二、



 砥部とべの役宅は、江渡城からは少し離れた位置にあった。

  

「火付け盗賊改め方は、加役かやく、と言いまして、本来の役職に加えて任されるのだそうです。ですので決まった役所はなく、任された旗本のお屋敷が役宅となるのだそうですが」


 半信半疑で屋敷の門を見る鎬の、言わんとすることはわかる。


 夕暮れではあるものの、凶悪犯を捕らえる彼らの根城はそれなりに活気がありそうなものだ。しかし役宅は閑静な武家屋敷に溶け込むように静まりかえっている。

 門の外からうかがうだけでは、よどんだ魍魎の気配も見当たらず、平蔵と鎬は立ち往生していた。


 ここは、寺社町武家問わず、召し捕らえる事の出来る火付け盗賊改め方の根城である。

いくら虚神の捜査とはいえ、もし誤っていた場合抗議が来ることはもちろん、鎬ですら召し捕らえられてもおかしくない。

 話は聞いていた鎬であったが、改めて役宅を間近にして確証が薄くなったように思えて、改めて迷いが生じているのだろう。


「あの平蔵さん、蘇芳さんの気配はわかりますか」

「んなもん、術者でもねえのにわかるわけねえだろうが」

「わ、わかるものなんですって」


 鎬が言いつのるが、わからないものはわからないのだ。 

 しかし平蔵は確かな異常を感じ取っていた。


「だがな門番が居ねえ。天下の火付け盗賊の役宅だ。礼儀をわきまえねえ輩のためにゃ、必要不可欠だって言うのにそれもねえのはおかしい」

「そう、いえば」

「入るぞ」

「ちょっと平蔵さん、表からですか!?」

 

 ここで立ち往生していても何も変わらない。

 長屋に放置していた塗りの剥げかかった刀に手を添えた平蔵が、堂々と門へと向かうのに、焦りを帯びた鎬が止めようと追いかけてくる。


 通用口を潜ったとき、平蔵は泥を擦り付けられるような不快な感触がした。


 役宅の庭は不気味なほど静まりかえっている。


 しかし平蔵は腰の刀を、鎬は己の大太刀へと手をかけた。

 鞘を振り回し抜刀した鎬は、素早い挙動で襲いかかるそれをなぎ払う。


『ギシィッ!』


 軋むような鳴き声を上げて地面に転がったのは、蜘蛛のように思えた。

 だがその大きさは大人が四つん這いになったほどはあり、八本足は人間の手足をしていた。

 さらに頭部は理性のない人の男をしており、何よりも全身にまとわりつく黒々としたもやが、その尋常でなさを物語っていた。


「っ! まさかここまで侵食されているなんて」

「なんだこりゃあ」

虚神うろがみによる汚染です。虚神憑きを餌に力を付けるとこうしてこの世に干渉出来るようになるのです。その結果常ならばあり得ない現象も引き起こしてしまいます」


 厳しく表情を引き締めた鎬は、身に余る大太刀を構える。

 屋敷の玄関にあたる式台からは、うぞうぞと人の手足を携えた生首蜘蛛が這い出てきていたからだ。

 よだれを垂らしながらこちらへ手を伸ばしてくる蜘蛛の顔に知性はなかったが、明らかに敵意を帯びている。


 平蔵も襲いかかってきた蜘蛛を、抜き放った刀で切り下ろした。

 しかし、手応えが薄い。

 首を切り落とすつもりであったにもかかわらず、生首蜘蛛は吹き飛ぶだけに終わる。さらに、怒りと共に平蔵へとその牙を剝く。

 だが寸前で、割って入った鎬の太刀が蜘蛛を消滅させた。


「雑魚ですが、虚神由来の魍魎は人の十倍丈夫だと思ってください!」

「死ぬほど面倒だな!?」

「だから虚神狩りがいるんですよっ」


 もっともなことに平蔵は言葉もない。

 鎬が一足飛びに飛び出した。


春暁はるあかつきのごとき、安らぎを」


 祈りのような言葉が聞こえた瞬間、春風が吹いた。


 鎬はひと太刀振るっただけ。

 しかし地面を埋め尽していた生首蜘蛛達は砂のように溶け崩れていた。


 平蔵は初めて鎬の太刀筋を目の当たりにしたが、その大太刀を振るうための力も技術も達人の域に達していた。

 人を倒すためではない。怪異を断ち切ることに特化した刃である。


 だが、ぽっかりと空いた空間を埋め尽くすように、生首蜘蛛はあとから後からわき出してくる。


「平蔵さん、刃を出してください!」

「こうか」


 鎬に言われるがまま、平蔵が差し出した刀の鍔に、鎬が大太刀の鍔を打ち合わせた。

 きん、と金属がぶつかる音が響いたとたん、平蔵の刃がほのかな光を帯びて消えた。


「春暁の力を分けました。これで雑魚くらいなら切れます。長くは続きませんから気を付けて、行きますよ!」


 鎬は平静に大太刀を振るいながら、屋敷の内部へと侵入するのに、平蔵も続いた。


 侵入したとたん、魍魎の気配が濃密になる。

 形になりきらない邪気がよどむ廊下には、そこかしこに蜘蛛の巣がへばりついていた。


 腐臭のように漂う邪気に、平蔵は一瞬くらりとくる。

 しかし、ふうわりと赤の振り袖が視界の隅でひるがえった気がした。


「っ」


 天井から落ちてきた生首蜘蛛を、平蔵は刀でなぎ払う。

 むろん、先ほどと同じように生首蜘蛛は壁に叩き付けられるだけだったが、こちらへ向かってくる蜘蛛へ、平蔵へ刃をひらめかせる。

 固いのはわかった。ならば、それが切れるように力を籠めればよいだけだ。


 八本の手足を斬り飛ばし、最後に首を切り落とす。

 知性のない生首が目を見開き動かなくなり、すうと塵のように消えていく。

 鞘神の力を分け与えられてもなお、ここまでやらねば倒せぬのであれば、虚神狩りが切望されるのも道理である。

 鎬も四方から現れる蜘蛛を斬り飛ばすと、平蔵を振り返った。


「平蔵さん、もしかして蘇芳さんの気配がわかったんですか」

「そう、みてえだな」


 にわかに信じがたい平蔵だったが、鎬はなぜかにんまりと笑った。


「では取り巻きはわたしが引き受けます。平蔵さんは蘇芳さんを迎えに行って差し上げてください」

「おい」

「この屋敷内すべてが異界化しています。本来の屋敷の間取りとは全く違うと思ってくださいねっ」


 さすがにそれはまずいと抗議しかけた平蔵だったが、鎬は間断なく襲いかかってくる生首蜘蛛達を大きく切り払うと、平蔵に何かを押しつけた。

 ふわりと薄紙に包まれるような感覚を覚えたとたん、平蔵を狙っていたはずの生首蜘蛛が、右往左往しはじめる。


 そして一斉に鎬へ向かっていったことで、彼女がなんらかの術をもって平蔵をかき消したのだと気付いた。


「声さえ出さなければ大丈夫ですからねっ。なるべくしずかにです、よっ」


 さらに目くらましのように派手に立ち回り出す鎬に、平蔵は舌打ちしたいのを堪えて奥へと進んでいった。






 上級武士に数えられる砥部の役宅は広大なはずだが、それでは説明がつかないほどの部屋が迷路のように入り組んでいた。

 ともすれば、二度と外へと出られぬような様相だったが、平蔵の足取りに迷いはなかった。


 屋敷に入ってからずっと 涙の気配がする。

 あの童女が、平蔵の前で泣いたことはない。

 だが、それでも間違いないと言える何かがそこにあった。


 後方で派手な立ち回りをする鎬に惹かれているのか、平蔵のまわりに生首蜘蛛は居ないのを良いことに、平蔵は導かれるように進んでいく。

 いくつもふすまを空けたところで、奇妙な部屋に行き着いた。


 部屋の天井や四隅に、蜘蛛の糸の塊がへばりついている。

 ちょうど大人一人分の大きさをしたそれに、平蔵はまさかと、繭のひとつに刃を当てて切り開いていく。

 中からまろび出てきた、枯れ木のようにひからびた腕と腐臭に、平蔵は顔をしかめた。

 嫌悪感とどうしようもない怒りだ。


 地味な女物の着物からして、おそらくこの家の奉公人だったのだろう。

 もはや年齢すらわからぬほどひからびた姿は、気の弱い者だったら失神していただろうありさまとなっていた。

 部屋中にある繭がすべてそうだと言うのであれば、どれほどの者が犠牲になっているのか。

 あるいはこれほどの人間を、どうやって調達したのか。

 柄にもなく思考に沈みかけたが、平蔵は背後へ刃を振り抜いた。


『キシャアッ!』


 天井から襲いかかろうとしていた生首蜘蛛が壁へ叩き付けられる。

 繭を切り開いたことで、気が付かれたのだろう。

 蜘蛛の首を落としたところで、平蔵はその首に既視感を覚えた。

 記憶をたどったところで、土竜の賭場で平蔵が取り押さえた男だと気づき、からくりが見えた。


(賭場が調達の場だったって事か。大方ここは餌の貯蔵倉だったんだろう)


 心の中で吐き捨てた平蔵は、若干足を速めて奥へと突き進む。

 数日しか経っていない、男ですらああなのだ。

 生きている者が居るとも思えなかったし、平蔵に今、生存者を守る力はない。


 ならば、進むしかないのだ。

 何より、彼女の気配が濃密になっていた。

 刃に宿っていた鞘神の力が薄れていくのがわかる。

 鎬の施した術も薄れているのだろう、蜘蛛が平蔵を見つけて襲い掛かってくるようになった。 


 蜘蛛を振り切り、廊下をすすみ、辿り着いた引き戸にかかった蜘蛛の糸を強引に断ち切る。

 刃がこぼれたが、かまわなかった。

 軋む引き戸を開けた先は、離れのようだった。


 すでに日が暮れているために、暗い闇に沈んでいるが、困らないくらいには室内が見て取れた。

 部屋は十畳ほど、今まで見てきた部屋と同じように蜘蛛の巣が張り巡らされているが、本来は掛け軸や茶器などが飾られた品の良い空間なのだろう。


 部屋の隅には、蜘蛛の糸に巻かれた男が横たわっていた。

 繭とは違い、拘束されているだけのようで容貌もよく見える。 

 年は二十をいくつか超えたほど、整っているようだが、意識を失っていてもなお、癇の強さがにじみ出ていた。


 雨戸が閉められて居ないにしても、これほど見えるのはおかしいと平蔵は今更気付く。

 これが、鎬の異界化しているという言葉の一端なのかも知れない。


 そう考えつつも、離れた位置には、蜘蛛の糸に執拗にがんじがらめにされて天井からつり下がった、一振りの刀に引きよせられる。

 そして紅塗りに朱雀の金泊の押された刀装のそれの下でうずくまる、赤い振り袖をまとった童女に。


 平蔵は抜き身の刃を傍らに突き刺すと、闇夜にぽっかり浮かぶように居る童女の側へと近づいていった。

 かすかに、しゃくり上げる音が聞こえる。

 勢いでここまできたが、なんと声をかけるべきか、未だに定まっていない。

 それでも、とこちらを振り向かないさやへ、平蔵はとりとめもなく語りかけた。


「鎬から、てめえの話をちいとばかし聞いたぜ。良いところの鞘師に創られたってのに、なまくらよばわりされてたってよ」


 平蔵が傍らに膝をつけばさやの肩が震え、涙の色が濃いあどけない声が響いた。


「さやはやいばのつくりかたがわからなかったの。でもね、つかってほしくていっしょうけんめいやっても、ぬきてのひとたち、おさやのやいばはきれないっていうの。きるやいばじゃないって」


 ぎゅう、と振り袖の形がにぎられ、皺が寄っていた。


「へーぞーにあってね、やいばのつくりかたがわかったけど。まさめのやいばはうまくつくれなかった。おさやは、だめななまくらさやがみなの」

「だが俺に取っちゃてめえの刀は最高によく切れた」


 平蔵の本心に、さやはぱっとこちらを振り向いた。

 ふくふくとした頬は青白く、涙の筋がいくつもながれている。


「ほんとう」

「おう、本当だ。そもそも刀が切れねえのは持ち主の手入れの問題だ。鞘であるお前のせいじゃねえよ」

「でも、へーぞーおさやをおいてった。へーぞーなら、おさやをうまくつかってくれるとおもったのに」


 静かな、だが切実な悲鳴の混じった言葉に心がうずく。

 それくらいには、情が移っていたのだと今更自覚した。

 さやは言葉はなくとも、ずっと平蔵に真摯であった。あいまいにしたまま逃げていたのは平蔵だ。今ですら逃げ出したくなる衝動にかられる。

 だが、見た目が童女だとしても、今まで逃げてきたぶんだけ向き合いたかった。


「それは、俺が悪かった。お前じゃなくて、玖珂の連中にかっとなった……いや、言い訳だな」

「また、おさやをつかう?」


 ほとり、大粒の滴をこぼすさやに、平蔵は言葉に詰まった。

 即答は出来ない。なぜなら、平蔵にも譲れない物がある。決定的な言葉を形にする前に、聞かねばならないことがある。


 平蔵は静かに、眼前の童女に問いかけた。


「なあ、お前の言う『侍』ってのはなんだ。どうして俺を選んだんだ」


 さやはゆっくり瞬きをすると、唇をひらいた。


「……かあさまがね、いってたの。さむらいっていうのはこころをつらぬくひとだって。なにものにもくっせず、じぶんでさだめたしんねんをばかみたいにつらぬくおおばかやろーだって」

「おいおいけなしてねえかそれ」


 思わず平蔵が突っ込んでも、さやは意に介さず、ただ涙に濡れた瞳でまっすぐ平蔵をみつめた。


「へーぞーのたましいは、ひねくれてたけどきらきらきれいだったの。だいじなものがこわれてしまって、ずたずたにきずついていても、しんねんをまもりつづけているひとだって」

「ひねくれてるたあ、ずいぶんな言い表しようだ」

「だって、だれもいないばしょまではしって、かたなをふるうしゅぎょうしてる。いやだいやだっていいながら、おさやのことかあさまとおなじくらいだいじにしてくれた」


 気付かれているとは思わず、平蔵は羞恥と動揺で顔がこわばる。

 しかしさやは澄み切った瞳で平蔵を射貫いた。


「だからね、このひとのこころをつらぬかせたいっておもったの。へーぞーにさむらいでいてほしかったの。そしたらね、やいばのつくりかたがわかったの」


 すんなりと、言葉にされた想いに、平蔵は肩の力が抜けてしまった。

 さやの言葉に、平蔵は、己が剣の道を志したきっかけを思い出す。


 あの雪の日に、平蔵はすべてを失った。

 武士というもの人間というものの醜さを目の当たりにし、主君を守ることが出来なかった。

 剣では何一つ守れないと思い知った。 


 だがすべてが裏切られてもなお、平蔵は何かのために刃を振るいたいと願う心を捨てられなかったのだ。


 ひねくれ、倦み、嫌悪するふりをして、ないことにしていたそれをさやは見抜いて暴き出した。


 こみ上げてくる震えを落ちつかせるように息を吐く。

 部屋の外から蜘蛛が這う音が聞こえてきたが、平蔵はさやから視線を動かさなかった。


「さや、俺は分不相応な願いに自分でつぶれっちまったただの人間だ。やっすい正義を振りかざすには、俺は年を取り過ぎてる。お前の言う侍なんざなれやしねえ」


 さやの目尻に涙が盛り上がりかけるが、平蔵は続けた。


「だが、お前の刃が届くだけのもんを守れるようにはなる。それでいいか」


 蜘蛛が這う音が背後に迫っている。

 平蔵の静かな宣言に、鞘神の童女は震える唇を開いた。


「……さやのなまえ、よんで」

蘇芳すおう、こい」


 紅き者、鮮やかなる聖なる者の名を冠された童女は、表情を崩し涙をこぼしながら平蔵へと抱きつく。


 受け止めた童女が消えると同時に、平蔵は身を翻し、蜘蛛の糸にがんじがらめにされた刀の黒革巻き柄をにぎった。

 柄が平蔵の手になじんだとたん、脈動するように熱を持ち、蜘蛛の糸はぼろぼろと崩れ去る。

左手で紅塗りに朱雀の飛ぶ鞘を持ち、平蔵は鯉口を斬ると一気に抜きはなつ。

 鞘走った刃は今にも襲いかかろうとしていた生首蜘蛛を吹き飛ばした。


 吹き飛ばされた生首蜘蛛は、鎬の一太刀と同じように塵となって消える。

 ざあと、重苦しかった空気まで断ち切られ、あらわになった先ぞりの豪壮な刃は、今までで最も研ぎ澄まされていた。

 刃を抜いた平蔵にひるんだらしい蜘蛛たちが、入り口でうごめく。


『へーぞー』


 塗りの禿げた鞘を腰から引き抜いてると、さやの声が脳裏に響いた。


『これからどうするの』

「親玉の姿はまだ見てねえからな。全部叩っ切って帰るぞ」

『あい』


 そして、紅塗りに金の朱雀が飛ぶ鞘を腰に収めた平蔵は、蘇芳の刃を正眼に構えて、ひるむ生首蜘蛛へ向け笑って見せた。


「さあ、てめえら、地獄に帰る準備は出来てるか」

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