十一 自己解体

十一


 朝起きると、空也が隣にいなかった。

 私は朝が弱いのでそれも慣れたことではあるが、探すとどこにもいなかった。

 これは何か緊急事態かと思われたが、机の上にメモ用紙が貼られていた。

 朝ごはん買ってくるね、とのことである。

 時計を見れば午前七時。

 休日の私としてはとても早起きだった。

 昼過ぎに起きることも少なくないから。

 休みの前の日というのは少々夜更かしをしてしまうきらいがある。

 といっても、日常的に夜更かしはしているのだが。

 まぁ、眠れる時間が長いと思ってしまう分、眠りにつくのが遅くなりやすいのだろう。

 大抵の場合、夜更かしの原因は私ではない気もするが。

「うー……」

 普段は寝起きが悪いものの、今日の朝はすっきりと目覚めた。

 睡眠時間としては普段と同じが短いくらいだった気がするもので、不思議な感覚だ。

 喉を起こすために少し唸りながら冷蔵庫を開く。

 作り置きされていた緑茶をコップに注ぎ、飲み干してしまう。

 冷蔵庫の中は大量の飲料と、少しの食糧で成り立っている。

 この場合の飲料とは大抵アルコールを含むものであることは言うまでもない。

「んぐっ……んぐっ……」

 寮にいる間というのは一人の時間だ。

 寮は一室に二人とかそういう振り分け方ではない、つまりは特殊な振り分け方をしているが詳細は伏す。

 誰かと相部屋ではあるのだがお互いがお互いを認知していないと思う。

 多分、私は相手の名前を覚えている。

 そんな風に表現してしまうぐらいの関係性。

 もちろん相手は私のことを覚えていないだろう。

 だからこの場は私と空也の二人の居場所という気がしていた。

 空也がいないとやけに広く思える。

 ……まぁ、私がこの部屋で空也を待つという経験は少なからずある。

 それに、ここは実際広い。

 一人暮らしで住むような場所ではないのだ。

「あーあーあー……」

 はっきりいって手持ち無沙汰だった。

 この部屋の本は大抵読んでしまったし、テレビもラジオも今は気分ではない。

 ……だが考え方を変えると、これはチャンスだ。

 自分や自分のスタンスを見つめ直す時なんだと思う。

 この世に神はいる。

 どこかで見ている彼、もしくは彼女が時間を与えてくれたのだと思おう。

 そう思って、私はベッドの上で横になった。

 恐らくだがこういう時は紙に思いを書いたりするのが正しいのかもしれない。

 しかし私の場合はこれが正解だ。

 横になり、目を閉じる。

 仮眠をとっているようでとれていない。

 眠る前が一番考えが浮かんでくる。

 それでは、自己解体を始めよう。

 まず、私はなぜユートピアに入ったか。

 強くなりたかったからだ。

 自分の無力さというのを痛感している。

 しかし強くなるためにメンバーとして行動したいかと言えば否だ。

 自己鍛錬は一人でも出来る。

 少なくともイメージが出来る程度に鍛えられれば、私の変化に際限はない。

 では他になにがある。

 藤花さんが言った、したいことをしたらいい。 

 したいこと。

 それが見つからないなら視点を変えて、好きなことや嫌いなこと。

 私は何を思ったか。

 桂御園という同じ寮の人間の起こした事件を見て、何を感じたんだ。

 己の無力さという自己批判の気持ちだけか。

 それは内に向けられる感情であり、いわば自分が自分に向けたもの。

 血液のように自分の中だけで巡るものに違いない。

 外から内に入ったもの、内から外に向かったものがあるのではないのか。

 あの事件は自己完結で終わらせられるほどの経験ではないはずである。

 気付けば、暗い穴の中に落ちていく様だった。

 答えの出ないであろう問い。

 自問自答、されど答えは現れず。

 抽象的な問題は禅問答のように身に溜まる。

「……」

 私は桂御園以前にも、妖と対話や対峙をした経験があった。

 それでも桂御園の事件が私の心に残したものは何だ。

 外からもたらされた事件、戦ったユートピアの先輩方が強かったからか。

 それだけじゃない。

 桂御園という身近な存在が事件を起こそうとしていることに気付けなかったからか。

 それだけじゃない。

 あの事件の経験が私の心に強く残ったからか。

 そうだ。 

 私はあの経験を無駄にしたくないと感じていたのだ。

 ユートピアとの戦い、葛葉さんという妖を超えて神になろうとした存在との戦い、桂御園を受け入れて友人となったこと。

 それらの経験を無駄にしたくない。

 葉子が葉子となる前のある日。

 出会って、向き合って、私と空也で名を渡し、お互いを理解した。

 そして空也と共に歩きたいと思ったのもその時のはず。

 空也と結ばれた日のことだって、今も覚えているだろう。

 大事な思い出であり、そこで何をしたかは特別な経験。

 ほかでもない、あるいは何者でもない私の歩んだ道。

 それがあって今がある。

 菊屋咲良という個がある。

 これまでの大切な事柄のように、桂御園の事件を胸に持って生きていたい。

 あの夜を残したい。

 無駄にしたくない。

 だから私はユートピアに入る道を選んだのだ。

 強くなりたかったから、無力さを感じたから、それもまた理由になり得る。

 しかしこれから先の道、ユートピアの一員として背負う荷物にしては私の好みではない。

 ……考えるたびに思考が広がり、拡大されるが点と点が線として繋がらない。

 どうするべきだ。

 無駄にしないためには何が出来る。

 彼のような人間や、彼女のような妖を忘れないためには。

 日々緩やかに変化する日常の中で私を何をする。

 私の歩いた道を振り返るだけでは足りないように思える。

 多くを知ろうとするのはどうか。

 いや、それはユートピアとして活動していけば人と妖の営みは知れる。

 ……知ってどうする? 

 自分の中に溜めていくか? それとも語るか? 物語として残すか?

 私は……私はあの事件をどうしたい?

 これから見聞きするものをどうしたいんだ?

「少年、しょーおーねーんー」

「ん……」

「咲良くん」

 空也の声だ。

 思わず体を起こすと、彼女の頭と私の頭がぶつかった。

 ごちんと鈍い音が頭の中に響いた。

 ぶつかった額を押さえる私。

 空也はけろっとした顔だ。

 痛みは感じるはずなのだが、無意識のうちに肉体を保存したのか?

「朝ごはん買ってきたんだけど、起きなかったから」

「あぁごめん……考え事してて」

 もしかしたら寝てしまっていたのか。

 いや、思考は止まっていなかったはずだ。

 集中し過ぎて気付かなかっただけか。

「ご飯食べる」

「うん……空也」

「何?」

「答えを見つけたかもしれない」

 私のスタンスになるものが分かった気がするのだ。

「聞いてあげる。それは何かな?」

「僕は記録したい。桂御園のことも、これから経験することも。残していきたい」

 私が私であり続けた結果も共に残そう。

 どれだけ私が変わろうとも、残した記録は変わらない。

 だから語ろう。

 書こう。

 残していこう。

 私と彼女の間に沈黙が流れる。

 じわじわと緊張が私の体に広がっていく。

 そんな私の表情を読み取ったのか、微笑んで空也は言った。

「いいんじゃないかな。ありだと思う」

「あっさり、だね……」

「まぁ、うーん……まぁまぁまぁ。朝ごはん食べよう」

 話はそれから、ということだろうか。

 受け入れられてるのか?

 少し不安が残っているが。

「あはは、心配しなくてもぉ大丈夫ぅ。ほぼほぼ合格。ちょっと確認したい事がさぁあるだけ」

 ……じゃあ少し安心しておこう。

 空也はこういうところで嘘をつくタイプではない。

 不真面目そうだが、案外真面目なのだ。

 常に酒を飲んで酔っているのが真面目なのかは分からないが。

 根の部分が、ということにしておこう。

「あ、そうだぁ。ごはんの前に言っておかないといけないことがあったんだぁ」

「ん? なに?」

 献立とかだろうか。

 パンか米か選んで欲しいとかそういうことかな。

「パンツ履いて?」

「……もっと先に言って?」

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