希望と絶望

 展望台からの帰り道。

 俺と東條さんは東山ドライブウェイを歩いていた。夜になり山道を下るのは危ないと思った俺は、東條さんと二人で相談して道路を歩いて行くことを決めた。

 人が通るスペースはあまりなかったけど、この時間帯と平日ということもあってほとんど車の往来がなかった。そのため、辺りは静寂に包まれている。


「私ね、秋山君と出会って本当に変われたんだ」

「俺、何もしてないと思うけど?」


 隣にいる東條さんが力強く手を握ってきた。それに俺も応えるように握り返す。


「去年の夏、美紀と佐藤君と私達の四人で遊んだの覚えてる?」

「うん。覚えてるよ」


 忘れることはできなかった。

 だって、その日は東條さんと初めて一対一で会話をした日だから。


「あの時の私、中学生の頃の自分から抜け出せていなくて。美紀に出会ってから少しずつ変われたと思うんだけど、中々きっかけがつかめなかった。そんな時に美紀が企画してくれたの。男子と一緒に遊ぼうって。そこで秋山君に出会った。最初、本当に何を話せばいいのかわからなくて。私から話しかけられなかったんだけど、秋山君は積極的に話しかけてくれた」

「そうだったね」


 あの時は藤川から東條さんについて色々と話を聞いていた。だから、少しでも前向きになってくれたらと思っていた。


「私ね、ずっと一人だったから。知らない異性と二人きりの状況が初めてで。あの時はどうしたらいいのかわからなかった。でも、秋山君はあの時言ってくれたよね。一人の時間ってとても大事だって」

「……うん」


 あの頃はずっと一人になることを追い求めていた。新一から早く逃げ出したいと思っていた。たぶんその気持ちが、東條さんと話している時に口から出たんだ。


「その時、秋山君もずっと一人だったことを初めて知ったんだ。でも、そんな秋山君はみんなと関わるのも大事かもしれないって言ってくれたよね」

「そんなこと言ったっけ?」


 覚えていなかった。自分がそんなことを言っていたなんて。


「うん。言ってくれたよ。私に、自分らしくみんなと接するようにすればいいんじゃないかなって。それを聞いてね、すごく勇気をもらえたんだ。それ以降、少しずつでいいから自分をアピールしようと思って。眼鏡をやめて、三つ編みをやめた。そうしたら、違った景色が見えたの。周りの人達が私を受け入れてくれた。今まで隼人の影に隠れていた私でも、みんなと仲良くできるんだって」


 自ら行動して東條さんは動いた。その結果、良い方向に物事が進んだ。


「本当に嬉しかった。私にとって、とても大きな宝物になった。だから今日、特別な場所で秋山君と一緒にいられたことが本当に嬉しかったの」


 東條さんの中で少しでも俺が力に慣れたのなら、それはとても嬉しいことだと思う。でも俺は結局口だけだった。こうして行動に起こすまでかなりの時間がかかった。直ぐに行動にうつした東條さんはすごいと思う。


「そういえば、少し気になってたんだけど」

「何かな?」

「今日回ったルートなんだけど。何か東條さんらしくないなって思ったんだ。京都が大好きな東條さんなら、銀閣寺じゃなくて、下鴨神社から回るかなって思ったから」

「……秋山君は本当に鋭いね。でも、少し残念かも」

「えっ?」


 ぷくっと頬を膨らませた東條さんは、つないでいた手を離すと一歩だけ前に出た。


「本当は鴨川デルタで、私から……告白しようと思ってたんだ。ずっと好きでしたって。だから、自由時間が欲しくて。みんなには悪いかもと思ったけど……抑えきれなかった。胸のドキドキを、スッキリさせたかった。だから、遠回りのルートにしたの」

「そうだったんだ」

「でも、秋山君の様子がおかしかったから。だから、展望台に行こうと思った」

「ごめん。俺がしっかりしてなかったせいで……遠回りになっちゃったね」

「そんなことない。遠回りがあったから、こうして隣を歩けているんだと私は思う。それに、秋山君からいろんな大切な物、もらったから」


 東條さんは歩調を緩めて俺の隣に来ると、屈託のない笑顔をみせてくれた。

 実際、俺は東條さんに何もしてあげることができていないと思う。むしろ俺の方が東條さんから沢山のものをもらってばかりだ。

 でも、そんな俺は過去に捨て去りたい。そして、隣にいる大好きな人を支えられるように精一杯頑張りたいと、今は心から思える。


「あれ?」

「ん? どうしたの?」

「……ないの!」

「ないって?」

「秋山君から貰ったお守りがないの」


 東條さんは必死に鞄を探していた。それでも、見つかる気配がなかった。


「大丈夫だよ。お守りくらい。また買ってあげるから」

「駄目なの。あのお守りは、秋山君が初めてくれたプレゼントだから。一生大事にするって決めてたのに」


 東條さんは涙目になっていた。

 あんな急ごしらえのお守りを、大切に思ってくれるとは。


「もしかしたら、展望台にあるかもしれない……私、探してくる」

「ちょっと、東條さん!」


 俺の呼びかけを無視して東條さんは坂を駆け上がっていった。その後を、少し遅れて俺も追いかける。東條さんは足がとても速かった。流石テニス部だ。藤川と同じくらいスタミナがあるのかもしれない。

 大きなカーブを曲がり、その先は傾斜が急な直線になっていた。坂を駆け上がる東條さんのさらに前方、反対車線からトラックがやってくるのがみえた。


「あった。あったよ。秋山君」


 東條さんの声が聞こえた。どうやら道端に落ちていたみたいだ。

 見つかって良かった。

 そう思ったのも束の間だった。

 信じられない光景が目に映った。

 反対車線、下ってきた一台のトラックが急に上り車線に入ってきた。

 遠くから来るトラックのライトが俺の目に入る。

 さらにそのトラックの前方には、俺の方を向いて手を振る東條さんの姿があった。

 絶望しかなかった。

 未来予報は無事に終わったんじゃないのか。


「東條さん! よけて!」

「えっ……」


 必死に走りながら叫んだ声に気づいてくれた東條さんは、後ろを振り向いた。トラックとの距離はかなり近づいている。


「まだ間に合う。避けて!」


 必死に叫んだけど、東條さんは動かなかった。足が震えているのかもしれない。トラックの運転手は眠っているのか、下り坂のせいでさらに速度が増している。

 このままじゃ間に合わない。

 お願いだ。

 どうしてこんな目に合わないといけないんだ。

 未来は変えられるんじゃないのか。

 ふざけるな。

 これからなのに……これから始まるはずだったのに。

 光の中に東條さんが包まれた。


「うわああああああああああああ」


 無我夢中に叫びながら、届くはずもない場所に手を伸ばした。

 トラックの大破する音が周囲に響き渡った。俺の目の前に部品の一部が転がってくる。

 救えなかった。俺は膝から崩れ落ちた。


「嘘……だろ……」


 やっとの思いで顔を上げた俺は、目の前の光景にさらに驚愕する。

 どうして、どうしているんだよ。


「東條さん、さん!」


 無我夢中で二人の元に駆け寄った。二人とも反対車線の道路で倒れている。


「ねえ、二人とも。しっかりしてくれ」

「……い、痛い」


 山中さんが苦しそうに声を荒げた。


「山中さん。何処が痛いの?」

「……あ、足が」


 山中さんは足を気にしていた。もしかしたら骨を折ったのかもしれない。それに二人とも頭部から血が出ていた。


「と、東條さん? 東條さん!」

「だ、大丈夫。たぶん気を失ってるだけ」

「そ、そうか」


 全身の力が抜けた。俺は膝から崩れ落ちる。


「そ、そうだ。きゅ、救急車と警察……連絡しないと」


 俺は震える手を抑えながら、スマホの番号を押して電話をかけた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 東條さんだけでなく、山中さんまで。俺は何か間違ったのだろうか。

 その答えは直ぐにわかった。

 俺は東條さんを救えたと油断していたんだ。

 そもそも俺が鴨川デルタで躊躇ったから、東條さんはここに連れてきてくれた。

 ここに来なければ、こんなこと起こらなかったかもしれないのに。

 俺の決断が遅すぎた。

 もっと早く言うべきだった。

 躊躇う必要はなかったんだ。

 なのに、なのに。


 瞬間、視界が真っ白になった。

 頬に冷たい感覚があったけど、その感覚が徐々に消えていく。


「秋山君。秋――」


 誰かが俺の名前を呼んでいる。

 立ち上がらないといけないのに、何故だか力が入らない。

 そのまま俺の視界は、何かに飲み込まれるように真っ白になった。


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