第32話 陽光の裁き

三宮には、古い建造物が少ない。阪神大震災によって多くが倒壊したからである。その数少ない例外である、三ノ宮駅前の商業施設。1981年の生誕から現在までずっと、幾度もの改装と入居する店舗の入れ替わりを経ながら生き残ってきた11階建てビルの一階で、事件は起こった。

2号線を爆走してきた暴走車が急に右折したかと思えば、そのまま突っ込んできたのである。凄まじい衝撃が、ビルを襲った。

自動ドアが破壊され、コンクリートの壁にひび割れが走る。衝撃で客が転倒し、飛び散ったガラスが子供に突き刺さった。

駆け付けてきた店員たちが目にしたのは、大破したピックアップトラックから降りてくるひとりの老人。幽鬼のごとき無残な姿は、たった今起きた事故によるものなのだろうか。

「だ―――大丈夫ですか!?」

駆け寄った店員が差し出した手は、拒絶された。老人によって振り払われたのである。どころか、老人は更なる暴挙に出た。

老人が伸ばした腕。その先に光が灯り、たちまちのうちに大きくなり、そして天井に向けてする。飛び散る火花は雨のように強烈で、電灯は片っ端から死んでいく。もはや店内を照らすのは非常灯と外部の光のみ。強烈な電撃ライトニングボルトの魔法が店舗の電気系統を破壊し、ブレーカーが落ちたのだ、ということは店員には分からなかった。分からなかったが。

「きゃあ!?」「逃げろ!!」「テロ!?」「凶器を持ってるぞ!!」

伏せる者。逃げ出す者。たちまちのうちに巻き起こる、パニックの渦。その中へ、老人は。ヴァラーハミヒラは、踏み込んだ。敵を迎え撃つために。


  ◇


薄暗い空間だった。

避難する客や店員とすれ違い、元の姿に戻ったヒルダわたしが踏み込んだ時。そのビルディングの中は、半ば闇に包まれていた。電気系統が破壊されているのだろう。エスカレーターは停止し、砕けた蛍光灯からは時折火花が飛び散っている。破片を浴びた商品がもの悲しさを感じさせた。

ヴァラーハミヒラの意図は分かる。わたしを迎え撃つつもりだろう。ここならば隠れ場所や武器になるものは事欠かない。よかろう。敵の思惑に乗ってやろうではないか。

停止したエスカレーターを上る。2階はファッションとライフスタイルのフロアだ。以前来たことがある。市営地下鉄の沿線に住む者ならだれでもそうだろう。久しぶりの店内。商品配置やラインナップは変わっているが構造は同じだ。奥に気配。踏み込む。警戒しながら進んだ先。物陰にいたのは―――

「……ぅ。ひっく……」

泣きじゃくる小さな子供。親とはぐれたか。まずい。巻き込むわけにはいかぬ。かわいそうだが放置していくしかあるまい。

そう思い、振り返ったところで風切り音。

姿勢を崩しながらの後ろ蹴りを叩き込む。硬い感触が吹き飛ぶ。立ち上がる。そちらへ向き直って、敵の正体が知れた。

マネキン。手に包丁を持ったそいつは必死で起き上がろうとしている。人形は魔術師にとって、最も操りやすい物体のひとつだ。

スマートフォンを取り出す。事前に準備してあった呪符のをタップ。データが。生成された理力の矢エネルギーボルトが、マネキンへと襲い掛かる。

敵は粉々に砕け散った。

露骨な罠だ。わたしには通用せぬ。

子供を後に残し、わたしは進んだ。


  ◇


ヴァラーハミヒラは待っていた。隠れ場所の前に、敵手が現れるのを。

準備は済んでいる。肉体に直接、血で描いた呪符。望むだけで発動する。ヒルデガルド王女を仕留める最後の武器。

エスカレーターを上る足音が、聞こえてきた。


  ◇


たどり着いたベーシック&カジュアルの階。そこには無数の気配が満ちていた。

「ヴァラーハミヒラよ。まだかくれんぼを続ける気か?」

返答はない。だが、いるのだろう。敵手が。背後の窓。ガラス張りの壁面より射し込む外の照明に照らされながら、わたしは踏み込んだ。

マネキンが襲い掛かってくる。ぬいぐるみの抱き枕が。絨毯が宙を舞い、インテリアが足元から攻め寄せる。そのことごとくに理力の矢エネルギーボルトを放ち、突風で薙ぎ払い、稲妻ライトニングボルトで応戦しながらわたしは進む。もはや雑兵では相手にならぬ。そのことはヴァラーハミヒラもよくわかっているはずだった。

もう何度目か分からぬ襲撃を薙ぎ払っていた時、本命が来た。かりそめの生命を与えられた魔法生物たち。彼らの群れを突っ切って、血だるまとなった老人が突っ込んできたのである。

ヴァラーハミヒラだった。

わたしの魔術に傷つきながらも、彼の突進は止まらない。防御魔術による抵抗レジスト!!

振りかぶられる、包丁。

スマートフォンを犠牲に一撃を受け止めたわたしへ、ヴァラーハミヒラは抱き着いた。

「―――離せ!!」

「離しませぬ。離しませぬぞ。貴女様は、私と一緒に死ぬのですから!!」

霊力が膨れ上がっていく。敵手の内から燃え上がるそれは、凄まじい勢いで顕現。現実の燃焼と化してわたしたちを飲み込んだ。

「ふはははははははははははは!私の勝ちだ!!」

哄笑が、響き渡った。


  ◇


ヴァラーハミヒラは、今度こそ勝利を確信していた。吹き上がる炎は、彼の生命そのものの燃焼だ。いかなヒルデガルドの霊力とは言え、長くは耐えられまい。

「そこまで。そうまでして何を望むのだ!ヴァラーハミヒラよ!!」

「知れた事。我が王。魔法王アルフラガヌス陛下こそが地球の覇者となられるにふさわしい!!貴女様も見たであろう。深海から宇宙に至るまで手を届かせようという、広大無辺なる世界。恐るべき工業力。素晴らしき工芸品の数々。莫大な富。

そのすべての根幹を成す、深淵なる科学の叡智を!!

欲しいのだ。我らはすべてを手に入れねばならぬのだ。我が陛下のために!!

そのためにならば、この老いぼれの命程度くれてやろう!!貴女様と引き換えならば安いものよ!」

「―――そうか。ならば、見せてやろう。深淵なる科学の叡智。そなたが知らぬ、その果てを!!」

!?

敵手の発言に疑問を覚える暇などなかった。何故ならば、周囲の光景すべてが、突如としてからである。

薄暗い店内の代わりに現れたのは、虚無。

星々が瞬くここはどこだ。何が起きた。いや。この全身をさいなむ奇怪な苦痛はなんだ。炎が消滅。胸が苦しい。そう思う暇もなく、肺が破裂。呼吸できない。―――!!

『そもそも大気とは、地球の重力につかまって存在しているものだ。その密度は高度に反比例して低下していく。その最果て。外気圏では常に多量の空気が惑星の外へと流出しているのだ』

聞こえてくるのはヒルデガルドの思念。姿勢の彼女は冷酷にこちらを突き放した。

『重力は偉大だ。質量は空間を歪め、万物の直進を妨げる。それは物質をひとところに集める力であり、星を生む根幹なのだから。その庇護なくして、脆弱なる生命は生きること叶わぬ』

ヒルデガルドは離れていく。追いかけようにも足場がない。いや。体が浮かんでいるかのようなこの感覚はなんだ。一体何が起きているのだ!?

『そして太陽。そのエネルギーもまた、重力によって発する。極限まで高密度になった物質はその重みによって融合し、巨大なエネルギーへと転じるのだ。だが、そのためにはもう一つの作用が必要となる。この世界を支配する、もう一つの法則が』

意識が混濁する。駄目だ。死ぬ。敵を殺せぬまま。

によれば、極微の世界においてはいかなるものも確固とした実態を持てぬ。素粒子は、ある一定の領域に存在するのだ。まるで雲のように。これはすなわち、領域をまたぐ壁があっても、ということだ。それも、光速すら超えて。

地球の科学者たちはこう名付けた。

と』

ヒルデガルドが極めて重要な事を言っているのは分かった。この世界。地球の物理法則の根幹を成す、非常に重要な原理について。だがそれを理解するだけの時間がない!!

『重力と、そして量子論的作用。このふたつが揃って初めて太陽は輝く。見るがよい。この星の人類はその秘密を解き明かした』

もがくヴァラーハミヒラの目に入ったのは、蒼。途方もなく巨大で、見透かせないほどに澄んだ色のその球体は、まさか。

『今は破壊の力でしかない。しかしいずれ、この世界のすべてを照らす優しい光へと変わるだろう。それをけがさせるわけにはゆかぬ』

振り返ったヴァラーハミヒラの視線の先。地球の彼方へと沈みつつある太陽を背にしたヒルデガルド王女は、まるで女神のように美しい。

事ここに至ってようやく、ヴァラーハミヒラは理解した。己がいかなる力でここに運ばれたのかを。ここがどこなのかを。

―――これが、宇宙。王女は、誰も為し得なかった宇宙への到達を実現したというのか!科学の叡知の力を借りて!!

宣告が、下される。

『さあ!陽光に焼き尽くされよ!』

限りなく真空の宇宙。そこに漂う希薄な水素原子が励起される。トンネル効果を制御されたそれらは、自重に引かれて一点へとを開始した。

閃光が迸った。


  ◇


―――死ぬかと思った。

元の階の床に転がりながら、ヒルダわたしは力尽きていた。未完成の魔法を使ったらこの様である。トンネル効果を拡大して、魔法。同じくトンネル効果で核融合爆発を起こす魔法。遥香の言っていた通り、量子論的作用がマクロに拡大すると物質は一瞬でてしまうのだった。神社の神々の加護がなければ死んでいただろう。特に天照大神あまてらすおおみかみの太陽神としての権能と、素戔嗚尊神より受けた矢除けの加護。このふたつがあったからこそ、宇宙線に焼かれず、間近で核爆発が起きたというのに無事ですんだのだ。

これらの術はまだまだ改良の余地がある。物質密度の高い地上で核爆発が起きれば、下手をすると日本列島が消し飛んでしまうだろう。そして転移の術も、実のところまだ上下移動しか出来ない。将来的には地球の裏側まで行きたいと思っているのだが、そのためにはベクトルが保存される問題を解決する必要がある。先は長い。

さて。逃げねばならぬが体が動かない。駆け付けてきた警察に根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だ。どうしたものか。

と、そこで。

「そいつを起こせ」

「はい」

聞こえてきたのは覚えのある声。

わたしの体が、優しく抱き起こされた。

そこにいたのは―――

「やあ。そなたか」

友人。遥香が、立っていた。険しい顔で。と言うことは、抱き抱えているのは恵だろう。顔も動かせないので見えないが。

彼女は、わたしを睨んだまま言った。

「お前は何者だ。答えろ」

「……わたしはヒルデガルド。古の大図書館を守護する者の末裔にして、アレクサンドルの四番目の娘。

そなたたちから見れば、異世界人と言うことになる」

「なら。ならばあの老人も、お仲間か」

「同じ世界の生まれ。という意味ならばそうだ。だがわたしにとっては故国を滅ぼした敵だよ。どうやら、うちの書庫から世界を渡る術を盗んだようだ」

「涼子をどうした。あいつの言っていた通り、乗っ取ったのか。彼女の体を」

友人の声は、震えていた。返答次第でわたしは殺されるだろう。そう思える。

だから、真実のみを口にする。友人に嘘をつく口など、わたしは持っていないから。

「そんなことはせぬ。わたしは涼子の友人だ。交換したのだよ。ふたつの肉体を。もちろん、涼子と相談した。互いに理解し、納得した上での事だ。

今、涼子はあちらの世界でわたしの代わりをやってくれている。やろうと思えば、今夜じゅうにでも元に戻せる。簡単なことだ」

「本当か?」

「今の言葉に嘘偽りはないと誓おう。始祖ハイパティアの名と、精霊にかけて」

そこでふっ。と、張り詰めていた空気が霧散した。泣きそうな顔になる友人。

「―――信じて、いいんだな?」

「もちろんだ」

遥香は、手を差し出した。わたしも、動かぬ体を鞭打ってそれに応える。

重なりあう、ふたつの手。それを認めながら、わたしは意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る