

 さらにその二年後に母は胆管癌を患い、帰らぬ人となった。享年三十九歳だった。

 母の病状は一進一退を続けていた。薬がだんだん効かなくなり、強いものへと変わっていたが、依然として母は呻き苦しんだ。そんな中、久しぶりに母の飲む薬が少し効き、突然静寂が訪れたことがある。音のない世界で、奈々は自分の中に潜む悲しみの正体に気付き呆然とする。

 それでも自分の気持ちを奮い立たせ、毎日病院へ通った。祖父や伯父たちの治療と、祖母の看病もあり、その後母は何度かの危機を乗り越え、やや安定を取り戻す。母が病院から一時帰宅を許された日は、偶然、『母の日』だった。奈々は母のために花を贈ったが、

、世話をできる人がいずに枯らしてしまった。しかし、母はいつまでもその花を捨てようとはしなかった。あの時母は何と戦っていたのだろう。それは病でもなく、近いうちに確実に訪れるであろう死でもなく、ましてや父でもなかったはずだ。きっと、急に蒼ざめていく空気を肌で感じながら、反故にした約束を探し出すために見つめた水鏡に映る不確かな自分と戦っていたのだ。

 その日も奈々は、いつものように母のベッド横のパイプ椅子に座り、編み物をしていた。しばらく、病状の安定していた母の周りには穏やかな時間が流れていたからだ。だが、そんな奈々に神は罰を与えた。

 少し開けていた病室の窓から入り込んだ、雨が降る直前の冷たく湿った風が母を掠めたのだ。その瞬間に奈々は、母の死の匂いを嗅いでしまった。それは、はっきり意識されたものではなく、ぼんやりと嗅いだものだった。そのことがかえって奈々の胸を痛めつけた。気を緩めた自分を呪い、何かを吐くような低い声をあげて涙もなく慟哭した。

 やがて、昏睡状態が続くようになっていた母は、夕方の淡い陽射しが病室の窓を赤く染める中、奈々に何の言葉も残さず、ひんやりと静かに息を引きとった。

 一通りの処置が終わり、ひとりの患者を見送る医者として、悲しみを白衣に閉じ込め、母を静かに見つめる祖父と二人の伯父。

 奈々の隣にいた祖母が、母の胸の奥深いところにまだ残っている澄んだ命の欠片を確かめるかごとく、母の頬を慈しむように撫でている。あまりに現実感のない風景を、脳が受け入れるのを拒否していた奈々の目に、まだ涙はなかった。母の顔の上にあった祖母の手が母から離れ、奈々を促すようにそっと肩に触れた。奈々はまだ母の形をした、もう母ではない母に導かれるように、握っていた母の手をそっと離し、母の顔に自分の顔を近づけ、最後の口づけをした。そんな奈々の背中に祖母が「ありがとう」と声をかけた。その声はあまりにも母に似ていた。次の瞬間、感情を司る神経が一斉にけいれんを起こし、奈々は母の胸にくずおれるように顔を埋め、母の名を叫びながら嗚咽していた。

 太陽はゆっくりと空を横切り、暗黒の世界へと消えた。

 初めて経験した身内の死が母親の死だった奈々は、果てしのない喪失感で胸を塞がれていた。今まで見ていた何気ない景色から色が消え、世界はゼリーのような分厚い膜に覆われてしまった。暗く深い空洞への入口で立ち尽くす奈々を、薄い氷のような哀しみが襲う。

毎日がただのろのろと過ぎて行くだけだった。

 父は母が危篤の時も通夜にも葬儀にも、その後の法事にも来たことはない。祖父は嫌々二人の結婚は認めたものの、父についてはずっと許さず、母に関わる一切の行事への参加を拒絶していたため、来たくとも来れなかったのである。しかし、父が母の墓参に一人で、事あるごとに来ていることは、真理から聞かされていた。

 あれからもう六年が経つ。母を苦しめた父を、奈々はずっと許せないでいた。でも、時間が少しづつ奈々の心を溶かしている。奈々にとって、松本義隆はこの世で唯一の父であることにかわりはない。元気で暮らしているのだろうかと、心の中ではいつも気になっているのである。


               八

  奈々は、父の顔を見ながら、今日この家に来たもう一つの目的を思い出した。

「ねえ、お父さん、書庫でまた本探していい?」

 突然の申し出に、父は少し驚いたようだったが、

「ああ、いいけど、書斎には入るなよ。散らかされると困るから」

「わかっています」

 そう言って、奈々は二階へ上がる。二階には、仕事部屋兼書斎と、書庫、それに寝室がある。書庫には一万冊を超える蔵書と仕事関連の資料が入っている。その重量に耐えられるように設計されている。この建物を建てる際に鉄筋・鉄骨造りにしたのもそのためだと聞いている。

 まずは仕事部屋兼書斎に入る。父から書斎には入るなと言われたが、構わずに入る。まずは、さあっと部屋全体を見渡し、女の影がないことを確認した。書斎にも書棚があり、奈々の興味を誘いそうな本があることを前回来た時にチェックしてあったので、父の言葉を無視して入ったのである。奈々も父親譲りで本が好きだった。特に歴史書に興味がある。いわば世間でいうところの歴女である。

 一年半ぶりに入った書斎は、古本の、少しかび臭い匂いと煙草の匂いの混じった父の匂いがした。窓際の奥に大きな机があって、上にはデスクトップパソコンがある。その周りには、資料や本が一見乱雑に重なりあっていて、ほんの少し前までここで仕事をしていたかのようだ。確か八帖だったと思うが、机の横や、部屋のあちこちに本がうず高く積まれた山があって、狭く感じられる。明らかに、前回訪れた時より本の量は増えている。文芸評論家を生業としているのだから、当然のことではあるが。

 まずは壁側の書棚を探してみる。前回目星をつけておいた歴史書を発見し取り出す。これは今回借りて帰るつもりでいた本のうちの一冊である。その他の借りたい本は、書庫にあったので移動しようと思い、書斎を出ようとした。しかし、書棚の端に置かれていた観葉植物の葉が数枚枯れていたのが気になり、それを取り除こうと手を出した時だった。奈々の目が一点に吸い寄せられた。それは、見覚えのある古いアルバムであった。観葉植物で隠れていたため、前回来た時には気づかなかった。いや、万が一奈々がこの部屋に入ることも想定して隠していたのかもしれない。母は、父が家を出ていった後、アルバム類はすべて焼却処分したと言っていた。私の思い出の写真だってあったのにと、泣いて怒ったことを思い出す。それがどうしてここにあるのか。

 見つけてしまった以上、見過ごすことはできない。まるで爆発物を扱う時のように、そっと慎重に書棚から取り出す。鼓動が早まっている。机の上に置き、開くと、まず目に飛び込んできたのは、結婚する前の父と母の姿であった。デートに出かけた時の、楽しそうな写真が並ぶ。でもそれらは、奈々も以前見た記憶があるものばかりだ。ページをめくり続けると、赤ちゃんを抱いた母の姿や、二、三歳の女の子が笑っている写真が見つかる。もちろん、それは奈々の姿。やがて、小学校にあがった奈々と両親で様々な場所へ出かけた時の写真が出てきた。中には、奈々と父の二人だけで写っている写真も結構ある。母が撮ってくれたものだろう。写真の中で、父は奈々の手を握っていたり、抱っこしていたりする。その顔はみな嬉しそうである。

 記憶の中の父は、奈々と手を繋いでいる時も無表情だった。抱っこされた記憶もなかった。一時あった自分の父への嫌悪感が、過去の自分の記憶を歪めてしまっていたというのであろうか。見進めていくうちに、家族が家族であった時の幸せな感情が蘇ってきた。しかし、それが、もう母はいないという悲しみの感情に変わった時、奈々はアルバムを閉じた。

 アルバムを持ち上げ、棚に戻そうとした時だった。何かが下へ滑り落ちた。目をやると、それは古びた封筒だった。アルバムのどこかに挟まれていたものとみえる。急いで拾い上げ、アルバムに戻そうとしたのだが、開いていた封の隙間から中のものが見えてしまった。もう止めることはできなかった。奈々は封筒の中に入っていた三枚の写真を取り出した。手を繋いだ若い男女の写真が一枚。もう一枚はその女性が赤ちゃんを抱いている写真。そして三枚目の写真は、三歳ぐらいの女の子が一人で写っている写真。三枚とも初めて見る写真だった。

 写真に写っている男が父であろうことはすぐにわかった。奈々が知っている父よりもはるかに若かったが、その高い鼻、強い目。細身だけど筋肉質な身体を持ち、野性味を感じさせながらもどこかに洗練された部分を持つ男。まさしく父であった。女の人の顔にも見覚えがあった。奈々の親しい人に、その顔はよく似ていたのである。そして、三歳ぐらいの女の子の写真を裏返してみると、そこには百合と書かれていた。しかも、その文字は右肩上がりの特徴を持ち、一目で父が書いたものと判断できた。

 もちろん、だからといって、これだけで百パーセント自分の父が真理の父でもあると決めつけることはできないと、奈々もわかっている。でも、まず間違いない。確信めいたものを感じていた。それは、父の真理に対するこれまでの眼差しや接し方から感じられるものであり、単にそうであって欲しいというような願望ではない。奈々が真理に対して以前から感じていた、ある種、本能的なシンパシーでもあった。真理の顔は父には似ていなかったけれど、写真の女性にそっくりだった。

 鼓動を刻む音がせり上がってきて胸がざわつき、チクリと痛む。

 あまりの出来事に、奈々は言葉を失っていた。あの三倉真理が自分の血のつながった姉かもしれないのである。

 おそらく父は自分が監督する作品の主役オーディションに現れた真理の顔を見て、その事実を知ったのであろう。だが、真理は知らない。奈々がかつて一度だけ「実の両親について調べたいと思ったことありませんか」と真理に聞いた時、真理は「そんなことして、どんな意味があるというの。一度できた心の空洞は、まったく違うものでしか埋められないの。だから、私は今後も一切そんなことはしないわ」と言っていた。だから、知りようもないのだ。もし自分だったら、なんとしてでも知りたいと思うのに。どちらが幸せなのかはわからないけれど…。

 真理が実の姉であったとしたら嬉しい。しかし、この現実をどう受け止めたらいいか、まったく心の整理がつかない。百合と書かれた写真を持ったまま、奈々はその場でしばらく動けなかった。

 どれほど時間がたったであろうか。このままずっとここにいては怪しまれると、我にかえった奈々は、衝撃で力の入らなくなった自分の身体を両手で持ち上げる。写真を封筒に戻し、アルバムの中に挟んで、書棚の元の位置に戻す。急いで書斎を出て書庫に移り、適当に数冊を選んだ。本当は、ゆっくり選びたかったのだけれど、もうそんな余裕はなくなっていた。


           九

 数冊の本を抱え、何事もなかったかのように階段を降りようとするが、足がもつれそうになる。なんとか一階にたどり着き、リビングのドアを開けると、こちらを見つめる父の顔に出くわす。ここで悟られてはいけないと、動揺を隠して父のほうに歩み寄り本を出しながら言った。

「これだけ借りていきたいんだけど」

 父は、ちらっと本を見たが、どんな本なのか確かめようともせずに、

「ずいぶん時間かかったなあ」

 と、ちょっと呆れたような表情で言った。「いろいろ迷ってしまって」

 父の顔は見ずに答える。

「まあいいよ。ちゃんと返してくれればいいから」

 父は奈々の動揺に気づいていないようだった。そのことに安心し、また真理の横に座った。真理が実の姉であろうこと、その側にいられることに、奈々は幸せを感じた。

「あっ、そういえば青梅って桜で有名なお寺があるんですよね」

 父と奈々の間に流れた不思議な空気を変えるように、真理が言う。

「うん、梅岩寺ね。あそこの桜は確かにきれいだよ。でも、どうせなら、昭和記念公園の桜を見に行ったほうがいいと思うよ。昨日あたりが満開だったらしいから、もう散り始めているかもしれないけど」

 と父が答える。

「そうですか」

「やっぱり規模が違うしね。もし、時間があるんなら二人で行ってみれば。僕はもう何回も行っているんで」

「私は時間あるけど。奈々ちゃんどう?一緒に行けたら嬉しいけど…」

「ええ、大丈夫です」

「じゃあ行こうよ、奈々ちゃん。駅前の駐車場に車を停めてあるから、私の車で行きましょう。あっ、待って。でも奈々ちゃん、今日監督と何か話があって来たんじゃないの」

 もちろん、本来の目的はプロポーズされた俊とのことを相談することだったけど、もうどうでもよくなっていた。

「いえ、特に話があったというわけじゃないんです。しばらく会っていなかったから、元気で暮らしているのか、自分の目で確かめたかっただけです」

 気がつけばそう答えていた。本当は父も奈々が何か話があって来たということはわかっているはずだ。だからこそ、敢えてその時間に真理を招いた。どうしてこうも私たち親子は素直になれないんだろうか。二人とも、鉄を舐めて、その味を楽しむような歪んだ性格をしている。やっぱり、先ほど父が私の性格が母に似ているといったのは間違っていると、改めて思う。

「心配するな。私は大丈夫だ」

 表情ひとつ変えずに父が言った。

「ああ、ああ、あー、監督、そこはありがとうじゃないですか。娘が心配しているんですから。ねー」 

 父のほうを呆れたように見た後、奈々の横顔を見ながら真理が言う。

「いえ、いいんです」

 奈々のほうも父の顔を睨めつけるようにしながら無表情に答える。

「ああ、なんだかなー。二人とも面倒くさい性格してるんだから」

 真理が二人を見比べながら、心底呆れたという表情で言った後、続けた。

「まあ、いいっか、じゃあ、奈々ちゃん行きましょう」

 真理が意地を張ってまだその場にへばりついている奈々の片手をつかんで立ち上がった。父の答えにこだわっていた奈々も、しかたなしに立ち上がり、二人は荷物を持ってリビングを出る。それを見て父も無言で二人の後に続く。ぶすっとしたままの父に見送られ、二人は外へ出た。歩き出してすぐに真理が言う。

「本当に良かったの?。監督と話し、あったんじゃないの」

「いえ、大丈夫です」

 売り言葉に買い言葉のような感じで出てきてしまった。自分の中に沸き上がっている自己嫌悪感を振り払うように、努めて明るく答えた。

「そう。ならいいけど…」

 真理のほうはまだ疑っている。

「さあ、行きましょう。昭和記念公園の場所は、私知っていますから。去年も行きましたし」

 真理に悟られないように、大きめの声で言う。

「そうなんだ。じゃあ案内してね」

「はい」

 父の家を出た時から真理は帽子を被り、サングラスをかけている。それを見て、ああこの人は今を時めく女優だったんだと、改めて思うのであった。父の家から駅までは徒歩で七分程度。しばらく並んで歩いていたが、真理が奈々に近寄り、腕を組んできた。

 奈々は母のことを思い出した。母と二人で出かけると、母はいつも奈々の腕に自分の腕を絡めてきて、二人はまるで恋人同士のように歩いていた。そんな母がちょっと気恥ずかしかったけれど、深い愛情を感じて嬉しくもあった。

「奈々ちゃん、駅近の喫茶店でお茶しない。今日ここへ来た時、少し街を散歩したんだけど、レトロな感じの、良さげな喫茶店見つけちゃったのよ。それに、奈々ちゃんと二人でゆっくり話もしたいし」

「はい。嬉しいです」

「この街、いいわよね。雰囲気があって。今度、時間作ってゆっくり回ってみようと思っているの」

「私も好きです。昭和の感じが優しくていいですよね。それに真理さんは女優さんだから、手書きの映画看板とか見ると、私とは違う思いもあるでしょうし」

「うん、そうね」

 二人は青梅駅から上り方面の線路沿いを少し歩き、いかにも古い木造建築の前に着いた。そこは、「夏の扉」という店名の喫茶店だった。小さなごく普通の喫茶店だけど、真理の言っていたように、昭和の匂いのする、なんともいえない懐かしい感じの店だった。自分はその時代に生きていたわけではないのに、不思議な感覚だ。店内も昭和そのものだった。窓枠は鉄製で、すぐ横を電車が通過すると、その窓枠がガタガタと振動する。二人は、ホットコーヒーを注文した。気さくなマスターに、真理が店名の由来を聞いたところ、ロバート・A・ハインラインの小説のタイトルからつけられたものだという。サングラスを外した真理のことを見て、マスターはすぐに三倉真理だとに気が付いた様子だったが、決してそのことには触れなかった。そういう気遣いも、いいなあと奈々は思う。コーヒーを飲みながら、知りもしない昭和の時代に思いを馳せていた奈々に、真理が身を乗り出すようにし、少し声を潜めて言った。

「奈々ちゃん、今恋してるでしょう」

「えっ、どうしてですか」

 俊と一緒にいるところを見られたのか。それとも、誰かが真理に告げ口をしたのか。思わず山本部長の顔が浮かんでしまう。

「どうしてって、そりゃあわかるわよ。奈々ちゃん、すごくきれいになったし、それにこうみえても私女優よ。だからわかるの」

「それは、大女優ですけど…」

「図星でしょ。白状しなさいよ」

「まあ、そうなんですけど…」

「やっぱりね。いいことよ、恋をするって」

 父には結局相談しなかったけど、真理に話してみようか。

「しかも、相手の人にプロポーズされたんじゃない?でも、悩んでいるんでしょ」

 眼の中を覗き込むようにして、真理が言う。こうやって真理は、いとも簡単に、するりと人の心の中に入ってくる。でもそれが決して不快ではなく、入られたほうの気持ちを軽くしてくれるから不思議だ。奈々がなんと答えようか迷っていると、

「今日会った時からわかったわ。思いつめたような表情をして、必死に何かに縋ろうとしているようだったから。奈々ちゃんの目は、監督のことも、私のことも見ていなかった。きっとその視線の先には誰かがいるってすぐにわかったわ。でも、伏せたまつ毛の下の目には翳りが見えたの。だから、ああ悩んでいるんだなって思った。それがまた奈々ちゃんをきれいにしているんだけどね」

 すぐにわかってしまうほどはっきりとした態度に出てしまっていたのだろうか。自分では意識していたつもりはなかったのだけれど。やはり、真理には人の心を見抜く力が備わっていると思う。でも、真理にきれいと言われたことは嬉しい。

 その時、窓枠が再び揺れた。

「あっ、電車だ」

 真理が小さな声をあげる。奈々にとっては、どうといったことでもなかったので、「そうみたいですね」とそっけない返事をした。

「新幹線とかは乗るけれど、普通の電車、というか各駅停車の電車に乗る機会ってなくなっちゃったじゃない、私の場合」

「そうですよね」

 一流女優となった真理に、そんな機会は、撮影でもなければ、なかなか与えられないだろう。

「だから、たまにだけど、そんな各駅停車の電車を乗り継いで、乗り継いで、鄙びた見知らぬ街に行ってみたいって思うことがあるの。人々は温かいのに、街自体はまるで死の床のように冷たくて、誰も私のことを知らない、知ろうともしない場所。そんな街で、嘘だらけの私に向けた星明りの予告を聞きたいわ」 

 まるで歌でも歌うように、朗朗と話す。でも、内容的には不可解な部分があり、その意味するものが奈々には理解できない。

 ただ、抱えているものをすべて捨てて、どこか遠いところへ行きたいという思いは誰にでもあるのではないだろうか。ただ、真理は、いつでもどこでも三倉真理であることを要求されるため、自分を解き放ち、心の荷物を下ろすという行為がいかに難しいかを知っている。叶わない思いだからこそ、思いが募るのではないか。

「なんかわかるような気がします」

 奈々には『なんか』という枕詞をつける他ない。

「それに、命の輪郭を感じながら、遠くを見つめ続ければ、近くが見えるようになるかもしれないじゃない」

 またしても、真理の中でしか意味を持ちえない言葉を使われ、奈々には理解できない。ただ、真理も何か問題を抱えているだろうことは想像がついた。誰しも問題や悩みを抱えて生きているのだから、不思議ではないけれど。

「そんな白と黒だけで描かれた水墨画のような遠い街に行けば、ひょっとして実の両親に会えるかもしれないじゃない」

 突然閃光に顔面を打たれたような衝撃を受け、奇妙な息苦しさを覚える。自然と顔が引きつった。

「冗談よ、冗談。そんな怖い顔するのやめてよ、奈々ちゃん」

 真理のことだから、本当に冗談だろう。でも、敢えて口にすることで、心の奥底に眠っている、どうしようもない思いを軽くしようとしているようにも思えた。なんと答えたらいいか、困惑していると、

「まったく、真面目なんだから。案外、近くにいるかもしれませんよとか、軽く返してくれるだけでいいのに」

 悪戯っ子のような真理の顔に出くわす。奈々の背中に、冷たい水を浴びせられたような緊張が走る。少し前まで頭の片隅に追いやっていた父の家の二階で見たあの三枚の写真が再び目に浮かび、心は波だった。

「ごめんなさい。私に心の余裕がなくて…」

 他に浮かぶ言葉はなかった。

         

                十

 その日は俊の誕生日だった。奈々の家で祝うことになっていたため、奈々は俊の好きな中華料理を作り、プレゼントにはブランドもののネクタイを用意して待っていた。俊は予定時間より少し遅れてやってきて、途中買ってきたと思われるワインを奈々の前に突き出した。その時の表情がいつになく緊張していたのが気になったが気づかぬ振りをした。

 とりあえずビールで乾杯し、その後ワインを飲みながら食事をする。大方食べ終わった頃を見計らい、奈々がそろそろ冷蔵庫に入れてあるケーキを取りに行こうと席を立とうとした時だった。酒は強いのに顔に出る俊が、いつものように真っ赤な顔で奈々のほうを見ながら、「奈々っていい女だよな」と言う。

 でもそれは、酒を飲んでいい具合に酔っぱらった俊が必ず言う台詞だった。しかもそれは、外で飲んでいる時でも変わらずに投げかけられるもので、もはや行事のようなものだった。二人で飲んでいた三軒茶屋のバーで初めて言われた時は、さすがに恥ずかしかったけれど、今では言われないと寂しくなってさえいる。周りに人がいても気にせず、そんな台詞を言ってくれる俊が奈々は好きだった。

 その日も案の定、同じ台詞を繰り返したので、

「ありがとう」と奈々は答える。

 そう答えないと、俊がいつまでも繰り返すからだ。でも、その日はそれで終わらなかった。しびれを切らして席を立とうと少し腰を上げた奈々を見ながら、

「ねえ、奈々、俺の嫁さんになってくれないかなあ」と続けた。

 声の大きさもトーンも表情も何一つ変えずに、先ほどまでと同じ口調で。そよ風に髪を撫でられた時のようなあまりの滑らかさに、逆に違和感を覚え、ちゃんと聞こえていたのにも関わらず、

「えっ何。今なんて言ったの」と奈々は俊に聞き返していた。

 すると俊は、酒に酔った赤さなのか、恥ずかしさ故の赤さなのかわからない顔をしたまま、「二度も同じことを言わせないでよ」とぼそっと言う。

「ひょっとしてプロポーズだった」という奈々の問いに、下を向いた俊が、

「うん」と答える。

 好きな男からプロポーズされて嫌な女などいない。奈々にとっては、あまりに突然だったけれど、もちろん嬉しかった。でも、奈々は即答はしなかった。なぜなら、その時点では俊との結婚ということが現実的なものとして頭の中に浮かんでこなかったからだ。

「考えさせて」という奈々に、

「わかった」と答える俊。

 その後は何もなかったかのように、いつも通り二人ともただの酒飲みとなって盛り上がってその日は終わった。そしてまた、翌日からは、これまでと代わり映えのしない日常がやってきた。しかし、そうはいっても奈々は、プロポーズを受けたことで、二人の将来について、結婚したら二人で始めることになる「生活」について、否応なしに考えさせられることとなった。

 女は受け身の動物であるから、物事を「守り」を重視して考える。すると、今まではスルーしていた俊のちょっとした言動が気になってしまう。そこに今までとは違う意味を読み取ってしまう。これまで長所と思っていたことにも疑問符がついてしまう。でも、翌日にはみんな自分の思い過ごしではないかと反省してみたりもする。

 根拠のない思考は、堂々巡りして奈々を暗い渦に巻き込み、不安だけを増幅させる。マリッジブルーって、こんな感じなのだろうかと思う。奈々はまだプロポーズを受けただけなのに、こんな風に見方が変わってしまう。なんだか不思議だし、怖くもあった。もし、その時の感情だけで結婚を決めてしまったとしたら、もっともっと大きな迷いが生じるのだろうか。幸せなんて、驚くほど簡単に指の間から零れ落ちてしまうものだと知っているからこそ、怖いのである。俊の残り香のある部屋で、奈々は得体のしれないもどかしさを感じていた。

 しかし、最近奈々の中で再び大きく頭をもたげていることがある。それは、俊が奈々が松本義隆の娘だからプロポーズしたのではないかということであった。俊が奈々に近づいたのは、奈々が松本義隆の娘であることを知ったからだと、俊は結局認めている。でも、その事実を受け入れた上で奈々は俊を愛した。でも、それが揺らいでいる。その背景には、最近俊が何かに焦っている様子が見受けられるからだ。表情のない目をしている俊なんて魅力ない。周りのスタッフからそれとなく入ってくる情報では、仕事でスランプに陥っていることがその原因らしい。俊は奈々と結婚し、父との距離を縮めることでそれを打破できると考えているのではないか。

 奈々はこれまで、俊のためだったら自分が利用されても構わないと思っていたし、その考え方は間違っていないと思っていた。でも、そう思い込むことで解決していたはずの疑問点が、入道雲のように再びもくもくと沸き上がり、奈々を苦しめる。二人の関係にとって本質的な問題を、卑小なことと思い込ませてきた自分は、俊と同罪なのかもしれない。俊のことは今でも、そしてきっと、この先もずっと好きだろうけど、やはり二人の持つ地図は相容れないものなのかもしれない。結婚するということは、二人で未来を築くことだ。だからこそ、異なった未来図を持った二人が一緒になったとしても幸せは訪れないのではないかという思いが湧いてきていたのである。

 もともと奈々は、自分には父や俊のような芸術家肌の男ではなく、平凡なサラリーマンのほうが合うのではないかと考えていた。そういうせいもあり、自分には俊のような男の心の奥を見定める目がないのではないかと思える。同時に、ひょっとしたら、これは自分の心の狭さを示すだけの問題であり、自分の考え方のほうが間違っているのかもしれないという不安もあり、揺れ動いている。だから、父に相談し、その答えに賭けてみようと思ったのである。いつも、何か問題が起こると、こうして思考の隘路に閉じ込もってしまう自分が嫌だった。信じ切れない、愛し切れない自分には、人を愛する資格などないのだろうか。


                   十一

 そんな奈々は思い切って真理に聞いてみた。

「ねえ、真理さん。真理さんは結婚しないんですか」

 すると、そんな奈々の質問を予期していたかのように、真理は驚いた顔も見せず、

「今はしていないということよ。それだけ。先のことはわからないわ」

「そうですか。そうですよね…」

「私にとって、結婚は目的じゃないから」

 真理の言っていることが、いまひとつ奈々にはわかるようなわからないような。

「奈々ちゃんはさあ、仕事をするために生きているわけじゃないよね。生きるために仕事をしているんだよね」

「はい。生きるためにというか、生活をするためでもあると思います。でも、もちろん、働き甲斐を得るためでもありますけど…」

 奈々が母と同じ女子大を卒業して就職した会社は金融機関だった。他の大学生と同様、その選択基準は「将来性」や「安定性」「給与・待遇」といったものだった。自分には両親のような劇的な生活よりも、安定した穏やかな生活のほうが似合っていると思っていたからである。

 しかし、実際に入社してみると、そこは、仕事をするために仕事をする、仕事をするために生きるというような職場だった。真理が言うように、仕事のために生きなければならないというのは間違っていると思う。

 世間ではブラック企業なる言葉が囁かれ、労働環境が問題視されていた。奈々の勤めた会社はブラックではないといえるけど、グレーといえなくもなかった。「働き甲斐」の前に、ただ消耗する感覚。だから、この先の、この会社での自分を考えることはできなくなっていた。そこで、あまり頼りたくはなかったけれど、祖父にお願いして、現在の会社に転職した。自分で選ぶとまた間違ってしまうかもしれないという不安があったからだ。おかげで、今は働き甲斐を感じながら仕事ができている。

「ううん、私の言っているのはそういうことではないの。奈々ちゃんは、私が施設で育ったことは知っているよね」

「ええ」

 真理は幼い頃に施設に預けられたため、実の両親のことは覚えていないという。あくまで、施設の人から聞かされた話として真理の記憶に残っているのは、こういうことだという。

 大学院生の男と大学生の女の恋愛の末、真理は産まれたらしい。もちろん、堕胎するという道もあっただろう。しかし、真理の母親は真理を産んだ

 当時の二人の間にどんな話し合いがなされたのかはわからない。堕胎を望んだ男に対して、女がどうしても産みたいと言ったのか。あるいは、双方納得の上で産んだのかはわからない。いずれにしろ、二人は何らかの理由があって別れた。別れるにあたっても様々なことがあったであろうことは想像に難くない。二人の間の思いの交錯は、考えただけで辛い。

 やがて、真理が産まれ、母親は一人で子育てをしていたのだが、自身、身体が弱く病気がちで働くことができず、生活が立ち行かなくなったらしい。それを見かねた姉が、真理を預かることにしたという。そして、子供のいなかった姉夫婦は、真理を養子にした。その養父の苗字が橋本であり、真理の今現在の本名の橋本百合となっている。実母のその後については、まったくわからないという。

 真理にとっては、実の両親から捨てられたということであり、そのこと自体決して幸せとはいえないけれど、その後姉夫婦に育てられたのであれば、それはそれで、それなりの幸せに恵まれたかもしれない。しかし、運命は意地悪である。今度は、その姉が不慮の交通事故で亡くなってしまったのである。残された養父は、当時超がいくつもつくほど多忙だったらしい。そんな仕事中心の生活の中で、男でひとつで子供を育てる自信がなかったのだろう。真理は児童擁護施設に預けられることとなる。真理が五歳の時である。そして、その後、その養父とも連絡が取れなくなってしまったという。

 これらはあくまで施設の人から真理が間接的に聞かされた話であり、真理自身は本当のところがわからないという。自分はなぜ産まれたのか。母はどんな思いで自分を産んだのか。そこには、どんな事情があったのか。父や母は自分に愛情を持っていたのか。養父母にとって自分は迷惑な存在でしかなかったのか。何もかもがわからないという。間接的に聞く話に真実があるとは思えないという。だから、今は一切のことを考えないようにしているという。考えてもどうしようもないし、そこからは真理が生きる意味を見いだせないからだという。結果的に真理はこの世でたった一人になってしまったけれど、そのこと自体辛くもなければ、悲しくもないという。

 奈々の父親が、そんな真理の父親であるかもしれないのである。そう思うと、奈々の心は張り裂けそうになる。この場で、父に代わって謝りたいという衝動がおきる。ひとりぽっちになった真理は、決して弱みを見せないけれど、本当のところ実の両親のことをどう思っているのか、どう思おうとしているのか。聞いてみたいという思いはある。真理のことだから、聞けばきっと答えてくれる。でも、真理が受けた傷は、奈々の受けた傷よりもはるかに深いに違いない。だから、真理にとってのそれは、心の奥底で、まだ固まり切っていない瘡蓋のままなのかもしれないと思うと、辛くて聞けない。

「施設を出た私は、とりあえずバイトをしながら、正社員で働ける仕事を探していたんだけど、なかなか見つからなかった。日本は公平で、誰にも均等に機会が与えられているなんてうそ。世間の厳しさを痛切に感じていた私が、偶然コンビニにあった雑誌で目にしたのが映画のオーディションだったの。そこで監督に選んでいただいたおかげで、私は女優という仕事に就くことができたわ。だから、当時の私にとっては、女優は生活するための、生活を維持するための仕事であり、特殊な仕事ではなかった。もちろん、自分の夢への入口として女優があったわけでもなかった。駆け出しの女優だったけど、いくつかの賞を受賞できたおかげで、生活できるだけの給料を事務所からもらうことができた。そのことが嬉しくて、その後の仕事も、ただ一生懸命にやった。おかげで少しずつ評価されるようになって、やりがいを感じることができるようになった。でもね、私が一生懸命にやればやるほど目立っちゃったのね。いじめや悪意に満ちたいたずらに会うようになっていたの。嫉妬で、あらぬ噂を流されたり、現場で大女優という人から、あからさまな無視を受けたり、誰かに衣装を破られたり、私が台詞を間違えたように、誰も気づかないような仕掛けが組まれていたり」

 真理の受けた傷の深さが、自分のことのように奈々の中にも浸食し始め、悲しみの波に襲われる。

「もちろん、すべての現場がそうだったわけじゃないけれど、突如現れて、歴史ある賞の新人賞をさらっていった『生意気』な女優に対する風当たりは強かった。どんな世界にも起こり得ることだけど、やはり私たちのいる芸能界は、それが強く表れてしまう。現場は一つのチームではあるんだけど、やはり企業のような組織ではなくて、基本的にはみんな個人なのよね。個々の自意識が強過ぎてぶつかり合ってしまう。みんな仲間でありライバルでもあるから、高い自意識がないと生き残っていけないのは当然でもあるの。だから、現場で手を抜いている人なんて一人もいないの。みんな一生懸命なのよね。そんな中で、自分より一生懸命な人が同じ場所にいると、その一生懸命さが気に障るし、鬱陶しいのよね、きっと。一生懸命の強さだけが理由で、私がスポットライトを浴びる場所に立っているように思えて許せないのだと思う。毎日のように行われる毒を塗ったイベントに、私の心はズタズタになっていた。孤独には慣れていたけど、案外、孤立には慣れていなかったのね。奇妙な虚しさに、ずっとさいなまれていたわ。私の生きる道は女優しかないという思いは変わらなかったけど、だからこそ悩んでもいたの。奈々ちゃん、生きるって難しいわね。自分の思うようになんて絶対にいかない」

 当時のことを、記憶に貼った付箋を剥がすように頭に浮かべながら回想する真理の姿は、影法師のように頼りなげで切ない。張りつめた現場の裏にある、ぬめり気を帯びた悪意、偽りで装飾された親密さ、合わせ鏡に映る憎悪などで満ち満ちた生臭い空気感に、奈々も息苦しさを覚え、いたたまれなくなる。

「でも、そんな悩みの中で仕事をすることで、 かえって自分を見つめ直すことができたの。それまで気づかなかった、自分の心の中を覗き見るすき間ができたのかもしれないわね。私の心の中には、ずっと燻る火種が澱のようになって沈んでいたの。それが何であるか、まだわからなかったんだけど、何かが違うって気づいたの。このままでは、自分の心が裂けてしまうのではないかとさえ思えた。そんな時、監督から二度目のオファーがあったの。再び会った監督は、以前にも増して厳しかった。もちろん、一本目の作品の時、まだずぶの素人だった私に監督は厳しかった。でも、二本目の作品の時の厳しさは、それとは次元の違うものだった。主役の私に、ダメ出しの嵐だった。それは、みんなの前で貼り付けの刑にされ、手や足に釘を打たれているような感覚だった。晒し者にされた私は、それまでの役者経験を全否定されたように感じて、すっかり自信を失い、どう演じたらいいか全くわからなくなってしまった。それでもやってくる地獄のような日々の中で、自分の存在まで否定されているような感覚に陥って、演じている最中に涙が止まらなくなってしまったこともあったわ。でも、それを抜けた時、そこには今までの自分じゃない自分がいた。施設にいた時に抑圧していた自分でもなく、施設を出て世間に怯えていた頃の自分でもなく、女優として、ただ一生懸命演じていただけの自分でもなく、自分とは違う「役」を演じていながら、まさに生きて輝いている自分らしい自分がそこにいたの。いつ抜けることができたのかは、自分でも未だにわからない。ある瞬間だったような気もするし、長いトンネルを少しずつ抜けたような気もする。どちらにしろ、その時こそ、女優という仕事が、私にとって、私が私であるための仕事になった時なの。同時に、私を悩ませていた周りの人たちとのトラブルも一切なくなっていた。監督のおかげで、ようやく自分の間違いに気づいたのよ。一生懸命って、言葉の響きはいいし、一見正義に思えるけど、実はその中には独りよがりの熱情や欺瞞的な思い上がりが含まれている部分があるの。まだ若かった当時の自分には、そんな自覚はなかったけれど。風もないのにくるくる回って見せているかざぐるまみたいなものよね。今は映画が私のすべて。だから、私は自分にある役が与えられた時、他の誰でもない、私がその役を演じる意味を見つめ、問い詰めることから始めるの。どうしてもそれが感じられない時には、仕事をお断りする。決して生意気で言っているのではなくて、それが曖昧なまま仕事を受けてしまうと映画そのものが輝かなくなってしまい、結果みんなに迷惑をかけるだけで、誰にも良いことはないから。そして、実際に仕事をする上では、周りの人たちそれぞれの思いや意味を感じられるよう常に心を柔らかくしているの。そうすることで、お互いに感応しあい、共振しあうことができて、そのシーンが思いもよらぬ色に染まったりして、最高の結晶が生まれるわ。それが、とても楽しいの。そんな大事なすべてのことを、あの作品を通じて教えてくれたのが監督。だから監督は私にとって一生の恩人。私の言いたいこと、わかってもらえる?」

「漠然とですけど…」

 真理が父から受けた影響は大きかったのだろう。でも、その父も嵐のような激しい感受性を持つ真理から大きな刺激を受けたに違いない。何か言いたかったが、何を言えばいいのかもわからなかった。奈々は真理の言葉に圧倒されていた。

「監督はあの作品に、監督としてのすべてを賭けていたと思うの。だから、こんな私にも全身全霊でぶつかってくれた。それが嬉しかった。今だから言えるんだけどね。あの瞬間瞬間は、ただ辛いとしか思わなかったから。すべてを出し切ったということと、当時の商業主義の強かった映画界に対する反発もあって、監督は映画界から身を引いたんだと思う。でも、女優が私にとって、私が私であるための仕事であるように、松本義隆という人が松本義隆であるための仕事は映画監督だと、私は思っているの」

 誰よりも父のことをわかっている真理の言葉はずしりと重い。

「監督は、ナイフのような感性を持っていて、現場にいるみんなの既成概念をあっさり壊して、言葉の下にある言葉を引き出してくれるの。その上で、それぞれの役者の一番輝いている瞬間を映像の中に永遠に凍結しようとしてくれる。そんな監督がたまらなく好きだったな、私は。だから、監督はずうっと監督のままでいてほしいと願ってしまうの。文芸評論家じゃなくてね。でも、それは、私のただのわがままなのよね。ごめんね、奈々ちゃん」

 真理は何に対して謝っているのだろう。少なくとも、私に謝まる必要なんて全くない。独特な表現で父に対する熱い思いを口にする真理と、目の前に座る、無防備で天使のようなあどけないさまの真理の姿が、あまりにアンバランスで、奈々の頭を混乱させる。

 今の真理の話は、父らしいし、真理らしいと思うけど、奈々にはわかりにくい部分があった。でも、頭の中では自然に思考回路を働かせている。その人が輝いている瞬間が、その人が生きている意味を持つということはわかる。だから、最高の瞬間を永遠にすることが人生の目的と言えるかもしれない。もちろん、瞬間といっても、一定期間の意味だろう。人によっては、数年あるいは一年。数か月の場合もあるだろうし、一日の場合もあるだろうし、それこそ一瞬の場合もあるだろう。いずれにしても、その『瞬間』を最高に輝かすことができれば、人生の期間の長短に関わらず、その人が生きた証として永遠に残る。真理の言いたいことは、そんなことだろうと漠然と理解する。

「もちろん、今監督がされている仕事も価値のある仕事だとはわかっているのよ。でもやっぱり監督にはいつかまた映画を撮ってもらいたいの。その時は、ぜひまた私を使ってほしい。そうしたら、また違う自分に会えるかもしれないじゃない」

 最後は孵化する新たな卵を見つけた時のような、無垢な笑顔を見せて言った。父と真理は、決してほどけない結び目のように、監督と女優として深いところで想いを重ねている。その上で、時に全身全霊でぶつかり合い、影響しあい、高めあってきたのだろう。その止めどない深さに羨望する。

「なんか父が羨ましいです。真理さんにそんなふうに言ってもらえるなんて」

 父があの作品に込めた思いは、娘としてなんとなくはわかっていたけれど、今の真理の言葉を聞いて、奈々の心の底で何かが弾けた。

「つまりね、結婚より前に、自分色の幸せを見つけることのほうが大事だということを言いたかったの。人生なんて辛いことのほうが多くて、時々迷子になるけれど、自分を置き去りにしない限り、揺らぎ立つ炎によって新しい道が見えてくるわ。奈々ちゃんは奈々ちゃんであって、奈々ちゃんでしかないの。そのことを絶対忘れないでほしいの。今付き合っている人との結婚に悩んでいるとしたら、まずは、その悩みが意味することを深く考えてほしいの。結婚なんてそれからでも遅くないでしょ」

 いくつもの種類の違う悲しみや苦しみを暗涙とともに胸の奥底に烙印して、ひたむきに生きる真理の、その澄んだ瞳が、迷いに揺れて自分を見失っていた奈々の倦んだ魂を打ち抜いた。これまで奈々は、父に動かされ、母に動かされて生きてきた。それほどに、両親の自分の人生への影響は大きかった。ようやくそれから解放され、自分の人生を歩み始めている奈々ではあるけれど、結局、ただ右往左往していただけで、そこに「自分」はなかった。そのことを真理はしっかり見抜いていて、だから敢えてこんな話をしてくれた。父には相談できなかったが、その答えを真理からもらうことができた。

 奈々が感じていた鈍重な苛立ちと硬質な不安は、自分自身の至らなさを俊の姿に投影させていただけのこと。なんと自分は身勝手な人間なのだろう。俊のせいではなく、自分の生き方が定まっていなかったことに原因はあった。俊の本意がどこにあるにせよ、こんな芯のぐらついている自分には、俊の望んでいる答えは出せない。出してはいけない。今の自分のまま俊と結婚してしまったら、自分の大事な人生を損なうことになるかもしれない。

同時に、俊の人生も狂わすことになる。

 考えてみれば、母の人生がそうだったのではないか。女子大を出て就職もせずにすぐに父と結婚した母は、自分を見出すことなどできないまま、父に翻弄され続けた。結局、唯一自分を守ってくれる実家に戻ってしまったことで、精神はさらに小さな殻の中に閉じこもり、そこから出られなくなり、がんを発症してしまったのではないだろうか。そんな母が愛おしいと思う。

 でも、俊がプロポーズさえしなければ、奈々はこんなことを考えることはなかったかもしれない。きっと二人はまだ今まで通り、普通の恋人同士だっただろう。こうなってしまったけれど、奈々の俊に対する気持ちは変わらない。結果的に、俊には悪いことをしてしまうようで、複雑な気持ちになる。「俊、ごめんね。でも、俊のせいよ」と心の中で言って見ると、なんだか涙が流れそうになり、真理に気づかれないように、そっと目元を拭った。まっすぐ前を向いたままの真理が続ける。

「いろいろな考え方があっていいと思うけど、私の人生の中では、結婚で途中下車するという選択肢は必然ではないの。だから、私の存在意義に強い刺激を与えてくれるような人が現れでもしない限り、結婚は考えられないわ。でも、万が一、そんな人が現れたとしても、同じ空間で一緒に暮らすなんて鬱陶しいだけ。どちらにしろ、結婚という形には関心ないの。もっと自由でいたいのよ、私はね。塗り絵に色を当てはめるだけの人生なんてつまらないと思わない、奈々ちゃん」

 真理の話を聞いていて、奈々は自分が思っている以上に、強く結婚を意識していたことに気づく。両親の結婚がうまくいかなかったことが、奈々の結婚に対する思い入れを深めたのかもしれない。両親の離婚を経験した子供は、自身の結婚に冷めた見方をするようになる場合と、逆に理想的な結婚観を持つ場合があるのではないか。奈々の場合、後者だったことを真理が教えてくれた。

「真理さん、ありがとうございます。話を聞いていて、気づいたことがありました」

「そう。良かったわ」

なぜだか、あまり気持ちの入った言い方ではなかった。思わず真理の顔を見ると、何かに逡巡している様子が浮かんでいる。先ほどまでの強い目は喪われ、淋しい色に変わっていた。不思議に思っていると、真理が再び口を開いた。

「でもね、本当はそんな恰好いいもんじゃないの。今のは私の強がり。自分に自信がないのよ。いい夫婦になるとか、いい母親になる自信なんて全くないわ。どこかで、母と同じような過ちを犯してしまうんじゃないかという不安を抱えているの。愛された記憶がないから、恋をすることはできても、人を愛することに臆病になっちゃうのかもしれない。自由でありたいなんて、自由じゃないから言っているのよね。自分でもわかっているの」

 真理が自分の弱い部分を初めて見せた時だった。真理も、奈々とは違った意味で結婚を強く意識していたのだろうか。

「実はどうしようもないほど拘っているの。いつも、夫と子供のことだけを考えて、今日の夕飯のおかずは何にしようかとか、休みの日に家族でどこへ出かけようかみたいな、ありふれた幸せが頭の中を占めているんだけど…。でも、絶対女優を辞められないことも分かっているの」

「女優と平凡な結婚生活は両立できないんですか?」

「少なくとも、私にはできないわ」

 真理は自分の弱さを、意志の強さで乗り越えようと決意している。

「そうですか。真理さんの覚悟を聞いて、私も覚悟ができました」

「でも、奈々ちゃんは私と違うのだから、よく考えて自分らしく生きてね。私はきっと結婚はしないと思うけど、棺の中に入れる恋はしてきたし、これからもすると思う」

 棺の中に入れる恋と言ったときだけ、真理の感情の波の泡立ちが眉根に浮かんでいた。

 棺の中に入れる恋って、いったいどんな恋なのだろう。真理がこれまでどんな恋愛をしてきたか、奈々には伺い知ることができないけれど、恋多き女と自ら認める真理の恋は、きっとこんな恋だ。

 私と違って自由奔放で、情熱的で、大胆かつ精細な真理の恋は、過剰なほどに濃密な香りのするものに違いない。ひとつひとつ、一回限りの恋の炎を燃やし尽くすこと、燃え尽きることだけのために、一瞬一瞬に命を賭け、涙や吐息をも天真爛漫に味わい尽くす。その先にあるものなど、一顧だにしない。真理の場合、恋は恋のままで完結させなければならないのだろうから。そうでありながら、真理は朱い色をした恋に、魂を売ったりはしない。その恋が死の底のように深ければ深いほど、透明な光を湛えた怜悧な女優の目で、燃え尽きる自分の姿を客観的に見ている。だからと言って、奈々のような冷めた恋をしているわけでは決してない。

 そんな真理の恋の相手をする男は大変だ。生半可な気持ちで恋をすることを許さないからだ。時に剥き出しの神経に触れた時のような痛みを伴う、黒く深い海に共に落ちる覚悟がないと、真理との恋は成立しない。美しく、蠱惑的で濃い陰影のある真理に射すくめられ、惹かれる男は多いだろうけれど、その権利を得られる男は少ないはずだ。

 あくまで奈々の想像だけど、真理の生き様に近くで触れてきた奈々の確かな皮膚感で、この想像は当たっていると断言できる。

 真理の理不尽な過去は、湿り気をおびた夜の大気の中を風船のように揺らめきながら、絶望とその反対の希望を共に産んだ。嵐の中の船のように、もがき苦しんでいた奈々も覚悟が決まった。これまで、回り道ばかりしてきたけれど、真っ白な気持ちで前へ進むことができそうだ。

 ようやく俊に返事ができる。でも、それは俊が望んでいない答えだ。

 大体の男が、攻めには強いが守りは弱い。だから、突然思わぬ攻めに会うと、屁理屈を捏ねる。そして、日ごろ頭がいいと思っている男ほど、その自分が発してしまった屁理屈に執着してしまい、さらに深みに嵌る。そんな男の姿ほど見苦しいものはなく、女は冷めてしまう。これまでの付き合いで、俊にもそうしたところが見えている。それさえも可愛いなどと思えるのは恋愛初期の段階で、もはや二人はそういう時期を終わっている。だから、今回、俊が私の出した答えにどんな反応を示すのかはわからない。できれば、俊の醜い姿は見たくない。どうかかっこいい俊のままであってほしいと願う。なんだか、すごく自分勝手なようだけど、このことは奈々自身の問題であって、ある意味、俊は関係ないともいえる。だから、いっそうのこと、こんな私に愛想つかしてくれたほうが全然いいとも思う。俊には俊の人生があるのだから。


                 十二

  真理の運転する車で、昭和記念公園を目指す。車内は赤と黒でまとまっていた。ハート型のハンドルには赤のハンドルカバーがかかり、シートは白だけど、足元のマットは赤と黒のチェック柄。その他の部分を見てもいかにも真理が好むと思われるデザインのものばかりだ。ティッシュカバーがミニーなのにはいささか驚きながらも、真理のうまい運転に身を任せていた。

 フロントガラス越しに見える風景が、徐々に都心に近づいていることを示す。すると、精巧な模型のようなビル群の向うの空に、飛行機が小さな尾を引きながら雲の中へ消えて行くのが見えた。母を亡くした後の、限りない喪失感から救ってくれたのも、こんな無機質な風景だったことを思い出す。

 車中では、真理が自分が出演した映画の裏話を聞かしてくれた。そのどれもが初めて聞く話で、奈々にはすごく面白かった。そういう話が一段落した時、

「突然なんだけどさあ、奈々ちゃん、お父さんのことどう思っているの?」

 本当に突然で、奈々は答えに窮してしまう。

しかも、今までずっと、監督という言葉を使っていたのに、突然お父さんという表現をしたことにも驚いていた。

 わが家ではなぜか、両親のことを呼ぶ時、パパママではなく、父母であった。恐らく、父の考えでそうなったのだろう。子供の頃はそれが嫌でしょうがなかった。学校へ行けば、ほとんどの子供がパパママで話しているので、父母は使いづらい。子供の作る狭い世界では、そんな些細な違いがいじめの材料になり得る。しかも、最初は親しい友人間で、仲が良いからこそ使われる、軽いからかいから始まったりする。しかし、それがあっという間にいじめへとエスカレートしてしまう。そんな怖さを知っていた奈々は、学校で友達と交わす会話の中ではずっとパパママで通した。

 今になって思うのは、父はやはり「父」がふさわしい。でも、母は絶対に「ママ」が似合うということだ。

「どう、って、どういう意味ですか?」

「今日の奈々ちゃんを見ていて思ったんだけど、まだお父さんのこと許していない?」

 難しい質問だった。まだ自分の中でも解決できていない問題だったから。

「う~ん、正直、自分でもわからないですね」

「まあ、いろいろあったから、無理もないとは思うけど」

 真理は、私たち家族の中で起きたほとんどのことを知っていた。

「だけど、嫌いじゃないんでしょ?」

「う~ん、それも難しい質問ですね。ただ、嫌いになった時期はもちろんありましたけど、今はそうでもないです」

「嫌いじゃないのね」

 曖昧な言い方をした奈々に、真理は、はっきりした答えを求めた。

「そう、ですね」

「わかったわ。じゃあ良かった。大丈夫よ、奈々ちゃん」

 何が大丈夫というのだろうか。

「他人から許せないことをされた時は、その人が嫌いになるわよね。そして、残るのは憎しみの感情だけ。でも、親子とか夫婦といった家族間の場合は、それでも嫌いにならない、というか嫌いになれないことがあるのよね。不思議よね。今奈々ちゃんは、嫌いじゃないと言ったわ。だから大丈夫と言ったの。家族間でのことで、もし本気で嫌いになってしまったら、他人に対するものより強い憎悪しか残らないはずだから」

 真理の心の中にある両親への思いは、今でも憎悪なのだろうか。それとも…。

 真理の言葉を聞きながら、奈々は今年行われた母の七回忌の法要の時のことを思いだしていた。奈々は仏壇の中の母の遺影を見ながら、改めて母の気持ちを考えていた。外に女をつくり、家を出て行った父親のことを、最後まで詰っていた母だったが、本当のところ、母はずっと父のことが好きだったのだと思うようになっていた。本当は好きで好きでたまらなかったからこそ、あんなふうに精神をおかしくしてしまったのだと気づいた。

 もともと母は天真爛漫の明るい人だった。誰にでも優しく接し、周りの人達に慕われていた。奈々は、長い間そう思っていた。でも、本当の母は繊細で今にも切れそうな神経を持っていた。誰にでも心を許しているようで、誰にも心を許していない母の孤高の精神は、海岸線の砂が波にさらわれるうように、少しずつ失われていった。母が落ちた深い海に、奈々は何度も立ち尽くした。

 奈々は、そんな母を苦しめ、追い詰めた父をずっと許すことができなかったけど、母の本心に思い至った時、自分の父に対する気持ちが少し変化したように思う。こうして奈々は、傷ついた記憶の層の中の言葉を、剥がしては、剥がしては、悲しみを薄めていった。

「そうですね。私たち親子は、そこまで酷くはないと思います」

「それから、奈々ちゃん誤解しているかもしれないから言うけど、お父さんは奈々ちゃんのことが大好きよ。もちろん、私のことも大好きなんだけどね」

「父が真理さんのことを大好きなのはわかっています。でも、私のことは…」

「だから、そこが誤解だっていうの。なんでそう思うの」

「父はきっと、子供自体が好きじやないと思うんです。そのせいか、子供の頃、父に優しくされた記憶がないですし、可愛がってもらったという記憶も…」

 夜の川のような過去を遡っても、父は奈々にとって身近な存在ではなかった。いつも家族のことではなく、抽象的な夢を追いかけていて、難しい顔をして、難しいことを考えているように思えた。削った氷のように不機嫌で、周りの人間を不可解な不安に陥れる。父の作る病巣が日常に根を張っていて、母も奈々も方向感覚を失ってしまった。頭がいいのだろうけれど、それは先回りして影を欺くような、ひねくれたところがあり、時に誰をも寄せ付けない毒性の高いものとなっていた。そんな傷ついた野獣のような精神の父に、母は献身的なまでに愛の肥料を注いだ。それなのに、父の乾いた心を湿らせることはできなかった。

「確かに、監督はお父さんとしての愛情表現は苦手だったかもしれないわね。映画監督として、役者の私たちにはもの凄くきめ細やかな表現を要求するのにね。でも、そこは大目にみてあげて。私は、お父さんからいつも奈々ちゃんのことを聞かされていたのよ。離れて暮らすようになってからは余計に奈々ちゃんのことが心配だったようで、私が奈々ちゃんと仲が良かったのを知っていたお父さんは何かにつけて私から奈々ちゃんのことを聞きたがっていた。それに、奈々ちゃんのことだけじやなくて、お母様のこともずっと心配していたのよ、奈々ちゃん。離婚の原因も、お母様のご病気も、すべて自分に責任があると、監督は自分を責めていた。でもね、あの不倫報道は間違いだったのよ。記者が推測だけででおもしろおかしく書いたもの。監督はああいう人だから肯定も否定もしなかったけど、監督の近くにいた人はみんなわかっていたの」

 父の不倫報道は間違いだと、真理は言った。真理のいうことだから、それが事実であると思いたい。でも、記事になったものが父の浮気のすべてではないことを奈々は知っている。それに肯定も否定もしないというのは卑怯だ。母からすれば、疑わしい行動をとった時点で裏切りだ。だから、父がどんな言葉を使って説明しようと、母は信じようとは思わなかっただろう。

「それと、これだけは言っておきたいの。監督は今でもお母様のことを愛しているわよ奈々ちゃん」

 真理は奈々の立場にたった時だけ、父をお父さんといい、真理自身の立場で話す時は監督と言っていることがわかった。

 真理は、母と同様に父も、今でも母のことを愛しているという。きっと本当のことなのであろう。母は憎しみと同じ分だけ父を愛した。愛していたからこそ、母は針の先ほどの毒を父に塗り続けた。気づいてほしかった母。気づかぬふりをした父。奈々は、胸の奥で歯ぎしりをする。

 父は?、父はきっと浮気はしながらも、私と同じように、平坦に、でもずっと母を愛していたのだろう。父には、そういう愛し方しかできない。

 そこまで考えて、今の今まで自分は大きな勘違いをしていたことに気づく。それは、母が不幸だったと勝手に思い込んでいたことだ。

 生きていく上で、一番大切なものは何だろう。もちろん、それは人それぞれだろう。でも、案外それは、本人でさえ気づかないものではないか。一生気づかない人もいるかもしれない。少なくとも、今の奈々には見えていない。まだわかっていない。いつかわかる時がくるのかさえもわからない。

 真理は気づいている。理解している。そのために生きている。そして、その一番大切なものの最高の瞬間を永遠にすることが、自分が生きた証となることも知っている。そのために、強い意志を持って、出来得るすべての準備と努力をしている。だから、きっとそれは成し遂げられるだろう。

 父は?、わからない。現時点の父が何を一番大切思っているかわからないといったほうが正確かもしれない。いずれにしても、母が一番大切に思っていたものとは違うはずだ。人それぞれなのだから、夫婦であっても違うことはあり得る。だから、それをもっては何も評価できない。しかし、父は、母にとって何が一番大切だったかをわかろうとしたのだろうか。知ろうと努力したのだろうか。そこがわからない。

 そして母は?

 母は早くからわかっていた。自分にとって一番大切なものを知っていた。それは、父を愛すること。私を愛すること。つまり家族を愛すること。それこそが、母にとってはすべてだった。だからこそ苦しんだ。辛い思いもした。でも、母には、間違いなく父を、私を世界の何よりも誰よりも愛した瞬間があった。真理の言葉を借りれば、その時の母の最高の愛は永遠となって、少なくとも私や父の中に残った。しかも、母はその後も苦しみながら、その一番大切なものを守ろうとした。さらに、母なりに、父にとって一番大切なものを理解しようと一生懸命に努力した。だから、母は決して不幸などではなかった。幸せな人生だったのだ。しっかりと生きた証を残した。母は私よりずっと強い人だった。私、お母さんのこと何もわかっていなかった。ごめんね、お母さん。

 今回初めて真理とじっくり話すことができて、自分の知らない父がいっぱいいることに気づかされた。今まで奈々は限られた父の姿しか見ていなかったのかもしれない。奈々自身も最近になって父と話す機会が増え、へぇー、こんなところがあったんだとか、こんな風に考えるんだと驚くことがあり、奈々の頑なだった心も少し縮みつつあったところだった。そんな思いに浸っている奈々に対し、「今日だって、奈々ちゃんが来る前、私が奈々ちゃんの話をしだしたら、監督ずっと嬉しそうな顔をするんだもん。嫌になっちゃうわ。だから、残念ながら、監督は私のことがが好きな以上に奈々ちゃんのことが大好きなのよ」

「そうでしょうか…」

「奈々ちゃん、もっと感情出していいんじゃない」

「私も愛情表現下手なんです」

「駄目、奈々ちゃん。そんなこと言ってたら、幸せなんてつかめないわよ。何なのよ、監督も奈々ちゃんも」

 思いのほか強い口調だった。真理のほうを向くと、サングラスの下に見える目に、うっすら涙が浮かんでいるのが見えた。私のために本気で怒ってくれている。

「私はね、監督にはいつも言っているの。もっとちゃんと奈々ちゃんと向き合ってくださいって。奈々ちゃんもそう。私は愛情表現が下手だなんて、そんなことのせいにしないで。もっと真剣に生きて」

 胸をつかれた。自分の目からも涙が零れ落ちる。真理の真剣な思いを受け止めることができた。

「真理さん、ありがとうございます。目が覚めました」


                 十三

 真理の運転する車が西立川に近づくと、街はとたんによそ行きの顔を見せ、都会の孤独を浮き彫りにする。人々の思いが絡み合い、、もつれ合って漂い、波打っている。車の中まで聞こえてくる喧騒に、感情がうごめく。まだ大きな空隙を抱えたままの奈々の頭の中では、遠い日の影絵が浮かんでは消えていた。悲しくないなんていったら嘘になるけれど、両手を強く握りしめて必死に堪える。

 駅の近くにある昭和記念公園の駐車場に車を入れ、二人で入口へ向かう。入園料を払い、中へと入ると、二人と同じように花見が目的と思われるカップルや家族づれが歩いていた。朝は冷えたが、快晴だったこともあり、温度は上がっており、絶好の花見日和となっていた。

 昭和記念公園は立川市と昭島市をまたにかけた、広大な国営公園である。広さは東京ドームの三十九倍もあるという。森のゾーン、広場のゾーン、水のゾーンなど五つのゾーンに分かれている。奈々が車中でスマホを使い調べたところによると、公園内の桜の名所は二か所あるという。一つは、公園のほぼ中央を北から南に流れている残堀川沿いの桜並木であり、もう一か所は、公園中央にあるみんなの原っぱという場所にある桜の園のというところらしい。昨年ひとりで来た時は、残堀川沿いを歩いた記憶がある。園内には三十一品種、千五百本の桜が植えてあるという。今回は桜の園に行こうということで、入り口でもらった公園のミニマップを見ながら進む。とはいえ、園内が広いため、なかなか着かない。

「なんか遠いのね」

 普段あまり歩きなれていない真理が、少しうんざりしたように言う。

「そうですね。でも、もうすぐですから。何か歌でも歌いますか」

 真理を励まそうと言ってみる。

「いやよ。奈々ちゃんが歌ってくれるのならいいけど」

「そうですよね。私も恥ずかしくって歌えないんですけどね」

 そんなことを言っていたら、少し先にけやきの大木が見えた。

「あっ、あれがシンボルの大けやきじゃないですか。それに桜も見えてきましたよ」

 奈々が指した方向を見て、真理もテンションを上げる。

「本当だ。きれいね」

 遠くから見ると、神の強い意志が作り上げた群青色の空から地上に降りてきた花の雲が、庭園をすっぽり覆っているように見える。決して鮮やかな「ピンク」色ではないけれど、繊細で淡い「桜色」に染まっている。まるで、ミルクを煮詰めた海のようだ。

 入口から歩いて、十五分ほどかかっていた。平日の昼間のせいか、花見の客はそう多くはなかったが、それでもビニールシートを敷き、その上で花見をしているグループが、あちこちに見られた。二人は、そうしたグループから少し離れたベンチに腰掛けた。

 売店を見つけた奈々が、真理に言う。

「真理さん、ソフトクリーム食べません?」「いいわね」

「じゃあ、待っていてください。私、買ってきます」

「うん、お願い」 

 真理を残して、売店に向かう。なんだか幸せな気分だった。大好きな姉と桜を見に来て、その姉のためにソフトクリームを買いに行く。そんな、他愛もない楽しさだった。奈々には兄弟姉妹がいない。だから、これまで何かあっても心を許して相談できる相手はいなかった。いつもひとりぼっちのような感覚だった。子供の頃は母が相談相手だったけれど、母が精神的に追い詰められてからは、子供の自分が母の相談相手になっていた。父は相談できる相手ではなかったし、それに、途中から父は遠くへ行ってしまったのだから。

 二人分のソフトクリームを手に持ち、戻ろうとした奈々の目に、サングラスを外し、一人桜を見つめる真理の姿が映った。ベンチの上で微動だにしないその姿は、うっとりするほど美しく、まるで魔法によって絵葉書の中の風景の中に閉じ込められてしまったかのようでもあった。悲し気でもあり、寂し気でもある表情を顔に貼りつけながらも、意志の強さと繊細さを感じさせる眼差しの奥では、ずっと答えのない問いをし続けているに違いない。真理の美しさの奥にある陰の部分が胸を打つ。やすやすと自分を裏切った肉親たちへの氷のような憎しみを、真理はどこに埋めてきたのだろうか。

 しばらく見とれていた奈々だが、うっかり瞬きをしたら、真理が消えてしまいそうで怖くなり、急いで真理のもとへ向かった。 

「お待たせしました真理さん、ソフトです」

 そう言って、真理の顔の前にソフトクリームを指し出す。

「ああ、ありがとう」

 二人並んでソフトクリームを食べながら、桜を愛でる。低い枝を切っていないので、目の高さまで垂れ下がっている枝もあり、花に埋もれてしまう感覚がする。

「きれいですね」

 今度は奈々が言ってみる。

「うん」

 真理はそう答えるだけだった。昨日降った雨が、桜をいっそう艶やかにしていた。時折吹く風に揺さぶられ、桜の花びらが渦を巻きながら舞い落ち、緑の芝生をうっすら桜色に染める。季節は少しづつ動いているのだろう。

 ひとつひとつの花びらは可憐なのに、満開となった桜には、辺りを圧倒する堂々とした美しさがある。奈々はそんな桜が大好きだった母のことを思い出していた。そんなに広くもない私たち家族の家の庭に、実家にあった桜の木の一部を移して植えた。母は毎年誰よりも、その桜が咲くのを待ち望んでいた。精神に破たんをきたしてからも、ひとりでじっと桜の花を見ていた。

 だから、母の葬儀の日、出棺前の最後のお別れの時に、奈々は手を尽くして集めた桜の花びらを母の顔の周囲に敷き詰めた。すると、真っ白だった母の頬がほんのり桜色に変わり、優雅に微笑んでいるようにさえ見えた。それは、これまで奈々が見てきた母の顔の中で、最も美しいものであった。長い間、あらゆることと戦い続けた母が、最期に見せた矜持に奈々の胸は震えた。

 奈々にとって、幸せと不幸せは、いつもこんな風に背中合わせにあった。悲しみの沼に落ちた奈々は、真理にもっと自分のほうを向いてほしくなった。

「ねえ、真理さん」

「うん」

 真理は相変わらず奈々を見ず、桜を見つめたまま答える。

「真理さん。真理さんには、桜にまつわる思い出ってあります?」

 真理が奈々のほうを向いた。

「桜にまつわる思い出かあ」

 そういって、また黙ってしまった。しばらくして、真理はまだ桜を見ながら言う。

「いっぱいあるような、何もないような。桜が咲く四月って、私にはいい思い出ってないのよね。桜は華やかで、心をウキウキさせてくれることもあるけれど、その華やかさがかえって辛いと思えることもあるのよ」

 真理には辛い思い出のほうが多かったのかもしれない。これ以上聞いてはいけないと、言い聞かせた。

「そうですね」

「でも、最近ようやく、桜が舞う中に自分を埋めていると、なんか救われるような気持になってきたの。だから、今日も、奈々ちゃんと一緒に桜を見たかったの」

 その時、再び風が吹き、桜の花びらが雪のように、触れ合う音をたてながら降ってきた。

 何も言わずに立ち上がった真理が、あたかも前から決まっていたことのように桜吹雪の中に吸い込まれて行く。突然の出来事に、奈々はただ眺めるしかない。  

 顔をあげながら、落ちてくる花びらを受け止めるように広げた両手を肩の高さに保ち、心持ち身体を反らした真理は、桜吹雪の真ん中で、身体を何度も何度も回転させながら、優美に舞い、踊る。白のカットソーの上に薄いピンク色のジャケットを纏った真理は、次第に渦巻く花びらと一体化し、まるで桜の精のように無窮の天で微笑んでいた。風がやみ、訪れた静寂の中で真理は、ミュージカル女優が舞台の上で観客にお辞儀をするように、奈々に向かって深々と頭を下げた。奈々は、胸の前の手を合わせるように小さく叩いた。何事もなかったように、奈々の隣に座った真理に、

「きれいでした」

 と言った奈々。

「ありがと」 

 まっすぐ前を向いたまま、真理が答える。

真理の意外な行動には、いつも驚かされる。

二人はまたしばらく黙って桜を見ていた。静かな時間が流れた。やがて、真理が奈々の横顔を見ながら言った。

「そうやって、思いつめた表情をして、一点を見つめているところ、監督に似ていて素敵よ」

 奈々の頭の中では、両親と自分のこれまでの出来事が、走馬灯のように流れていた。暗がりに飲み込まれていた奈々の前に、柔らかな真理の笑顔があった。我に戻った奈々は、思わず真理のほうを振り向く。

「えっ、そうですか。でも、ありがとうございます」

 一瞬、どう答えていいかわからなかったが、素直な気持ちで答えた。真理の思いがけない言葉は、奈々の気持ちを動かした。これまで、父に似ている自分がずっと嫌だったけど、似ている自分を少しだけ好きになれた瞬間だった。

「奈々ちゃん、もっと自分のことを好きになって」

「えっ」

 自分というのが、真理のことを指しているのか、奈々のことを指しているのかわからなかったのである。

「奈々ちゃんって、自分のこと、無理矢理嫌いになろうとしているように見える時があるもの」

 無理矢理という言葉に驚きはしたが、思い当たる節がないわけではない。奈々に向けられた言葉だと理解した。

「私、自信ないんですよね」

「自信?」

 返事が意外だったのか、少しだけ間をあけた後、続けた。

「さっき話したように、私だって自信ないところはあるわ。でも、逆に、奈々ちゃんだって、自分のすべてに自信がないわけじゃないでしょ」

 真理が言っていることは正しいと思う。でも、でも…。真理の言うようにすべてに自信がないわけじゃないけれど、自信がないところが多いせいか、どうしても自分のマイナス面に心が向かってしまう。マイナス面の陰に隠れようとしてしまう。そのほうが安心できるのかもしれない。自分で自分を傷つけるほうが、他人から傷つけられるより辛くないと知っているから。そんな自分のやっかいな性格が答えを出せない。何も答えない奈々に、真理が続ける。

「でもね、自信って、文字通り自分を信じることよね。だから、そのためにもまず自分のことを好きになる必要があると思うの。自分を好きになれれば、いつか必ず自分に自信が持てるようになれると思うよ」

「ああ、そんな風に思ったことなかったです」

 新たな発見だった。容姿も含め、自分に自信がない。だから、自分のことが嫌いだった。逆に言えば、真理の言うように、自分を好きになれば、その先には自信を持てる自分がいるのかもしれない。自分に自信が持てるようになるためには、もちろん、相当の努力も必要だろう。でも、好きとか嫌いという感情は、案外容易に動く心の働きではないか。

 人はちょっとしたことで好きになったり嫌いになったりする。たとえば、友人の何気ない言動で嫌いになってしまったり、逆にあまり好きではなかった人にさりげなく優しくしてもらい好きになることもある。事実、ちょっと前に真理に「素敵よ」と言われただけで、自分のことを少しだけ好きになれたではないか。自分を好きになれば、いつか自分も真理のようにキラキラと輝けるのだろうか。

「奈々ちゃんは自分で気づいてないかもしれないけれど、他の人にはない魅力をいっぱい持っているのよ。私だって敵わないところがあるんだから」

 真理を超える部分が自分にあるというのは買い被りだと思いながらも嬉しかった。他の人はともかく、真理に褒められると、それだけで奈々の心は高ぶる。

「さっき奈々ちゃんが最近お母様に似てきたって、私言ったでしょ。奈々ちゃんに自覚はないみたいだけど、奈々ちゃん最近とっても可愛らしくなったわよ。まるでお母様みたいに。残念ながら、私にはその可愛らしさはないわ」

 私が可愛らしい?本当だろうか。なんだか甘酸っぱい気持ちになる。でも、どんなところが可愛らしいんですかなんて、恥ずかしくて自分からは聞けない。そんな奈々の気持ちがわかるのだろう。真理が続けた。

「どこがって思っているでしょう。いっぱいあるけれど、たとえば今みたいに嬉しいことがあると、くしゃくしゃってなっちゃうところ」

 くしゃくしゃって何?と思いながらも、案外的を射ているとも思う。奈々は顔を赤らめ下を向き、まさしくくしゃくしゃになる。

 真理はどんな役でもこなす演技派の女優でもある。だから、可愛らしい女の子の役も、見事なまでに演じ切る。でも、素の真理は見た目は可愛らしいけれど、凛とした美しさを持つ女性だ。

「監督はシャイなところがあるから、本人の前では言わないでしょうけど、私にはしょっちゅう言っているわよ。奈々って、ああ見えて母親に似て結構可愛らしいところあるんだよってね」

 ああ見えてという部分に父らしい照れが感じられるけど、初めて聞く父の思わぬ言葉に、奈々は心底動揺した。突然空中に浮かべられ、身体中がウズウズするような変な感覚に陥る。

 先ほど父に自分が昔から母に似ていたと言われた時、奈々が思い浮かべたのは、何事にもグズグズと考え、意思決定がなかなかできないところかと思った。確かにそこは母に似ている。俊とのことだって、なかなか決められないでいたのだから。父の頭にあるのは、どうせそんな母から受け継いだマイナス面を指しているに違いないと思っていた。

 そんな父が自分のことを可愛らしいなどと言ったと聞くと、嬉しいような嬉しくないような、なんとも気恥ずかしい気持ちになる。ちょっと前まで、少しは自分のことを褒めてほしいと思っていたくせに、いざ褒められると、父には今まで通り自分の欠点だけを見ていてほしいなどと、自分でも訳のわからぬ感情に支配されてしまう。自己矛盾の激しさに、自分でも唖然とする。でも、でも、少し嬉しい。

「何ニヤニヤしているのよ。まあいいわ。でも、私と奈々ちゃんて、性格似ていると思わない?」

 それは奈々も前から感じていたことだ。一見、竹を割ったような、男っぽい性格に見える。でも、心の中は細く、ぎざぎざに尖った神経が張り巡らされていて、傷つきやすい。時に放つ、きつい印象のせいで、周りから誤解を受けやすい。集中力が高く、物事を究めようとする。人を見る目に優れ、付き合う人を間違えない。などなど、どこを見ても奈々と似ている。だって、あなたは私のお姉ちゃんだもの、と心の中で言う。

「私もそう思っていました」

「じゃあ、これからも仲良くね」

「はい」

 はらはらと舞い降りている桜のはなびらが真理の肩にも数枚落ちていた。再び二人は、ただ黙って桜を見る。静寂が空気のように二人を包んでいる。優しい沈黙が支配する中で、奈々はまだ形になっていない幸せをつかもうと、指先に力をいれる。

 体温を感じる距離に座る真理が、実の姉かと思うと、世界が浮き立って見える。でも、奈々の真理に対する憧憬は、ちょっと恋に似た感情でもあったので、その分だけ複雑でもあった。いつか「お姉ちゃん」と声に出して呼べる時が来るのだろうか。

 いつの間にか、他の花見客は少なくなり、残された二人だけが桜の海に浮かんでいるような幻覚を見た。奈々は、真理が愛おしくなり、恋人たちがするように真理の肩に自分の顔を預けた。真理は黙ってそれを受け入れ、しばらくして、反対の手でその顔を優しく包んでくれた。

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