第20話 地獄の谷(※操作ミスで数分の間不完全な原稿を掲載していました。現在は復元済みです)

異星のような景色だった。

地獄谷。この地名を持つ土地は、地球にも多数存在している。火山活動によって発達した異様な風景故だろう。それらは時に過酷である。噴出する熱水。硫黄。有毒ガス。堆積した重金属。時に生物が住めぬ環境もあれば、極限環境微生物が生息している場合すらある。

この地も、そうだった。

滑らかな起伏が複雑に絡み合って出来た巨大な谷。赤茶けた地肌。そこかしこで噴出する蒸気。かと思えばすぐそこには雪が積もり、山肌には木々が生い茂っているという奇怪な光景である。

古来よりの交通の要衝であり、かつ幾多の旅人の生命を奪ってきた危険な土地。それが地獄谷であった。

もちろん歩兵の支援なしで12メートルの巨大二足歩行兵器が踏み込めば、あっという間にあの世行きである。足を踏み外すか。有毒ガスにやられるか。もろい岩盤を踏み抜く事も考えられた。

故に送り出された偵察部隊。魔法王旗下の歩兵分隊は、進路を決め損ねていた。有り体に言えば迷ったのである。

「―――嫌な空気だ」

誰かが囁いた。

僅かばかりの兵士たちは、偵察ということもあって軽装備である。破片よけの鉄兜に、分厚い布鎧クロース・アーマー杖投石器スタッフ・スリング。剣やまさかり火球ファイヤーボール死の呪文デススペルの呪符。その程度。泥人形でも前面に押し立てた有力な部隊と遭遇すれば、たちまちのうちに餌食とされてしまうに違いない。この魔法生物に生半可な攻撃は効かないのだ。2メートルの泥人形ならまだいい。杖投石器スタッフ・スリングで倒せる。しかし3メートルなら鉞で白兵戦をやらかす必要があるし、8メートルともなれば足に火球を叩き込むくらいしか打つ手がない。もちろん甲冑など論外だ。死の呪文デススペル程度で操縦者を守護する精霊の霊力を打ち破る事はできない。精霊は不死の存在だから、結局のところ倒すには寄り代である甲冑を破壊するか操縦者を殺すしかなかった。それも飛び道具によらぬ物理的手段で。

だから、彼らにできるのは祈ることだけ。できれば敵に発見されませんように、と。

果たして。精霊が彼らの願いを聞き届けたのかどうかはわからなかったが、敵とは出くわさなかった。幸運なことに。

代わりに、足元が爆発した。

兵士の一人を飲み込んだそれは、間欠泉。強烈なエネルギーは不幸な兵士を即死させたのみならず、飛散した飛沫が別の兵士にも重度の熱傷を与えるに至ったのである。

「ぎゃあああああああああああああああああ!?」

のたうち回る重傷者を引きずり、生き残った者たちは何とか退避。

「―――こいつは駄目だ」

苦しみ抜いた末に、重傷者も息絶えた。運がなかったのはふたりともだが、即死できた方が遥かにマシなのは間違いなかろう。

なんという環境か。一歩間違えれば自分も餌食になったのだ。残った者たちは身震いした。こんな死に方だけは御免である。

だが、それで終わりではなかった。精霊はまたしても彼らの願いを聞き届けたのである。あまり好ましくない方法。別の死因を与えるという形で。

―――ごすっ

そんな音に振り返った兵士たちが見たのは、仲間の折れ曲がった首と、そして彼の側頭部に命中した石弾。

見上げれば、起伏の上にいるのは敵勢ではないか。先ほどの悲鳴を聞きつけられたのだ!!

兵士たちは武器を取ったが、もう遅い。たちまちのうちに石弾を雨あられと浴びてひとり。またひとりと斃れていく。

偵察部隊は、全滅した。


  ◇


「―――そうか。引き続き警戒を怠るな」

谷間の本陣。街道上の高所に敷かれたそこでハイヤーン卿は報告を受けていた。

前方は幅二百メートル。広いようにも見えるが、甲冑の巨体を考えれば大軍が自由自在とはいかぬ。それに加えてこちらは位置エネルギーを味方につけることができた。緩やかな傾斜だがこれが馬鹿にならない。巨大二足歩行兵器にとって、高低差の影響は事の他大きい。急ごしらえだが障害物も設置され、敵軍を真正面から受け止める準備は万端と言えた。

更には少数の別動隊。ヒルデガルドが率いるそれの主力は、壊滅した流水騎士団の残存兵力を吸収して再編したものだ。バルザックの娘がいてくれて助かった。彼女を旗印としてうまくまとまっていたのである。重装備の大半は放棄したため補充してやる必要があったが、甲冑も少数残存している。今頃はもう配置についているだろう。

後は、敵がうまくこちらを攻撃する気になってくれるかどうかである。決戦とは互いの(暗黙の)合意が成って初めて生起するものだ。不利な側は決戦を回避しようとするから当然ではある。アルフラガヌスもこちらがここに準備して待ち構えていることは理解しているだろう。そのリスクをどう見積もるか。こちらとしては可能な限り敵に与える情報を制限し、行動をコントロールしたい。向こうも考えは同じであろう。戦いはすでに始まっているのだ。

まあ大軍を進めるにはこの道を通るしかない。間道も多数存在はするが、大半は少人数が徒歩で侵入するのがやっと、それも地元民ですら迂闊に入れば帰ってこられない危険極まりない場所である。それに、アルフラガヌスにとってはまとまった数の敵軍を撃破するチャンスでもある。リスクを許容し、攻撃してくるはずだった。

ここまでが、ハイヤーン卿とその参謀たち。首脳部の意図であった。

もちろん、魔法王もそんなことは承知していた。


  ◇


―――厄介な。

魔法王アルフラガヌスが、軍議の席で抱いたのはそのような感想だった。

前方に広がるのは険しい山岳地帯。行軍には谷間の街道を通るよりほかないが、大軍の運用には明らかに不向きな地形である。偵察によればその奥に敵は陣取ったとか。さらに言えば隠れる場所は無数にあろう。後背を衝かれでもしたら目も当てられぬ。送り込んだ偵察部隊の幾つかは行方不明となった。敵にやられたか、険しい地形に遭難したか。

完璧というものはこの世に存在しない。不十分な情報で決断せざるを得なかった。そしてそれは指揮官の仕事である。

もちろんアルフラガヌスは、自らの仕事を投げ出すような真似はしなかった。

「このまま前進する。警戒を密にせよ」

決が出ればあとは早い。配下の上級指揮官たちが天幕より退出する。留意する点についてはすでに軍議で出尽くした。彼らはうまくやるだろう。

唯一退出しなかったのは、宮廷魔導士ヴァラーハミヒラ。魔法王アルフラガヌスその人に比肩すると言われるこの老魔法使いは、人好きのする笑みを浮かべた。

「ご心配めさるな。この戦い、必ずや勝利で終わりましょう」

「ふん。そのようなことは心配しておらぬ。問題は勝ってからのことよ」

「ほう。目先の敵より心配なことがあると?

奪った書庫に望みの知識があるかどうか、ですかな?」

魔法王は、鷹揚に頷いた。

ヴァラーハミヒラは知っていた。魔法王が古の禁呪を求めるその理由を。この男に。アルフラガヌスに魔法を教えたのは、他ならぬヴァラーハミヒラなのだから。

「こればかりは、信じるより他ありませぬな。

古の大図書館。が、こことは異なる世界にあった。という話を」


  ◇


岩壁の合間を、青空が抜けて行った。

実際には地面から噴き出す蒸気が隠している青空が時折顔を覗かせているわけだが、そんなふうに見えたのである。

涼子わたしとその手勢は、大地の裂け目の底にいた。

獣くらいしか通らぬ道。地元の猟師だという兵士が案内人とならなければ、我々も間違いなく見逃してしまうだろう間道である。周囲にはわたしのものを含めた幾つかの甲冑。待機状態の泥人形たち。彼らの武装である巨大な衝角や弩砲。それを監督する兵員。

ちなみに対甲冑兵器としての衝角は長さ20メートルあまりの鋼鉄製である。それを複数の泥人形が抱え、一名ないし二名の兵士が指揮するのだった。甲冑1領相手に衝角8本で互角の戦いが可能だといわれている。

「殿下。お食事です」

「うん?ああ、すまないな。手間をかけさせてしまった」

イーディアが持ってきた椀を受け取ると、隣に座るよう手ぶりで指示する。彼女は会釈してから岩に腰かけた。

「イーディア。そなたもわたしを"姫様"と呼んで構わぬぞ?」

「そうすると"姫様"が増えまする。ややこしいですから」

いたずらっぽく笑うイーディア。この白髪の少女が歳相応の笑顔を浮かべられるのだと、わたしは初めて知った。

彼女の発言に頷くわたし。イーディアも大領主の娘だから、領民や一族からすれば姫様だろう。姫様が二人になったら確かに面倒くさい。

匙で一口。椀の中身は粉末食糧を湯で戻しただけのものだ。まあこの状況では暖かい食事を取れるだけでもありがたい。いつ戦いが始まるかはそれこそ神のみぞ知る、だ。神や精霊、悪霊が実在するこの世界での"神"は、どうしても地球のそれより即物的なイメージが付きまとうが。

「殿下。お聞きしたいことが」

「なにかな?」

「どうすれば、殿下のように強くなれますか?」

問うイーディアの目は真剣そのものだ。まだ彼女の前で剣を抜いたことはないのだが。

考えてから、答える。

「……練習した。たくさん。それこそ、気の遠くなるくらいたくさん、だ」

「たくさん、ですか」

「ああ。それも木剣ではない。非常にに練習する方法があってな。それのおかげで、今まで怪我らしい怪我をしたことがない」

この世界に竹刀はない。練習用の防具も。剣の鍛錬は常に木剣で行われるから、大変危険である。頭蓋を割って死ぬか、あるいは鎖骨が砕けて剣の道を断たれるか。というパターンが大変多いのだった。わたしの記憶が正しければ、竹刀の原型が発明されたのは安土桃山時代のころだが。まあ、19世紀まで発明されなかったクロール泳法という前例もある。あんな単純で速度の出る泳ぎ方がそれまで誰も思いつかなかったのだ。こちらで竹刀や剣道の防具に相当するものが発明されていなくてもおかしいわけではない。今から思えば、せめてこれらだけでも我が国(わたしにもこう呼ぶ権利はあるだろう)に広めておけば、現状がもっと楽になっていただろうが。体系だった訓練方法がそもそもないのだった。

この世界で強くなるには、たくさん殺すしかない。

「―――父の仇を討ちたいか?」

「はい」

イーディアは、父が死ぬ瞬間を目の当たりにしたという。敵の騎士が投じた槍に貫かれたところへ、多数の攻撃を受けたのだと。

騎士の名をサモスのコノン。

わたしはその男を知っていた。以前城塞に訪れた軍使。

「人間はすぐに強くなれるわけではない。だからこれは、わたしからの助言だ。

工夫しろ。強い敵に力で勝てぬなら、素早さで。素早さで勝てぬなら技で。技で勝てぬなら罠にはめろ。それでも駄目なら、人を頼れ。

どんなに強くても所詮は一人の人間に過ぎぬ。風呂にも入れば食事もとる。眠る。付け入る隙は無限にあるのだ」

「―――はい」

「今回の戦、そなたが切り札だ。狙うは魔法王アルフラガヌスただ一人。奴さえ仕留めれば敵は烏合の衆だ。仇を討つ機会は幾らでも巡ってこよう。

頼りにしておるぞ」

「はっ!」

話に区切りをつけ、食事を続けようとしたときだった。

ばさばさ。と空から舞い降りてきたのは、鳥。

そいつは前方に着地すると、人の言葉を話した。

「殿下。叔父上より伝言です。敵が動き出した、と。

出番ですぜ」

「そうか。分かった」

鳥―――その姿に変じたネズミへ頷くと、わたしは椀を置いて立ち上がった。イーディアも続く。

「皆の者!敵が来た。準備をせよ!!」

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