二 待たずに


「こんにちは」

 私は扉を開けた。

 退魔サークル『ユートピア』の部室なのだが、正式にはユートピアの部室ではない。

 一応大学側からは『遊戯研究会』というサークルの部室として貸し出されている。

 退魔サークルという存在は認められないのか、それとも妖怪の類は隠すべきものなのか、あるいはその両方なのか。

 私はその辺りの事情に詳しくないのでよく分からない。

 ただ、そう言った存在が信じられていないというのは分かる。

 多分私がした経験のほとんどは信じてもらえないだろう。

 とはいえ今までの経験が受け入れられてしまう世界というのは、それはそれで違和感があるように思える。

 ……本当の事なんだけどなぁ。

 霊能力者や妖怪が受け入れられる世界。

 歴史が違えばどこかでそんな世界に切り替わっていたかもしれないが。

 それはさておき。

 今日は改めての挨拶とその他諸々の説明をするので来て欲しいと空也から言われてきた。

 が、肝心の空也が部屋にいなかった。

 折りたたみテーブルを二つ並べ、そこにパイプ椅子が配置されている。

 壁側には部員に対しては多すぎるように思えるロッカー。

 ホワイトボードが一つ。

 あとは床に置かれたいくつものダンボール箱。

 片付いていないというのが最初の心象の部屋だった。

 椅子に座っていたのは先輩になる三人の部員。

 明らかにオーバーサイズの服を着た若王子羽彩(にゃくおうじはさい)、着流しを着た過書古市(かしょふるいち)、ジャージを着た相生初(あいおいうい)。

「よう、菊屋ちゃんじゃん」

 初めに声をかけてくれたのは過書さんだった。

 彼に続いて若王子さんと相生さんが声をかけてくれた。

 なんだか、当たり前の景色のようで私からすれば珍しい景色のように思える。

 私の持つ霊能力、変化する能力のデメリット。

 誰にでもなれる代わりに、誰でもない。

 何者にでもなれる可能性を持つが、常に何者でもない。

 ついでに他人に言われた評価の通りに、無意識に肉体や精神が変化する。

 速い話が『太った?』と言われた時、私の体は無条件に太ってしまう、といった感じだ。

 能力は便利だが、生活においては非常に不便だ。

 自己の獲得というものが難しい。

 そういうデメリットの中で、最も日常的に発動するのが尋常ではないほどの影が薄さ。

 名簿に名前が書いてあっても、誰もが私の存在を疑ってしまうほどのもの。

 そんな私だから、自分の名前を呼ばれることが少しこそばゆい。

「空也は?」

「雁金先輩ならまだ来てないわ。先輩にご用事かしら?」

「今日、挨拶だとか部室とか色々教える事があると言われてきたんですけど……」

「……」

「若王子さん?」

「あぁ気にしないで。ちょっと考え事をしていただけよ」

 そういって若王子さんが立ち上がる。

 私よりも高い背の人だ。

 まぁ私が低いのでそう言う事がよくないこともない。

「雁金先輩に気を遣うかどうか、という話なのだけれど」

「?」

「雁金先輩、菊屋ちゃんにいいとこ見せたかったんかなーって話っすよ」

「いいとこって……」

 もう十分見せてもらっているが。

 マイレージでいうと八万くらいは溜まっているだろう。

 プラチナカードだ。

 ……待て、今の表現は少しスマートさに欠けたかもしれない。

 後日訂正した表現を提出しようと思う。

「気にしてると思うぜ? 菊屋ちゃんに先輩らしいとこ見せてぇっつーのは」

「気にし過ぎでは?」

 まぁ、先輩らしいかいなかというと先輩らしくはない。

 確か……三回生だったはずだし、歳も上なので先輩ではあるのだけれど。

 飲んだくれたり、それなりに日常の世話を焼いたりもしているので、幼い印象があるのは否めない。

 子供の心を忘れない大人、そういう事を言うといい人っぽいが、大抵の場合そういうのは成長しきれていない大人という意味だと思われる。

 空也は後者に片足を突っ込んだり突っ込まなかったりする女性……だと思う。

 いや、成長しきって人間レベルがカンストしてしまっているから半ば悟ってしまっているのかもしれない。

 だから子供っぽくも大人っぽくも振る舞えてしまうのかもしれない。

 ……そうだといいのだけれど。

「……だからこの場合、あたしたちが先にその辺りの話をしてしまうのはどうなのかと思ったのだけど」

「別にいいんじゃないー?」

「あたしもそう思ったわ」

 もしよしんば空也が先輩方の思うような考えで今日私を呼んだとしたら、その判断はどうなのかと思う。

「だから、教えるわ。部室になにがあるかとか……正直説明するほどの事もないのだけれど」

 若王子さんがしてくれた説明は簡単なものだった。

 ロッカーは自由に使う事。

 ただし、入り口側のもの以外は大抵おかしな物が入っているので要注意。

 床に置かれた段ボール箱の中にもおかしな物が入っているので要注意。

 依頼関係はホワイトボードの裏に紙が貼られているのでチェックすること。

 表面には用事などを書いておくこと。

 部室に物が増えていた場合、それらは大抵おかしな物なので注意すること。

 ……おかしな物とは何か。

 ふわっとしているせいで余計に恐ろしく思える。

 具体性をもって表されると、それはそれで恐ろしいかもしれないが。

「えっと、他には何かあったかしら」

「ねぇんじゃねぇっすか?」

「依頼って言ってもースタンスの話まだしてなくない?」

「それ以前に菊屋ってスタンスがあるの?」

「え?」

 決まっていない。

 スタンスというのはユートピアのメンバーが仕事をするための指針だ。

 妖怪などと関わる仕事をするために、自分の中でスタンスを設定する。

 それに合致する依頼をこなすというのが、彼らの中にあるルール。

 若王子さんなら『妖を破壊するため』

 相生さんなら『妖を食べるため』

 過書さんなら『妖を蒐集するため』

 そして、空也は『妖を保護するため』

 それらがユートピアの先輩の持つスタンス。

 しかし私は何のスタンスも持っていない。

 スタートラインに立ったようで立てていない。

「決めなきゃよね」

「うんうん」

「あの、スタンスというのはどのようにして決めれば……」

 自分で決めるのだろうが、その辺りよく分かっていない。

「あぁ、それはね。一応決まりというのがあるのだけれど」

「決まり?」

「えぇ。それは」

 と、若王子さんがいいかけて、扉が開いた。

 勢いよく開け放たれた扉から飛び込んできたのは雁金空也だった。

 アルコールの匂いをさせながら、片手にファイル、もう片方の手に瓶のアルコール飲料を持って入ってきた。

 息は切れていない。

 いや、待て。

 両手が塞がっている状態でどうやって扉を開けたんだ?

 私は彼女にそう聞きたかった。

 のだが、私よりも先に彼女が発声をした。

「ごめん少年! 色々時間かかっちゃってぇ。すぐ説明を……って、何みんなその顔」

「もう終わったっすよ」

「え。マジかよぉ。えーなんでー私が遅かったからぁ?」

「そうですね」

「がーんだなぁ、少年」

「いや、僕は別に」

 滞りのない説明を受けたので特に問題はなかったが。

「はぁ……これはこれでへこむけどぉ、手間が省けたって思えばいいのかなぁ……ま、いいや。どこまで話した?」

「スタンスの話まで」

「お、マジでぇ? 助かるぅー」

 空也が私にファイルを手渡す。

 半透明のファイルの中には一枚の紙。

 紙には三つの四角が書かれていた。

「という訳でだ……いや、という訳ではない時に来たのかもしれないんだけどぉ。少年、スタンスを決めるぞ」

「という訳のタイミングだったよ。でも、スタンスを決めるってそれは」

「少年の心で決めることだけれどぉ、流石にいきなり言われてもぉ分かんないと思うからさ。だから、ユートピア伝統のやり方で決めてもらおうと思ってねぇ……」

「それがこの紙?」

「そう、その通りだよ少年。理解速くて助かるよぉ」

 誰でも予想がつきそうなものだが。

 四角が三つだけ書かれた奇妙な紙なので、どう使うのかという部分がよく分からないけれど。

 そこは説明をしてくれるだろう。

 説明を静かに待つ私に雁金空也はこう言った。

「スタンプラリーをしてもらうよぉ」

 ……そこの説明もしてくれないか?

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