第46話 空を裂く刃
巨大な黒煙が膨れ上がった。
JDAMすなわち統合直接攻撃弾。単独の兵器ではなく、無誘導爆弾に誘導性能を付加するキットである。その機能によって送り込まれた87キログラムの炸薬は、ひとつひとつが地中で爆発すれば民家がまるまる収まる程のクレーターを構築するほどに強力だ。余すところなく解放された化学的エネルギーは、すべてを飲み込んだのである。
もちろん、矢除けの加護を備えた甲冑は無傷だった。エネルギー保存則よりも優先されるこの大魔術にとって、破壊力の多寡は問題とならない。例え超新星爆発のエネルギーでも阻止できるだろう。それが遠距離攻撃を企図したものであるならば。
だからここで問題とすべきなのは彼らの足場となっていた、首都高の高架である。魔法など付加されていない道路がそんな破壊力に耐えられる道理はなかった。
巨大な構造が、崩落していく。そこにいた多数の巨大二足歩行兵器とともに。
逃れる術はない。ゆっくりと。全てが崩れていく高架に飲み込まれていった。
◇
―――なんということだ!
アリヤーバタは生きていた。先ほどの放送は彼の耳にも届いていたからである。ビルの合間に滑り込んだ彼と山猫の御神体は、さしたる被害を被ってはいなかった。
だがそれは彼の同僚の無事を意味しない。崩落した高架に巻き込まれた者たちはただでは済まないだろう。黒煙と粉塵は全てを覆い隠していた。
もはや無傷なのはアリヤーバタのみ。もちろん万が一の全滅を回避するために部隊を幾つも分けていたわけだが、この分ではほかの味方が無事かどうかは大変疑わしい。
かくなる上は、なんとしてでも任務を遂行せねばならぬ。だが、敵手はどこに消えた。あの紅の甲冑は!!
探し物は、すぐに見つかった。相手もこちらを探していたからである。
敵は、高所にいた。箱型の塔。そのうちのひとつの上に、紅の巨体は屹立していたのだ。こちらを見下ろすように。
「―――いつの間に」
アリヤーバタは、逃れられぬことを悟った。
敵手が跳躍したのはこちらが身構えたのと同時。
巨大な山猫が、踏み込んだ。
◇
【市ヶ谷 防衛省中央指揮所】
「空爆は成功。首都高崩落により敵、ロボット1体全損、2体損傷を確認するも残りは不明とのこと」
静かな歓声が上がった。
陸海空、三自衛隊が集約した中央指揮所。そこに届けられた報告は、今後の展望を開くものだったからである。戦車程度ならば粉砕しうるMLRS―――余談であるが、本来移動目標を狙う兵器ではない―――を受けても無傷だった敵、ロボット兵器にようやく、地球人類の兵器でダメージを与える事が叶ったのだから。
速やかな再攻撃が望まれた。
「第二波攻撃の際は誤爆に気を付けろと伝えろ。間違っても友軍に当てるな」
命令はオペレータによって伝達される。第二波、第三波攻撃は速やかに行われるだろう。敵の武装は槍や斧、剣と言った白兵戦用兵器のみだとの報告が上がっていた。反撃を受ける心配はない。むしろ味方の巨大人型兵器―――政府はよくぞあんなものを引っ張り出してきたものだ!!―――への誤射の危険の方が大きいだろう。いかに誘導爆弾が誤差数十センチでの命中を可能とするとはいえ。
そのはずだった。
「―――なんだと?」
ほんの僅か、緩んだ空気。それに水を差したのもまた、オペレータだった。彼は声を張り上げ、そして事態を伝える。
「反撃を受けた!一機が撃墜された模様。敵が投じた槍の直撃を受けたとの報告!」
全ての者が、絶句した。高度5000m、音速を超えるF-2戦闘機を、槍で撃墜した、などとは。
「―――再攻撃だ。槍ならばそう何本も装備できない」「確認させろ!敵が装備していた槍は何本あった!?」「他の遠距離兵器の有無もだ!!」「現地の被害はどうなった!?市街地で十メートル以上もある物体が音速を突破したんだぞ!」
飛び交う指示。
状況は混迷を極めていった。
◇
瓦礫が起き上がった。
欠けていく太陽の下。崩落した首都高の中からゆっくりと立ち上がったのは、鈍色の甲冑だった。破片や粉塵が落下していく。目立ったダメージはない。損傷が比較的軽微で済んだのは、咄嗟に受け身を取ったからだろう。サモスのコノンの卓越した操縦技術はそれを可能としたのである。
コノンは、空中で散華していく敵、飛行甲冑に目を向けた。彼が咄嗟に投じた反撃の槍。それは重力に逆らって加速し、そして敵を追尾したのである。音速すら突破して。
精霊は気まぐれだ。邪魔をすることもあれば、手助けしてくれる場合もある。今回のように。だから同じことをやれと言われても、できる保証はない。誰にもできないだろう。コノンはただ、直感に従って槍を投じただけだ。
周囲を見回す。5名いた部下たちはいずれも大きなダメージを受け、生死すら定かではない。
だが、任務は果たさねばならぬ。
コノンは瓦礫をかきわけ、そして武装を手に取った。半壊し、操縦槽の中から血がしたたり落ちている甲冑の、遺品を。
急がねばならない。何しろここは敵の首都なのだ。
サモスのコノンは、任務を再開した。
◇
―――早い!
イーディアは上昇しつつあった。ビルの壁面を駆け上がる敵手。山猫の依り代を追いかけていたのである。恐るべき敏捷性だった。
両者がビルの屋上へとたどり着いたのは、ほぼ同時。
推力を使い切って着地したイーディアへ、呪術師操る山猫の巨体は飛び掛かってくる。
もう幾度目になるか分からぬ激突。違うのは、イーディアが相手を抱き留めたことであろう。
―――捕らえた!
しっかりと捕まえる。勢いのままに後ろへ跳躍。足場が崩壊していく。大丈夫。あと少しだけ保ってくれればいい。
イーディアは、敵ともども空中へと飛び出した。
◇
―――しまった!?
アリヤーバタは、己が空中へと投げ出されたことを自覚した。御神体ともども、敵手に抱きかかえられて。
山猫の祖霊を降ろした御神体には、いかなる高度から落下しても無事に着地することができる加護が備わっている。だが、そのためには受け身を取れる状態でなければならぬ。捕まえられた現状、それは不可能。敵は地面に激突する寸前で離脱するつもりなのだ!!
浮遊感。もはや時間はない。だが勝ち逃げはさせぬ!!
アリヤーバタは御神体より跳躍すると、鉤縄を投げつけた。紅の甲冑。イーディア操るそれの頭部へと。縄を手繰り寄せる。刃を抜き放ち―――
時間切れだった。
強烈な蒸気が、敵手の全身より噴き出した。反動が紅の甲冑を浮かび上がらせ、地面との激突を阻止する。
落下した御神体が、粉々に破壊された。
そして、アリヤーバタ。縄で敵にぶら下がったこの呪術師は、地面との不本意な接吻を回避することに成功したのである。振り子のように振り回された彼は、勢いのままに近くのビルへと跳躍。砕けた窓へと飛び込んでいった。
山猫のわざを身に着けていなければ、この段階で死んでいただろう。
「―――グハッ!」
とは言え、アリヤーバタの負傷は軽いとは言えなかった。無理な姿勢で飛び込み、蒸気も少なからず浴びていたからである。
外の敵手へと目をやる。
紅の甲冑。人間をはるかに上回る巨体は、御神体の破壊を確認するとそのまま去っていった。生身のアリヤーバタより優先順位の高い目標へと向かったに違いない。
ひとまず生き延びたことを悟ったアリヤーバタは、負傷した体で立ち上がった。速やかに
◇
崩落した高架。巨大なそれが、持ち上がっていく。
とてつもなく強力なパワーによって押し上げられたそれは、驚くほどゆっくりとひっくり返った。粉塵が舞い上がる。大地が震える。残っていた市街のガラスが砕け散る。
その向こう側。邪魔な障害物を排除したのは、鈍色に槍を携えた12メートルの巨体。
サモスのコノンだった。
高層建築を背にした敵手を、イーディアは怖い。と思った。先の一撃。鈍色の甲冑が投じた槍が、地球の飛行兵器を貫く様子は彼女も見ていたのである。信じがたい技量。甲冑の性能を限界以上に引き出すその戦闘経験。
だが、勝たねばならぬ。
手にした槍を握り締める。操縦槽に吊るされた体はもはや汗だくだ。体力の限界も近い。今度は奇襲は通用せぬ。勝負は一撃で決まるだろう。
敵手が槍を逆手に構えるのと、こちらが甲冑を踏み込ませたのは同時。
鈍色の巨体が槍を投じるのは、驚くほどゆっくりに見えた。集中力が極限まで高まっていく。槍が迫る。
そして、運命の瞬間が訪れた。
◇
―――勝った。
サモスのコノンは勝利を確信していた。投じた槍は紅の甲冑。その操縦槽を貫くだろう。敵の性能はもはや見切った。噴射の反動で回避するには近すぎる。
事実、紅の甲冑は回避しなかった。
その必要がなかったから。
紅の甲冑に槍が命中するという運命は捻じ曲げられた。魔法の根幹を成す物理法則。すなわち精霊のいたずらによって、物理的に。
敵手をかすめていく、槍。
強烈な一撃が、鈍色の甲冑を貫いた。
「―――がっ……はっ……!」
致命傷だった。もはや助かるまい。構造材に押しつぶされたコノンは、眼前。窓の向こうに、少女の顔を認めた。尖った耳。色を持たぬ髪。
名はイーディアと言ったか。
「……見事」
悔いはなかった。これぞ、武人の最期に相応しい。ただ、称賛の言葉が相手に届いたかどうかだけが心配だった。
敵手の顔立ちを目に焼き付けながら、サモスのコノンはその生涯を終えた。
◇
「……勝、った……?」
イーディアは、茫然と呟いた。敵の槍は確実に自分を貫くはずだったのに。まさか、精霊が己を助けてくれるとは。
勝利の感慨が湧いてくるまで、ずいぶんと間があった。
―――そうだ。行かなければ。
戦いはまだ終わってはいない。ここが片付いたのであれば、ほかの敵。涼子様の下へ向かい、共に戦わなければ。
動き出そうとして。
「あっ―――」
眩暈とともに跪く。槍を支えにする。立てない。目の前が真っ暗だ。意識が遠く―――。
紅の甲冑が、その全身より蒸気を吹き出す中。
イーディアは、気を失った。
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