鳳凰の丘に昇る

@moeko1995

第1話 養父と少年

この世界には神が存在する。神は手始めに空間と海を創った。それだけではまだ物足りなかった為、大地を創造した。それに伴って動物を、そして最後に人と魔を創った。

これらを成し遂げようやく神は満足げに笑ったという。



ここは人と魔が共存する世界。大陸は果てしなく広く、海は真珠を散りばめたように輝いている。


神の決めた9人の大王だいおうが地を治め、4人の海王かいおうが海に浮かぶ島々を治めることで世界は秩序を保った。


もっとも世界を築いたとされる神を拝見した者はこの時代には滅多に無く、民達にとってそれらは文献や大人たちの口によって語り継がれる伝説でしかない。



そんな世界にひとつの小さな小さな生命は産み落とされた。


大国、玲神国れいしんこくで生まれた赤子は親の顔も分からない内に捨てられ、海に木製の小箱に入れられ流された。その時点で彼は死ぬはずだった。海の上を永久に漂い誰からも知れられる事無く。


運命とでも言うのだろうか。赤子はある人物によって救い出されてしまった。その者は人里を捨てた世捨て人だった。


そして赤子は生を得た。名を貰った。住むところ、着るもの、たったひとつの命を。


運命の赤子の名は濫陽らんよう。世捨て人を月詠げつえいという。


社会の理から外れたふたりは誰にも知られずひっそりと生きる。お互いだけが存在を認め合った。


このときから既にもう彼等の途方もない旅のときは既に始まっていたのかもしれない……。



慧彗けいすい!!」


まだ幼い少年の声が大空を舞った。小さな細い腕を伸ばし自由に空を飛び廻る翼を掴み取ると宙へと上昇する。


孔雀の様な美しい羽根、鷲の様な大きな身体を持つその生き物にきつくしがみ付きながら少年は頬で風を感じた。翼を羽ばたかせるそれは普通の鳥よりも数倍大きく、人間が豆粒ほどに見える。


彼はか細い背中を震わせながら手の甲で目頭を押さえつけた。奇怪な生物を慣れた様子で羽根を優しく撫でる様は愛おしそうに、最後の別れだとでも思いそうなほど悲壮感に溢れていた。


「慧彗、ごめんよ。ずっと一緒に居てあげられなくて。」


奇怪な生き物、慧彗は少年の温い涙を嘴で掬い、喉を鳴らす。


慰めてくれるの、と少年が悲しそうな瞳で問うと鳥は鋭い目じりを垂れてわが子の向かってほほ笑むような優しい表情を見せた。言葉が通じなくても、ふたりがつながっている事が良く分かる。


「濫陽、慧彗。時間だ、降りて来な。」


遠くなった地上からよく通る男の声が届く。空から見下ろす先には、切れ長の意志の強そうな瞳を持ち、がっしりした骨格がたくましい端正な顔立ちをした男がいた。


「月詠……、お願いだよ。慧彗を売らないで……!!」


「駄目だ。」


きっぱりと強い口調で拒まれる。もう一度開きかけた口を固く結んだ。慧彗を見つめ少年は力ない表情を浮かべながら申し訳なさそうな顔を見せて、地上へと戻るように指示をする。


本当は離れたくない、だがそれは言えない。言う事が出来ないのだ、ふたりとも大切だから。


「濫、ごめん。辛い思いをさせて。」


屈み込み状態を低くする慧彗の背から小さな彼を持ち上げ、足を地に付けてあげる。

まだ幼い少年は、聡明そうな瞳の奥では、自分の置かれている状況も、事情も全てを知っている。


彼等は東に浮かぶ大きな島国、槞遥国ろうようこくの下民と呼ばれる最下層の民だ。槞遥国を囲むのは明海めいかいと呼ばれる海域で、そこに面した崖の上に生い茂る深い森林の入り口で暮らす月詠は海上を漂う赤子を見つけた。それが濫陽だった。人など育てられる人間でない事を男は自覚していたが、哀れな赤子を見捨てられなかった。


「俺は慧彗等、妖魔を手懐けて人に慣れさせ、金持ちや武人に売ってやるのが仕事だから……、それでしか生活できない。お前は、慧彗と仲が良かったからな、ごめんよ……。」


首を左右に激しく振り謝罪を述べる養父を否定する。所謂、妖魔の調教師が養父の仕事で何年もかけて妖魔と呼ばれる人畜有害な生き物を育てあげ、一般人でも扱えるようにする事が彼の務めである。


それは常に危険が付きまとう。もともと人に慣れない生き物を調教するには技術、経験、そして何よりも肝が据わってなければならない。その為妖魔の調教師はこの世界に数多く居ない。誰でも成れる、そんな容易なものでないわけだ。


下民の彼であるが妖魔を手懐けられるという事から珍しいものを好む傾向のある金持ちからは希少価値として見られていることは確かであった。


月詠は遠くから少しずつ此方へと地響きが近づいてくるのを感じ取る。慧彗の肢を鎖で繋ぎとめ少年に家へと帰るように促す。背中に友の視線を感じながら、とぼとぼと歩く。


何度も振り返り、その姿が遠くなり始めた所で暫く立ちすくむと、雑念を振り払うかのようにがむしゃらに走りだした。頬を伝った涙は宙に溶けてゆく。


「さよなら、慧彗。」


妖魔の丸い黒目は走り去っていく小さな背中に喉を鳴らし、小さく唸り声をあげ、視線を反らすとともに閉じられた。

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