第31話 黒衣(スーツ)を纏う、仮面の男(至)

 誰もが息を飲んだ。それは貴族の子女が集まるこの広い屋敷の中でのこと。


 本来なら煌びやかな内装と美しい音楽がたゆたうこの仮面舞踏会マスカレードに、民草達が武器を手に取り突然襲撃を仕掛けたからか。


 違う。恐怖には違いない。一寸先は闇、そんな気の休まらない状態を一時間も続けてなお、さらなる驚愕が彼らの心を貫いたから。


 誰もがその光景に時間の鈍化を感じた。

 バリィ! と耳をつんざく破壊音。誰が見ても巨漢と見なす一人の賊が、外から窓を破ってパーティホールに姿を現した。


 現したというのは正しくない。吹き飛ばされたようだった。窓の外から吹き飛ばされ、窓を壊し、床に叩きつけられた。

 襲撃されてからここまで、子女達は知っている。その男が襲撃者達の主犯格であることを。


「い、い、いやだ……」


『なんだ、結構なタフガイじゃないか。正直おっどろきぃ。気を失わせるくらいにゃ力込めたつもりだが?』


 それを知っているから皆息を飲んだ。窓を突き破ってパーティホールに飛び出た主犯格の男が、窓の外からの楽しげな声に恐怖に顔をゆがめ、鼻から口から血を流していたゆえ。


 彼女・・もその場で絶句する子女の中の一人だ。ルーリィ・セラス・トリスクト、同じくこの夜会に招待された彼女も信じられない。ルーリィは伯爵家の人間。とはいえ令嬢ではない。若くして当主代行を務める存在。


 その責と共に、女性としては珍しく騎士団に所属する騎士の一人でもあった。だからこそ主犯格の実力を正しく見極めることができたルーリィは、半ば奇襲のような襲撃によって圧倒的な優勢状況を作り出した主犯格の男が、先ほどまで豪快に笑っていた時には背筋すら凍らせた。


 それが……


「いや……だ。いやだ……来るなっ! 来るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 これだった。

 なんてこと無い。窓の外から聞こえてきた楽しげな声の主が窓枠に脚を掛け、飛び越え、パーティホールに着足しただけ。

 床に降りた一瞬の、床板の鳴き声に呼応するかのように、主犯格の恐怖は最高潮に達したようだった。


 現れたのは仕立てこそ上等なものの、ともすれば不吉な喪服のような全身黒色の衣を纏った男。


「旦那様ご無事ですか!?」


「何とかね。あれ・・からひっさびさの戦闘だろ? 勘鈍りまくって冷や冷やしたの、していないのって」


 ルーリィは息を飲んだだけではなかった。


 能力の高さからルーリィを不安させた主犯格の大男に恐怖の悲鳴を上げさせる。 つまりそれより更なる力を持つとうかがえる黒衣の男が、余りに気の抜けた話し方をするから、意外さに視線が惹きつけられた。


「にしてもありがとうなシャリエール。命令した俺が言うのもなんだがまた戦わせた。魔族のお前が人間族の貴族子女のために。屈辱だろう? ってチョーごめん! あっち向いててくれるか? 目のやり場に困る」


「大丈夫です。旦那様にコートをお借りしました。汚して……しまいましたが」


 軽薄な物言いをする男が姿を見せた瞬間、いつの間にか男の隣に肌は浅黒く、耳が斜下に長く尖った若い女が立った。魔族の女だった。


 上下の下着姿、羽織ったコートは大量の血で染め上げられていた。

 女がこの場でここまで戦うさなかに纏っていたドレスを破り取られてしまったゆえだ。羽織っていた血まみれのコートは、そのとき黒衣の男が羽織らせたものだった。

 ひるがえるさなか、チラリと見たもの、それはコートを羽織らなければ見えてしまう、首より下から全身に渡る大きく、酷い火傷の痕。


 ルーリィが感じたのは意外さだけではない。違和感もだ。

 その男やルーリィを含め、人間族である彼らにとっては天敵であり、互いに忌み嫌いあう対象、それが魔族だから。


「別に謝る事など何一つ。私は身も心も旦那様の物。貴方にそう申しました。それに……」


 だというのに、シャリエールと呼ばれた魔族の女は、人間族の黒衣の男を《旦那様》と呼び、その無事に安堵の笑みを浮かべていた。


「先ほどの言葉はズルイです。あれだけ言ってもらえた私が、旦那様のために動かないわけがありません」


「思った。スッゲェ恥ずかしいこと口走ったって。思い出させないでくれよ。顔から火が吹き出そうだ」


 二人が交わす言葉と表情。この世界の種族観をみればあってはならないもののはず。それが大きな違和感をルーリィにもたらした。


 そして、ルーリィは次に耳に入った言葉に目を見開く。


「私なら……旦那様の全部を受け止めてあげられるのに」


「ん? なんか言ったか?」


 人間族であるはずの黒衣の男が、種族的に天敵であるはずの魔族の女シャリエールにそれを言わせたから。


 仮面舞踏会。だから仮面をつけた男の表情全てはうかがい知れない。が、シャリエールだけは別だった。彼女は既に仮面を剥いでいた。

 先ほどからあらわな表情。示す感情は、この世界の常識を思うと禁じられたもの。


「いえなにも。ご指示を」


「んじゃ……帰るか? ヴィクトルはまだ外でってんのかね? 拾って帰るぞ」


「ハイ!」


 忘れてはならない。ここは修羅場。

 襲撃は何もこのパーティホールだけのことではない。パーティホールを備えるこの優美で雄大な建物のいたるところで、この建物の外そこかしこで、襲撃に対し警備兵が応戦する状況が音にして聞こえていた。

 怒号、絶叫に、命尽きる最後の音色の断末魔がそれだ。蔓延するは狂気と暴力、死の臭い。


「と、言うわけで出ましょうか? エメロード様?」


 そんな中、男がまるで業務終了後の仕事先や、放課後に至った学び舎から帰宅するような間延びした発言を繰り出すのだからルーリィは理解できなかった。


 ……だけでない。名を呼んだ。

 ルーリィにとって、最近出来た親友と呼んで遜色の無い一人の美少女の名だ。


 エメロード・ファニ・アルファリカ、公爵令嬢だ。

 近く来る大きな戦に備え、ルーリィが隣国ルアファ王国から、同盟交渉担当官として、同盟候補先であるこの《タベン王国》にまかりこしたばかりの頃に知り合った。


「エメロード様、恐いですか?」


「わ、私が! この公爵令嬢たる私が、恐れるなんてこと! 恐い……なんてこと……」


 良くも悪くも高位貴族の令嬢。それがルーリィの思うエメロードの印象。少し誇りの高すぎる我の強い娘。


 ルーリィは知っている。

 「そうあらねばならない」と自分に言い聞かせてきたエメロードは、その言動によって生まれてしまっていた周囲との心の距離の遠さに思い悩んでいたことを。


「……恐い……」


「うっはー! めずらっすぃ! どうしたんです? 今日はやけに正直ですね」


 また、ルーリィは眉を顰めることになった。こんな場にあって思うのもなんだが、エメロードとその男とのやり取りも理解が及ばなかった。


 まだ襲撃が始まる前、エメロードと接する相手として相応しく・・・・ない・・とその男を評していたルーリィ。

 そう思うには理由があった。


 ルーリィは前々からその男について、エメロードから話を聞いていたから。淑女を淑女とおもわず、常に子ども扱いするいけ好かない男と。


「貴方は! こんな時にあっても私を……ッツ!」


 考えを改めなければならない。次の男の行動と、それに対するエメロードの表情がルーリィにそうおもわせた。


「それでいい。危機管理は重要ですよ。知っておけば《百戦、危(あや)うからず》ってね」


 茶目っ気タップリに歯を見せる。面によって口元だけ露出した男。

 クシャリクシャリと優しくエメロードの髪に指を絡ませ、揉み込み、そして頭をなでた。


 彼はエメロードの婚約者でもなんでもない。まして公爵令嬢に対してその行動に及ぶなどとんでもない。が、その光景には相応の信頼関係があるゆえにも見て取れた。

 

 ルーリィはエメロードに視線を送る。

 既に面を取り外していたエメロードが見せたのはホッとした笑顔。男の頼もしさに、エメロードの心地が安らいだのかもしれないとルーリィは心得た。


 ただしそこまでだった。


「さ、参りましょうかエメロード様」


「参るって……え?」


「取り急ぎ《ベルトライオール》にお連れします。色々驚くような場所だとは思いますがご安心を」


「ちょ、ちょっと待って!」


「保護したことは私からラバーサイユベル伯爵に……ってエメロード様?」


 腰を抜かして床にへたり込んだエメロードの手を、男は逞しい腕で取って立たせる。小枝のような腕を引こうとした。エメロードは……そんな男の大きな手から逃れたのだ。


                 +


『行けない! お願い! 貴方も行かないで! 私達を助けて。貴方ならこの騒ぎを止められるでしょう!? 貴方が存分にその武を発揮して、その上で救えない命があったとして、勿論私は、貴方を恨まないから!』


 嘆願する、階下の愛娘エメロードの叫び。

 耳にした父親、上階で見守るアルファリカ公爵は、ハラハラとした面持ちで黒衣がどのような答えを返すのかを待った。

 

 当然だ。先ほどまでマゾッ気を発揮し、アルファリカ公爵をして《どこぞの馬の骨》の烙印を押した、黒衣の男の口元に浮かんでいた笑みは消えていたから。


『公爵家第二令嬢が……退けない! 他の子女を見捨ててこの場を放棄したとあっては父上や皇太子妃おねえさまのメンツに、家の名に傷が付く。だからっ……』


 ブルリッ! と身が震えた。いや、娘の言葉に身も魂も揺さぶられたというのが正しい。


 何度も父親として「出来損ない」と処断した娘。それで手が掛かるからこそ可愛くて仕方ない己が娘。

 違った。「これまで娘の何を見ていたのだ?」と自分で自分に問い詰めたくなる気持ちにかられた。


『生より誇りを取るかよ。聞けませんね』


『どうして!? 前に言ってくれたじゃない!? 『公爵令嬢、その立場に向き合う貴女に、私は敬意を評する』って!』


 落ちこぼれとすらみなしていた娘は、これほどに心が強く、覚悟を持って公爵令嬢を務めようとしてきたことを、その言葉から思い知らされた。


『それとは話が別です。それに他の子女方のために戦う義理も道理もない』


 だからこそ、黒衣の男の回答には歯噛みした。

 エメロードが口ばかりのお粗末な娘ではないことは、ここにいたるまで、己の死と隣り合わせの恐怖の中、歯を食いしばって生存者の治療に当たっていたことで証明した。


 悲しみに喘ぎ、それでも気持ちを震わせて見せた娘の願い一つ聞いてくれても良いじゃないかと、そう思った。


『分かってる! 分かってるけど! それでもお願い! 山も……』


 だというのに、そのエメロードは……話の途中に、魔族の女に横っ面を叩かれた。


『シャリエール!』


『申しわけありません旦那様。ですが公爵令嬢であろうが旦那様を煩わせるなら我慢なりません』


 その光景に、上階は手摺りから光景を見下ろしていたアルファリカ公爵も、ガバッと身を乗りだしそうになる……こらえた。


 階下のエメロードが泣きながら頼み込んだことを拒絶した黒衣の男が、仮面を、目線を、上階から見守る己、つまりアルファリカ公爵に向けてきたからだった。


『いいですかエメロードお嬢様? 私個人としては許し難いことですが、貴女は旦那様に気に入られている。だから旦那様は不戦たたかわずの禁を破り、私は旦那様のために戦いました』

 

 頬を叩かれ、冷たく言い放たれ、黙り込むエメロードの放心した顔をアルファリカ公爵は見ていられなかった。


『旦那様なら首を縦に振ってくださると? 公爵令嬢如きの言葉で? 勘違いも甚だしい。なぜ旦那様や私が、貴女以外の醜悪な人間族、それも殊更汚らわしい貴族子女のため命を懸けなければならないのです?』


『もういいよシャリエール。ありがとう』


『ですが旦那様!』


『お前が、俺を心配して出張でばってくれたのは分かってる。だから、いい。それでエメロード様……動けないか。なら、失礼を』


 が、もう一度アルファリカ公爵は改まって娘とその周囲に視線を送った。


 それは、黒衣の男が娘の手を取ったからだ。ダンスのために必要に駆られているわけではないのに、当たり前のように徐に、あまつさえエメロードの指一本一本とを絡ませるように握ったから。


 そういえば先ほども優しげに頭を撫で付けていた場面も思い起こさせた。

 それは父親として心に来た。


「……卿?」


 だけではなかった。自身の隣に、手摺りに、もうひとり身を乗り出したラバーサイユベル伯爵が、真剣な顔をして黒衣の男に向かってコクンと頷いた。

 応えるように頷き返した男はやがてアルファリカ公爵をまた見つめ上げたように……否、間違いなく見つめてきた。


「スマヌ。娘を……頼んだ。ありがとう……」


 だから、《タベン王国》は王家に次ぐ最名門、アルファリカ公爵家当主は、仮面の黒衣の男に、目を伏せ、深く深く、頭を垂れた。


                 +


「お手前拝見しました。なんて凄まじい槍捌き。御礼を。おかげでシャリエールに危険が迫ることは無かったようです」


「ご、誤解です旦那様! 私は、そこな女性がいなくても問題ありませんでした。寧ろ殺すことが・・・・・恐いのか・・・・実際は足手まといに……」


「殺すことが無いならそれに越したことはないよシャリエール。これまでただの一度も殺した経験が無いなら、それは喜ばしいことで崩すべきじゃない。だろ?」


 ルーリィへと呼びかけてきたときには先ほどエメロードに対して失わせた笑顔を取り戻した黒衣の男は、感嘆を伺わせる語気での感謝を告げてきた。


 言を挟んだシャリエールは、言われた言葉に口をつぐんでしまっていた。


「なぁんて俺が言っちゃいけないのか。特にお前には言っちゃいけなかった。俺が殺さないから、それがシャリエール、お前に殺させる」


「それはっ! ……いいんです。私が、旦那様を戦わせたくない。それだけですから」


「参ったな。戦わせたくないかぁ? そりゃウチのメイドであるお前に対し、本来俺が言わなけりゃなんないことなんだけど」


 男への緊張。ルーリィもどのように回答して良いものか困り押し黙る。


「悪いが、これ以上彼女に近づかないで貰おうか?」


 そんなときだった。新たな声が、割り込んできたのは。

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