第8話 忘れた夢の王子様

 《王子様に接する時の注意事項まとめ》


 紙の一番上に、なかなかの達筆で書き記された文字。

 できばえを満足そうに眺めたリュンヌは、いそいそと自室の壁に貼り付けた。


「“その一、王子様には屋内外問わず、常に外套をつけていてもらう”……ちょっと気の毒だけど、しかたないものね、掃除が手間だから。……“その二、王子様に不意打ちをしかけて脅かしたりしてはいけない”……いいわね、ランたん? 物陰から急に飛び出したりなんかして、脅かしちゃ駄目よ? 埋まりたくないでしょう?」


 屋敷が灰まみれになると釘を刺せば、就寝用の籠の中で丸くなっていたカボチャお化けが、おざなりに細い手を振る。

 それを了承の返事と受け止め、リュンヌは次の事項に目を走らせた。前の二つよりも強調するために、太字で書いたその内容は……。


「“その三、王子様に冗談を言うべからず!”……絶対厳守よ。これは、下手をすれば王子様や私の命に関わるから……!」


 魔女ちゃんなんて、馬鹿正直に呼んでくれたカルケル。

 だが、その後の惨状はいかんともしがたい。

 今回は、たまたま本人が埋まった。だが、次は自分かもしれないし、あるいは二人揃って灰の中かもしれない……。そう考えると、ぞっとする。


(駄目駄目駄目、そんなの、絶対駄目……!)


 なんだか怖いと、リュンヌは自身の両腕をさする。

 あの王子様と二人灰に埋もれる、想像すると頭の中が真っ白になって得体の知れない恐怖感がこみ上げてくる。


「絶対に守らないと……。ランたんも、守ってね! ……ランたん? ……ねぇ、ランたんってば……!」

 

 振り返れば、カボチャお化けのくり抜きの中にある灯が、消えていた。これは、ランたんの活動が休止した事を意味する。

 つまり、完全に眠ってしまったのだ。こうなると、普通の人間と同じだ。熟睡している者がそうであるように、何を聞いたとしても、おざなりな返事すら返さない。

 リュンヌは「薄情者~」と小さく呻くと、自分も就寝の準備にかかった。


(王子様は、ちゃんと眠れるかな……)


 同じ屋敷の客室で眠っているだろう、真っ白な王子様を思い返しリュンヌは無意識に口元を緩めた。


(また明日、王子様。……おやすみなさい)


 ろうそくの火を吹き消して、真っ暗になった部屋。

 リュンヌは寝台に入ると、目を閉じた。

 色々な事があったせいで、体は疲れていたのか、睡魔はすぐに訪れてリュンヌを夢の世界へ運んでいった――。



 ◆◆◆


 

 あたたかな陽の光をたっぷりと感じられる庭園に、幼いリュンヌはたたずんでいた。


『ほら、こっちだよ』

 

 目の前にある大きな木に登った少年が、上がっておいでと手を差し伸べてくる。


『こっちだよ、魔女ちゃん。はやく』


 きらきらした金色の髪に、空と湖を混ぜ込んだような、とても綺麗な青色の目の男の子だ。

 外の世界が怖くて仕方がなかったリュンヌは、男の子の誘いにも震えて首を横に振る。

 ほんとうは、そんな事してはいけないと分かっていたけれど、未知なるものは全て怖かった。――自分に手を差し伸べ、知らない世界を見せようとするこの少年も、例外なく。

 

 けれど、リュンヌが嫌だと断っても、彼は怒らなかった。

 不思議な面持ちでリュンヌを見つめると、彼はさっきよりももっともっと優しい声と笑顔で、リュンヌにて手を差し伸べた。


『怖くないから……ねぇ、おいで?』


 彼の笑顔と声に誘われ、外の世界が怖くて仕方が無かったリュンヌは、この時初めて自分から一歩踏み出し、“誰か”の手を取った。

 木に登って見た景色は、とてもとても広く、今まで見たことがないくらい綺麗だった。

 自分に新しい世界を見せてくれた少年に、幼いリュンヌは心を開いて、よく懐いた。


 ――それが恋と知らず。それが罪とも知らず。

 くすんだ世界に埋められたその時まで、何も知らないまま少年のそばにいて……、そしてリュンヌは、全てを忘れた。


『忘れなさい』


 それが祖母の判断だった。


『もう、会わせない方が良いわ』


 それが、かつて魔女に救われた女の判断だった。


『思い合う二人が一緒にいると、必ず不幸になる』


 だから、幼く無力な貴方達は、一緒にいない方がいい――子供達を愛しく思う大人達は、二人の気持ちを置き去りにしたまま、決めてしまった。


 だから、リュンヌは何も覚えていない。同時に、彼女の罪は、消えないままだ。

 ――忘れた恋心とともに、今も眠っている。

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