第28話 # リセエンヌと愛と

学食の自動ドア。リノリウムの床に様々な足音が聞こえる。昼食時の喧騒をバックに園は階段を下りていく。次の授業は民法総則B。園は隅に固まって弁当を食べている学生達の間を縫って真ん中の4列目をとった。


座った園のイヤホンから聴こえてくるのは、一昔前流行った曲J-POP。今時、聴いている人は学生にはいないだろう。しかし、園は父のバーの使い古したアップライトピアノの横で、仕事帰りの叔父が楽しそうに歌う妙に音程ピッチのズレたこの曲が園は好きだった。


その曲の途中。着信音が入る。机の上に裏に返して置いたスマホを返してみると、田中からだった。


Saruwatari Chiyomi : ちょっとレッスンの後、そのまま合田と会社まで来て。モデルの仕事について田中さんと話があるから。 13:09

園忍 : 分かりました。アイドル事業部で待っていればいいですか? 13:10

Saruwatari Chiyomi : いつも通り待っててくれば大丈夫。13:10

園忍 : 了解です。 13:11


園はパタンと長机の上にスマホを置く。その頃には教室も人が増えてきた。


「すいません。空いてます?」


ツーブロックのモテたい大学生の最大公約数的な服装をした男が一つ離れた席を指してそう言った。


「あ、はい。空いてます。」


園が密かに苦手としている部類の男だった。その彼に続き四人程が席につく。それ自体は気にすることでもなかったが、ちらちらと見られると気になるのだ。


しかし、話しかけられても困る。園が我慢して無視するしかなかった。



授業後、園は寮に戻ってきていた。愛とマネージャーとは寮の談話室で待ち合わせの予定だった。


その為、園と愛は二人とも談話室にいた。談話室には二人だけである。


愛は自分のスクールバッグから出したファッション雑誌を膝の上に置いてチラチラと園の様子を伺っている。園はそれに気付かず、電子ペーパーを読んでいる。集中しているようだ。その邪魔も出来ず、話しかけてづらかった。


愛は内々に来年創刊されるファッション雑誌「Rosée」に起用されることが伝えられている。だから、一緒にモデルレッスンを受ける園の方はどうなのだろうと気になっていた。


園は視線を感じ、愛の方を見る。瞬間、愛は目を伏せる。雑誌の煽り文句を手で追う。


何故、愛は目を伏せてしまったのだろう?一文字一文字を意味もなく手で追いながら、愛は思う。


愛は思い返してみると、同じ場所にいることはあっても園に話しかけたことはほとんどない。なんとなく持っていた園と話すイメージが遠のいていくのを感じた。


もちろん、愛と園は芽李子やマネージャーを通して話したことはある。三人いれば親しげに話すが、二人きりで話すことはなかったように思う。つまり、実際のところそこまで親しい仲ではないのだ。二人は。


園も話しかける勇気はないし、話しかけようとするモチベーションもなかった。周りに芽李子も志鶴もポーラもおらず、今日一日、朝に陽菜里と花恩を送っていった以外は一人で過ごしてきた園の心はぼっちモードに移行してしまっていた。


ガチャ。焦げ茶色のアルミ製のドアが開き、談話室合田マネージャーが顔を覗かせる。合田マネージャーの大きなショルダーバッグがはみ出て見える。


「二人、いるね?!行くよー。」


二人は無言で、ローテーブルなどに置いていた自分の荷物をまとめ外に出る。


「ごめんね、遅くなって!」


合田マネージャーは階段を下りながらそう言った。


「大丈夫です。赤坂へはすぐですよ。すぐ。」


合田マネージャーは園にそう言われると、二人を振り返って手を立て謝るジャスチャーをする。


「あ、そういえば、改装中の一階。あそこに談話室移って…談話室だけカメラも入るよ。」


軽自動車の鍵を開けながら、合田マネージャーがそう言った。慣れた手つきで二人はドアを開ける。園が助手席だ。


「カメラ入るんですか?それって動画サイトとかに生放送って感じですか?」

「そうそう、定点で。ブログ開始と同時期にし始めるとかで。ね。」


その愛の質問に合田マネージャーはミラー越しにそう答えた。


「え、何でカメラ入れるんですか?」

「田中さんが言うには世界観の補強だって。日本人が思うフランスの女学生的なイメージをつけるためらしくてー。リセエンヌっていうらしいんだけど。」


車が大通りへと出た。柴犬を連れたおばさんが信号待ちをしている。その横には高校生たちが並ぶ。


合田にしてみれば、生放送のカメラを寮に入れるというのはある種の冒険にしか思えなかった。かわいいとは言え素人に産毛が生えたぐらいの子たちがぽろっと失言しないわけがない。


不安でしかなかったが、丸内と田中が決めたのなら従わないという選択肢はなかった。メンバーに強く言うしかないだろう。


「へー。そうなんだー、確かにフランスと言えば、何となくオシャレーなイメージ。」

「だよねー。パリとかね!行きたいよねー。おしゃれ。」



園はその合田マネージャーと愛の会話に時折参加しながら、窓の外をみる。


都道463号線に連なる没個性的なビル群とそれに出入りする人々、歩道を歩く人々、自転車。それが一様に視界の外へ流れていく。


モデルレッスンのあるスタジオはもうすぐだった。


合田マネージャーが車を寄せる。先生の待つスタジオのあるビルの前だ。


「二人とも降りて降りて。車停めたら、行くから。」

「わかりました。」


合田マネージャーがそう言うと、二人はいつものように車から降りて、ビルの中へ。古ぼけたスタンダードエクセロンの廊下に足音が二つ。二人は関係者以外立ち入り禁止と書かれた札が置かれた階段の横を通る。


先にビルの中へ入った園がエレベーターの昇ボタンを押した。ドアが開く。


「何階だっけ?」

「5階。」


園は5階のボタンを押すと、また沈黙。年長の自分が話しかけてやらないといけないような気がした園は口を開けた。


「今日は学校?」

「そう。みんな勉強してる…この時期だし。エンニンは学校どう?」


園はそう言われて、学校がどうだったかを考える。変わったことはない。普通だ。


2階から3階。エレベーターは上へと上がっていく。


「普通かな。変わったこともないし。」

「ふーん、大学って楽しい?」


大学に進学しなさそうな愛にどう言えばいいか、一瞬園は悩む。園にとって別に大学は楽しい所ではないが授業が面白いことはある。


「退屈ではないけど、楽しいってわけではないかも。」


そう言っていると、もう5階だった。エレベーターのドアが開く。先生が奥に見える。


「よろしくお願いしまーす!」


二人がそう言うと、先生が顔をのぞかせる。ペットボトルに口をつけたままだ。


「5分後に始めるよー!」

「わかりましたー!」


二人はロッカールームへ向かった。一番始めは体幹トレーニングなのだ。今着ている服でする訳にもいかなかった。


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