第9話 仮面の下の、その奥に……2
三国同盟に関係する重要人物が会す滅多にない機会。これに私情が先行し、一つの話題に執着して時間を食いつぶすルーリィの若さに、ラバーサイユベル伯爵は叱咤する。
今までの口調が穏やかだったからこそ、豹変ぶりに反応し、ルーリィが顔を跳ね上げたのは当然。
普段言葉を選ぶラバーサイユベル伯爵。ここで一発、直情的な物言い。アルファリカ公爵や、アーバンクルスにも身を乗り出させた。
また、この場にいたが、ずっと黙っていたフィーンバッシュ侯爵。《タベン王国》侯爵の一人で、《ルアファ王国》との同盟について交渉してきた壮年の男は
「失礼しましたトリスクト伯爵代行。ですがハッサン・ラチャニーは筋を通す。お約束差し上げます」
「なぜ、言い切れるのですか?」
「なぜならば私はトリスクト伯爵代行が知っている、三年前までのハッサン・ラチャニーを知らず、トリスクト伯爵代行の知らぬ、追放されてから今日までのハッサン・ラチャニーを知っている」
「何を、仰って……」
「彼と私にはそれなりに繋がりもありまして。淡白な絆ではありますが、単純で分かりやすい絆でもある」
困惑するルーリィ。対するラバーサイユベル伯爵の口調は、一転諭すよう。
なぜならラバーサイユベル伯爵は、本日のパーティに代理の者を寄こしたハッサンが、必ず筋を通すことを知っていた。
「にしてもトリスクト伯爵代行は、随分とハッサン・ラチャニーを恐れていらっしゃる。まるで人生の最恐であるかのように」
「……そこまでだラバーサイユベル伯爵。トリスクト伯爵代行は、先の失言を詫びている。それ以上はこのアーバンクルスが……」
「殿下、責めたいのではありません。ただ今後も長く、政に身を置くであろうトリスクト伯爵代行に助言がしたかったのです」
「助言だと?」
必ず、ハッサンは筋を通す。
なぜならばハッサンは、この場ではラバーサイユベル伯爵しか知らない、とある男の嘆願を受けて、パイプ役の責を負うことを決めたから。
「ハッサン・ラチャニー。確かに二十一という若さで、私を恐れさせる存在も珍しい……が、上には上がいる」
「なん……だと?」
「私は、真なる恐怖を知っている。それこそハッサン・ラチャニーなどまだ可愛いと思えるような」
「彼の纏う恐怖の風が、可愛いものって……」
その発言、ルーリィとアーバンクルスの予想のはるか上を行っていた。ゆえに絶句するのは必然。
……だけではない。直にハッサンと出会い、その底知れなさを感じ取ったことのあるアルファリカ公爵の注意も大きく惹いた。
「覚えておきなさい。ハッサン・ラチャニーですら、まだ可愛いと思うほどの絶対的絶望、虚無、恐怖を奏でられる者を、私は一人だけ知っている」
「あの男以上の?」
「ええ。その者に、この世の絶無の最上を見せつけられた。それでなお相手取り、立ち向かう勇気を奮い立たせなければならない。そういう機会もこの先きっと出てくるでしょう。ですから、いつまでもとらわれてはなりませんよ。ハッサン・ラチャニーなどただの、ただの……」
「ただの、何でしょうかラバーサイユベル伯爵?」
話しぶり、そして内容の気持ち悪さに、その場にいる全員が伯爵に注目する。
者によっては話の続き、ラバーサイユベル伯爵にとっての《最上の脅威》について問いかけようとしていた。
状況というのは皮肉。
ラバーサイユベル伯爵がその答えを既に行動で示していることに、誰も気づかない。
《最上の絶無》。それはこのパーティに来ているというのに。
だからそこまで口にして、ラバーサイユベル伯爵は階下のパーティホールに顔を向け、視線を送った。認識してしまったゆえ唾を飲み込む。結局言葉にもできていなかった。
ラバーサイユベル伯爵の様子は異様。それが理由か、その場にいた者皆、伯爵の視線ではなく、伯爵当人を注視するだけにとどまった。
ハッサン・ラチャニーが筋を通さないわけがないのだ。
このパーティに姿を現した黒衣の男。
階下では平和的な光景に満ち溢れていた。皆がこのパーティを楽しんでいた。
だが主催者の一人であるラバーサイユベル伯爵は、黒衣の男の一挙手一投足が気になって仕方がなかった。
たとえ、ひときわ賑やかな音楽が奏でられ始めたことで、ダンスを始めた招待客の輪のその中心に向かって、エメロードが一徹の腕を引っ張っていったとしても。
そしてその一徹が、苦笑いを浮かべながら仕方ないとばかりに引きずられていく場面を目にしたとしても。
仮面の下、和やかな表情のその更に……奥。燃え盛る、復讐の炎。ラバーサイユベル伯爵にだけは、見えていた。
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