第5話 母TUEEE!

 俺はメロンを残してシャワーを終えたばかりの母さんの所へ行った。

「どうしたの燈瓏ひいろうちゃん。咽喉のど渇いた?」

 いつも通りのほがらかな笑顔。湯上りの火照ほてった体から発せられる蒸気がナイトウェアを通り、そこに染み込んだ柔軟剤のたおやかな香りが鼻腔びこうくすぐる。冷蔵庫からパックのジュースを取り出し、ガラスコップに注いでいる。

 俺は常識を置き去りにする覚悟を決めた。

「母さん。母さんは、魔王なの……?」

 ここまで何も考えずに来てしまったので、駆け引き無しにダイレクトに聞いてしまった。

「え」

 母さんは俺のともすれば気が触れたような問いかけに笑いもせず、言葉を詰まらせ俺との間にある空間を見つめた。それは酷く動揺しているようにも取れた。

 もしかしてビンゴなのか!?

 しばらくの沈黙を置いて、先程注いだジュースをゴクゴクと一気に飲み干す。

 ――コンッ。

 テーブルに置かれたガラスコップが透明な音を立てる。

 母さんは俯き加減にジュースが無くなったコップの底をじっと見つめている。

「遂に、……この日が来たのね」

 ビンゴだった。

 あれほど戦略性の無い些末さまつな問いかけでも、核心を穿っていれば動揺はするものだ。そしてその動揺を知られたが最後、真実を告白せねばならない。結果論だが、良くやった自分。

 しかしやったぞという充足感の直ぐ後に胸に押し寄せたのは不安という高波。

 本当に?

 マジか?

 母さんが?

 優しくて美人で人間力の高いこの人が?

 今更ながらの、動揺。

 真実を確かめたいと言う欲求が刹那せつな的に勝っていたが、その実、まずもって猫とメロンが言っていた事が全て嘘であって欲しいと言う願望も切にあったのだ。確かめられた事によって知的探究心の波が引き、現実問題これで母さんを殺さなくてはいけなくなってしまったと言う後悔の波が押し寄せたのだ。

 俺は目をつむり、拳を握りしめた。

「燈瓏ちゃんにもようやく反抗期が来たのね」

 そうだ。反抗期だ。この反抗期を以ってして魔王を倒さねば……?

「――え?」

「ほら、子供のうちに反抗期が来ない子は大人になってから苦労をするって聞くじゃない? お母さんがお父さんと離婚した所為で、反抗期が来なかったらどうしようって思っていたの。燈瓏ちゃん優しいから、女性は殴れないって思っているのかも知れないって」

 母さんは魔王なのかと言う問いかけで、反抗期だと取る親もどうかと思うが、そもそもそんな問いかけをした俺が言える事じゃあない。

 とにかく誤解されている。当たらずとも遠からずな誤解が生じている。

「あ、でも安心して。私、燈瓏ちゃんの反抗期に向き合う為に武道に精通したから」

「武道? 精通?」

「空手道、柔道、合気道、全部黒帯なの」

 母TUEEE!

「男の子の成長を受け止めるには、それくらいしないとね。さあ、掛かってきなさい!」

 母さんは利き腕を引き、同時に足も引いた。半身はんみ、とは言わないまでも正中線を左手で覆う様な構えを取っている。

 ガチじゃん。

 めちゃめちゃガチじゃん。

「あ、いや、うん。今日はいいや」

「え?」

「構えがガチ過ぎて引いたから」

「あら、そうなの?」

 言うならば俺は、、を選択したのだろう。

 母さんは構えを解いて落胆したような、しかしどこかホッとしたような面持ちでガラスコップを流し台に置いた。

「でも良かったわ。この前テレビで言っていたのよね。黙れクソババア! は、貴女が良いお母さんの証拠ですって。それが聞けただけでも、ふふふ」

 いや、言ってないから。

 でもそれを撤回すると、という事は反抗期じゃないの? とか、私は良いお母さんじゃないのね? よよよ。と、余計に面倒な事になりそうなので、肯定はしないにしても、否定はしないで部屋を出た。

 自室に戻るとメロンが開口一番聞いてくる。いや口開いてないけどな。

「どうでしたか? 魔王に魔王としての自覚はありましたか?」

「いや。微塵みじんもない」

「なるほど。ならばチャンスですね。後ろからさくっと行けば楽勝ですよ」

「簡単に言うなよ。俺としてはただただやり辛くなった、というか、お前の言葉に信憑性が無くなったんだからな」

「そんな。信憑性は増したはずですよ」

「どうしてそうなる」

「だって勇者様、今しがた魔王から逃げてきたのでしょう?」

「ああ」

「普通ボス戦。しかもラスボス戦で逃げられるわけがないのですよ。この世界がバグっている何よりの証拠です。それは勇者様が小さいころから勇者様の気を惹くテレビゲームで散々学習されたはずです」

 あれって教材だったの!?

「だがな、バグにしろ何にしろ、やっぱり自分をタダの人間だと思っている人を、まして自分の母親を簡単には殺せない」

「なぜそれほどまでに魔王が母親である事を気にするのですか」

「だからそれはさっきも言っただろう」

「ですが勇者様、前世と現世の間に居る時は自分の母親が魔王である事を何とも思っていませんでしたよ?」

「マジかよ」

むしろお母様の映像を見た時、おいおいマジかよ。激マブじゃーん。こいつが俺の母さんになるわけ? ってことはおっぱい吸い放題の揉み放題じゃん! うぇひひ。魔王だから殺していいんだよな? あー、殺す前にいっぺんヤっときてー。首絞めながらガンガン突いてやんぜ。いやあ、近親相姦してみたかったんだよな。うひょひょー。と、言っていましたよ?」

 死ね! 前世の俺!

 いや、死んでいるのか。

 ああそれにしても、なんという最低な糞野郎だったんだ。前世とは言えそれが自分自身であると思うと恥ずかしくて死にたくなる。床に頭をぐりぐりと押し付けた。

 だいたいなぜそんな糞野郎に勇者をやらしてみようと思ったんだ天界の面々は。馬鹿ばっかなのか?

「勘違いをしないで頂きたいのですが、我々にとって有効性の高い勇者というのは魔王を倒す事に特化している方を指します。それゆえ、今の勇者様は前世の時より格段に劣化しておりますので、その所を肝に銘じて、前世の勇者様にできるだけ近づける様努力してくださいね」

 人間失格への道を堂々と進めてきやがる。

 とにかくもう寝よう。もしかしたら寝て起きたらこいつも物言わぬ果物になっている可能性もある。そうだ。幻聴という可能性も十分にある。あのプロジェクターで見た過去の自分も幻視かも知れない。自覚は無いが疲れているのかも知れない。おやすみなさい。

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