第16話 取り換え子

村に甲冑を伴った兵隊たちがやってきた。という話を聞いた時、イーディアが覚えたのは恐怖だった。友軍は潰走した。逃げ惑う中で仲間たちもひとり。また一人とはぐれ、あるいは死んだ。ここまでたどり着いたのは自分だけ。甲冑を伴っているとなれば、敵に違いない。

「お逃げなさい」

匿ってくれていた老夫婦はそう言うと、詰め込めるだけの物資を詰め込んだ背嚢を手渡してくれた。ただただ頭を下げ、礼を言い、いつか恩返しをすると誓って逃げてきたのが今。

高地は寒い。そして空気が薄い。息を切らしつつ、山道を走る。時折振り返る。誰もいないのを確認して安堵。空を行くのは鳥くらいのもの。餌でも探しているのだろう。自分にも翼があれば、飛んでいけるのに。

もう何度目か分からない、背後の確認。そこから前方へと視線を戻した時、眼前に降り立っていた騎兵の姿に、イーディアは仰天した。

咄嗟に剣へ手を伸ばして、相手に殺気がないことに気が付く。どころか、騎兵の装いは友軍の戦衣ではないか。味方?

いぶかしげな視線を向けるイーディアの前で、騎兵。驚くべき美貌を持つ女は、口を開いた。

「恐れずともよい。わたしは味方だ。流水騎士団の生き残りというのはそなたで相違ないな?」


  ◇


―――追いついたか……

涼子わたしは安堵した。

眼前の少女が、問題の騎士であろう。白い髪を後方で束ね、あどけなさと女らしさが同居する線の細い美貌。恐らく歳はわたしやヒルダと同じかやや下、といったところだろう。それにしても取り換え子チェンジリングとは珍しい。この世界では尖った両耳と優れた魔法の素質を備えた子供が時折生まれるが、この白髪の少女もまさにそれだった。わたしも見たのは久しぶりである。

村で借りた馬と、そして今も鳥の姿で上空を旋回しているネズミがいなければ、おそらく彼女に追いつけなかっただろう。

息を切らし、今も警戒のまなざしを向けてくる取り換え子チェンジリングの少女。

「……私は、流水騎士団、従士。イーディア。大河の恵みを受ける者にして、バルザックの娘。あなたは?」

「わたしはヒルデガルド。古の大図書館を守護する者の末にして、アレクサンドルの四番目の娘」

イーディアと名乗った少女は、目を見開いた。たいそう驚いた様子だ。まあこんな場所で王族と遭遇したのだから無理もないが。

「そんな。貴女が―――貴女様がここにおられるはずがない」

「うむ。今もわたしはここにはいないことになっている。用事があってな。こっそり城を抜け出てきた。疑うのは当然だ。

納得がいくまで確かめるがよい」

わたしが投げ渡したのは短刀。王女としての身分を証明するための魔法の剣である。

しばらくそれを検分した彼女は、やがて短刀を収めると跪いた。

「―――ご無礼をお許しください。ヒルデガルド王女殿下」

「許す。

さあ。一度村に戻ろう。そして、何があったかを聞かせておくれ」

わたしたちは、村へと戻った。


  ◇


「……流水騎士団は、壊滅しました。父は―――団長は討ち死に。副団長以下、主だった者の生死はわかりません。魔法王の軍勢は、大河を越えました」

遊牧民の家。その一角で、涼子わたしたちはイーディアの話を聞いていた。

「最後に発せられた命令は、撤退でした。ですがあの混乱では、どれだけの者が逃げ延びられたか……」

「そうか。

よく生き延びてくれた。おかげで、わたしはこうして話を聞くことができる」

聞けばこの取り換え子チェンジリングの少女は、父の従士として戦いに参加していたそうだ。彼女の父は代々、大河を含む地域を治める大領主の家の当主である。大小複数の領主を王の権威の下で取りまとめ、流水騎士団を構成していたのだった。

ちなみにこの世界の基本的な政治体制は神権政治だ。王は精霊や祖霊、神を祀り、人間と霊との間を取り持つ役割を持つ。各地の氏族・豪族はその霊威に従い国を構成しているのだった。この世界では、地球のような社会システムは生まれにくいだろう。実際にひとびとは魔法の恩恵に浴して生活しているのだから。

このような社会であるから、軍勢とは一族郎党が丸ごと参加しているようなものだった。イーディアはまさしく一族を失ったのだ。

「殿下。私は。私は、一体どうすれば」

「そなたも武門の娘ならば分かっておろう。勤めを果たせ。わたしに仕えるのだ。

そして共に、魔法王の軍勢を打ち破ろう」

そう言ってやるのが精いっぱいだった。

涙を拭いたこの白髪の少女は、ゆっくりと頷く。

「……ともに戦えることを、光栄に思います。

殿下は20人の騎士を撫で斬りにした、と聞きました。心強いです」

「20人は盛り過ぎだな。わたしが一度に倒したのは12人だよ。13人目には逃げられたしな」

あの山猫に乗った呪術師を騎士に数えていいのかどうかは疑問だったがまあ、そう答えておくことにする。どうせそのうち数えきれなくなるだろうし。

しかし、一体どのような伝言ゲームが作用して12人が20人に増殖したのだろう?この分では王都に着く頃には100人くらいになっていても不思議ではない。

「さて。わたしは援軍を呼びに行かねばならぬ。だがそれも王都を守ってからの話だ。我々は敵に先んじているつもりだったが、そなたのおかげで奴らの進軍速度が想定を上回っていることが分かった。

行軍を手助けしてくれ」

「承知いたしました。殿下」

尖った耳を持つ白髪の従士は、頭を垂れた。

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