第37話 山猫と少年(後編)

【西暦1986年 水晶の谷】


「逃げたぞ!」「あちらだ!」

刺客どもの声を背に、二人と一匹は夜の林を疾走する。

「私が囮になる。そなたは逃げろ」

「無駄だ。奴ら、目撃者も消す気だろう。略奪目当ての山賊ならばいきなり火球など投げつけてくるものか」

アリヤーバタも敵勢の。そして少年の素性に薄々勘づき始めていた。恐らくお家騒動の類だろう。それも、かなり高貴な家に違いあるまい。

そして逃げ切れぬことも彼は気付いていた。少年は病み上がりである。はや息が切れ始めているのだ。このままでは追い付かれよう。

だから彼は決意した。敵勢を迎え撃つと。

「仕掛けるぞ」

呪術師は、反転した。


  ◇


刺客は、今度こそ任務の成功を確信していた。前方を逃げる二人組の一方が反転し、こちらへ向かってきたからである。こちらは多勢。勝利は決まったようなものだ。

誤りであった。

剣を手にした敵手は、立木を盾に向かってくる。そこへ踏み込む。斬りかかる。その瞬間、飛来したのは手斧。

木陰に入った一瞬で持ち替えたのだ、と気付いたときにはもう、遅い。

一撃を胸に受けた刺客は、たちまちのうちに絶命した。


  ◇


恐るべき手練れだった。

アリヤーバタ。この呪術師は敵勢に襲いかかると、たちまちのうちに数名を切り伏せてしまったのである。少年が援護する暇もない。さすがは勇猛で知られる山猫の民だけのことはある。

と。そこで彼は、呪符を構えた敵の姿を認めた。狙いはアリヤーバタであろう。術を唱えていては間に合わぬ!

だから彼は、腰に下げた得物を構えた。のである。狙いを定める。弾は彼自身が鋳造した。大丈夫。必中の呪文が刻まれている。

引き金が引かれると同時。撃鉄が落ち、。爆発によって弾丸が押し出される。

放たれた礫は、見事目標の中央。心臓に命中し、その生命を奪った。

後に残ったのは巨大な音だけ。

不可思議な武器の威力と、そして何よりアリヤーバタの武勇に敵勢が怯む。彼らは一旦間合いをとると互いに目配せ。

刺客どもは、速やかに撤退していった。


  ◇


「助かった。礼を言う」

アリヤーバタは、助けるつもりだった相手に告げ、その手を見た。そこに握られたを。なるほど、これはある種の弓なのだろう。となると中央部のシリンダーはか。あそこから何らかの作用でつぶてが飛び出すに違いない。目にも止まらぬ早さで。

アリヤーバタは、その武器。の本質を一目で見抜いていた。その利点と欠点を。随分と凝った仕掛けだが、泥人形には通用すまい。大きな獣にも。これは純粋に人を殺すための武器なのだ。

そこまでを推測した彼は、しかし違うことを口にした。

「ひとまず退けたがどうする。奴ら、こちらを始末するまで諦めんぞ」

「ああ。兄上の執念深さは毒蛇並みだ」

アリヤーバタは驚いた。少年が敵の素性について述べたからである。

「家督争いか」

「そうだ。と言っても私はそんなもの、興味なかった。血塗れになってまで手にいれるもんじゃない。私に代わって引き受けてくれるというなら喜んで譲ってやったものを」

心底軽蔑するような物言いに、アリヤーバタも共感。少なくともこんな子供に刺客を送り付けるなど論外だ。

とはいえ憤っていても仕方ない。どうすべきかを思案する。

「ひとまず近くの神域に逃げ込もう。どんな命知らずでも、精霊を怒らせる危険は犯すまい」

「―――いや。そうも行かなくなったようだ」

背後よりの轟音に振り返った呪術師は、見た。起伏の向こう側より顔を覗かせている新手の姿を。に上半身を伸ばしている、巨大な人型を。

たちまちのうちに起伏を乗り越え、木々をなぎ倒しながら滑り降りてくるについて、アリヤーバタは知っていた。

「……馬鹿な。子供相手にそこまでするのか!?」

甲冑。高位の精霊を降ろした戦闘用の寄り代は眼前ですると、体をこちらへ向ける。黄土色の装甲と手にした大鎌が不気味だった。

二人を見下ろす格好となったその体躯は、城塞の見張り塔にも匹敵する。もちろん何の準備もなしに勝てる相手ではない。それがたとえ、甲冑狩りで名の知られた山猫の民であっても。

大鎌が、大地を薙いだ。


  ◇


「ふはははは!」

第三王子フワーリズミーは哄笑を上げた。目の上のたんこぶだった弟を手にかける機会がようやく訪れたのだから。

操縦槽の先に広がるのは大地。大鎌は甲冑同士の戦闘には向かぬが、元来が刈り取り用の農耕器具だったこの武装は広範囲を攻撃するには実に都合がよい。切断された木々。砕け散った岩石。林が、広場と化していたのである。ただの一撃でこの威力。笑わずにおられようか。

前方には、横たわる二人の人間。地面の窪みに飛び込んだか。まあ問題ない。次は回避の余地がないよう、十分接近してから一撃すればよいのだ。

「さあ。お前も母親の下へ送ってやろう。アルフラガヌスよ!!」


  ◇


間一髪、少年は。アルフラガヌスは生きていた。アリヤーバタが咄嗟に窪みへ引っ張り込んだからである。

身を起こしたアルフラガヌスは、掌がねっとりと濡れていることに気が付いた。更には鉄錆のごとき臭い。彼は、この呪術師が身を盾としたことを知った。

「……逃げろ」

重傷を負ったアリヤーバタの囁き。

少年はかぶりを振ると立ち上がり、敵を見据えた。彼は知っていた。敵、甲冑を駆る騎士の名を。故に彼は叫んだ。

「何故だ。何故このようなことをする、兄上。どうして殺した。身を守る術も持たぬ女官たちを。忠実なる衛士たちを。かしこき我が近習たちを。

そして何より母上を、なぜ殺したのだ!半分とは言え、お前は私と血を分けた兄弟ではなかったのか。フワーリズミー!?」

返答は、高所より来た。

「ははは!知れたこと!!血を分けた兄弟だからよ!

諸侯会議は兄上の廃嫡を定めるだろう。なれば王太子に指名されるのはお前かも知れぬ!」

相手の言を、アルフラガヌスも理解はできた。長兄たる、現王太子は病気がちである。霊力も優れているとは言い難い。国の祭祀を役目とする王の座に相応しいとは言えぬだろう。父王が危篤の今、この国は揺れていた。王子王女たちの王位継承権争いが激化しつつあったからである。危機を悟った父王は、アルフラガヌスとその母カロラインへと命じた。事が済むまで都を離れ、辺境の地で息を潜めているようにと。後ろ楯を持たぬこの母子が最も危険な立場に置かれているのは誰の目にも明らかだったからである。

最大の皮肉は、母子のための行いが破滅を呼び寄せたことであろう。

「アルフラガヌスよ。正直に認めよう。霊力。人望。武芸。知性。いずれもお前の方が優れている。私は恐ろしい。その才覚が。気が付けばお前に嫉妬している自分がいることが恐ろしい。玉座を奪われることよりも、この劣等感を抱いて生きていかねばならぬことこそが恐ろしいのだ!

だが!今ここでだけは、私が上だ!!この力、抗えるものならば抗って見せるがいい!!」

大鎌が、再びられる。回避の余地はない。

最期の瞬間を、少年は待った。


  ◇


フワーリズミーは。次なる攻撃を確実なものとすべく、距離を詰めたのである。もはや眼下の弟が助かる術はない。強力な一撃は確実にその生命を奪うであろう。

一撃を、振るうことが出来たのであれば。

フワーリズミーは手を止めた。どころか、阿呆のようにぽかん。としたではないか。

彼にそうさせるほどに奇怪な事が、今まさに進行していたから。

操縦槽の暗い内部空間。そこが。。その向こう側から溢れてくるのは、輝き。奇怪な建造物が立ち並ぶ、光溢れる都市の姿が見えるのだ。なんだ。あれはなんだ。なぜあんなものが見えるのだ!?

それで終わりではなかった。

光を背にして来たのは、毛をはやした美しいいきもの。

山猫だった。

を潜り抜けてきたそいつは、フワーリズミーを支える革帯の上に降り立った。裂け目が閉じるが、もはやそんなことは関係ない。山猫は踏み込み、そして茫然とするフワーリズミーへと一撃したのだから。

絶叫が上がった。

爪で眼球を抉り出されたフワーリズミーは、無茶苦茶に暴れた。それは操縦槽の中だけではなく、彼と同調した甲冑そのもののコントロールの喪失。という結果を招いたのである。

轟音が上がる。巨大な二足歩行兵器が擱座した結果だった。

ややあって。

のぞき穴の一つから操縦槽へと差し込まれたのは、鋼鉄でできたパーカッションリボルバー。

矢除けの加護は、もはや接触した敵に対しては機能しない。

が響いた。


  ◇


「……くっくっ……わらうが…いい……」

解放された操縦槽の中。アルフラガヌスの眼前で、第三王子は死を迎えようとしていた。顔面にはひっかき傷だらけで、片目を失い、そして胴体の中央にふたつの銃創を負った姿。

「兄上……」

「……しっかりと見ておけ………これが力なき者の末路、よ………そなたもいずれ、こうなるのだ………」

それが、第三王子フワーリズミーの最期だった。

「……私は兄上のようにはならぬ」

少年は、手の中の鉄塊を見た。パーカッションリボルバー。異世界で作られたという、武器。母が遺した最後の力。

これだけでは足りない。力が必要だった。誰にも負けない力。誰にも踏み躙られないための力。大切なものを失わぬための力が。

「みゃあ」

顔を向けると、操縦槽の中で鳴き声を上げていたのは山猫。アルフラガヌスは、自らがこの小さな生き物に救われたのだということを知った。

抱き上げ、撫でる。優しく。

「そなたに救われたのだな……」

アリヤーバタから聞いた言い伝えが脳裏をよぎる。幾つもの欠片ピースが集まり、形を成していく。これからどうすべきかの考えがまとまって行く。まずはこの国を手に入れよう。何をするにもまずそれからだ。母上の足跡を辿ろう。伝承を調べよう。

世界を渡る術を、きっと見つけ出そう。そうして自分は手に入れるのだ。

誰も手にした事のない、途方もなく巨大で強大な力を。

曙光が、世界を優しく照らし出していく中、少年は誓った。


  ◇


アリヤーバタが目覚めたとき、そこは柔らかい寝台であった。周囲は石造りの室内。様式からしてどこかの神殿であろうか?

体を見下ろせば、治療の痕。何があったかを思い出す。助かる余地などないと思っていたのだが。

「目が覚めたか」

振り向いてみれば、そこにいたのは自らが救った少年の姿。付き従っているのは高位の魔導士であろうか。

少年はこちらへ歩み寄ると、王者の威厳をもって宣言した。

「改めて名乗ろう。

我が名はアルフラガヌス。ファルガーニーの八番目の息子にして、偉大なる精霊王の末。

アリヤーバタよ。私に仕えよ。そなたとそなたの一族の力が、私には必要だ。

多くの血が流れるだろう。それは果てしなき大河となりて、我が先行きを指し示すだろう。そなたにはその水先案内人を頼みたい。

引き受けてくれるか?」

アリヤーバタが茫然としていたのは一瞬。彼はすぐさま正気に返り、そして臣下の礼を取った。

「御意。

殿下の向かうところ、どこまででもお供しましょう。それが例え、猫の道の向こう側であろうとも」

誓約は為された。

この言葉が現実になるのは、これより32年後の事となる。

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