第42話

「ここ、どこ?」




あたしは気が付いたら何も見えない場所にいた。文字通り何も見えないどころか、自分の姿すら分からない。あたしは今、竜なのか? それとも人なのか?




「寒い・・・」




 寒い。体の芯から氷漬けになってしまったように、寒くて冷たい。体の震えが止まらない




「あれから、何があったの? デュオ様は? デュオ様はどこに・・・」




 何が起こったのかよく覚えていないが、自分たちが大変なことになっていたのはなんとなく記憶に残っている。確か、何か怖いことがあって、何かがあたしの中に染み込んでいくような感じがしたようなしないような・・・・・だが、そんなことはどうでもいい。




「デュオ様・・・」




 何も見えないが、分かる。ここには、あたししかいない。ここにはデュオ様はいない。もしかして、この暗闇がデュオ様を呑み込んでしまったのか? 闇は何も返さずに、あたしを包むだけだ。




「デュオ様、デュオ様・・・」




 デュオ様がいない、そのことが、たまらなく不安で、寂しくて、怖い。怖くて怖くて、寒さとは違う理由で体が震える。怖い、怖い・・・・




「え?」




 グシュリ、と何かがあたしの中で染み込んでいく感覚がした。


 あたしが怖いと思った瞬間、白いカンバスに黒いインクが広がっていくように、周りの暗闇が無理やりあたしの中に入ってきたかのように、恐怖が化け物のような勢いであたしの心を蝕む。先ほどまでとは比べものにならないほど体が震え、思考の一つ一つに恐怖が混じる。




「デュオ様、怖いよ、怖い・・・・怖い怖いコワいコワい・・・」




 コワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワい




「イヤァァァァァぁァァぁァァぁァァぁっ!!?」




 今まで味わったことない恐怖で、あたしは暗闇の中で頭を抱えて震えながら叫ぶ。けれど、誰も助けに来ない。何も変わらない。




「デュオ様、助けて、助けて、助けて・・・・・・・・・」




 デュオ様、どこにいるの? あたし、このままじゃ、死んじゃうよ。寒くて、怖くて、凍えて、頭がおかしくなって死んじゃうよ。




「デュオ様デュオ様デュオ様デュオ様デュオ様デュオ様デュオ様デュオ様・・・・」




 時間の流れが分からない。ここにきてどれくらい経ったのか、まだ1分も経ってないのか、あるいは1年過ぎたのか。大好きな人の名前を呪文のようにつぶやき続けるが、頭がぼんやりしてきて、なんでか分からないけど限界なんだなと思って・・・・




「やめろぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」




 突然、デュオ様の声が聞こえたかと思うと、闇が一気に消し飛んだ。




「え?」




 それはデュオ様の心の叫びのようだった。体は寒いままだし、未だにここがどこかわからないが、その声は確かに耳に届いて・・・・・あたしの恐怖も吹き飛ばした。




「これは・・・デュオ様の身に何かが?」




 あんな叫び声を上げるデュオ様なんて見たことがない。つまり、今この瞬間にもデュオ様の身に何かが起きているに違いない。ならば、行かなくては。ここで行かずして、いつ動くのだ。




「あっ!? また・・・・」




 だが、この空間はあまりに悪辣だった。一度とらえた獲物は逃がすまいと、消えたハズの闇がいつのまにか沸き始めて、あたしの方ににじり寄ってくる。それとともに、もう一度凍えるような冷たさとともに、恐怖が戻って来て・・・




 ゴゥゥゥン




「!? 今度は何!?」




 次に聞こえてきたのは、穏やかな鐘の音だった。だが、これは・・・・・




「これ、聞いたことがある?」




 この音はどこかで聞いたことがある。確かデュオ様がシークラントで魔法の練習をしているときだった。害のない魔法だと思うからと言ってあたしがいる目の前で使った魔法の音だ。




「ってことは・・・・デュオ様があたしに?」




 この魔法は、他者の心を癒すために使う魔法だった。これが使われているということは、危機に陥っているのはデュオ様ではなく、あたしだということだ。




「なんてこと・・・・・」




 闇がもう一度あたしを覆い隠そうとしているが、恐怖は沸いてこない。代わりにこみあげてきたのは・・・怒りだ。護衛のくせにデュオ様のお手を煩わせている、あたし自身への怒りだ。




「このっ!! 離れろぉ!!!」




 まとわりついてきた闇を振り払うように、あたしはもがく。心に染み出してくる恐怖を、それを上回る怒りで覆いつくす。早くここから出せ!! 早く、デュオ様のところに・・・




「・・・・・リーゼ・・が・っと小さ・・ら・・・・」


「デュオ様っ!?」




 再び暗闇が薄くなったと思うと、また、デュオ様の声が聞こえた。


 周りを見てもやっぱりデュオ様はいないが、確かに聞こえた。




「なります!! あたし、デュオ様の言う通りになりますからっ!!」




 改めて闇が包もうとしていた自分の体を見ると、あたしの体は地竜のそれだった。あたしは生まれてからこれまでになかったくらい全力で変身メタモルフォーゼを念じる。あたしの一番小さな姿は間違いなく人間の時だ。だから、あたしは人間の姿に変わる。




「だから、だからっ・・・あたしをデュオ様のもとに・・・・」




 ここで、デュオ様のお力にすがるのはあまりにもみっともない。だが、そうしなければデュオ様の元に行けないと言うのであれば、あたしはプライドなんぞ喜んで捨ててやる。だから、だから、早くあたしをデュオ様のところへ。そして、そこでこの身を盾にしてでも、デュオ様の助けになるのだ。助けていただいた御恩を全力で返すのだ。初めてデュオ様に会ったあのときのように。




「デュオ様っ!!」




 闇が消え、今度はあたし以外白一色の空間になり、そこに、ひと際大きく鐘の音が響いた。すると、今度は空間そのものがひび割れていった。あたしはひび割れに向かって全力で飛んでいく。飛び散っていく何かの欠片が目に入りそうになるが・・・




「デュオ様っ!!」




 ひび割れに飛び込んだあたしが目を開けると、そこにいたのは驚きに染まった顔であたしの胸に手を当てるデュオ様がいた。










「シールド!! うおおおおおっ!?」




 屍竜のブレスが頭のほんの少し上を通り過ぎていくのを感じながら、僕は束の間の浮遊感を味わい、穴の底に到達した。伝わってくる衝撃を反射的に緩和する。防御魔法を使ったおかげで、上から落ちてくる瓦礫も当たらない。




「助かった、のか」




 こうしていられるということは、無事にブレスを避けられたということだ。だが、まだまだ危機の中にいることに変わりはない。あの屍竜が僕らが死んだと思ってくれればいいが・・・・




「って、そうだ!! リーゼは!?」




 暗くてよく分からないが、あの愛竜の鱗の感触がない。




「まさか、リーゼは・・・・」




 この穴に入りきらず、あのブレスで消し飛んでしまったのか・・・・




「リーゼ、リーゼ・・・・・・・ん?」




 それでもあきらめきれず、手探りで辺りを探っていたら、何か柔らかいモノに触れた。というか、目が慣れるには早いだろうに、なんか周りの物が見えるような?




「一体何・・・・って、え?」


「ん・・・・」


「リ、リズ!?」




 僕が触れていたのは、我がシークラント家の使用人、バーク夫妻の孫娘のリズであった。僕はまだソレース・ベルが発動したままの状態でリズの手に触れていた。周りが見えるのは、よく見るとリズがぼんやりと赤い光を出しているからのようだ。




「な、なんで、リズがここに? リーゼロッテは?」




 何が起きているのか、まったくわからない。いきなり屍竜が現れ、リーゼロッテが動けなくなり、落とし穴に落ちたらリズがいた。・・・・・事実そうなのだが、正直頭がパンクしそうだ。とりあえず、リズに話を聞こう。




「リズ、今何が起こって・・・」


「・・・・デュオ様の・・・」


「え?」




 リズに話しかけようと、リズの顔を見たが、その目はさっきまでのリーゼロッテのように虚ろだった。いや、リーゼロッテよりも目に光が戻っているような。・・・・って、ああもう!! そんなことより!! これじゃ、話なんて聞けないじゃないか!!




「もう、こうなったらやけくそだ!!」


「・・・・んぅ」




 僕はなんだか変なメイド服を着たリズの胸、心臓の上に手を置いた。ソレース・ベルは心音のリズムと一致しているときが最も効果が高い。鎧みたいな硬さをしている服のおかげで柔らかさは分からないが、僕はリズから伝わってくる鼓動とソレース・ベルを同調させる。リズがなにやら艶っぽい声を上げているが、さっきから起きている事態のせいで耳に入っても気にならない。まるで自分が荒唐無稽な夢でも見ているようだ。まさか、僕はまだモーレイ鉱山の入り口で寝ているんじゃないだろうな。というか、さっきから追撃が来る気配がないけど、あの屍竜はどうなったんだ? ああ、そうか、そもそも夢だったのか。


 僕がそんな馬鹿なことを考えていると、リズが大きく身じろぎした。




「・・・・・デュオ様っ!!」


「うわっ!?」




 僕が様子を見ようと顔を近づけると、突然リズが飛び起きた。僕はびっくりして思わず離れたが・・・・




「・・・・・・」


「リ、リズ?」




 リズは僕の顔を見た後、きょろきょろと辺りを見回して、クンクンと鼻を鳴らした。そして、周りに何もいないことを確認したように満足気に頷くと、潤んだ瞳で僕の方を向いた。


 一方、僕は・・・・・・・なぜか手はリズの胸の上に置いたままだった。いかん!! これじゃあ僕が変態扱いされてしまう!!




「違うんだ、リズ!! これは、その、そう!! 精神療法の一環で・・・・」


「デュオ様、デュオさまぁぁぁぁぁ!!」


「えっ!?」




 僕が胸に手を乗せたまま苦しい言い訳をしようとすると、リズが僕に飛びかかって、いや、抱き着いてきた。




「リ、リズ!? どうしたの!?」


「デュオ様・・・よかった、よかったよぉぉぉぉ!!」


「・・・・リズ」




 リズは僕の胸の中で泣いていた。それは、きっと喜びの涙だと思う。まるで、事故の後に大事な家族が生きていたと知った時のような、安堵の涙だ。




「リズ・・・・大丈夫だから。きっと、もう大丈夫だから」


「うぇぇぇぇぇぇん!!」




 地上にはあの屍竜がいて、これっぽっちも大丈夫とは思えないのだが、僕はしばらくリズの背を撫でて、彼女の好きなようにさせた。












「すみません・・・・お見苦しいところをお見せしました」


「いや、いいよ。 こうしてなんとか生きていられるんだし、それでいいじゃないか。泣いたっていいさ」




 あれから数分、僕も少しは落ち着いて、なんとか状況の把握に努めようとしていた。リズを慰めているときに、「ピック」の魔法で地上の音を拾ってみたが、どうやらまだ屍竜はウロウロしているようだ。普段ならばこれだけ近くにいればアンデッドには気づかれるのだが、見つかっていないらしいのが気になる。そして、他にもいくつか不可解なことがあるが、まずはリズの話を聞こう。




「それで、いきなりだけど、どうしてリズがここにいるの?」


「・・・・・そうですね、まずはそこからお話ししましょうか。とは言っても、もう気づいてますよね?」


「・・・・まあ、消去法というか、それしかないよねって感じだよ。・・・・・・君はリーゼロッテなのかい?」




 消えたリーゼロッテの代わりにいたリズ。リーゼロッテと同じ状態異常バッドステータスにかかっていたリズ。赤い光を放ち、竜の鱗がついたような服を着ているリズ。なにより、僕がリーゼロッテに贈ったあの首飾りの魔鋼を身に着けていたリズ・・・・・到底信じられないが、リズがリーゼロッテと同一人物であるとしか考えられなかった。




「デュオ様の言う通りです。 あたしはこれまでお供していたリーゼロッテです」


「そう、やっぱり・・・・・それじゃあ、リズは・・・いや、リーゼは魔竜なの? リーゼが魔竜ならジョージさんたちも・・・・」




 とりあえず、僕は目の前の少女をリーゼと呼ぶことにした。というか、言われてみると、リズとリーゼロッテはなんというか、雰囲気やらなにやらがよく似ている。コロコロと豊かな感情が宿る青い瞳に、声に宿る明るさ・・・どうでもいいかもしれないが、全体的に赤っぽいところとか。そうやって見ていると、リーゼがこれまで一緒にいた相棒だと言われても違和感を全く感じない。


 それは置いておくにせよ、人に化ける竜なんて、建国神話の魔竜しか知らない。リーゼが魔竜だというのなら、その祖父母だというジョージさんたちも魔竜ということになるが・・・・




「はい。確かにあたしは魔竜ですよ。 ですが、建国神話に出てくる魔竜そのものではないです。 あたしはその子孫、いや、同じ種族って感じです。変わり種ですけどね・・・・ あと、お爺ちゃ、違った、ジョージたちが言っているのは嘘ですよ。あの二人は人間ですし、あたしのことも知ってます。もちろん、デュオ様のお父上のアインシュも」


「父上も・・・・」




 これも言われてみれば納得だ。なにせ、小さいころにジョージさんたちが孫について何か言っているのなんて聞いたこともなかった。それに、リーゼがリズとして現れたのは僕がリーゼロッテを助けてすぐだった気がするし、初めてリズと会った時にはなぜか父上も一緒にいたし。だが、まあいい。これまで僕がともに戦ってきた相棒が、リズという女の子だったということが分ればそれでいい。




「そう、分かったよ。それじゃあ、ここをどう乗り切るか考えよう」


「え!? デュオ様、切り替え早くないですか? あたし、もっといろいろ聞かれるかと思ってたんですけど・・・」




 リーゼがそう言うのも当然だろう。実際、僕としても聞きたいことは山ほどあるのだ。しかし・・・




「今はそんなこと言ってる場合じゃないからね。 さっきから、僕にはあの屍竜の足音が聞こえてるし」




 未だに、ピックの効果は続いている。ドシンという足音が近づいてくるたびに、寿命が縮むような錯覚を覚える。




「そうですか・・・・・・では、後で必ずお伝えします。生きてここから帰れれば、ですけど」


「だよね・・・・」




 そう、今ここは、生きて帰ることについて考えねばならないのだ。そのために、僕は自分の相棒と話し合う必要がある。・・・・・・正直いろいろと複雑だが、リーゼと人の言葉で喋れるということは嬉しいかもしれない。




「では、まずどうやってこの穴から出るからについてですが・・・・一応今の姿でも土属性の魔法は使えるので上に出るだけなら簡単です。流石に近くの坑道まで穴を掘るのは無理ですけど」


「そうなの? そういえば、魔鉱山は魔法で掘削するのが難しいんだったな」




 この広場に入る前のように、短いトンネルを掘るくらいはできるが、それ以上は難しいのだろう。よく覚えていないが、確か自分の魔法で吹っ飛ばされたときは入り口の方だった気がするが、それでも遠いだろうか。いや、待て。




「僕らが入ってきたトンネル、残ってるかな・・・・」




 あのブレスの威力は相当だろうが、そのせいで地形が変わっていることも大いに考えられる。入り口が近かったのならば、崩されている可能性が高い。だとすれば、逃げることすらできなくなる。




「そうなると、ここで助けが来るまで待った方がいいですかね・・・・なんでか、今はデュオ様の体質が大人しいみたいだし」


「ああ、やっぱり僕の体質のこと知ってたんだ。・・・僕の体質って一体何なの?」




 リーゼは僕と一緒によくモンスターを狩りに行ったから知っていて当然だろう。今はあの屍竜は僕らに気づいてないようだけど、この体質のことが分れば何かに利用できるんじゃないか?リーゼは家族だが、モンスターでもあるのだし、モンスター側から見た意見を知りたい。




「うぇ!? えっと、え~とっ・・・デュオ様の体質、ですか?」


「うん、知っておけば逃げるか戦うか分からないけど、いざってときに有利になるかもしれないし、知っておきたいんだ」




 なんだ? そんなに言いにくいことなのか?




「う~~!! ・・・・・・あたしのこと、軽蔑されちゃうのかな・・・ここで仲間割れなんて起きたら・・・・でも、でも、デュオ様が知っておけば、あたしが囮に・・・・・」


「えっと、悪いんだけど、あんまり時間がないかもしれないから、早く教えてくれると助かるかな・・」


「くぅ・・・・・・・えぇい、分かりました!!言います、言いますとも!!・・・ 一言でいうと、デュオ様の心がモンスターに筒抜けになる体質です」


「は?」




 なにそれ?




「文字通りの意味です。 デュオ様の考えてることが、モンスターの頭の中に聞こえてくるんです。アンデッドが引き寄せられるのは、それだけ生者を近くに感じるからでしょうね。あと、多分あの屍竜もそうですが、頭の悪いモンスターには理解されていないと思います」


「え、それじゃあ、リーゼは・・・・」




 また信じられないことだが、こんなタイミングでバカみたいな嘘をつく必要はないだろう。アンデッドに関してはむしろしっくりきた。


 しかし、それでは、これまで僕と一緒にいた7年間、ずっと僕の心がリーゼに読まれていたということか?




「・・・・・・非礼はお詫びします。お叱りでも処刑でも、いかなる罰も受け入れる覚悟です。 あと、気休めにもならないでしょうが、人間の姿のときはかなり聞き取りにくくなっていましたし、今は全く聞こえません」


「・・・・え?」




 いや、ちょっと待って、これは頭が追い付かない。思い出せ、僕。 僕はリーゼの前で考えちゃいけないことを考えたことはどれくらいある? あのときのあれは、このときのあれ・・・




 ドスン!!




「いやいやいやいや!!」


「・・・・デュオ様?」




 屍竜の足音が聞こえたが、全然気にならない。そんなことよりも今は・・・・・いや待て、落ち着け、僕。屍竜がすぐ上にいるんだぞ。いつ死んでもおかしくないんだぞ。さっき、リーゼにあんなことを言ったばかりじゃないか、分かったら落ち着け・・・・




「いや、無理だって!!」


「デュオ様っ!?」




 僕は屍竜がウロウロしているというのに叫んでしまった。自分でいうのもなんだが、かなり情緒不安定になってるぞ、僕。


 だが、仕方あるまい。今までずっと傍にいた相棒に、自分の考えていたあんなことやそんなことが筒抜けだったというのだから。真性の聖人君子でもない限り、他人から見て不快に思われるようなことを考えたことのない人間はいないだろう。僕がそんな高尚な人間かと言えば、そんなことは全くない。それに、僕はこれでも男なわけで、当然「そういう」欲求は人並みにあると思っている。そして、リーゼは雌、いや、女の子であって、その手の妄想に嫌悪感を抱く可能性はかなりのものだろう。信じあっていた相棒に嫌われると思うと、頭の奥がキンと冷えるような感覚がしてきて、恐怖のような感情すら感じる。心を読まれるのはシルフィさんもそうだったが、シルフィさんとはまだ会って間もないし、変なことなど考えたことはなかった。状況が、年季が違い過ぎるのだ。




 ズン!!!




「うわわっ!?」




 また、屍竜の足音が聞こえた。今度はさっきよりも近いところにいたせいか、伝わってくる音が強く、パラパラと上から砂が落ちて来て、流石に驚いた。僕は頭にかかってきた砂を払い落とす。




「・・・・デュオ様」


「え?」




 混乱していることもあって、頭をかきむしるようにしていると、急にリーゼが真剣な表情で、ズイと体を僕に近づけてきた。・・・・なんだ? なんでそんな悲しそうな顔をしてるんだ? っていうか、やっぱりリーゼって結構かわいい方だな・・・・




「デュオ様・・・・デュオ様は、あたしみたいな者に心を覗かれて、あたしのことをさぞ憎らしく思っているでしょう。卑しいモンスターだと思っているでしょう」


「は?」




 現実逃避するように益体もないことを考えていたら、リーゼがなんかとんでもないことを言い出した。


 何? リーゼは何を言ってるんだ?




「ですが、今は・・・今だけは、どうかそのお気持ちを鎮めてください。 ここであたしたちが争っても二人とも死ぬだけです。 デュオ様が昂っていなければ、屍竜もデュオ様を狙わなくなるかもしれません。もし、万が一あたしが生き残って、ここを切り抜けることができたら・・・あたしはデュオ様に殺されても・・・・」




 その先は言わせてはいけない。僕は咄嗟にそう思った。




「待って!! その先は言わなくていい!!」


「むぐ!?」




 僕は近づいてきたリーゼの顔に反射的に手を伸ばして、口を塞いだ。リーゼが何を言いかけたか、熱くなってる頭でも想像はつく。しかし、それをリーゼに言わせてはいけない。そうなったら、何かが壊れてしまうような気がする。いや、でも、リーゼの本心が知りたい。僕のことをどう思っているのか知りたい。もっと突っ込んでそのセリフの真意を知りたい。いやいや、でもでも・・・・あ~、なんかもうぐちゃぐちゃで、考えるのが面倒だ。リーゼがそう来るなら、僕も思っていることを吐き出してしまえ。




「というかさ、リーゼこそ、僕のことを最低なヤツだとか、思ってないの?」


「けほっ、けほっ!? ・・・・・・・へ?」




 僕は、急ごしらえの覚悟で核心に突っ込むことにする。


 口を塞いだままだったので、リーゼの顔から手を放すと、リーゼは咳き込んだ後、もう一度僕の顔を見て、口を開く・・・・・・これでどんな答えが返ってこようと僕は・・・・




「いや、なんでですか? そんなこと思うハズないですよ」




 だが、リーゼは僕の突貫工事の覚悟とは裏腹に、悲しそうな表情を一瞬で消して、本当に意味が分からないというような顔で聞いてきた。




「え? いや、だって、僕は、お前といるとき絶対嫌なこと考えてた時があったろうし・・・・」


「・・・・ありましたかね、そんなの? 屋敷とあたしの部屋は離れてたし、あたしとデュオ様が一緒にいるときって、ほとんどはモンスター退治だったでしょう? いつもモンスター関係のことしか考えてませんでしたよ。デュオ様、流石に「自分はモンスター狩りの最中に浮ついたようなことを考えるヤツ」だとは思ってないでしょう?」


「それは、まあ、そうだけどさ・・・」




 確かにリーゼといるときは大体がパトロールの最中だったけど・・・リーゼの言うように、田舎で土地だけは余ってるせいか、広い屋敷だったので、リーゼの小屋と僕の自室は結構離れていた。だから、部屋で考えていたようなことは読まれていない、のか? いや、でも・・・




「大体、いくら命の恩人だからって、とんでもないゲスなら一回恩を返しておさらばですよ。ちょっと変なこと考えたくらいで軽蔑するならとっくに離れてますし、屍竜だって、出会い頭にデュオ様を置いて逃げただろうし、オーガロードもそうです。だから、デュオ様のことを最低だなんて、思ったことはありません」


「・・・・」




 暗闇の中で浮かぶ顔は人間の少女のソレなのに、どこか、いつもの、竜のリーゼロッテの顔と重なって見えた。




「・・・・そっか」




 リーゼのその顔を見ていると、不思議と心が落ち着いていった。


 考えてみれば、僕の相棒は出会ってからずっと僕を支えてくれた。昨日のオーガロードを含め、命の危機を助けてもらったことなど数えきれない。それに、初めて会ってすぐに、ぼくの夢を応援して、プライドを捨てるようなこともしてもらった。そんな僕を信じてくれてる相棒を疑うことこそが最低の思考だろう。




「リーゼ、ごめん・・・・」


「いやいや、デュオ様が謝ることなんてないですよ!! むしろ、さっき言ったみたいに、あたしの方がデュオ様に軽蔑されてないかって・・・・・あたしはデュオ様の心を盗み聞きしてたんだし」


「それだけはないよ」




 そんなことはあり得ない。僕の方から嫌うことだけは絶対に。




「デュオ様・・・・」




 リーゼがなんか潤んだ瞳で僕を見ていて、少し気恥ずかしい。


 シルフィさんと初めて会ったときもこんな感じになって、いろいろと理由を考えてみたりしたが、相棒のリーゼならば、いちいち考えるまでもない。僕の思いと、リーゼが自分で言っていたことをそっくりそのまま言い返してやればいい。




「さっき自分で言ってたでしょ? 僕も散々お前に命を救われてるんだ。 今更どうとも思わないよ」




 まったく、こんなことで混乱して悩むなんて、自分が情けない。最初からもっと・・・




「デュオ様・・・・でも、デュオ様の初めてのアレの時、気持ちよかったけど、隠れてパンツを洗っちゃったってことも、あたし聞いちゃったんですよ?」




 自分に正直に・・・・・・・・・・・・・・・待て、今リーゼはなんて言った?




「待って!? 僕めっちゃ変なこと考えてるんじゃん!? モンスターのことしか考えてないんじゃなかったの!? 」


「たまにですよ、たまーに。 それに、生理現象なんだから仕方ないですよ。それで、その、やっぱりあたしのこと・・・」


「いやいや、ソレ、どう考えても僕の方が社会的なダメージ大きいし、恥ずかしいよ!? 本当に僕のこと軽蔑してない!?」


「しません!! むしろ興奮・・あっ!?」


「え?」




 なんだ? 今何を言おうとした? ばっちり、興奮って聞こえたし、気になるけど、聞いちゃダメな気しかしない。




「・・・・・・もう、この話は止めてちゃんとこれからのことを考えよう。お互いにダメージをもらい続けるだけだ。けど、僕はお前を心から信じてるっていうのは本当だから」


「・・・・・ありがとうございます。あたしも、デュオ様のことは心から信頼してます」




 そうさ、それさえ分かれば、それでいいんだ。












 それから、僕らは屍竜の足音を聞きながら話し合いを続けた。


 屍竜が現れて、僕らがこの穴に入って、しばらく経つ。しかし、場所が場所だからか、魔装騎士が来る気配は未だにない。ここはやはり・・・・




「限界ギリギリまでこの穴の中にいて、いざとなったら穴を出る。 そして、この魔道具で隙が作ってリーゼに乗って逃げる」


「そうですね、それしかないと思います。出口が残ってる可能性は低いですし・・・・」




 僕が手に魔道具を握りしめてそう言うと、リーゼも賛同した。


 仮に僕らが入ってきたところが残っていて、リーゼを囮にして逃げ込めたとしても、あのブレスを鉱山に撃たれたらほぼ間違いなく落盤に巻き込まれるだろう。ブレスを止めるのは恐らくできないだろうし、撃たれるまでに魔道具なしで射程外に逃げるのも不可能だ。だから、リーゼが考えた案は却下した。もちろん、感情的な理由もあるが。そして、代わりに考えたのが今の策である。




閃光フラッシュ土御手アースハンド・・・」


「心もとないですが、それしかないです」




 手の中にある魔道具、トニルさんのところで買った最後の二つだ。


 だが、強力なモンスターはトラップなどたやすく無効化してしまう。土御手アースハンドなど1秒でも使えれば御の字だろう。閃光フラッシュはアンデッドをひるませる効果が多少は期待できるが、あれほどの闇をまとうモンスターにどこまで通用することか・・・・だが、この策ならば二人とも生きて帰ることができる。断じて、家族と責任を天秤にかけるのが嫌だったのではない。これこそが、最も生存確率が高い策なのだ。




「できれば、アレを起こした責任は取りたかったけど・・・・・まあ、無理か・・・・」


「しょうがないです。 デュオ様が亡くなったら、シークラントがどうなるか分かりません。それに、どのみちいつかはアレは復活してました。なら、強力な魔装騎士がいつもより多く巡回している今の方がマシですよ。時間稼ぎって目的は成功してますしね」




 そう、なぜか屍竜は一向にあの広場から動く気配がない。他にも生きている者は、この試験中にはたくさんいるし、近くには国内人口トップの王都があるというのにである。リーゼの言う通りならヤツは頭が悪く、僕らを見失っているようだが、なんらかの理由で僕らがいるのには気づいているのだろう。




「僕の体質が原因なのかな?」


「それは・・・今のあたしは人の姿だから何とも・・・・」


「そっか・・・」




 もしかしたら、幻霧の中のシルフィさんのように、僕の体質はコントロールできているか弱まっているだけで、消えたのではないのかもしれない。だから、ヤツはここを離れないし、僕らを探すように歩いているのだろう。アンデッドに嗅覚と知能がなくてよかった。




「でも、もしそうなら、あたしたちの限界まで、ヤツはそこにいるってことになりますね」


「僕らの限界か・・・・」




 穴の中にいる僕らの限界・・・・つまりは空気だ。僕が受け止めた瓦礫は、リーゼの土魔法で固めて落ちないようにしているが、空気の確保は難しくなった。リーゼの風魔法で何とかしようにも、常時魔法を使っていては勘付かれるかもしれない。そしてもう一つ、限界と思われるモノがある。




「この靄も、だんだん少なくなってきてますね・・・」




 シルフィさんからもらった宝珠である。リーゼを抱きしめている間に別の明かりがどこかにあると気づいたのだが、シルフィさんの宝珠が光る靄を出していたのだ。その靄はあの幻霧の霧に似ていて、リーゼ、そして僕からすると・・・・




「この靄を浴びてると、なんだか・・・・」


「はい・・・体の奥が、ざわついてきます」




 そう、この靄を浴びていると、幻霧でシルフィさんに心を読まれた時のようなザワリとした感覚がするのだ。


 聞けば、リーゼも僕やシルフィさんと同じように完全な人間への変身メタモルフォーゼという魔竜の中でも異質なチカラがあるそうだ。なんとなく、本当になんとなくだが、シルフィさんの魔力のこもったこの宝珠、そして人間となったリーゼが僕の体質を抑えつけているような気がするのだ。だが、宝珠の魔力はその代償とでも言うように薄くなっている。僕の魔力を注いでいるから使えなくなることはないだろうが・・・




「どっちにせよ、もうすぐか・・・・リーゼ、さっきの作戦、失敗した場合は」




 所詮は中級クラスの魔法しか入っていない以上、トラップが通用しない可能性の方が高いとすら言える。その場合、どうするか・・・・




「そうなったら、そうなったら、もう・・・・・覚悟を、決めましょう」


「そうだね・・・・」




 その場合、取れる手段は一つのみ。


 魔装騎士が来るまで、全力で抗うしかない。それしか、ないのだ。




「腹を、くくろう」


「はい・・」




 限界の時は近い。

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