#2 昔はなんだってうまくいったもんだ

 アイザック・ニュートンは戦士だった。

 とびきりの戦士だった。

 ザックが肩越しに斧を繰り出せば、相手の頭はカボチャみたいに割れて、冷たい死体になるってわけだ。やつはヴァイキングの末裔で、生まれる時代を間違えたベルセルクだったのさ。それがニュートン、アイザック・ニュートンだ。

 彼は数学と物理学も少しかじってたが、それは大したことじゃなかった。当時は、物理学なんて、なんにもならない学問だと思われてたからさ。じっさい、なんにもならなかった。なぜなら、そのころはまだ物に理なんてなかったからな。すべての物体がてめえの都合にあわせて好き勝手に動き回ってたんだよ。

 ヤシの実も犬もバター・マフィンも、ヒヤシンスもマスケット銃も花売り娘も、みんな宙にぷかぷか浮いたり、好き勝手にほかのものとくっついたり、ぶつかり合って離れたりしながら、暗黒空間をぷかぷか浮いてたんだよ。

 雨は好き勝手な方向にバラバラ降ってたし、それでぜんぜん良かった。雨がイヤなら避ければよかったし、コーン畑が乾いてたら雨雲の向きをちょいっとひねってやれば良かった。雪も霜も怖くなかったし、霰も霙も雹も似たようなもんだった。カンザスの上には竜巻がグルグル渦巻いてたよ。頭と尻尾のくっついた竜巻がドーナツみたいに浮かんでるんだよ。今はドーナツは浮かばないが、そのころはよく浮いてたんだ。

 そう、ドーナツ。それからパンケーキ、フライドチキン、みんな宙に浮いてた。食うものには困らなかった。飲むものにも。コカコーラだってよく空中を漂ってたもんさ。そのころのコカ・コーラ・カンパニーはまだ気前が良くて、あの甘いやつを工場からどばどば暗黒空間にまき散らしてたからな。

 口をあけてボンヤリ待ってれば、そのうち口の中になにかしら食うものが入ってきた。ピザ、ポテトチップ、エビフリッター、フライドポテト、鱈のフライ、スシ、パパイヤ、太らないでいるほうが大変だったもんだ。

 そのころはベースボールも今とはだいぶ違ったんだ。そのころのベースボールは、ピッチャーがボールをぶん投げりゃ、ボールは暗黒空間のかなたに飛んでいったもんだ。ベースは宙に浮いていて、観客もイワシの群れみたいに空中をバラバラ漂ってたんだ。ルートビアの雲に雑じってな。

 なんでもスムーズにいったもんさ。そのころのベースボールってのは、そりゃ紳士的なもんでさ、両チームの選手がずらっとならんで、お互いの目を見ればさ、どっちのチームが勝ちでどっちが負けか自然に決まったんだよ。

 え? なぜ試合しないのかって?

 大変なことになるからだな。

 ボールを投げたり打ったりすれば、ピッチャーもバッターも暗黒空間にふっとばされちまうからな。作用と反作用ってやつだな。ボールをぶっ飛ばせば、自分は反対方向にぶっ飛ばされる。

 だからそういう野球をする奴は、みんな宇宙の果てに消えていったんだ。そして、投げないピッチャーと打たないバッターだけが生き残ったわけだ。聖書に書いてあるだろ、柔和なものが地を引き継ぐ、ってさ。そういう意味だ。

 だからさ、試合なんかいらなかったんだよ。ボールを投げたりバットでそれを打ったりする必要なんてなかったんだ。戦いの勝敗なんて物はさ、自然に決まったんだ。俺たちはなにもしなくてよかった。昔はなんだってうまくいってたんだ。

 まずお互いのチームが、ずらっとユニフォームを着て並び、挨拶するんだ。お互いに相手の目をじっと見て、ちょっとお辞儀をするのさ。ほとんどの場合、それで決着はつくんだ。どっちがより優れたベースボール・プレイヤーかなんて、野球をやらなくても目を見ればわかるからな。

 くわしく言えばこういうことだ。お互いの立ち居ぶるまい、ユニフォームの着こなし、礼儀作法、そういったものを比べれば、どっちが勝者にふさわしいチームかってことは自然にわかるわけだよ。だからそれで試合は終わったんだ。それが昔のやりかたなんだ。

 もちろん、それでもお互い引き下がらなきゃ、まあ試合ってことになるわけだが、防御側が守備について、バッターがバッターボックスで構えればさ、やっぱりその振る舞いに品格ってのが出るわけだよ。そういうのは残酷なぐらいはっきりわかるんだ。

 だから、その時点でどちらかのチームが自ずと負けを悟り、審判に降伏を申し出るのさ。勝ったほうはあくまで紳士的に相手を称えて、おたがい球場を去る。これで決着がつく。それが紳士的なふるまいってものだろう。

 だから、ボールを投げるまでいくことはまずなかったな。

 ボールを投げて打つまで行ったら、もう、誰かは無事で済まないって話になるんだから。

 そうならないのがお互いのためってわけだ。

 ようするに、野球はそういうものだったんだ。抑止力ってやつさ。


 「それ、あんまりいい状態じゃないと思えるけど」

 ジョーの息子が話の腰を折りました。

 「野球が成立してないんじゃないの」


 坊主、いいか坊主。

 お前はまだ若いんだよ。

 簡単に考えすぎなんだ。

 ベースボールってのは戦いだろ?

 戦いってのは、やれば必ず、そこに憎しみが生まれるんだ。必ずな。だからベースボールってのは、ボールを投げないで済めばそれが一番いいんだ。

 争わないに越したことはないぜ。

 話し合いで解決、それが無理だったらベースボールだ。


 「野球でも解決しなかったら?」

 息子はそう問いました。

 「話しあいでも、野球でも解決しなかったら?」

 子供だけが発する遠慮のない問いかけでした。アンデッド・ジョーはからからに乾いた瞳でじっと彼を見ました。ジョーは少し黙っていましたが、答えることにしました。

 「戦いになるな。紳士的なやり方ってのはな、けっきょく、お互いが紳士じゃないとダメなんだよ。坊主。片方が話しあいもベース・ボールもできないほど無礼者だったら、戦いしかないな」

 「戦い?」

 「そういうこともあるってことだな。それがニュートンのやったことさ」


 戦い。そう。それがニュートンのやったことなんだ。

 あいつはりんごに戦いを仕掛けたんだ。本物の戦争さ。

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