白い敵が現れる日2

 霧が晴れる。赤石は秋の真っただ中だ。切り立った山脈が赤い壁になって空に向かって反り立っていた。紅葉の絨毯は山の傾斜に沿って我々の陣営まで下りていた。弓狐の紺色は木々の間の陰影になって、機体なんかより誘導弾の実弾を示す黄色の帯がずっと目立っていた。

 弓狐から落ち葉の毛布を剥がす間に機付長の長狭ナガサとダブルチェックを済ませ、踵を足掛かりに背中をよじ登ってコクピットに入った。九木崎が設計した肢闘のコクピットは整備士から空豆の鞘と呼ばれている。肢闘は前後左右に加速度の変化が激しいから、戦闘機みたいにベルトで体を固定していたのでは埒が明かない。僕たちの意識がある間は中に空間があるが、投影器に繋がって機体に集中すると生身の方をぴったり包むように変形する。電源が入っていない時の感触はウォーターベッドと同じだ。ウォーターベッドなら小さい時に古淵の島忠で何度か遊んだことがある。

 背中側のシートにある身体機械投影器の栓端子のダイヤルを「双方向」に合わせてぴったり首筋をつける。

 目を瞑り、息を止める。

 真っ暗な炭鉱の壁がきらきらと光る。

 全てが希薄になり、全てが鮮明になる。

 僕が発散し、弓狐が発散し、ひとつの殻の中で融合を起こす。

 サイレン。それが僕。僕は僕であり、それ以外の何者でもない。僕の体は弓狐の機体と同化する。肢闘は器だ。僕ら贋のための器。木を彫るのも漆を重ねるのも精密を求め、規格化された限りなく均一な器。僕はその複雑な形の中に一つの性質を持った水となって馴染んでいく。

「ようこそ」タリスが耳元で言う。クリアな声。

 僕は左手を持ち上げて遠くの山脈と重ね、焦点距離のレスポンスを感覚に馴染ませた。次いで可視光から赤外線、温度に視界を切り替える。可視光カメラには視線指示灯が付属していて僕がどこを見ているか外からわかるようになっている。主電池に通電した待機状態で円、僕がコントロールを得た稼働状態で環に変わる。航法態勢では持続するが、戦闘態勢では航法灯とともに消灯される。灯したままでは敵に居場所をアピールしているようなものだ。

「同期、終わります」とタリス。機体の主脳がショコネットにアクセスして僕に最適化された機体および火器管制の補佐機能を同期した。

 軍事的にはタリスはショコネットを包括するソフトウェアであり、戦闘中はショコネット・データリンクの情報を伝える役割もあるのだが、機体主脳にも間借りして音声インタフェースとして独立して機能するようになっている。敵方の電子攻撃が酷くて無線通信が当てにならない時も、彼女は機体が集めた情報を逐一確認している。単なるお喋り相手ではないのだ。

 右手で別の機体が立ち上がり、鳥たちがばさばさと騒ぐ。僕の前に立った誘導係も旗を振って安全を告げた。戦闘開始まで兵器は自由な機動を禁じられている。ペースカーに続いて公道を進む。アスファルトを傷つけないように、足の裏を傷つけないように、弓狐は地下足袋を履いている。

 最初に右翼の四機が分かれた。次に僕を含め残り四機の左翼が最も山奥まで進んだ。弓狐をしゃがんだ姿勢で山肌に添わせる。時間的にはまだ余裕があったので生身で外に出て冷たい空気を吸い、シダの茂っている地面に向かって小便をした。コクピットハッチを半分だけ閉めて上体を起こすと前方は見通すことができた。左右は弾倉と誘導弾架が邪魔をしてほとんど視角がない。

 コクピットに戻って兵装のチェックをする。右手は〈竜胆〉四十ミリ機関砲。銃身が短く、銃剣がドラゴンの顎みたいに前に突き出している。左は手ぶらで肩に〈藤〉赤外線追尾誘導弾を六発背負っている。搭載量を意識した小型軽量の誘導弾で、基本的には対空兵器だが対地攻撃にも使える。射程が短いのが取り回しの悪いところか。

 今度の作戦は空軍と連携した敵砲兵陣地の破壊である。正確には敵陣地はまだ完成しておらず、完成すればアメリカとの講和会議の拠点である横田基地が長距離誘導弾の射程に入ることになる。つまり敵は陣地を築くことで脅しをかけようとしている。陣地を築くために兵力を注ぎ込んでおくのは脅しの脅しである。

 超高高度の観測機から音声通信のテスト。陣営の指揮所から返答。防空網制圧機〈黎牙〉が先行して電探に一撃を加える。午前八時に戦闘開始した。

 同時に警報が鳴る。妨害電波を捕まえた。データリンクが次々遮断される。視界に重ねられた敵のマーカが薄くなり仮定情報に格下げされる。尾根越しに誘導弾の噴煙を確認、次いで自機の電探が電波指向を拾った警告音。予想進路が僕の弓狐をまっすぐ捉えている。接近するとこれが扇状になって誘導弾の蛇行を示す。韜晦機動だ。しかし誘導弾程度の思考回路なら、弓狐の主脳は一瞬で先回りしてしまう。脊柱の〈螺子花〉十二ミリ四銃身機関銃で撃墜するのが筋だが、集弾率が悪くて銃弾をばらまくみたいなのが好きではなかった。右手の竜胆を振り上げて初弾装填、一射。敵の誘導弾が弾けて破片が僕の周囲に降った。一つ目の弾倉の残りが二十八、薬室に一発。まだ数える余裕がある。

 味方の戦闘攻撃機〈説花〉が次いで精密爆弾を投下する。爆発の方角と地図情報を照らし合わせてみるとどうやら命中のようだ。まだ通信は遮断されているのでどの程度破壊できたのかはわからない。今度の作戦は空襲が主で、我々が肢闘を八機も出した理由は空軍が仕事を終えた後で陣地の掌握を目指しているからだ。土地を押さえるという仕事は空に浮かんでいる連中にはできない。僕や他の七機は敵の妨害を躱しつつ谷を越えて目的地まで進行する。

 この時灘見はすでに進路を外れて敵の布陣の薄い所から西側に入り込もうとしていて、そこで最も奥側の進路を取っていた僕と鉢合わせた。

 正確にいえば、鉢合わせそうになったのを電探で確かめて避けて通ろうとした。もし味方同士という自覚があるならそのあとですぐ電探を受動に入れたりしない。姿を消そうとしたのだ。僕はその時の電探の反応で機番だけを確認して、戦闘中だったので誰がオペレータなのか思い出すことはしなかった。僕が追っていくと相手は迷わず攻撃してきたが、僕はそれが灘見だとわかっていなかった。

「止められないのか」僕はタリスに訊いた。

「不明です。無線通話は拒絶しています」

「だったら止めてやる」

「頼みます。止めてください」

 僕は牽制から一気に距離を詰めて竜胆の三点バーストを浴びせた。

 勢い余って銃剣を追加で突き刺したまま谷へ滑り落ちる。血の色をした紅葉の海が足元に流れる。

 河川敷に出た。電波指向警告。十時方向、距離三百、上から。僕は右手を構える。

 そこに白い鍵鮫が立っていた。紅葉の間から生えるみたいにして白い機体を覗かせていた。

 僕は地面を蹴ってロックオンを逃れようとする。だが、相手が腕を擡げないのでおかしいと思った。鍵鮫の目に紅色の視線表示灯が光る。両手の砲を肩の銃床固定具から解放する。「撤退の信号弾です」とタリスが聖女の声で告げた。

 僕は動くのをやめて機体火器管制を「航行」にセットした。弓狐と鍵鮫が束の間目を合わせる。やがて鍵鮫は反転して景色の中に姿を消した。僕はハッチを少し開いてマスクを外し、自然の冷たい空気で息をした。

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