35 黙れ小僧!!

 自称勇者こと河野卓也こうのたくやが、セヘルシアへ落ちたのはひと月半ほど前。

 今あたしの目の前でたおやかに頬笑む水の女神様が神域で彷徨う彼を見つけ、ここはどのような場所か、落ちたらどんな危険があるかなどを話して聞かせ、元いた世界へ帰してあげるとその慈悲深い手を差し伸べた。

 けれど彼はそんな救いの手を振り払い、嬉々として異世界へと落ちていったという……


「更には力を得て増長した、と」

「ただのバカでしょ……」


 ノットの町へと降り立った彼は、誰に言われるでもなくギルドに辿り着くと迷いなく冒険者になって日銭を稼ぎ、目の前に聳える魔族の国デノメアラ、更には『魔王』の存在を知り、暴走を始める。

 その様子を休息もとらずにハラハラと見守り続けていた水の女神様。周りの神々がそんな彼女を案じていたところに、あたしがひょこっとやってきた。


「ほんと、タイミングがよかったのねぇ」

「それだけじゃないさ。来たのが君で本当に良かったと思っているよ」

「はいはい」

「ふふ、兄からも許可は得たからね。レイはここの世界で初の『渡り人』だ」


 呼び方なんてどうだっていいわよ。それって結局あたしを都合のいい手駒にしたってだけじゃない。

 まぁその分色々してもらってはいるけれど、なんだかこいつの思惑通りなのが気に入らなぁい。


「お主がここへ来たのは本当に偶然だが、我らにとっては幸運でもあった」

「えぇ。わたくしもそう思いますわ。レイ様のようなお方なればこそ、主様もお託しになられたのでしょう」

「んもぉお二柱ふたりまでそんなちょっとやめて!?」


 そ、そんなに誉めたってなんにも出ないんだから!

 あたしなんてただのオネェよ。ちょっと期待が大きすぎやしない?


「まぁ、なんて恭謙きょうけんな」

「然り。レイよ、お主は既にセヘルシアにて多くの者を救ってきたではないか」

「それは成り行きでそうなっただけよ」

「だとしても、君の助けがなければ命を落としていた者もいるし、さっきの大猫族のふたりは再会すら出来なかったはずだ」

「それだって結局はメルネ婆さんに魔法を教えてもらったからじゃない」


 そうよ。あたしは結局のところ、神様達や婆さんに与えてもらったものをただ使っただけ。

 まだまだ知らないことや出来ないことの方がたくさんあるもの。


「いいや。それでも君は一度だって、力の使い方を間違えたりなんかしなかった。出会ったばかりの相手の為に、そう出来る者はなかなかいない。もっと誇っていいんだよ、レイ」

「主神様……」


 やだちょっと。さっきランディのところでも泣いてきちゃったからまだ涙腺ゆるいのに。

 またお化粧がボロボロになっちゃうじゃないのよぉ~……


「まぁ、忘れっぽいのが玉に瑕だけどね」

「やっぱり落とすのかよ!」


 あぁもうくっそ腹立つやっぱり信用ならないわこのショタ神!!

 上げて落とすとかほんっと性格悪いったら!!


「レイ様、おぐしが」

「えっ?」


 悔しがるついでに頭をバリバリ掻き毟って絡んでしまった髪を、水の女神様がふわりと直してくださった。

 ついでに流れたお化粧まで直してくださって、どこからか取り出した手鏡を渡されてその仕上がりにびっくりしちゃった。まるでメイクしたてみたい!


「うわぁ、ありがとうございます、女神様」

「美神様には及びませんが、わたくしも女神の端くれですもの」


 そう言ってふふ、と小さく笑う水の女神様に癒されてしまう。

 どうして配下の神様がたはこんなに素敵なのに、あいつはああなのかしらねぇ?


「ふふ、まぁ思い出してくれたなら問題ないさ。彼のこと、頼んだよ」

「はいはい。わかったわよ」


 それにしたってどうしましょう。

 釈放されちゃうなら、その後で居場所を水の女神様に教えていただいて取っ捕まえるのがいいのかしら。

 でもどこへ放逐されるかにもよるわよねぇ。すぐに戻って来られないよう監視も付いてそうだし。


「もういっそ、彼がこっちに落ちた日に飛んで、存在ごとなかったことにしちゃう?」

「あぁ、それはいい考えだ。彼の影響はさして大きくもないし、時間を遡って過去を変えた結果を知るにも都合がいい」

「今後のためにもなるってことね」


 思い付きだったけれど、我ながらいいこと言ったんじゃないかしら!

 この先、落ち人を元の世界に帰すために潰しておきたかった問題がこれでひとつクリアできるもの。


「じゃあ早速行ってもらおうかな」

「えぇ。さっさと終わらせちゃいましょ。鍛冶神様、ライターお願いね」

「心得た。頼むぞレイ」


 そうしてあたしは、ひと月半前のセヘルシア、ノットの町外れへと向かった。



「……って、ここあの砂浜じゃない」


 なんていう偶然なのかしら。着いた先は、先日ひとりでバーベキューをして、ランディと出会った海岸だった。

 ちょっと感傷に浸りたくなっちゃったけれど、目の前にはすでにぽかーんとした顔であたしを見上げる少年が砂浜にへたり込んでいて、仕方なく気持ちを切り替える。


「あんたが河野卓也くん?」

「は? オ、オカマ!? なんでオカマが俺の名前知ってんだよ!?」

「……チッ」


 オカマって人のこと指差して言ってんじゃないわよこの小僧。

 まったくマナーのなってないガキんちょだこと。


「合ってるのね。じゃあちょっとこれ持ってちょうだい」

「は? なんだよテメ触んなよ気持ちわりぃ」


 ──あ、ダメだ。

 ブチブチブチィッ!! と、なにかが切れた。


「うるっせぇなこの小僧いいからさっさと言う通りにしろや!!」

「うぇえ!?」

「ナマ言ってんじゃねぇぞコラ。なぁ。今ここで海に投げ捨ててやったっていいんだぞこっちは」

「……は? やれるもんならやって」

「うぉらぁ!!!!」


 どばっしゃーん!!

 と、大きな大きな音を立て、哀れ河野少年は海の藻屑と成り果てましたとさ。

 めでたしめでたし。


『こらこらレイ、遊んでないで』

「あ~らごめんなさいね。ちょっと生意気が過ぎたものだから、お灸を据えておこうと思って」

『あのままでは死んでしまうよ、彼』

「わかってるわよ。スッキリしたからもういいわ」


 頭から海に突き刺さり、二本の足を天に向けてピクピクとさせている様は、まるで某映画のアレみたいで笑っちゃう。

 ざまぁないわ。オネェを舐めんじゃないわよ。


「さてと、鍛冶神様ぁ」

『あぁ、いつでも良いぞ』


 魔法を使って海から引っ張り上げて、気を失ったままの河野少年の手にライターを握らせ、そこに手を添える。


「いくわよ。三、二、一、はいっ!」


 ピィンと高い音を響かせたのち、シュッとフリントを回すと、今回はあたしもライターに触れていたからなのか、ふたり一緒に神域まで移動することができた。

 なるほど、これは覚えておきましょう。

 足元に転がった濡れ鼠の河野を爪先でつついてやると、うぅんと唸ってゆっくりと目を開けた。


「……は? なんで戻って来てんの俺」

「それはねぇ、あんたがおバカさんだからよ」

「はぁ? ってさっきのオカマ!?」

「本気で息の根止めてやろうかしらこいつ……」


 やっぱりあの程度じゃヌルかったかしらね?

 もっとお灸が必要ならやってあげるわよ? 今度は遠慮なんてしてあげないわよ?


「まぁまぁ落ち着いて。さて君、少し聞きたいことがある」

「なんだよガキが偉そうに」

「このっ……」

……いいね?」

「……はい」


 うわ。あんな眼光鋭いショタ神様初めて見たわ。

 今のって、精神操作系の魔法を言葉に込めてた? ふわふわした姿は、あたしも見覚えがある。


「ここへ来たのは、君の世界の暦でいつだい?」

「平……年、……月」


 虚ろな瞳のままボソボソと答えるのもやっぱり同じだわ。

 いくつか質問を投げ終えると、ショタ神様はあたしにその内容を告げた。


「レイの時間軸を基準として、ズレはあるかい?」

「えぇと今日って何日だったかしら……。あ、ねぇスマホ返してちょうだい」

「あ」

「あ」


 やっば。

 鍛冶神様の前では見せない方がいいかしらね? でも日付を確認するだけだから大丈夫よ!

 ネットが使えるなんて知られなければいいんだから! ね!


「えええと、今日は……あー、そんなにはズレてないみたい。あたしより二週間ちょっと前ね」

「そうか。先の時間でなかったのは偶然にしろ幸運だ。じゃあこのまま落としてしまおうか」

「えぇ!? でもそれだとどこに落ちるかわからないのよね?」

「そうだよ」

「それはさすがにちょっと可哀想じゃなぁい?」

「今までも、私がいない場合はそうして来たよ」

「そうだけど……」


 このバカ小僧は憎たらしいけれど、それとこれとは別じゃない。

 だってもしかしたら地球の裏側とか、ジャングルや砂漠のど真ん中とか、ひとりの力ではどうにもならない場所に落ちちゃう可能性だってあるでしょう?

 せっかくショタ神様がいるんだもの。せめて日本には帰してあげてほしいわ。


「あんな言葉を吐かれたっていうのに、本当に君は優しいというか甘いというか……」

「けれど、そこがレイ様の素晴らしいところですわ、主様」

「君もだよ水の。君もレイと同じように思っているんだろう?」

「はい」

「まったく……」


 そんな風にぼやきながらも、ショタ神様は仕方がないねと微笑んだ。

 あたしは水の女神様と顔を見合わせ、ふふふと笑い合う。


「わかったよ。じゃあ兄の元へ送ろう」

「そこまでしてくれるの?」

「君が気に病むだろう? それに今後のことも考えたらその方がいいしね」

「よかったわぁ。ありがとう主神様」

「今回はレイも一緒に行ってくれるかい? ついでにこれを渡してきてほしい」


 握った手を向けられて受けとると、あたしや婆さんがいただいた物と同じような、虹色に煌めく宝石が手の平にころりと乗せられた。

 ネックレスでも腕輪でもない、裸の宝石。


「このまま? ネックレスとかにしないの?」

「未加工品で十分だよ」

「あ、あぁそう……」

「これはこちらから声を飛ばさなければ届かない特別仕様なんだ。特別だよ? むしろ喜ぶさ」

「嫌な特別もあったものねぇ……」


 可哀想にねぇ兄主神様。

 あなたの弟はこんなにも鬼ですよ。

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