第29話 「貧しい方がいい」わけない!

〈登場人物〉

マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。

ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。



マイ「今日さ、学校で、『清貧の思想』っていうの習ったんだけどさ、貧しい方がいいっていうのは、絶対おかしいと思う!」


ヒツジ「『清貧の思想』は、ただ貧しけりゃいいっていう話じゃないとは思うが、まあ、その点は置いておくとして、貧しい方がいいっていう考え方は、なにがおかしいんだ?」


マイ「だってさ、貧しいよりも豊かな方がいいに決まってるじゃん。それなのに、貧しい方がいいなんて言うなんてさ、そんなのただの負け惜しみじゃないの?」


ヒツジ「なるほど、お前にしては、まあ真っ当な感覚だな。確かに、貧しいよりも豊かな方がいいというのは、ある意味では、これは当然のことだ。それが、そもそもの『貧しい』とか、『豊か』とかが持つ意味だからな。それなのに、あえて、貧しい方がいいなんて言うのは、どうしたって豊かになれないやつらが、豊かなやつをねたんで、負け惜しみで言っているってことは、十分に考えられることだな」


マイ「そうでしょ! わたし、こういう負け犬根性って大っ嫌い! 豊かな人をねたむなら、いくらでもねためばいいじゃん。『わたしの方が才能あるのに、なんであんなヤツの方がお金稼いでいるんだ!』とかさ。悪口だっていくらでも言えばいいよ。でもさ、貧しい方がいい、なんていう開き直りなんてさ、そんなのただのごまかしで、ねたみとか悪口とかよりも、ずっとずっとくだらないと思う!」


ヒツジ「それは、おおむね、お前の言うとおりだとオレも思う。豊かであることよりも貧しいこと、健康であることよりも病気であること、友人がいることよりも孤独であること、それらの方に価値を置くということ自体に、なにか貧しく病的で寂しい理由が隠れているのではないかと疑うことができる」


マイ「めずらしく意見が合ったね」


ヒツジ「ただし……これで話が終わったら、そう大して面白くも無い話だ」


マイ「え? どういうこと?」


ヒツジ「じゃあ、どうして、貧しい方がいい、という一見妙な考え方が、世の中に受け入れられるのか。『清貧の思想』が昔はやって、今もなお読まれているということは、世の中がそれを受け入れているということだが、どうしてそうなるのか、それは知りたくないのか?」


マイ「あんたに今言われるまで、考えもしなかったけど、まあ、知りたいかな」


ヒツジ「どうしてだと思う?」


マイ「うーん……事実として、貧しい方がいい、なんていうおかしな開き直りをするくだらない人が多いからってことじゃないの?」


ヒツジ「まあ、そういうことだが、さらに、どうして、貧しい方がいい、という開き直りをする人間が多いのかと考えると、それは、この世の中には、貧しい人の方が豊かな人よりも多いからだということになる。貧しい人が多数で、豊かな人は少数。『豊かさ』ということが価値である限りは、この構図は絶対に崩せない。もしも、豊かな人が貧しい人よりも多かったら、豊かさが価値になるわけがない」


マイ「貧しい人が多数だから、貧しい方がいいっていう考え方が、受け入れられるってこと?」


ヒツジ「貧しい人が多数だということの言い方を変えると、貧しい人はほとんど一生涯貧しいということだ。もちろん、貧しい人が豊かになることはある。その手の成功話はいくらでもそのあたりに転がっている。しかし、現実に、そうなることはほとんど無い。ほとんど無いから、ああいう話がありがたがられるわけだ。さて、今貧しい人は、今後もおそらく貧しいままだということを知っている。死ぬまで自分は豊かになれない可能性が高いということをな。そこで、必要とされるのが、貧しい方がいい、という考え方だ」


マイ「……自分を慰めるために必要だってこと?」


ヒツジ「いや、生きるためだ」


マイ「い、生きるため?」


ヒツジ「お前はまだ親に養育されている立場で、大して金に不自由していないから、金の話だと実感できないかもしれないな。容姿の話にしてやろう」


マイ「嫌な予感……」


ヒツジ「お前は今現に十人並みのルックスなわけだが――」


マイ「やっぱり! 今わたしの話なんかしてないでしょ! ほっといてよ!」


ヒツジ「他人のことは言えるのに、自分のことは言われたくないのか? それは、お前が常々嫌っている卑怯な振る舞いじゃないのか?」


マイ「うっ…………続けなさいよ」


ヒツジ「中学生頃から劇的に容姿が変化するなんてことはそうそうはない。ということは、お前は一生涯十人並みのルックスというわけだ。世の中では、美人に価値が置かれている。しかし、お前は一生涯その価値を手にすることは無い。美人になりたいと思いながらも、絶対にそうなれない一生を過ごすわけだ。今、どういう気持ちだ?」


マイ「……死にたくなってきた、ただし、あんたを殺してからね!」


ヒツジ「そこで、お前はこういうことを考える。『みんな、美しいことがいいことだと思っているけど、本当は違うんじゃないか。美しくないことの方がいいんじゃないか、いや、きっとそうだ』ってな。この考えを信じることによって、お前は、晴れてすっきりとした気持ちで生きていくことができるわけだ」


マイ「いま全然すっきりしてないけどね、何だったら、よどみまくっているけど……まあ、実感はできたよ。でも、わたしだったら、そんなごまかしはしない……と思う……なんか自信なくなってきたけどさ」


ヒツジ「価値あるものを認識しながら、その価値あるものが手に入らない一生に耐えるためには、この種の、『本来は価値のないものが実は価値があるんだ』という考え方が必要なんだ。だからこそ、清貧の思想、というのは力を持つことになる」


マイ「うーん……理屈は分かったけど……でも、やっぱり、わたしは、そんなごまかしは嫌だな。一生美人になれないとしても、『ブスの方が実は価値があるんだ』なんて考え方を信じて生きるなんてさ。わたしは、一生ブスのままでも、それに耐えて生きてみせる! ……なんか、悲しくなってきたけどさ、この悲しみをごまかしちゃいけないってことだよね?」


ヒツジ「お前がどう生きようがそれはお前の勝手で好きにすればいいが、その方が誠実な生き方だとオレは思う。ところで、話がここで終わってしまったら、さして面白くもない話だ」


マイ「ええっ!? まだ何かあるの? もうお腹いっぱいで、胸焼けしてるんだけど」


ヒツジ「まあ、聞け。そもそもの話として、本当に貧しいことより豊かなこと、病気であることより健康であること、孤独でいることより友人がいること、それらの方が価値があることなのかどうかということだ」


マイ「あんた、今さら何言ってんの!? だって、そういう前提のもとで、話をし始めたんじゃないの?」


ヒツジ「そういう前提のもとで話をすると、これまでのような話になるわけだが、そういう前提がもしかしたら間違っている可能性もあるだろう。そうすると、また別の話が始まるわけだ」


マイ「別の話なんて始まらないって。だって、貧しいことより豊かであることの方が価値があることは当たり前のことでしょ?」


ヒツジ「一応はそう言えるが、それは本当に、あらゆる場合に妥当する話だろうか。たとえば、豊かであることによって、物質的な価値ばかりを追い求めるようになり、精神的な価値をなおざりにするようになることがあるだろうし、貧しいことによって、物質的な価値にまどわされなくなり、精神的な価値を追い求めることができるようになる場合もあるだろう。健康であることによって、命の価値について考えずに一生を過ごすこともあるだろうし、病気であることによって、命の価値について真剣に考えるようになることもあろうだろう。友人がいることによって自分を省みる時間が少なくなることもあるだろうし、孤独であることによって自分自身についてじっくり考えられることもあるだろう。ということはだ、必ずしも、豊かである方が貧しいことより、健康である方が病気であるより、友人がいることの方が孤独であるより価値が高いとは言えないんじゃないか?」


マイ「だーかーら、そういうのはさ、ぜんぶ負け惜しみでしょ! 本来価値が無いものを価値があるものにしようとする考え方じゃん」


ヒツジ「確かにそうかもしれないが、しかしだ、その『負け惜しみ』という考え方は、お前自身にも適用することができる」


マイ「……どういうこと?」


ヒツジ「お前は、貧しさの価値がどうしても実感できない。貧しさの価値を手に入れることができない。だから、本当は貧しいことにも価値があるにも関わらず、貧しさの価値を実感できないために、『貧しさに価値を認めるやつなんてバカだ!』と負け惜しみから言っている可能性だってあるだろう?」


マイ「何言ってるの!? だって、豊かな方が貧しいことよりも価値があることじゃん!」


ヒツジ「貧しさの価値を認める人からは同様の反論が為されることになるだろうな。『お前こそ何を言ってるんだ! 貧しい方が豊かなことよりも価値があることだろう!』と」


マイ「なんか訳が分からなくなってきた……」


ヒツジ「それほど込み入った話はしていない。豊かな人間や豊かさに憧れを持つ人間は、貧しい人間が貧しさの価値を語ることを、それは負け惜しみだと言うことができるが、豊かな人間や豊かさに憧れを持つ人間自体も、貧しさの価値が分からず、その分からなさに耐えられないから、『貧しさに価値を認めるなんてただの負け惜しみだ』と言う、別種の負け惜しみを言っているに過ぎないかもしれないということだ」


マイ「でも、そんなことって……やっぱり、信じられない!」


ヒツジ「信じる必要は無いが、人は何かを語るときに自分だけは語られた内容が適用されない特権的な位置にいると思いがちだが、そんな位置に立つことは誰にもできないんだ。語られたそのことは常に自分自身にも適用される可能性があるということは覚えておくんだな」

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