第40話 窮鼠猫を噛む
【池の端一丁目交差点南】
ひどい渋滞だった。
片側三車線は先ほどからうんともすんとも動かない。ひっきりなしに聞こえてくるサイレンや爆発音からして、火事か事故なのかもしれない。迂回は無理だろう。左右に立ち並ぶのは大小様々なビルディング。抜け出す隙間などありゃしない。
運転手は諦め、ラジオを付けた。何やら巨大ロボットがどうとかを緊迫した口調で言っているが、ラジオドラマの類なのだろうか。そう言えば昔、アメリカでウェルズの『宇宙戦争』を実況風のラジオドラマにしたという話を思い出したが、ちょうどそんな感じだ。とは言えSFの類を聞く気分ではなかった。チャンネルを変えてみる。
「―――?」
不思議なことに、どの周波数でも同じようなドラマばかりしている。そんなことがあるのだろうか。まああるのだろう。現にやっているのだから。
などとしている間に。
振動。
幾つものそれ。どうして気付かなかったのか。と言うほど大きさは、段々と威力を増している。近付いているのである。前方から。
地震にしてはおかしいな。などと考えながら顔を上げた運転手は一瞬、自分の見たものが信じられなかった。
兜だった。
でかい。信じられないくらいに大きい。軽自動車くらいあるのではないか。という代物が、前方の交差点。その左側、ビルの向こうからぬぅっ。と顔を出したのである。どころか、首から下、全身を露わとしたではないか。
まさしく今、ラジオでがなりたてていた物体。
巨大ロボット。
均整のとれた人型のそいつは、まるでスローモーションのようにゆっくりと、踏み込んだ。
轟音から一拍遅れて、振動が来る。更に二歩目は、大きくこちらへ向きを変えながら、大地に沈み込んだ。
ぽかん。とする運転手。なんだあれは。なんの冗談なのだ。あいつ、角のビルくらいに大きいぞ!?
あまりの巨大さに遠近感が狂う。見上げるような。いや、ような。ではない。実際に間近となれば、見上げることでしか全貌を伺い知る術はなかろう。
幸いにも、その機会はすぐにやって来た。物理的に歩いて。
乗用車が踏み潰された。蹴り飛ばされた軽トラが宙を舞い、バスが跨ぎ越されていく。大型トラックが槍で転がされる。邪魔になるような大きい車両はなるべく避ける様子が、却って異様に感じられた。あれでは人間ではないか!!
正気に返れたのは上下動のおかげであろう。飛び交う車両や貨物の激突、歩行による振動によってもたらされた勢いで、運転手は額を打ったのだ。
―――逃げなければ!!
ドアを開ける。飛び出そうとしてシートベルトが引っかかる。もどかしい。誰だこんなものを考えた奴は。
四苦八苦してベルトを外した運転手は、影が差したのに振り返った。
いつの間にか間近に迫っていた巨大ロボットが足を降ろすのと、運転手が飛び出したのは同時。
めりめり。と音を立て、愛車が圧壊していく。恐るべき質量を備えた下手人は、気にする風でもなく次の一歩を踏み出した。
信じられないほどの巨体に圧倒される。車を踏み潰した
そこまでが、翻るマントに覆い隠されるまでの一瞬で見て取れた。運転手が茫然と見送る間にも、そいつは道路を蹂躙していく。
九死に一生を得た運転手。防犯装置のアラームが鳴り響き、粉塵が舞う。ガソリンの臭いや、それ以上に血臭が漂う。
そこで突然、スマートフォンが甲高い音を響かせ始めた。懐から取り出してみれば、エリアメールの緊急速報。テロに注意してください。との文面。そこらじゅうで同様のアラーム音が聞こえてくる。ようやくこれが現実に起こったことなのだ、と理解した彼は、周囲を見回した。
終わっては、いなかった。
後続。次々と、先ほど同様の巨体が歩いてくるのである。
戦争は、まだまだ始まったばかりだ。
◇
異様な街並みだった。
どちらを向いても驚くべき高層建築。しかも多くが鏡張りである。あらゆる建物は、高価なガラスをふんだんに使って窓を拵えてあるのだ。なんと豊かな都市なのか。
甲冑を操る騎士は、高層ビルのひとつ。そこに映り込んだ自分自身を見て感嘆の溜め息をついた。まさか十二メートルの巨体全てを、鏡写しに見ることになろうとは!
歩行の振動で多くの窓ガラスが割れていなければ、もっと見事だったに違いない。
それら不可思議な光景は、高速で後ろに流れていく。甲冑の歩幅は大きい。普通に歩くだけでもその速度は馬に匹敵するのだ。
足元を埋め尽くしているのは大小の構造物。金属で出来たそれは、輸送のためのある種の機械なのだろう。どうやら片側を通行するようになっているらしく、左半分はこちらに背を向けている。まあ関係ない。徹底的に蹂躙せよとの陛下の御命令だ。
そこで前方。巨大な往来の中央をふさぐ、これまた車両の列。今までとは違う、統一性のあるデザイン。さらにはそれを遮蔽にして展開する濃紺の制服の男たち。恐らく官憲、それも衛兵の類であろう。そんなちっぽけな装備で、甲冑に立ち向かおうと言うのか。
面白い。
騎士は、武装を振り上げた。
◇
【中央通り】
『連中、山手線を南進中。そうだ、線路の上を歩いてる!』『首都高にロボット侵入!江戸橋JC方面に向かってます!!』『サッカーミュージアム前!パトカーが踏み潰された!それだけじゃない、車を踏み潰しながらあいつら進んでるぞ!!』『こちら本富士警察署!東大を突っ切っていきやがった!建物まるごとだ!署も半壊、いや倒壊!!死者、負傷者の数は見当もつかない!』
大パニックだった。
次々と入ってくる警察無線。逃げようとする車列は渋滞となり、まだ事態を把握していない市民をも巻き込んでの大混乱が生じている。政府はエリアメールや防災行政無線の屋外スピーカー、テレビやラジオ、SNSなどあらゆる手段で避難。あるいは屋内や地下への退避を呼び掛けてはいるが、どこまで効果を発揮しているかは疑わしい。
首都防衛を任務とする陸自の第一師団も動いているが、この混乱では到着まで時間がかかるだろう。米軍や空自による攻撃も検討されたが、市民の避難が完了していない現状では躊躇われた。
といった情報も、現場まではまともに届いていない。警察無線の同報性によって断片的な内容が―――時に断末魔が―――飛び込んでくるだけだ。上も混乱しているのが伺えた。
だから、ここ。何台もの車両でバリケードを築いた警察官たちにとっては、見えるものが全てだった。
「来るぞ―――」
騒音の中。ちいさな呟きは、驚くほどに大きく聞こえた。
迫ってくるのは、文字通り見上げる必要のある巨大二足歩行機械たち。左右のビルと比較しても遜色ない巨体。アスファルトを陥没させながら歩いているそいつらは、どれ程の質量を備えているというのか。高まる緊張。マントをなびかせ、剣を帯び、槍や金砕棒、大金槌で武装した巨大ロボットたちに向けられた火器はあまりにもちっぽけだ。ニューナンブM60。1990年に調達は終了されながらも今なお現役のリボルバー拳銃は、この局面に至って地球人類最初の反撃を開始した。
撃鉄が落ちる。雷菅が着火し、火薬が爆発。生じたガス圧が弾丸を押し出す。
銃口を飛び出した一撃は狙い通りに飛翔。相手は外しようもない巨大さである。命中するはずだった弾丸はしかし、その直前で静止。弾丸に宿る器物霊が、強力無比なる精霊の霊力に恐れをなした結果だった。
矢除けの加護は、地球の武器をも阻止するのだ。
後は堰を切るかのようだった。各々が撃ち尽くすまで射撃は続けられたのである。硝煙がたなびき、耳が痛くなるほどの銃声。されどそれで敵は止まらない。止まるはずもなかった。例え矢除けの加護がなくとも、結果は同じだったろう。
蜘蛛の子を散らすように逃げていく警官たち。
そこへ、無慈悲なる攻撃が加えられた。バリケードとなった警察車両。大型の装甲車へと、大金槌が振り下ろされたのである。その圧倒的な破壊力に耐えられる物質などあろうはずもない。最新鋭の戦車でもぺちゃんこにできる一撃は、暴徒程度しか想定していない警察車両を砕いた。のみならず、その下の地面に対しても甚大な被害を与えたのである。
もちろん、それで終わりではなかった。逃げ散る不遜な地球人に対して報復すべく、十二メートルの巨体は踏み込んだ。大地が陥没する。ひび割れが急速に拡大。百トンの質量を支えきれず、崩落していく。
地盤を踏み抜いた、巨体。
巨大ロボットの操縦者は知らなかった。東京の地下を縦横無尽に走る、地下鉄のトンネルのことを。警察は敵を挑発し、その真上を破壊させることに成功したのである。
見事してやられた巨体は、ゆっくりと傾いていく。もはやバランスを回復する術はない。息を飲む警察官たちの眼前で、まるでスローモーションのように転倒したそいつは、大地との接吻を果たした。のみならず、熱い抱擁までも受けたのである。大地があまりにも柔らかすぎるが故に、深くめり込んだのだった。
快挙といっていいだろう。
だが、そこまでだった。敵は単独ではなかったからである。
「!退避!退避ぃぃぃ!!」
後からきた巨体は、手近な車両を蹴り飛ばした。不運な警官の何名かが押し潰される。生き残ったものたちももはや逃げ惑うばかりであった。
警察を撃退した侵略者たちは仲間を助け起こす。
この日、最も上手くやった者たちでさえこの有り様だった。もはや警察の能力では対処できぬ領域にまで、事態は悪化していたのである。
体勢を立て直した侵略者たちは、侵攻を再開した。
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