第二話 プロローグ〜大岩の壁の上で〜 其ノ二

 携帯用灰皿で煙草の火を消していると、ハルが『おとーさーん!』と言いながら、縄ばしごを登ってきた。


「うわー、今日は風がつよいねぇ」


 俺の隣に立って朝の風を受け、首をすくめてフードを被る。茜岩谷サラサスーンの朝は冷える。


 民族衣装のポンチョを着て、編み上げブーツを履いたハルは、どこにでもいる地元サラサスーンの子供みたいに見える。俺は二ヵ月たった今も、ポンチョを着るのが若干気恥ずかしい。


 あれから、たった二ヵ月しかたっていないのか。もう、二ヵ月も過ぎてしまったのか。季節の流れないこの地では、気温や風景で時間をはかることが、ひどく難しい。


 日本では今頃、赤とんぼが飛びはじめているかも知れない。月を眺めながら、団子だんごを食っているかも知れない。この地は俺たちが降り立った日と少しも変わらず、乾いた風が吹いている。


 あの時俺たちに一体、何が起きたのか?


 ほとんど何もわかっちゃあいない。はどうやら地球ではないらしい。少なくとも日本ではない。こんなアメリカの国立記念公園みたいな壮大な景色は、日本ではお目にかかれないだろう。


 ハルと二人並んで岩壁の上に立ち、黙って地平線を眺める。少し離れたところから太陽の昇る方向へと、細い道が延々えんえんと続いている。


 あの日、俺たちが辿たどった道だ。どこを目指して良いかもわからず、ただ歩いた。あの時の俺は、立ち止まって現実に追いつかれるのが怖かったのかも知れない。



▽△▽


「ねぇおとーさん、おうちへ帰るまでどのくらいかかるかな? ヘチマにお水あげないと枯れちゃうよ」


 歩きはじめてしばらくすると、ハルがそんなことを言った。


 ああ! 夏休みの観察日記な。やっと小さい実が出来たって、喜んでたもんな。


 わかるよ、わかるけどハル。でもお父さん、今は自分たちの方が枯れちゃいそうで心配だよ。


 差し当たっての問題はヘチマより、どっちに向かって歩くかだろう。コレが右も左もわからないってヤツか。緊急時に助けてくれそうな、警察や消防署、役所などは電話が圏外なので通じない。


 当然Wi-Fiも飛んでいないので、チャットアプリも、地図アプリも使い物にならない。ナナミと連絡を取る方法が見つからない。


 スマホのGPS機能を使えば、ナナミの居場所も現在地もわかるはずなのに。


 万能とも思える便利さで、なくてはならないツールであったはずのスマホは、この状況では案外使い物にならなかった。


 とりあえずあたりが見渡せそうな高台へと向かう。


 高台までは急な坂道で、よじ登るような起伏もあり、かなりハードな道のりだった。寝ているハナを抱えている事もあり、頂上に着く頃には俺もハルもすっかり汗だくになっていた。


 だがそこには目をみはるような、とびきりスケールの大きな眺めが広がっていた。


 起伏がはげしくけわしい岩山は赤みが強く、まるで巨人が地層を飴細工のように引っ張り出して、無造作に並べてしまったみたいだ。そんな景色が地平線まで続いている。そして岩山の間を縫うように、細く長く伸びる道。


「「うわぁ」」


 二人同時に驚愕きょうがくとも、絶望ともとれるうめき声を上げる。


「おとーさん、道のおわりが見えないよ。コンビニもせんろも、じどうはんばいきも見あたらないよ」


 ハルが途方に暮れたように言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る