第12話

 目覚めは最悪であった。しかし、それは考えてみれば当たり前である。あんな夢をまじまじと見せられて快眠できる方がどうかしている。しかし、予想に反して、僕はかなりの時間をベッドの上で過ごしていたらしく、時刻は午前七時であった。陽は完全に上っており、メイがもう眠りについているであろうことは容易に想像ができた。

 お墓参りに行かなければならない。僕はそのためだけに、この世で無駄に長らえてきたのだから。そう思って、僕はベッドから起き上がり、私服に着替えた。そして、ドアを開いて共有スペースであるリビングへ入った。


 そこにはメイト・エヌス・ホップがいた。――木製の椅子に座っていた。

 彼女の右方から、陽の光がのびている。あと少しで、光に当たってしまうというのに、彼女はたいしたことないものように、そちらには目も向けず、ただただこちらを見ていた。

 例外という言葉が頭に浮かんだ。

 神主でありながら心霊を視ることができる彼のように、彼女もまた吸血鬼でありながら陽の光を苦にしないのかもしれなかった。

 身長的に、彼女は僕を見上げるしかないのだが、足を組みながら向けられるそれは、僕を萎縮させるに足るものだった。

 あまりに予想外な出来事に身体が硬直してしまう。


「……陽が上っているけど、君は大丈夫なのか?」


 ようやく絞り出したことはそんなものだった。対して彼女は肯定どころか否定もしなかった。

 ただ一言。

 僕の思考をさらなる混迷に誘うような一言を放った。


「お前――金腐川進に私を殺す名誉をあげましょう」


 静寂の中、いまだ治まる気がしない耳鳴りが僕の頭の中でキーンと甲高い音を鳴らした。

白シャツに黒いマント、下手したらマントよりも濃い黒いロングスカートを着てソファーで足を組みながら座っている彼女は、吸い込まれるような紅い瞳を歪ませながら笑っていた。反射した光が彼女の銀髪にあたり、キラキラと輝いている。

 僕達が初めて会った時の、彼女のあの尊大な態度が否応なしに思い出される。もっとも、あの時は全くもって締まらない格好であったが、今の彼女は不思議なくらい様になっていた。

 メイト・エヌス・ホップ。――飛び越えるN番目の相棒。

 意味の分からない名前だが、この時ばかりは変に何かを含んだ名前のように思われた。

 そんなことを考えていた僕だけれど、いや、そんな言ってしまえばどうでもいいことを考えていたからこそ分かりそうなものだけれど、この時、僕は酷く困惑した。彼女の言っていることの意味が分からないというのが正直なところだった。下手したら、彼女の名前よりも意味の分からない発言だったのだ、あれは。

 私を殺す名誉をやろう、だなんて。むしろ、メイが僕を殺す立場だというのに。

 どういう意味か訊いた。


「どういう意味も何も言葉通り。お前に私を、この吸血鬼を殺すチャンスを与えようと言ったのよ」

「いや、だから、それが意味分からないんだ。君は僕を食べるんじゃなかったのか? 僕を食べるためにここしばらく一緒にいたんじゃないのか!?」


 このままでは堂々巡りに陥りそうだと危惧した僕は、少し語調を強めて再び問いただした。メイは肩を少しすくめて、呆れたように答える。


「どうして、私がお前を食べなければならない? どこにそんな強制力があるの?」

「そんなの僕には知らないけれど、生きるためじゃないのか? 食料が無くて困っているんだろ。なら僕のを飲んでおけよ」

「私がなんて言ったか、覚えてる? 不味そうだし、腐ってそうだから要らないって言ったよね? いえ、そもそも、私はここには着いてきたけれど、別にお前を殺すだとか、それどころか血を飲んでやるということでさえ、一言も言っていないのよ」


 僕は食いつくようにして反論したけれど、彼女はそんなの何処吹く風といわんばかりに一蹴した。取り付く島も無かった。


「分かった? 私はお前なんかを喰う気なんてさらさらないのよ」

「……じゃあ、どうしてここまで付いてきたんだ? どうして、ずっと食べるつもりが無いことを黙っていたんだ!?」

「そんなの、あの時のお前の精神状態で、私が喰わないといったらどうなるかぐらい想像がついたからに決まっている。断言しましょう。間違いなくお前は私を置いていった。それだと、困るの。非常に困るんだ」


 誰も私を殺してくれなくなってしまうから。


「……どうして、君はそんなに死にたがるんだ? どうして――」


 僕に殺してほしがるんだ? という言葉を遮ってメイは告白を始めた。それは、前もって何らかの原稿が用意されていたかのごとく、すらすらと彼女の口から紡がれた。


「私はもう、人を喰いたくないの。人を喰って、血を飲んでそいつらがどういう人間だったか知りたくない。誰が言ったか、血は命の通貨。だから、血を飲めばそいつの記憶まで私の中に入ってくるの。そして、その度に思うんだ。

 ああ、私はまた死んだんだって」


 人間の細胞が七年間で全て入れ替わるが、その時、七年前の僕と今の僕は別人であるという類いの話だろうか? いや、それ以前に今この瞬間も、例えば呼吸などで身体を構成する物質が入れ替わっているという話だろうか。

 僕の感想を訊き、彼女は少し考える仕草を見せた。その姿はどこか、見覚えがある。心の底から滲み出てくる僕の疑念に彼女は言葉をつなげることでふたをした。


「違う。人間のそれと吸血鬼のそれは全然違う。だって、吸血鬼は循環しないんだから。吸収はするけれど排出はしない。人間の場合は流れる川のように常に変化していく。急速な変化はその個体に自分が変化しているという意識を希薄にさせるの。でも、吸血鬼はそうは行かない。何せ、人間が川だとすれば、吸血鬼はさながら溜め池みたいなものだから。最初にあった私という存在は次々とやってくる、血液によって薄まっていくの。どんどん消えていく。でも、どれだけ薄めようが私はそこにいる。だから、死んでいくという自覚がある! やがて、その池は許容量を超え、ドロドロとしたものがそこから溢れ、そして私は死にたくなったの」

 だから、私を殺して。


「……で、でも、それだと僕が死ねなくなるじゃないか!」

「代わりにこれから私が喰うはずだった人間が生き残るわ。少なくとも、お前一人の死よりは有意義だと思うけれど」

「じゃあ、かってに死んでくれ! 僕は人殺しになりたくはない」

「私に殺させようとしたくせに、よくそんな言葉を吐けるね」


 その通りだったので、僕は言葉に詰まった。

 確かに、彼女を殺せば向こう数十、下手をしたら数百、数千人もの命を助け出せるかもしれない。しかし、そんな見ず知らずの人とのために、自分の目的を放棄できるほど僕は心優しくはないのだ。


「……どんなことを言ったとしても、僕は君を殺す気がない。殺さない」


 彼女はここで溜息を吐いたが、次の瞬間にはそんなことなどしていないかのように、笑った。悪趣味にも嗤ったのだ。



「私がお前の大切な人を殺していたとしても? ……確か、哀川明子だったかな?」

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