二、


 平蔵たちは、さやが秋刀魚のみぞれ煮に七味唐辛子をたっぷりとかけたことにどん引きしながらも、綺麗さっぱり平らげた。

 そして腹ごなしにこの後の話になった。


「それじゃ、俺たちは長屋に行くからお前は先帰れ」

「え、もちろん付いて行きますけど」


 あとは特に用はないと、平蔵が追い払おうとすれば、鎬は当然のように言い張った。


「てめえ、仕事は良いのかよ」

「平蔵さんが逃げないように見張るのも仕事のうちです」


 てこでも動かない様子の鎬にあきらめた平蔵は、勝手にしろと階段を降り、おつるへと声をかけた。


「ごちそうさん、みぞれ煮うまかった」

「うまかった!」

「ありがとね、でお会計なんだけど」

「あ、わたしが払います」

「それはありがたいんだけど」


 鎬が当たり前のように懐から財布を取り出すが、おつるは困惑気味に続けた。


「この間平さんと相席したお客さんがね、お代を置いていかなかったんだよ。『こいつに払ってもらう約束をしたから』って。てっきり知り合いかと思って承諾しちまったんだけど」


 初耳の話に、平蔵は眉を上げた。


「なんの話だ」

「なにって覚えてないのかい? あんなに派手な美人だったのにさ。しかも家まで連れ帰ってもらったんだろう」


 目を見開くおつるに、平蔵は記憶を掘り返していく。

 そういえば、最後にかめ屋で深酒をした日、誰かが隣に座っていた気がする。

 柄にもないことをしゃべったような気もする。


『もうちょっと見守っているよ』


 弓なりに笑う琥珀の瞳を思い出し、平蔵は目を見開いた。

 そのときした会話も、それ以外のこともすべて思い出した。


「あ――――!!!」


 突然大声を上げた平蔵に、周囲の人間がぎょっとする。

 しかし平蔵はそれどころではなく、詰め寄るようにおつるへと問いただした。


「金髪の異国人みてえな女だな。男勝りを絵に描いたような服装をした」

「そうそう、なんか細工師らしい背負いの道具箱を持っててね。うちの主人に包丁の鞘をやろうかなんて言う妙な人だったけど。やっぱり知り合いだったんだね。じゃあその人の分まで頼むよ」


 おつるはほっとした顔をしたが、平蔵の胸騒ぎは増すばかりだ。

 あんな強烈な女、忘れようがない。

 にもかかわらずぽろりと記憶から抜け落ちた酒の力もさることながら、平蔵が女に会ったのはかめ屋が初めてではないのを思い出したからだ。


 金と琥珀の瞳の女とは、平蔵が故国を捨てた十数年前に、転がるように逃げ込んだ宿で行きずりの関係を持った事を。

 あの女が妙になれなれしかった理由はわかったが、どうにも解せないことは山ほどある。


「金髪の女性……? 鞘を贈る……!?」

「かあさま?」


 平蔵が思考の渦に沈む前に、鎬とさやの声が重なった。

 戸惑う平蔵の前で、鎬はさやに飛びつかんばかりに迫った。


「やっぱり天邦あまくに様ですよね!? というか平蔵さん天邦様に会ってらっしゃったなんてうらやましいっ」

「ちょっと待てよ、天邦ってこいつをつくったって言うあの天邦か?」

「そうですよっ。各地を放浪していらっしゃるからとにかく神出鬼没で! 蘇芳さんを保護したのだって、急に玖珂の屋敷に現れて置いてかれたからなんです。『自分で抜き手を見つけるはずだから、面倒を頼む』って!」

「一応おたずね者なんだろう? 何でそんなに嬉しそうなんだ」


 平蔵が思わず聞けば、鎬はきらきらと瞳を輝かせてかみつくように言った。


「確かに人としてはめちゃくちゃな方ですし、幹部の方々はあまり話題にはいたしませんが、だって刀装が美しいんですよ! 蘇芳さんを見たらわかるでしょう!?」

「たしかに」


 鎬の勢いに押されたたででなく、平蔵はうなずいていた。

 故郷でも今も、刀なぞ切れれば何でもいいと思っていたが、さやの刀装は美しい。

 たったそれだけの理由。だが抜き手である鎬のあこがれる気持ちもよくわかった。


「こうしちゃいられませんっ! 天邦様が江渡にいるかも知れないことを仲間に知らせて参りますので、お会計お願いいたします!」


 興奮した鎬は財布を平蔵に預けると、店を飛び出していった。

 いつぞやのように術を飛ばせば良いのではないかと平蔵は思わないでもなかったが、声をかける間もない勢いだった。

 ひとまず、平蔵はさやを見下ろした。


「あいつ、俺に対して警戒心なさ過ぎねえか?」

「しんらいできるひとをすぐみきわめる。しのぎのいいとこ」

 

 さやに主張されて、平蔵は決まり悪い思いを味わう。

 鎬は平蔵にも出会って早々気を許している節があったからだ。


「とりあえず、長屋行くか」

「ん」


 しかたがないのでおつるに天邦の分まで飯代を支払うと、二人は連れだって歩き、実に二十日ぶりとなる長屋の木戸をくぐった。

 野菜籠を担いだ棒手振の廻りで、たむろしていた女衆が気付いて駆け寄ってくる。


「まあ、平さん! 生きてたのかい!?」

「おさやちゃん、ちゃんと連れ戻したんだね。よかったねえ」

「一体どこで悪さをしたのかと思っていたよ」

「おいおいひでえ言われようだな」


 劇的な別れ方をして長らく不在だったのは確かだが、以前顔を合わせない日が十日単位で続いた時は、素っ気ないものだったので違和がある。

 何か理由があるのかと訊ねようとしても、女房連中はさやを可愛がる事で忙しく、平蔵なぞ眼中にない。


 仕方なく、先に自分の部屋へと行ってみた平蔵は唖然とした。

 引き戸には何十枚もの督促状が貼り付けられていたのだ。

 主に酒屋や遊郭だが、中には細工師、刀工など平蔵が今まで関わりのなかった職人からのまである。


「一体こりゃあなんだよ!?」


 平蔵が呆然と叫べば、隣の部屋に住む女房が近くへ寄ってきた。


「あんたがいなくなってから十日経った頃かね。平蔵って名前の男から金をもらうように頼まれたってやつが現れるようになったんだ。そうやってはっつけて行ったんだよ。大家が、帰ってきたら出て行ってもらおうかってかっかしてたから、気をつけな」

「全く身に覚えがねえよ、一体誰だこんな」

「えーとなんだっけ、あまくにってやつらしいけど」


 うろ覚えの女房の言葉に、平蔵は目を剝き、張り紙をひっぺがしてなめるように目を通す。

 ちょうど深河の料理茶屋で、添えられた巴の名に顔を引きつらせた。

 すでに顔を知られている人間まで巻き込まれて居るのなら、白を切るのは難しい。

 そして確かに天邦の名を見つけて天を仰いだ。


「うそだろ……」

「ああそうだ、洗った浴衣は部屋ん中に置いてあるからね」

「世話になった」


 無意識に平蔵が返せば、女房は一つ笑いをこぼして離れていった。

 とりあえず、部屋の中へ入ってみれば、平蔵が居た頃よりも清潔な部屋に迎え入れられた。

 風通しをしといてくれていたのだろう、埃もたまっておらずきれいに整頓されている。


 上がり口に浴衣が置かれていたが、平蔵はその隣に平蔵宛の達筆な文字が躍る封書を見つけて飛びついた。

 破きかねない勢いで広げた手紙は、案の定、天邦からであった。


『これを読んでいるということは、無事に蘇芳と生還したことと推察し候。

 遅ればせながら貴殿のために創りあげし鞘神、蘇芳を進呈せし候。

 貴殿を慕いし鞘神は、我が最高傑作にして愛しき我が子も同然なれば、末永く幸せにすることを命じ候。


 追伸

 手持ちの金子が不足したために江渡滞在中の費用を請求するものとす。蘇芳の抜き手なれば、その程度の費用工面出来るものと思われる』


 読み終えた平蔵は怒りのままにぐしゃりと手紙を潰した。


「あぁーまぁーくぅーにぃー!!」

 

 とんでもない女だった。

 自分勝手に鞘神を置いていったにもかかわらず、自分が豪遊した費用をすべて押しつけて去って行ったのだ。

 しかも記憶が正しければ十数年前と外見も変わっていない化け物だ。

 古参の虚神狩りが口を閉ざす理由が、嫌な方向でわかってしまった。


「へーぞー?」


 平蔵が怒りにぶるぶる震えていれば、女衆から解放されたらしいさやが隣に来ていた。

 そして平蔵の手元をのぞき見るなり、ぱっと表情を輝かせる。


「かあさまからだ!」

「……どうやらお前宛もあるらしいぞ」


 とたん、いそいそと手紙を広げ始めるさやには、明らかに喜色がこもっている。

 彼女にしてみれば、自身を苦境に陥れた張本人であるにも関わらず、大して頓着があるように思えなかった。

 未だに憤然としていた平蔵だったが、その様子に疑問が浮かぶ。


「いいのかよ。近くまで来てたのに顔一つ見せない親だろ。親じゃねえのか」

「かあさま、じゆうなの。じぶんもじゆうにするからさやもじゆうにしなさいって、からだをもらったときいわれた」

「そんなもんかねえ」


 さやは手紙から顔を上げもせず平蔵の問いに答えたが、その横顔は残念そうではある。

 承服しがたいものの、毒気を抜かれた平蔵は真面目にこの督促状をどうするか考え始めたが、文字を追っていたさやが声をあげた。


「あ、かあさま、つぎはにっこうにいくんだ」

「……あんだって」


 さやが見せてきた手紙をひったくるようにして読めば、数日前に江渡を発ち、奥州街道を進むとあった。


 唯一の手がかりである。

 女の足で数日、しかも滞在するのであれば、今から追えば間に合うかも知れない。

 何より江渡にいれば、自分で遊んでも居ない借金の返済に襲われる。

 素早く算段をつけた平蔵は、真顔でさやに向き直った。


「さや、旅は好きか」

「あんまりおそとでたことないからわかんない」

「土地のうめえめしが食える。あとうまくすりゃ天邦に会える」

「いく」

「よし決まりだ」


 真顔でうなずいたさやに、平蔵は部屋の隅にほうってあった道中合羽を手に取った。




 平蔵とさやが長屋の木戸をくぐったとたん、鎬と鉢合わせた。


「途中で式に伝言を頼んで戻ってきました……て、あれ平蔵さんその姿、どうしたんですか? まるで旅に出るみたいな」


 てれてれと決まり悪げに言い訳をしていた鎬は、すぐさま困惑に変わる。

 道中合羽に菅笠をかぶり、足下を固めた平蔵はちょうど良いとばかりに鎬に聞いた。


「なあ鎬、あの印籠はどんな関所でも自由に出入り出来るんだよな」

「え、あ、はいその通りですけど」

「ちょっくら天邦追って旅に出てくらあ。後よろしく頼む」

「たのむ」


 平蔵のまねをして言ったさやは、赤の着物は変わらないものの、脚絆に草履で足を固めるという旅装ぶりである。


「え、え!? 待ってください何で急に。天邦様の居場所がわかったんですか!?」

「宛てが出来ただけだ、さやにも会わせてやりてえしな」


 勢いで押し切ろうとした平蔵だったが、さすがに鎬はごまかされはしなかった。


「待ってください、まだ平蔵さん傷が治りきってないんですよ。それに事情を詳しく教えてくださってからでも良いじゃないですか!」

「いや時間がねえんだって」


 目をつり上げて留めようとする鎬の背後から、なにやらせわしげに歩いてくる集団がある。

 その先頭に深河の置屋の女主、巴の姿を見つけた平蔵は一刻の猶予もないことを知った。


「わたしだって協力できるかも知れないですし、そもそもわたしのおさい」

「さや、いけ!」

「てりゃー」

「ひゃあ!?」


 背後に迫っていたさやが、鎬の膝を押した。

 大の大人を倒せる力の上、不意を打たれた鎬はその場にくずおれる。

 すかさず、さやをすくい上げた平蔵は、片手で黒革柄巻きの刀を押さえて走り出した。


「わりぃ、鎬、金は貸していてくれっ!」

「平さんーー!! お金はらっとくれーーー!!!」


 巴の怒声に追いかけられつつも、平蔵は一目散に逃げ出したのだった。





 *





「ぜえ、はあ、治り際に全速力はきつい……」

 

 巴の声が聞こえなくなるまで駆け抜けた平蔵は、道沿いにあった茶屋でぐったりと倒れ込んでいた。

 床机の隣に座るさやは、ご機嫌に浮いた足を揺らしている。


「へーぞー、はやくてたのしかった」

「さいですかよ」


 茶屋周りは、江渡の中心から離れたことで、深河近くよりも少しひなびた風情を漂わせていた。

 ここをまっすぐ行けば、江渡から奥州街道へ連なる一番目の宿場町、千住宿に辿り着く。


 店の主人からもらった水で人心地ついた平蔵は、たのんだ団子を食べるさやをぼんやりと眺めた。

 平蔵は、数十年前に己が天邦に漏らした戯言を思い出していた。



『誰かを守れる、折れねえ刃が欲しい』



 手紙の内容が事実ならば、天邦は十数年前の戯言の通り、鞘神をつくって見せたのだ。

 鞘神作りには年単位の時間がかかるというそれを。

 ただ青い平蔵との約束のためだけに。


 このような童女の姿をした鞘神だとは思わなかったが。


「なあ、さや。お前は知っていたのか。天邦がお前を創った理由」


 思わず問いかければ、さやは黒髪を揺らして顔を上げた。

 平蔵が買ってやった紫の下げ緒がゆれる。 


「しらない。だけど、あまくにはぬきてはじぶんでえらべっていった。そしたらへーぞーにであった。だからへーぞーがさやのぬきてなの」

「……そうか」


 さやのどこまでもまっすぐな言葉に、平蔵は息をつく。

 平蔵も聞いてはみたものの、経緯はどうでも良かった。


 たまたま拾い、たまたま抜くはめになった。

 にもかかわらず、彼女は平蔵を抜き手と定めた。

 そして平蔵は彼女が望む限り、抜き手であることを選んだのだ。

 

 平蔵は懐から手ぬぐいを取り出すと、さやの頬についていたみたらしをぬぐってやる。

 そして暑くて脱いでいた道中合羽を肩にかけて立ち上がった。


「じゃあ、ちょいと天邦を追いかけんぞ」

「あい」 


 床机から飛び降りるようにして立ち上がったさやは、平蔵の左、紅塗りに金の朱雀が飛ぶ鞘の傍らに並ぶ。

 そして当然のように伸ばされたちいさな手を、平蔵は握って歩き始めたのだった。








 終わり

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