第28話

 チュンチュンと鳥の鳴き声が響き、靄のかかる森の中、僕らは朝露のついた草をかき分けて歩いていた。道中、ゴブリンやらゴブリンゾンビやらがちらほら出てきたが、そのほとんどがジョージさんによって切り伏せられたり、文字通り沈められる。そんな中、退屈しのぎのように僕らは歩きながらしゃべっていた。




「それじゃあ、ジョージさんはずっと付いてきてたの?」


「ええ、坊ちゃんはシークラント領主の一人息子、放任主義ってわけにもいかんでしょう」


「そうかもしれないけど・・・でも、気づかなかったな・・・・」


「まあ、昨日はあんなにゴブリンやオークが殺気立ってるとは思わなくて不覚をとりましたがね・・」




 ジョージさんいわく、昨日に限らず、僕が遊びに行くと言ったときにはこっそりと付いてきたらしい。なんでも風属性の魔法でソナーのような魔法の効果を弱め、得意の土属性魔法で地面を介して遠くから見ていたとのこと。今回は森の中で僕が群れに追い回されてるときに、同じくうろついていたオークの群れと戦っていたらしい。そして、僕を見失った後はなおも殺気立ったゴブリンを倒しつつ僕を探していたという。




「でも、そんな方法で音魔法を封じられるなんて・・・」


「まあまあ、坊ちゃんはまだ魔法を習って1年、俺は何十年ですぜ? そうそう負けませんよ」


「キュルルル・・・」




 ジョージさんとそんなことを話しながら森の中を歩き、後ろにはリーゼロッテが続く。ポーションと薬草で治療し、肉を食べて眠ったことで、だいぶ回復したようだ。さすがは竜。


 時刻は朝、あれからジョージさんを見てなお警戒し続けるリーゼロッテや竜を見て驚くジョージさんに説明をしたり、勝手なことしてごめんなさいと謝ったりといろいろした後、とりあえずその晩はジョージさんに壁を作ってもらい、その場で眠ったのだ。・・・リーゼロッテは最後までジョージさんの方を睨んでいたが・・・




「それにしても、竜がこんなになつくなんて、珍しいこともあるもんですな」


「そうなの?」


「グルルルル・・・」




 自分の方に急に手を伸ばしてきたジョージさんから頭をそらし、牙をむいて唸るリーゼロッテ。確かに、僕のときはもっと友好的だったような。いや、そういえば本で竜の生態を調べたときにプライドが高いとかそんな記述があったような・・・竜に会うのはリーゼロッテが初めてだし、そんな感じが全然しなかったので誇張かと思っていたのだけど。




「ええ、その竜も多分そうですが、竜っていうのは基本的にプライドが高いんです。だから、たいていの人間相手なら、興味を持つことはあっても、敬うだとかなつくってのはないんですよ」


「ふーん、やっぱりそうなの?」


「キュルルル・・・・」




 僕が顔を向けて聞くと、リーゼロッテはバツが悪そうに目をそらした。この反応から察するに、おそらくそうなんだろう。




「まあ、野生の竜が血まみれになるほど傷ついて、しかもそれを治そうとしたなんて話は聞いたことねぇし、それがデカいのかもしんねぇですねぇ」


「グルアアアアア!?」


「ちょっと、ストップ!! ストォォップ!!」




 ジョージさんがそう言うと、リーゼロッテがジョージさんに噛みつこうとしたので必死で止める。




「ハハハ、図星でしたかねぇ・・・・っと、スワンプ!!」


「グギャ!?」




 ジョージさんが繁みに魔法を撃つと、ズブリと何かが沈んでいく音がした。




「うわぁ・・」


「昨日の残り物ですかね」




 ジョージさんが突っ込んで、ソレの首を刎ねる。


 そこで死んでいたのはオークだった。突然沼と化した地面に肩まで沈んでいた。




「にしても、坊ちゃん。勇ましいのはいいですが、昨日のソレはいただけませんぜ? 衝撃に強い相手だからって、全部の音魔法が効かないわけじゃないんだから」


「え、あ・・・ごめんなさい」




 昨日の夜、一連のことを説明するうえで、オークに襲われたことも話したのだ。そのときの僕の闘い方について話したら、なってないと怒られてしまった。今、こうして下級魔法一発でオークを無力化したジョージさんを見ると、本当に無茶なやり方をしたものだと思う。僕ももっと他の魔法を使えばよかった。動きを攪乱する魔法とか・・・




「・・・・・・グオオオオ!!」


「おっと」




 僕が謝ると、リーゼロッテがすごいスピードでジョージさんの頭があった場所に噛みついたが、ジョージさんはひらりと避けていた。




「リーゼ!! ジョージさんの言ってることは間違ってなんかないんだから止めてって」


「キュルルル・・・」


「ハハ、まあ結果オーライだったとは思いますがね。竜の死骸ってのはたちが悪い」


「あ、うんそうだね。 あそこでリーゼが死んじゃってたら・・・」




 確かに、あそこで動かなかったら、僕はともかくリーゼロッテは死んでいただろう。そして、その死骸が残っていたらとんでもないことになっていた可能性がある。竜は大体は死期が近づくと、同族のいる場所で死ぬらしいのだが、それは自分の死骸を処理してもらうためらしい。というのも、竜の肉は腐ると周辺に毒をまき散らし、アンデッド化すれば凄まじい強さを持つ屍竜となるというからだ。他のモンスターも竜の死骸を完全に処分できる能力を持つモノは少なく、過去には、何らかの原因で同族のいない場所で死んだ竜が屍竜となって大きな被害が出た記録もある。まあ、そこまでいかなくとも、モンスターのはびこる森の中に死骸の後始末に行くのは中々骨だったろう。




「それに・・・・」




 それがなくとも、この竜がそんな化け物になって暴れまわるのは僕は見たくはない。昨日はそんなことも考えずにただ、助けたいとしか思わなかったが。・・・・結局最後の方は助けてもらってしまったけれど。




「キュルルル・・・」




 そんなことを考えていると、リーゼロッテが僕の手をペロリとなめた。




「うん、君を助けられてよかったよ」


「キュルルル!!」




 僕が頭を撫でると、やはりリーゼロッテは昨日のように嬉しそうに鳴いた。




「ホントによく懐いてんなぁ・・・・おっと、お二方、街道だ」


「あ、本当だ」




 いつの間にか、ずいぶん歩いていたようだ。


 これで全員無事に帰れると思わず胸をなでおろそうとして・・・




「さて、坊ちゃん。覚悟はいいですかね」


「え?」




 突然ジョージさんはそんな不穏なセリフを口にしたのだった。










 街道を歩いて町に入ったとき、まず現れたのは母さんだった。母さんは走ってくると僕に思いっきり張り手をかました。「心配かけさせんな!! おかえり!!」と言って。そして、リーゼロッテが牙をむくよりも早く僕を抱きしめてくれた。一緒に来ていたヘレナさんも頭を撫でてくれた。「よく帰ってきてくれたねぇ・・・・よかったよぉ」と言いながら。僕が帰ってこなかったのは町の人たちに広まっていたらしく、会う人会う人が僕を見て安心したような顔をしていた。


 その後、母さんはリーゼロッテに興味津々な様子でぺたぺたと鱗に触ったりしていたが、リーゼロッテはなぜか抵抗しなかった。匂いとかで僕の母だとわかったのだろうか。ともかく、竜を見て驚く町の人々にジョージさんともども説明をしながら歩き、家の前まで来たのだが・・・




 悪魔の石像




 家の門の前にいる人物を見たときに、そんな感想が心に浮かんだ。




「申し開きを聞いてやる」




 石像のようにピクリとも動かなかった男、僕の父、アインシュ・フォン・シークラントはそう言った。








「アナタ・・・・」


「カズミ、私はデュアルディオに話している。今は少し静かにしていてくれないか」




 どうやら父上は本気で怒っているようだ。いつもならば母さんが何かを言えば渋々身を引くが、今日はそんな気配は微塵も感じない。その声を聞いた瞬間、僕は恐怖で震えて動けなくなった。




「どうした? まさか、己になんの非もないとでも言うつもりか? 流石、町中で噂になるような男は違うな」


「あ・・・」




 町中の噂、町の人たちは皆僕のことを心配してくれたけど、それは裏を返せば、僕が心配をかけるようなことをしたということだ。ジョージさんみたいな家族だけでなく、僕の父上が治める町の民にだ。今更ながら、それに気づいた。


 父上の目は冷え切っていて、まるで自分が真冬の夜にとり残されたような気分になった。僕は朦朧としながらも、震えながらも、何かを言おうとして・・・




「申し訳ございませんでした!! デュアルディオ様が危険な目に会われたのも、町人に無用な心配をかけたのも、すべて私の不手際であります故。何卒、この身にふさわしき罰をお与えください!!」




 ジョージさんが土下座をしていた。こんな真面目な口調のジョージさんは生まれて初めて見る。今度は恐怖ではなく、驚きで動けなかった。




「・・・・なぜお前が謝る?」




 父上が僕から目線を外してそう言った。




「私は以前から、デュアルディオ様がモンスターのいる場所に通っているのを存じておりました。しかし、私が陰ながら護衛に付いていれば、デュアルディオ様の実力ならば問題はないと勝手に判断し、報告をいたしませんでした。此度の件も、私が事前に止めていれば、ここまでの事態にはならなかったと・・」


「あんた・・・」




 ヘレナさんが、呆けたようにそう言うのが聞こえた。




「・・・・面を上げろ。お前の言い分はわかった。確かに、お前の行いにも非はあるだろう。だが、今私が問うているのはデュアルディオだ。お前への沙汰はその後だ。今は黙っていろ」


「・・・はっ!! 差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」




 父上はそれを見て頷くと、改めて僕の方を見た。




「それで? 貴様はジョージのこの姿を見て一言もなしか?」




 その言葉は僕の心に突き刺さった。言葉が突き刺さった後、僕の頭はサァッと血が下がったかのように冷え切って、体は炎にあぶられたかのように熱くなった。自分への怒りと・・・恥だ。ジョージさんに土下座までさせて、あんな口調で謝罪までさせて、お前は何もなしか、このクズが。




「申し訳ありませんでした」




 僕も土下座をした。手が、足が、額が地面にこすれたが、気にもならなかった。




「勘違いをするな。私は謝れと言ったのではない。申し開きを聞いてやると言ったんだ」




 父上の顔は見えないが、声は先ほどから冷たいままだ。




「私から言い訳をすることはありません。私自身の勝手な正義感に従って、実力を過信し、後先も顧みずに一人でモンスター退治に行きました」




 僕はそう答えた。




「そうか。・・・貴様が騎士だったのなら降格か除籍だな。騎士にとって、事前の申し出もなく、単独で己の分を超えた行動をとることほど愚かで迷惑なことはない。たとえ、一人で野たれ死んだとしても、その行動は己が属する集団の面子を潰す行いだ。救援のために仲間まで巻き込んだのならそれより下はないぞ。今回の貴様のようにな」


「はい・・・」




 僕はそれしか言えない。さっきから怖くて、情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて涙が止まらないが、震えた声になっていないのかが心配だ。




「デュアルディオ、貴様は騎士ではない。しかし、貴様は、我々は貴族なのだ。このシークラントに住まう民の血と汗の対価を掠めて生きている貴族なのだ。そんな我々がどうして民から放逐されないのか、わかるか?」


「責任・・・ですか?」




 僕は父上に教わったことを答えた。




「頭でわかっていても、実践できねば何の意味もないが、その通りだ。我々がそうして生きているのは、この地になにかが起きたとき、皆の責任をとるためだ。さて、貴族の末席に名を連ねる私の息子であるお前には、はなはだ不相応だが、その責任を負う権利と義務がある。その責任の重さも考えず、命を失いかねないような真似をした貴様にな」


「はい」




 責任、それは父上が日ごろから常々言い聞かせてきたことだった。頭ではわかっているつもりだった。しかし、昨日僕がゴブリンの包囲から逃げ出せなかったらどうなっていただろうか。僕が死んだら、この土地は、シークラントはどうなってしまうのだろうか。ここを治める貴族がいなくなったら、ここに生きる民はどうなるのだろうか。




「さあ、貴様はどうする? 己の浅はかな考えで、民に余計な不安を抱かせたことを、どうやって挽回する? 貴族の面子を潰しかけた貴様は、どうやって私の信頼を回復する?」


「僕は・・・」




 騎士になるのを諦めます。そう言おうとした。騎士を目指さずに、屋敷の中で領主になるための勉強を続けていれば、自分が死ぬことはない。ひいては、責任のありかも失われることはないのだから。


 僕はそう言おうとして・・・




「キュルルルル!!」


「む・・・」




 赤い竜の足音が聞こえた。赤い竜の声が聞こえた。それに戸惑うような父上の声が聞こえた。




「竜・・・その碧玉の瞳・・・・まさか」




 父上が小さく、本当に小さく何かをつぶやく声がかろうじて聞こえた。




「面を上げろ、デュアルディオ。 そして、この竜と貴様との間に起きたことを嘘偽りなく、詳らかに話せ」


「はい・・・」




 僕はジョージさんに言ったように、昨日会ったことを話した。嘘は何もついていない。知られて困るようなことは何一つないからだ。




「ふむ、なるほど。つまり、貴方はここまで話が大きくなったのは、我々の面子が潰れかけたのは、デュアルディオが貴方に関わったからだということか?」


「キュルル!!」




 父上に問われたリーゼロッテはそうだと言うように鳴いて、頷いた。




「確かに、それも一理あるだろう。 聞けば、ジョージの功もあったとはいえ、自力でモンスターの包囲を抜けたとのことだからな。貴方の治療に関わらなければ、話が大きくなる前に帰ってきていただろうな」


「キュルル!!」




 リーゼロッテはまたも頷いた。




「しかし、それでは遅かれ早かれ、また別の機会に同じようなことが起きていただけだ。デュアルディオの根元の部分が変わらなければ何の意味も・・・・」


「グルルルル・・・」




 父上が続けようとしたときだった。リーゼロッテが唸りだした。




「旦那様!!」


「リーゼ!?」




 ジョージさんが剣を抜いてリーゼロッテと父上の間に割り込み、僕は思わずリーゼロッテの方に手を伸ばした。




「キュルル・・・」


「む?」




 皆が緊迫する中、突然リーゼロッテが治りかけの翼を畳んで、地面に横になった。父上が訝し気に目を細める中・・・




「「「な・・・」」」




 驚いて声を出したのは誰だったか、僕か、ジョージさんか、父上か、あるいは全員か。それほどまでに信じられなかった。




「キュルルルルル!!」




 リーゼロッテが、プライドが高い竜が腹を見せて地面に転がったのだ。まるで自分よりも強い生き物に媚びる犬のように。




「なんの真似だ!! 一体なぜそこまで・・・・」


「キュルルルル!!」




 父上以外が呆気にとられる中、珍しく声を荒げて父上が問えど、リーゼロッテは動かなかった。


 父上もしばらくそんなリーゼロッテを見ていたが・・・




「はぁ」




 急に力を抜いたようにため息をつくと、僕の方を向いた。ジョージさんが剣を下げて父上の横に控え、父上の顔が見えた。その目からは、先ほどまでの凄みや冷たさが消えていた。




「デュアルディオ」


「は、はい!?」




 僕は先ほどまでの驚きが消えずに声が裏返ってしまったが、なんとか返事をした。




「お前が軽率にやったことは確かに問題だった。しかし、同時に結果も残した。竜をあのまま放置していれば最悪の事態が起きた可能性もあるし、ここまで人間に協力的な竜を町に連れてきたことは、我が領地にとって大きなプラスだ」


「は、はあ」




 突然の流れの変化に耐えられず、今度は間抜けな声が出た。父上は、今度は地面に寝っ転がったままのリーゼロッテに目を向けると言った。




「あなたが主張したように、町中に此度の話が伝わったのには、貴方が関わったことが大きい。よって、貴方にはその責任を取って、今後はデュアルディオの護衛についてもらいたい。もし聞き入れてもらえるのならば、起き上がってくれないか?」


「ええ!?」


「キュルルルル!!」




 僕が驚愕する前で、リーゼロッテは待ってましたとばかりに素早く起き上がった。


 それを見て、父上はもう一度僕の方を見た。




「私、シンクレット領主のアインズ・フォン・シークラントは、このように、竜の協力を取り付けるために大きく貢献した功を鑑みて、デュアルディオ・フォン・シークラントおよびジョージ・バークの行いをすべて不問とする」


「ええ!?」


「俺もですかい!?」




 僕も何回目になるか分からないくらい驚いたが、ジョージさんも素に戻っていた。




「聞こえなかったか? 二度は言わんぞ。竜という非常に強力な戦力を我が領地を招いたのだ。その功は認めねばなるまい」


「えっと・・?」


「あ、ありがとうごぜぇます!!」




 僕の理解がいまいち追いつかない内に、ジョージさんは父上に頭を下げた。




「不問にすると言っただろう。お前が止めなかったからこそ、竜がここにいるのだ。それに、近々お前たちを筆頭に、町の自警団にあの辺りの調査をやってもらうつもりだったからな。手間と賃金が省けた」


「え!? お前たちって、僕も!?」




 今、「お前たち」と複数形で言わなかったか?




「・・・・まあ、お前の実力も認めてはいる。特化型というのもあるのだろうが、中級魔法や魔技を使える者はこのような辺境では貴重だからな」




 い、意外だ。まさか、父上からそんな風に評価されていただなんて・・・




「デュアルディオ」


「は、はい!!」




 父上は僕の目を見て言った。




「お前にはその年に見合わぬ、優れた力がある。驕るのも、お前ぐらいの年ならば仕方あるまい」


「はい・・・」




 そうだ、確かに僕は驕っていた。魔技を使えるからといって、中級魔法で群れに大打撃を与えたからと言って・・・




「だがな、どこまで行ってもお前は責任を背負うべき立場になる貴族なのだ。自らの背負うことになるものを常に考えろ。此度の件を振り返り、自分の重さと価値を知り、己を優先して守れ。どうしたら、自らの責任と己の欲求を安全に両立できるかに全力を注げ」


「はい!!」




 僕は腹の底から返事をした。今回のことで分かった。僕の、シークラント家の息子という意味が。僕は、この家に生まれた義務として、自分の価値と自分が背負うものを理解しなければならない。




「・・・・騎士になる云々は置いておくにしても、お前がこの土地を守ろうとするのは、貴族としても、親としても喜ばしいことだ。だから、それを止めるななどとは言わん。その代り、死ぬな、なるべく傷つくな、危険を避けろ。・・・せっかく強い力を持っている上に、この上ない護衛も雇ったのだからな。頼んだぞ、竜、いや、リーゼロッテ殿」


「はい!!」


「キュルルル!!」




 僕とリーゼロッテはそろって返事をした。




「よろしい。それと、後で街の住人に謝りに行け。お前がいなくなったと知って、夜中まで辺りの捜索をしていたからな。今後は二度とこんなことがないよう注意せよ。どこか危険な場所に行くのなら、リーゼロッテ殿を連れた上で、きちんと私の許可を取れ。私も頭ごなしに却下するつもりはないからな」


「はい」




 許可か・・・父上はああ言っているが、本当だろうか。いや、こんな場面で嘘をつくような人ではないか。




「おいおい、旦那様、リーゼを連れてけってことは、俺はお役御免ですかい?」


「ふざけるな。お前にも、もちろんまだまだ働いてもらうぞ。愚息は猪武者の上に、我が領地は慢性的な人手不足だからな」


「まったく人使いの粗い旦那だ」


「おい、爺さん、さっきまでと言ってることが違うんじゃないかい」




 どうやら、ジョージさんとヘレナさんも元の調子に戻ったようだ。




「アナタ、それじゃあ・・・」


「ああ、これで、第一回シークラント家緊急家族会議を閉会する。解散」




 父上がそう言ったことで、我が家の玄関先で突如繰り広げられた会議は終わった。


 父上はジョージさんとヘレナさんを伴って家の中に入っていった。僕も続こうとして・・




「よし、それじゃあデュオ、あんたはすぐに服を脱いで風呂入ってきなさい。血がすごくついてるわよ」


「え、ああ、そうだね」




 そういやあ、恰好のことをほとんど忘れていた。僕の服は血まみれになっていた。僕の血も付いているだろうが、ほとんどはリーゼロッテの血だ。




「グオゥ!?」




 何に反応したのか、リーゼロッテがこちらをガン見していたが・・・・




「その間、私はリーゼちゃんを洗うわ。あなたも血まみれだものね。女の子ならいつまでもそんなのは嫌でしょ?」


「キュ、キュル?」




 すごい剣幕でリーゼロッテに迫る母さんに、竜のリーゼロッテはタジタジになっていた。


 その後、庭の水道で、たびたびリーゼロッテを洗おうとする母さんと、逃げるリーゼロッテが目撃されるようになった。










「そんなことがあって、リーゼはシークラント家の家族になったんです」


「な、長いですね・・」


「あ、すいません」


「いえいえ、私も楽しかったですから。・・・過去のデュオさんのこと、また教えてもらえました」




 いけないいけない、つい語りすぎてしまった。


 リーゼロッテとの思いでは語り切れないほどあるが、やはり出会ったときの話が一番感慨深い。父上にあんなに怒られたのも初めてだったのもあるだろう。




「あのときは本当に怖かった」


「あはは・・でも、アインシュ様は本当にマジメな方なんですね。貴族の不祥事なんてよくあることだと思っていたのですが」


「そうですね。本当にクソ真面目としかいいようのない人ですよ」




 たまにジョージさんから、「旦那様にいろいろ似てきたねぇ」なんて言われたりするが、正直勘弁してほしい。




「それから、ずっとリーゼさんはシークラントに?」


「そうですね、リーゼがいたから今のシークラントがあるって言ってもいいかもしれません」




 あれからさらにモンスターの発生が多発したが、竜のリーゼロッテがいることの効果は大きく、被害は激減したのだ。まず父上がリーゼロッテが来たその日の内に高価な回復薬を使ったらしく、翌日には完全回復していたのだ。それから、リーゼロッテの日課が上空からのパトロールになってモンスターの群れを早期に発見できるようになった。しかも、ゴブリンやオークくらいなら殲滅など朝飯前である。


 まあ、そのうちに自分ひとりで行くのは面倒になったのか、僕が乗らなければ駄々をこねるようになって、僕用の鞍を作ったのだけれども。おかげで、パトロールは僕の日課にもなり、武装して外に行くための許可を簡単にとれるようになった。そういえば、父上が今の剣をくれたのもその頃だったな・・・




「あれ、それじゃあ今は?」


「ああ、そのあたりは大丈夫ですよ」




 僕がいないときは、その辺の鳥のモンスターを脅は・・説得してやらせていたらしく、僕らが王都にいる今は、通常時よりも多くの下僕モンスターにパトロールさせているとのことだ。自警団の練度も上がっていたし、家出の数週間前から、強力なモンスターは僕とリーゼロッテ、ジョージさんであらかた倒してもある。しかし、一部の比較的温厚な下級モンスターをテイムできる人はいるが、竜にも似たようなことができるのは知らなかった。いや、あれはテイムというよりも・・・まあいいか。




「それに魔装は、騎竜の身体能力を上げる効果もあると聞きます。そうすれば、リーゼなら1日でシークラントまで戻れると思います」




 魔装騎士になれたとしても、すぐに専属の資格を手に入れるほどの活躍は早々できないだろう。僕が王都にいる間にシークラントが危機に瀕することは十分に考えられるが、魔装で強化すればすぐに戻れるはずである。それに、一度なることができたのならば、特定地域の地方巡回の任務に回してもらうなどのことは結構融通が効くといったのはレオルさんだ。まあ、融通が効くからこそ、縁もゆかりもないシークラントを巡回に来るような魔装騎士がいないのだろうけど。王都よりも近い位置からならば、日帰りも現実的である。




「1日で、ですか?」


「はい、僕が王都に来るまで、そこそこのペースで3日でしたから」


「・・・・・1日で、デュオさんの故郷に」




 オーシュ王国の法律で、地上の竜車や上空の人間と協力関係にある飛竜の上限スピードは決められているのだ。あんまり速いスピードで空を飛んでいると、上空スピード違反で試験前に捕まっていただろう。


 モンスターの襲撃に応戦するという名目で、かつ魔装騎士ならばそれらの法律は無視できるはずだ。多分。そんなことを計画できるのもリーゼロッテがいるからだが。




「騎士になった後でも、リーゼとはずっとつきあっていくことになるでしょうね」


「・・・・・・」




 本当に、リーゼロッテにはお世話になっているが、僕の方も見捨てられないくらいカッコイイ活躍をしたいものである。




「あの、リーゼさんって、雌、なんですよね?」


「へ? そうですけど?」


「・・・・・・」




 突然シルフィさんはそんなことを聞いてきた。というか、名前でわかりそうなものだが。




「リーゼさん、人間の姿になるとか、ありませんよね?」


「は? いえ。確かにリーゼは変身メタモルフォーゼが使えるけど、流石にソレは」


「あ、あははは、そうですよね・・・何言ってんだろう、私」




 リーゼは変身メタモルフォーゼで翼を生やすなどはできるが、他の生き物になることはできない。


 建国神話に出てくる魔竜じゃあるまいし・・・僕の少し呆れたような気持が伝わったのか、シルフィさんは照れ隠しのように笑った。




「それにしても、本当に長いこと喋ってたような気がします」


「そうですね。こんなに長い間お話しを聞いたのは初めてかもしれません。 あの、喉とか乾いてないですか? 今日は無理ですけど、明日は何か置いておくので・・・」


「いやいや、そんなに気を遣わないでください。 僕が話したくて話したんですから。 こっちとしては、こんなに聞いてくれて嬉しいくらいですよ」


「そうですか・・・」




 本当にシルフィさんは優しいというか、気配りができる人だな。




「さて、それじゃあ、そろそろ帰りますね。 明日はゆっくりするつもりだから、遅めに起きても大丈夫ですけど・・」


「え、もう・・・いえ、そうですね、多分だいぶ時間が経ってるような気がしますけど・・・・明日は、明日も来れますか?」


「えっと・・・断言はできませんけど、明日も僕はいつもの宿で寝るつもりなので、多分・・・」


「そうですか・・・・あの、こんなことをいうのはアレですけど、明日は、明日だけは来てほしいです!!」


「へ? は、はい、頑張ります・・・」




 なんだ? すごい気迫でつい頷いてしまったが・・・明日は何があるんだ?




「そ、それじゃあ、また明日」


「はい・・・・また、明日」




 僕がここ最近のお決まりのセリフを返すと、シルフィさんは気迫を消して霧の向こうで笑ったような気がした。


 僕は、尻の下にあった紙に「スライム」と書きながらそう思ったのだった。










 干し草と生肉や焼肉の匂いがする中、一体の赤い竜が翼を畳んで、藁の上で寝そべっていた。その爪は、今日の昼に主人に付けてもらった青い魔鋼に触れていた。魔鋼は昼間に太陽の光で輝いていたように、今は月明りで煌いていた。竜はうっとりとした視線を魔鋼に向けていたが、不意に、ツルリと魔鋼が爪の間を滑った。




「キュルルル・・・・」




 竜、リーゼロッテは不満げにもう一度爪で撮もうとするが、綺麗な球体の魔鋼はまたも爪の間をすり抜ける。竜は賢いが、その爪は物を優しく撮むのには向いていないのだから仕方ないかもしれない。




「・・・・・・・」




 しかし、リーゼロッテはそうは思わなかった。何度か魔鋼を撮むのに失敗すると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、鼻を鳴らしながら竜舎の中を見回す。


 時刻は丑三つ時。主と共に夕方までスライムを狩って、ほどよく運動した後、屋台で売っていた串焼きを見つめていたら、優しい主がたくさん買い与えてくれたのだ。おかげでこの竜舎に戻ってきた後、すぐに眠りについてしまい、先ほどこんな時間に起きてしまった。そこで、退屈を紛らわせるために魔鋼をじっくりと眺めていたのだが、やはりこの姿・・・ではこういった主からの贈り物を堪能しきれない。今も着けている鞍をもらったときもそうだった。




「キュルルル・・・」




 臭いを嗅ぎ、耳を澄ましてみるが、どうやら、皆寝静まっているようだ。ならば問題ないだろう。




「グオオオオゥ」




 リーゼロッテが小さく唸ると、その体がぼんやりとぶれ始めた。まるで、暑い日に熱せられた石造りの街路のように、ゆらめいて、姿がどんどん崩れていき・・・・




「うん、やっぱり綺麗だなぁ」




 次に瞬間には、竜の姿が消え、代わりに一人の娘の姿があった。娘は満面の笑みを浮かべながら、指でつまんだ瞳と同じ色の魔鋼を優しく撫でる。いつの間にか、竜の身に着けていた首輪が魔鋼ごと娘の手に納まっていた。周りを見ると、竜の鞍も脱ぎ捨てられたかのように転がっていたが、娘は今魔鋼に夢中のようだ。




「フフ、デュオ様からのプレゼント・・・」




 藁の上に寝転がりながら、娘は心の底から幸せそうに魔鋼を見つめる。


 娘の容姿はそんなにおかしなものではなく、むしろ整っている方だろう。肩口まで無造作に伸ばした赤い髪、鼻の頭に薄く残るそばかすがあって少し垢抜けないが、可愛らしい顔をしている。口を開くと白い八重歯が見えた。


 しかし、その恰好は少々普通の娘とはいい難い。娘の中々に豊かな肢体を包むのは丈の長いメイド服だ。メイド服だけならば貴族の別邸もある王都ならばそれなりいるが、娘が着ているものには赤い鱗がびっしりと張り付いていて、まるで鎧のようにも見える。さらに、頭に着けた純白のヘッドドレスは山羊の角のように背中側にねじれた突起があり、こちらは兜のように見えた。




「今日のデュオ様もカッコよかったな・・・」




 魔鋼を手のひらで包んで、娘は今日も己の主に思いをはせる。新調した槍を手に、出くわすスライムを華麗に、一突きで倒してしまった。まあ、娘からすれば、主ならばその程度ができるのは当然なのだけれども。


 今日はジャイアントスライムのようなそこそこの獲物は出てこなかったから自分は見ているだけだったが、次はもっと、もっとお役に立ちたい、褒めてもらいたいという想いが湧き上がってくる。今日自分がやったことなど、主を乗せて飛んだことと、毒をまき散らすキノコを何匹か焼き払ったこと、そして、昨日のように主がせっせと集めたスライムの核を運んだことくらいだ。




「・・・・・やっぱりあの核も渡すのかな、シルフィってヤツに」




 それまで笑顔だった娘の顔から、フッと表情が抜け落ちた。


 昨日、今日の主がスライムの核を集めているときの「声」がよみがえる。最近主が寝静まってから会うという雌のことを考えていた。娘にとって、それはひどく気に入らないことだった。思い出すだけで苛立ちがぶり返す。




「ぽっと出のくせに、デュオ様から贈り物をもらうなんて・・・それも、デュオ様にわざわざ狩りまでさせるなんて」




 一体何様のつもりだ。


 気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない




 娘の手に青筋が浮かび、思いっきり拳を握りしめようとしたが、手の中の魔鋼の感触で我に返る。




「デュオ様にスライム狩りなんて下働きさせたのはムカつくけど、所詮は訓練のついでだものね。渡す物も、魔法の練習台だって言ってたし・・・」




 手を開いて魔鋼を見つめていると、娘の顔に笑顔が戻った。


 あのスライムの核を集めるときは自分もいたし、集めた核を運んだのも自分だ。これはもう、主が贈ったのではなく、自分と主が一緒にプレゼントを選んだと言ってもいいのではないだろうか。主はとてもとても優しい人間だ。「声」が聞こえる自分は、その優しい主がどういう経緯で会ったばかりの雌にお節介を焼いたのかを知っている。まったく仕方のない人だ。




「これは、この魔道具は、あたしのことを想って買ってくれたモノ・・・」




 ご機嫌取りだとか、従者たる自分の強化のためだとかいう目的もあったようだが、主がこの魔道具を着けてくれたとき、そこには確かに自分に対する慈しみがあった。それは竜である自分に向けた物なのだろうけども、そうした感情があるのははっきりわかった。


 そう思うと、娘の中の贈り物云々の憤りも消えていった。まあ、主に仕える身の自分に、元より賢しらに主の行いをどうこうする資格はない。だから、そのことで怒っても意味なんてない。娘はそう結論付けた。


 青い魔鋼を優しく指で撫でる。




「いつか、いつか、この姿で・・・・」




 主の父親と、他ならぬ主のためを思って交わした約定で、娘は今の姿を見せることはできない。それは娘自身のためでもあるが、一番は、この姿を見せることが恐らく主のためにならないからだ。少なくとも、主が一人前になるまでは。




「寝よ・・・」




 明日、いや今日は主はゆっくりするつもりだと言っていたが、いつ自分の力が必要になるか分からない。ならば、自分はいついかなる時も動けるようにするだけだ。他ならぬ主のために。


 娘、リーゼロッテは魔鋼を最後にもう一度撫でてから、目をつぶった。




「キュルルル」




 リーゼロッテが揺らぐと、その姿は元の竜のソレに戻っていた。不思議なことに、さっきまで手の中にあった首輪や脱ぎ散らかされたような鞍も元の位置に嵌っていた。




「キュル」




 自分の姿を一通り見て、最後に首輪に付いた魔鋼がちゃんとあるのを見てから、リーゼロッテは再び眠りについた。この日、リーゼロッテが竜から娘に、娘から竜になったのを知る者は誰もいない。

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