密室問答 解答編①

 二週間後。コーポ瀧川の北側に面する駐車場には、再び対峙する半間と瀧川さんの姿があった。仏頂面で見下ろすように視線を送る半間に対し、瀧川さんはしわくちゃな顔をよりしわくちゃにしてニヤニヤと粘っこい笑みを浮かべていた。


「では、早速半間君の造った最高の密室を拝ませてもらおうか」


「その前に、ルールを確認しておきたい」半間は余裕の見える表情で「後から文句を言われても困るのでな」


 木田さんの部屋で依頼を受けることを決めた後、半間は貰った名刺に書いてあった瀧川さんの番号に電話をかけた。そして、今回の密室造りを受ける上で半間の方からもいくつかの条件を提示していた。


 まず一つ目は、工事中に瀧川さんが現場へ顔を出さないこと。密室を必死に造っているところを解答者が覗き見ていましたでは、策を仕込みようがない。


 次に、瀧川さんが勝利する条件は『こちらが造った密室を破り、二〇九号室の中に足を踏み入れたと宣言すること』というもの。つまり、瀧川さんには半間が造った密室の打破が求められる。


 一つ目はすんなり了承されたが、二つ目は相当ごねられた。しかし半間に「ミステリー愛好家なのだろう?」と痛いところを突かれたのと、『瀧川さんが密室を破れなくとも、造られた密室が瀧川さんの示した三つの条件に合わない場合はこちらの負けとする』という条件で渋々ではあるものの承諾を貰えた。内心、どうせ自分の出した条件をクリアできる密室など造れるわけがないと踏んでの判断だったのだろうけれど。


 半間が要求したのは、この二つのみ。対する瀧川さんが要求する最高の密室とは、突破に破壊を認めず、防犯設備に頼ることを禁じ、尚且つ住人は不便なく出入りや生活が行えるものであること。


 この難題に半間が見つけ出した解答を、私は大工として二週間で形にした。勝算はあると思う。問題は、この捻くれた大家さんが素直に納得してくれるかどうか。


 互いの条件を確認し終えた二人に私を含めた三人は、コーポ瀧川の東側に位置する階段を上る。階段側が二〇一号室となっているので、目的地はそこから最も遠いところ。木田さんたちの手により白く塗り替えられた通路の突き当たりの壁まで来たところで、瀧川さんはその身を九十度捻った。


「ほほう」


 彼が向き合っているのは、取り替えたばかりの真新しい玄関ドア。左上の壁には、二〇九と部屋番号の書かれたプレートが固定してある。


「こうして見る限り、小細工はしていないように思えるが」


「そう思うなら、開けてみるといい。鍵はかけていないぞ」


 二つ目の条件で防犯設備に頼ることは禁止されているので、瀧川さんが鍵を開けることができなかったとしても私たちの勝ちとはならない。なので、最初から鍵は開けておいた。


 半間に促されても、瀧川さんは警戒してなかなかドアを開けようとしない。


「わかったぞ。ドアハンドルを握ると電流が流れる仕組みだろう!」


「それでは防犯設備に該当してしまう。そんなことはしていない」


「では、ドアの向こうで鈍器を持つ輩を待ち伏せさせているんじゃないか? 儂を気絶させて、二〇九号室に入れなくするつもりだろう!」


「それではアナタを納得させることはできない。それに、警察沙汰はこちらも御免だ」


 思いつく可能性を挙げたことで落ち着いたのか、瀧川さんは意を決してドアハンドルに手をかけた。力を込めて手前に引くとドアは抵抗なく動き、何事もないことを確認すると彼は口元を緩める。


「いいのか? 部屋の中に入ってしまうぞ?」


「好きにするといい」


「風変わりな建築士だというから期待しておったが、がっがりだよ」


 最初から負けを認める気はないが、最高の密室というものに期待していたのは少なからず事実らしく、瀧川さんは失望を老いた顔に滲ませながらドアを一気に開く。


 ――途端に、その表情は驚きへと上書きされた。


「こ、こんにちは」


 挨拶したのは、私でも半間でもない。開け放たれた玄関の向こう側にいた、コーポ瀧川の住人である木田さん。傍らには、息子の航太君もいる。瀧川さんは挨拶を返すこともせず、唖然とした顔を引き連れて靴を脱ぎ部屋の中へと上がり込んだ。そして、ようやく「何だコレは!?」と私たちの望んでいた反応を示す。


 彼が驚くのも当然だろう。なぜなら玄関を開けた直後に現れたのは、存在しないはずである六畳の洋室なのだから。


 瀧川さんは正面に引戸を見つけると、それを乱暴に開く。その先にあるのは改装前と同じ和室――なのだが、広さが二倍になっている。


「……壁を壊して、隣の二〇八号室と繋げたのか!?」


「二階には木田さん親子以外の住人はいないとアナタから聞いていたのでな。遠慮なくぶち抜かせてもらったぞ」


 言って、半間はこれ見よがしにニカリと歯を見せた。


 玄関から向かって、和室は左方向に広くなっている。その広さは、八畳+八畳で十六畳。部屋をくっつけるとなるとキッチン、風呂、トイレが二つずつとなってしまうため、片方を取り払って六畳の洋室へと改装した。そうして広々と使いやすい間取りへと生まれ変わった部屋では、現在木田さんと航太君が伸び伸びと生活を送っている。


 瀧川さんはしばらくの間、生活感の溢れている広い和室を眺めていた。しかし、彼の頭の中で一つの考え方が纏まったのだろう。先ほどまで事あるごとに浮かべていた笑みを取り戻し、半間へ視線を送る。


「お前さんの考えがわかったぞ、半間君」


「ほう。それは是非ともお聞かせ願いたいものだ」


「隣室と結合することで不要となった二〇九号室の玄関は鍵をかけたままにしておくことを前提として、開けるとすぐに洋室という造りにしている。つまり現在、この二〇九号室側へ行くための玄関は二〇八号室のものであると言える。お前さんは、部屋の一体化により二〇九号室は消滅し、二〇八号室に取り込まれたと主張するつもりなのだろう?」


 額に嫌な汗が滲むのを感じた。この改装の目論見は、瀧川さんの言った通り。


 部屋そのものが消失しているのだから、これでは二〇九号室へ侵入したことにはならない。侵入に破壊は必要なく、防犯設備にも頼っていない。そして、住人である木田さんは見ての通り不自由なく普通に出入りして生活を送っている。


 とんちのような解法になっているのは承知の上だが、条件を満たしていることは事実。問題は、この傲慢なお爺さんが納得してくれるかどうかなのだが、


「……ふざけるな! 儂はこんな密室認めんぞっ!」


 案の定、そう上手くはいかないようだった。


「ここを二〇八号室だと言い張るのは勝手だが、大家である儂は認めん! 半間君、お前さん自身が決めた儂の勝利条件は何だった?」


「……こちらが造った密室を破り、二〇九号室の中に足を踏み入れたと宣言すること」


「ならば、望み通り宣言しようではないか。儂は既に二〇九号室にこうして足を踏み入れておる。隣と結合したから部屋番号が消失するなどというのは、そちらの勝手な言い分に過ぎん。この勝負、儂の勝ちだ!」


 声高らかに、反論を許さぬ口調で瀧川さんは宣言する。心のどこかで、私もこの策は彼に通用しないだろうなとは感じていた。結末は、予想通りとも言える。


「それがアナタの結論か?」


 半間が問うと、瀧川さんは「そうだ!」と言い分を変えない。窮地を前にして、半間は――意地悪な笑顔を披露した。


「ありがとう瀧川さん。この勝負、僕たちの勝ちだ」

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