第6話

 僕が付き合っていた彼女。あ、でも、結局結婚したわけだから、嫁だった人と言った方がいいかもしれない。ともかく、彼女と出会ったのは、僕が大学二回生の時であった。


 彼女――哀川明子は当時、同大学の三回生であった。

 知り合ったきっかけは同じサークルに所属していたからである。もっとも、どんなものに所属していたかなど、話の本筋に関わらないないため捨象しておくが。

 話し始めたきっかけは名前であったと思う。もともと時間にルーズな人達しかいなかったサークルということもあって、一時間程度彼、彼女らを二人っきりで待っていた時があった。そういうこともあって、名前を話題に話をしたのだ。


「ふーん。貴方の名前って金腐川進かなくさりがわすすむって言うんだ。同じ川同士だね」

「……先輩は、哀川明子あいかわあきこって言うんでしたよね? 確かに、同じ漢字が――」

「違うよ。私の名前はあきこって言うんじゃないよ!」


 ここから、彼女の名前を当てるクイズが始まった。

『あかこ』『あきらこ』『めいこ』『あかし』『あきし』『めいし』等、僕は思いつく限りの名前を挙げたが、どれも違っていた。結局、なかなか当てられない僕にしびれを切らしたのか、彼女はこんなヒントを出した。


「十二支と、赤色。これ以上ないヒントだからね、これ」

「ああ、なるほど。それで『あかね』って読むんですか!」


 僕が知る名前の中で一番印象的である、中学と高校(正確には高校の一年で転校してしまった)の同級生だった、霧雨雪雫きりさめゆきなの次に難解な名前であった。


「かなり面白い読み方でしょ? 私の高校の時の後輩の崩月朋期ほうづきともきって子よりは、変じゃないけど、私のもなかなかだと思うんだ。それこそ字面上は何の輝きも見せないけれど、読みと会わせると途端にキラキラと光り出すのよ」


 臆面もなく、自分の名前をキラキラネームだと認め、その上、他人に紹介する人を僕はこの時初めて見た。しかし、あまり名前にこだわりがなかった僕は、コミュ症と何か痛々しいモノを併発していた僕は、拗らせるあまり分かったつもりでこう言ったのだった。


「でも、名前よりも、その人の人格とかの方が面白いですよね? 接していて面白いです」


 数行前の言葉を思い返してみよう。僕はこの当時、コミュ症である。……その状況下でこれとは正直笑えてくる。主に、失笑の方であるが。

 しかし、彼女はそれに対して笑うでもなく、よく分からない反論に気分を損ねるでもなく、こう切り返した。


「そうだね。名前よりも、人格の方が観てて面白いよね、うん。でも、その性格は往々にして名前に引きずられるものよ。ほら、名は体を表すってよく言うじゃない。名前は嘘は吐かない。確かにだまそうとするようなものもあるけれど、それは少し考えれば、答にたどり着けるようなレベルのもの」

「そんなモノですかね、もっと複雑な気もしますけれど」

「そうね。例えば、私の後輩である崩月朋期って子はかなり運が強かった。それこそ、イベントがあれば抽選で何らかの景品は必ずもらってた。最後には、なんかこれまた珍妙な名前の転校生を彼女にしていたしね」

「崩月朋期――月がいっぱいある――付きがある――幸運、ということですか? まるで親父ギャグですね。強引にも程があるような気がします」

「ははは! まあ、そうだけど、でも、お前――じゃなくて、貴方の周りにもそんな感じの子いなかった?」


 思い浮かべたのは、霧雨雪雫の名前。なるほど、確かに雨がたくさん降っているかのようによく泣く子であった。


「そりゃあ、いますけど。だからって、無理矢理感が否めません。第一、僕の名前なんて僕の生き方と矛盾している。『進む』だなんて。僕はどちらかというと、後ろを向いてます!」

「うん、それは胸を張って言うことではないよ? でも、その発言的にお前――貴方の考え方は……ごめん、面倒くさくなってきたから、汚い言葉遣いだけど、お前って呼んでもいい? うん、ありがと。これで少し話しやすくなったよ。ともかく、お前の考え方が後ろ向きだと言うことは分かったよ」


 でも。と彼女は言って、僕の両肩を掴んだ。


「それはお前の一つの側面に過ぎないよ。そもそも、進むって言うこと自体、曖昧だしね。前か後ろのどっちに進むかわからないよ、これじゃあ。だから、もしも、お前が前に進みたいっていうのなら、私が道を示してあげようか? ――この、夕暮れのような『茜』色で」


 明子はそう言って僕に微笑んだ。それは眩しくキラキラ光っていたように見えた。僕はその表情に捉えられてしまったがごとく、彼女をただただ見た。朝日でも、昼間の陽の光でもなく、夕暮れの光だからこそ僕は彼女から目を離さずにいれた。

 結局、彼女が僕の両肩を解放して、


「まあ、全部冗談だけどね。――それこそ、嘘だけどね」


 と言うまで、彼女の瞳から目をそらせなかった。

 後から聞いた話ではあるが、彼女が名前にこだわった理由として、高校の時に、友達と一緒に小説を書いていたことが理由らしい。曰く、小説を書くんなら、そいつの個性を表した名前にするべき、だそうだ。ちなみに、その論は当時の友達達によって完膚なきまでに反論されたらしい。


 そして、僕が彼女を確かに意識し始めた瞬間であった。


 ちなみに、僕が完全に彼女に恋心を見いだし、同時に告白するのは、もう少し先の、四月のことである。当時が一二月だから、この時から四ヶ月後の時である。

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