第42話 シャリエール・オー・フランベルジュの焦燥

「シャリエール? 入っていいかな?」


 返事はなかった。だが構わず、シャリエールの部屋に入ってくる者がいた。


「入っていいとは言っていませんよ? リュート」


 《ベルトライオール》は一徹が住まう家屋。主のいない今、この場所を預かったのは3人。


「入っては来ませんが、どうせドアの外、すぐ近くで隠れて聞いているんでしょう? ハフィン?」


 魔族で侍女のシャリエール、人間族の青少年であり執事のリュート、そして忌子でこの家の料理番のハフィン。


 言い当てられたゆえか、先ほどは姿を見せなかったハフィンも、頭を指でかきながら、リュートがシャリエールの部屋に入ってきた時にあけたままのドアをくぐってきた。


「何用ですか?」


「あの、ルーリィ・トリスクトって人のことでしょう?」


「ガレーケさんも……案外口の軽い」


「チーッと違うネ。それがフローギスト様夫妻の考えなんだろうネ。『その答えは、私たちで考えて下せ』と。だからガレーケは私たちにも話を託した」


 一徹の使用人は皆種族がバラバラだった。だが基本的には、ヴィクトルは少しばかり別として、それ以外同士の結びつきは強く、信頼もしていて仲だって悪くはない。


 そう考えると、シャリエールが不機嫌そうにリュートの問いかけに反応することは珍しいこと。

 ゆえにリュートはたじろぎ、そこにハフィンがフォローを入れた。


「考えて? 考えるまでもないでしょう!? 一徹様があの女に連れられて《ルアファ王国》に戻る。そんなこと許せるわけがない!」


「……控えるヨロシ」


 次第に声に力がこもるシャリエールは、しかしながらハフィンの醜悪な顔に睨まれながら、低い声で言われたことで頭が跳ね上がった。

 しなやかな体つき、体毛の無いネコのような顔をしたハフィンは、冷や汗をかきながらも険しい顔で、何とかシャリエールの憤怒の表情とにらみ合った。

 この家でヴィクトルの次に強者であるシャリエールが暴れでもしたら、ひとたまりもないのは分かっている。それでも目をそらさないのは、そうすることで、そんなシャリエールに伝えたいことがあって、その覚悟はあるという現れを見せつけるためだった。


「それが……旦那様の願いかネ?」


「それはっ!」


「お前ごときが、旦那様の思いを勝手にねつ造して代弁するんじゃないヨ」


「クッ!」


 これがハフィンだった。ただの料理番ではない。

 使用人をまとめるというならヴィクトルという使用人長が居た。


 だがこの使用人たちの中には、それぞれの考えを聞き、集約し、良い方にも悪い方にもコントロールをする使用人長とは別の、いわば《裏の使用人長》という役割が存在していることがを全員分かっていた。


 それはいまはすでに亡くなったかつての一徹の使用人の一人であった魔族の老人から引き継いだ、《皮肉屋》ハフィンのもう一つの顔だった。


「本来はネ、お前を含め、私やリュートを含め、それは使用人が考えるべき問題じゃない。旦那様の問題だ。だが、私たちにとって旦那様という|希望《セカイ》こそ、我々の生きる場所セカイだということが分かっているから、フローギスト様夫妻は個人ではなく、全員で考えろと言ったのヨ」


「何を言っているか分からないのですが」


 リュートやハフィンがシャリエールの部屋に立ち入ったのは、シャリエールがルーリィに会って以降、部屋の中で塞ぎ込んでいたからだった。

 それが分かったうえでこの言い方だ。


 まるで一人で勝手に物事を進めるとはおごかましいと、ハフィンに批判されているような気がするから、シャリエールはキッと視線で射抜いた。


「こういうことなのヨ。そのルーリィ・セラス・トリスクトが旦那様を仮に連れていくとなったら、それは旦那様の取り巻く環境セカイが変わることになる。でもネ、私たちが旦那様を生きる場所セカイだと見なしているのと同じように、私たち使用人に囲まれたこの環境セカイだって、旦那様にとっての世界。この話の重要な点は、その女を旦那様と引き合わせるということは、旦那様にどちらの世界を選ぶかという大きな葛藤を与えるということ」


「そんなこと、私は分かっているから……」


「いいや、お前は何一つわかっていないのヨ」


 そんなことなど分かっているとばかりに、ハフィンの言を上から塗りつぶしたシャリエール。


「世界を選ぶということは、選んだ世界で得られる喜びや悲しみ、思いなども違うということ。分からないかネ? 私たちがその女に旦那様を引き合わせないということが何を引き起こすか? 機会の……損失ネ」


「機会の損失ですって?」


 だが、ハフィンが言を塗りつぶされようが構わず話を続けるものだから、押し負けたシャリエールはそのまま話を聞くしかなかった。


「旦那様には本来どちらかの世界を選ぶチャンスがあった。にもかかわらず、それに気づかず、いまの環境セカイでこの後もお過ごしなさる恐れがあるということよ」


「旦那様の傍に私たちがいる環境セカイ、それのどこがいけないんですか!?」


「だから私はお前が分かっていないと言った。あまりに可哀そうだとは思わないかね? その女が連れ居ていく先の環境セカイを旦那様が選んだとしたら、その先の旦那様の人生で、これまでとはまた違った大きな成功や幸せが待っている可能性だってもあるかもしれない。なのに、いまのままでは選べない。選択肢が目の前にあることを、旦那様が気づいていないから」


「旦那様があの女と共に行った先の環境セカイを選ぶわけがない!」


「……それは、私たちが旦那様の枷になっているからだろう?」


「ッツ!」


 いい加減にしてほしいとばかりにシャリエールは声を張り上げた。が、落ち着いた声で、返す刀でハフィンが口にしたものは、シャリエールの胸を貫き、何も言わせ無くした。


「奴隷商が旦那様の坊ちゃんを攫い、剥いたこと。それがかつての奴隷商品わたしたちにとって、所有者を討ってくれた旦那様との出会いだった。あれから三年だ。その三年で、仮に奴隷としてそれ以上飼われ続けたであろうすべての期間を重ねても、きっと手に入らなかったものを私たちは受け取った。これ以上、何を望む?」


 淡々とだ、ハフィンの言葉は紡がれていく。

 シャリエールが耳に入れるにはあまりに痛い言葉だった……から、視線をハフィンからリュートに移した。


「リュート、なんとか言ってください!?」


 が、今度は視線を受けたリュートが、シャリエールから目を背けた。


「生に絶望以外見いだせなかったこの人生セカイで、生きていて楽しいと思わせてくれる何かを一徹様はくれたではないですか? 仕事は日々の生活にハリをもたらし、認めの言葉は生きがいを与えてくれた。奴隷商品わたしたちを開放し、受け入れてくれたことで、ただの奴隷仲間だった私たちは生きることの素晴らしさや楽しさ、辛さを共有する喜びだって与えてもらえた。分かっているでしょう? 一徹様は私たちにとって……生きる上での全てセカイなのだということに!」


「確かに、シャリエールの言う通りだよ」


「でしたら……」


「でもね、シャリエールのいまの行動、僕は間違っていると思う」


 リュートとシャリエールは境遇が近い。

 シャリエールは愛玩奴隷として、いまや討たれた奴隷商に、その商売相手への接待を幾たびもさせられた。

 リュートは、娼年だった。

 涼やかな美しさを誇っていた彼は、その奴隷商の夜伽の務めを強制させられていた。


 奴隷になったのはリュートが戦争孤児として拾われたから。シャリエールは魔族の集落を人間たちに焼かれ、捕えられたから。


「旦那様は、常々『ちゃんとしたヒトとしての生を与えてやりたい』っておっしゃってくれていた。それはね、自分の人生を、命を、自分の物として、自分の為に使って生きることだと僕は思うんだ」


「リュート?」


「旦那様の庇護を離れても強く生きていける力。旦那様を不安にさせないほどの、逆に安心させてあげられるほどに逞しい生きる力を僕たちが培うこと。それが、旦那様の願いなんじゃないかな」


 その近さが賛同を挿そうと思った。

 意外や意外。リュートの考えは寧ろハフィンに近いことを知ったシャリエールは、目を見開いた。


「そしてネ、すでにそれは私たちには備わっている。いまはまだ旦那様に甘えてしまっているのだけれどネ」 


 リュートの肩に、後ろから手を置き、ハフィンとリュートはじっとシャリエールを見据えてきた。


「一度、私たちは旦那様を失った・・・ことがあったろう? 旦那様がいまは滅びたさる貴族家とやり合った時の話だ。この《ベルトライオール》に逃げ延びた私たちは、旦那様はお亡くなりになり、その擁護もはやないと悟り、この街で生きていくための活動を始めた。その活動や考えを、人間族支配者からこの街を奪い取った、解放され、しかし営み方を知らなかった元奴隷の住民たちに広げた。私たちはその時、確かに自分たちの足で立ち、生きてきた。そうだろう?」


「それはっ!」


「それなのにシャリエール、お前はまた私たちのことで旦那様に葛藤を取り戻させるつもりかい? それは、旦那様が選択するうえで二の足を踏ませる」


 二人の視線を受け、それでもシャリエールは食い下がった。


「だってこの婚活だって、旦那様にリュートの将来を……」


「そんなものは方便ネ。婚活の本当の目的。旦那様に、坊ちゃんのお母上様からのくさびを引き抜き去り、新たな一歩を踏み出してもらうため。シャリエール、遅かれ早かれ旦那様にはもう、新たな一歩を踏み出す時が来ていたのよ」


「リングキー……サイデェスっ!」


 言われ、打ちのめされる。

 特にこの場にあっても、またシャリエールにとってのあの女・・・の影がチラつくことに、怒りしか生まれなかった。


「なぁシャリエール、お前の言いたいことは私たちも分かっているつもりではいるけどネ。それでもちょっとばかり、今回のお前の判断は私たち二人のものと違う。私たちは旦那様のことを思って選択肢を用意すべきだと言っている」


「なっ! 私だって!」


「違うよシャリエール。お前は旦那様のことを考えていないんだ」


「何ですって!? 貴方はこの私に向かって一徹様・・・の……」


「そう、一徹様・・・だ。その一徹様・・・だヨ」


「な、なんですかその目は。その……顔は……」


 確実に精神的に言葉が響いていると、判断したハフィン……


「シャリエールお前は、ただ旦那様を……独占したいだけなんだヨ」


「ありえないっ! それは使用人として絶対に持ってはいけない想いっ!」


「そうなのかネ? まぁ実際の所、それは私にも定かじゃないし、そうではないことを信じたい。でもね、お前は……私たち使用人の中でも一番に旦那様に依存している」


 勝負に出た。


「だからネ、その独占欲は、無意識の中から生まれたとしてもおかしくない」


「違う! 私はっ! 私はっ!」


「シャリエールお前……旦那様を『一徹様』だなんて、どうして踏み込んだ?」


「ッッッツ!!」


 だがその発言は使用人として、ここまでうまくやってきた彼らの関係を壊しかねないもの。


「……出てって……」


「シャリエール、僕たちは……」


「出てってよ!」


 とうとう、シャリエールも抑えが効かなくなった。

 フォローを入れようとリュートが声をかけたのにも頑として受け付けない。

 結局、今日はこのまま話し合うことは無駄だと判断したハフィンは、リュートの肩に置いた手で、そのままポンポンと叩き、リュートを連れて出て行った。


「……私の考えが間違っているっていうの? そんなわけ……ないじゃない! この三年、どうして一徹様は元の居場所があるにも関わらず帰ろうとなさらなかったのか。ここしか、居場所がなかったからじゃないですか!?」


 閉じた扉に、姿を消した二人の幻影がいまだ立っているとも思ったシャリエールは構わず吠えた。


「私は、そんな一徹様にとっての唯一の居場所セカイを守ろうとしているだけなのに。一徹様を……お守りしたいだけなのに……」


 吠えて、そして苦しそうに、俯いた。

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