第四話 息苦しい銀色の輪


「……人間嫌いっていうのは、お前のことを言うんだぞ。零」

「言い返すまでに随分時間がかかったじゃないか。その変な癖、大人になっても治らなかったんだ?」


 賑やかなワイドショーをのんびり眺めながら、零がケラケラと笑った。馬鹿にされている気配を背後に感じながら、俺は何とも言えない悔しさに唇を噛んだ。世話になってしまったから、せめて食器くらいは洗おうと言ってしまったのが間違いだった。

 そう。俺は口論になった時、反論出来るまでにどうしても時間をかけて考えてしまう癖がある。今回もそうだ。すぐに違うと、一言でも返せば良かったのに。蛇口から勢いよく流れる水で食器を洗いながら、俺はやけくそ気味に零へ疑問を投げつける。


「そう言う零は、今までに誰かと付き合ったことはあるのかよ」

「無いことも無いけど。全然長続きしなかったなぁ。他人と一緒に居ても窮屈なだけで、何にも楽しくないっていうか。本心が丸見えで、気持ち悪くて駄目だったなぁ」

「本心?」


 洗い物を終えて。俺は冷蔵庫の中にあったミネラルウォーターのペットボトルを一本貰って、零の前に座った。

 テレビの中では、アナウンサーに連れられて若いアイドルと女性のお笑い芸人グループが時折クイズなどをしながら東京の街をぶらついていた。見覚えのある画面の街並みが、いつも以上に霞んで見えてしまう。


「高校生の時に付き合った子がわかりやすかった。僕のことを好きだとか言ってたけど、あれは違うね。周りの雰囲気に流されて、誰かと付き合ってみたくなっただけ。おままごとみたいなものさ。彼氏と付き合う彼女ごっこ。僕は恋人なんかではなく、都合の良い言葉を喋る人形。そんなごっこ遊びに付き合わされるなんて、くだらない」


 笑みを浮かべたまま、吐き捨てるように。なるほど。青春と恋愛では、鷲津零という人間を変えられなかったのか。


「でも、ケーゴはそうじゃなかったんだろ? きみが結婚かぁ、凄いよ」

「だから、俺は何とか――」

「その指輪、会った時からずっと弄ってるけど。サイズが合ってないの? それとも……外したくて堪らないのかな?」


 口角をつり上げて厭らしく零が笑う。無意識だった。指輪を弄っていた右手を慌てて離して膝の上に置くも、完全に手遅れだ。認めるしかない。

 随分大人になったつもりだが、やはり俺も……零と同じなのだ。いや、俺の方がもっと酷い。


「……俺の話、聞いてくれるか?」

「良いよ、暇だしね」

「俺さ、東京の大学出て就職して……上司が紹介してきた人と付き合って、結婚することになったんだ」


 ぽつり、ぽつりと俺は話を始める。相手の名前は伊手いで美里みさと。三つ年下の二十五歳で、特別美人というわけではないが普通に良い人だ。どちらかと言えば大人しくて、優しくて、穏やかな性格。料理が得意で、家事全般が好き。

 父親と同年代の上司が、三十路を前に浮いた話一つ無かった俺にお節介で紹介してきたのが美里さんだった。友人の娘なのだそう。上司の紹介ということで別れ難くて、彼女も二十代半ばという年齢が気になっていたらしく、トントン拍子で話が進んでついには婚約してしまった。


「へえ、良いんじゃない。おめでとー」

「露骨に心が籠ってないな」

「いやいや。僕、これでも素直に凄いなって思ってるよ。きみは僕と違って、他人の気持ちをちゃんと考えられる人だからね。良いと思うよ、結婚」


 今までの意地悪なものとは違う、柔らかな表情を向けられて。誤解されがちだが、零は本音を包み隠すことをしない。良い意味でも、悪い意味でも、だ。

 彼は人の本質を見抜くことに長けている。人物の悪いところも、良いところも同じようにちゃんと見えている。だが、人間は悪いことの方が印象に強く残ってしまう。

 これまで何万人ものファンを感動させたミュージシャンが、女性関係で事件を起こした途端誹謗中傷を浴びせられ呆気なく表舞台から姿を消した。それが大多数の、普通の反応なのだ。

 でも、零は違う。


「きみは僕とは違う。ケーゴはだから、人に対してちゃんと関心を持てている。誰がどうなろうが興味を持てない僕よりも、ずっとマトモさ」


 そうだ、俺は人間が嫌いだ。他人の嫌なところばかり目についてしまい、良いところを見ることが出来ない。自分勝手で、馬鹿馬鹿しくて。くだらない生き物。

 何よりも、そんな人間が周囲に居ないと生きていけない自分自身が一番嫌いだ。零のように切り離すことが出来ない弱さが、『嫌い』なのに『無関心』でいられない自分が嫌で嫌で仕方がない。大人になる上で本心を隠す術は身につけられたが、それでも苦痛を感じないわけがなかった。

 だから、正直今の状況に焦りはない。むしろ、美里さんや他の人達と離れられて清々している。零だけは違う。彼と居ると気楽だ。彼は俺の本質を見抜いているから。

 自分よりも酷い人間を前に安心している俺に気づいていながら、それでも自分自身を取り繕おうとしないから。


「……なあ、零。俺さ、本当は東京に住んでて。昨日、仕事帰りにトラックに撥ねられたんだ。それで、気がついたら土管公園の土管の中で寝てた」


 気がついたら、喋ってしまっていた。あっ、と思った時には遅かった。


「……どういうこと?」


 流石の零でも、怪訝そうに聞き返してきた。しまった。でも、もう遅い。と言うより、何だかもうどうでも良くなってしまった。


「俺にもよくわからない。東京で撥ねられた筈なのに、目を覚ましたら星坂に居たんだ」

「怪我は?」

「腕時計が壊れただけ。俺自身は無傷だよ。あ、スマホも壊れてたな」


 思い出して、俺は再びスマホを取り出して起動させてみる。充電はまだ半分程残っているが、やはり圏外のまま。通信は不能だ。


「へえ、そのスマホ……ちょっと見せてよ」


 差し出される手に、スマホを渡す。設定画面を開いたり、カバーを外して裏面を見てみたり。


「うーん、特に破損しているところは無さそうだけど。機種も、実際に存在してるメーカーのものだし……思い違い、かな」

「どうした?」

「いや。もしかしてケーゴ、異世界転移でもしてきたんじゃないかなって思って」

「異世界……な、なんだそれ?」

「ほらほら。ラノベとかでよくあるじゃないか。トラックに撥ねられて、異世界に転移しちゃうっていう展開。可愛い女の子とか、怖い魔物とか。そういう夢溢れるファンタジーさ」

「はは、何言ってんだか」


 確かに、そういうジャンルが流行っていることくらいは知っている。言われて見れば、シチュエーションは確かに似ているかもしれない。

 でも、ここは異世界なんかじゃなくて星坂だ。俺と、零の故郷なのだ。


「そう……そうだよね。異世界転移なんて、実際にあるわけないよね……」


 俺につられて、力なく笑う零。その時の俺は、零がファンタジー好きだなんて意外だ。その程度にしか考えなかった。


 少し、眠い……。




 

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