強制天職エージェント

武内瞬

来店

 子供の頃は誰もが天才だ。しかし成長と共に、社会性や常識といった檻の中に入り、あるいは親のエゴで、子供は自身の才能や本心を見失ってゆく。


 その事務所は、ファッションビルが立ち並ぶ繁華街のど真ん中にあった。デジタルサイネージや華やかなディスプレイが並び、店先で店員がチラシやらサンプルを配ったりする間に、ひっそりと佇む古いビル。視界には入っているはずだが、道行く人々は見向きもしない。


 こんなところに来る客がいるのだろうか?窓から通りを眺めていた水島亮太は、ぼんやりと考えた。


「人ってやつは、知覚しないものは認識できないからね」水島に背を向け、パソコン画面で何かを読んでいた小早川公平は、振り返りもせずにいった。

「え?」水島は自分の考えが読まれたのかと、思わず聞き返した。

「自分の世界にないものは存在しない、とある哲学者がいっている。僕は彼の意見に賛成だ」

 また意味の分からないことをいっている、と思った水島は「ふーん、そうなんだ」と適当に流した。

「でも自分の中にあるものは、どこにあっても見つけるものだよ」

「なんだ、それ。スピリチュアルか?」

 ふん、と小早川は鼻で笑った。面倒なのだろう、小早川は言葉の意味をいちいち説明しない。水島は小早川の性格を知っているし、どちらにしても興味が持てる話でもなさそうなので、それ以上聞かないことにした。


 その時、ブザーの音が響いた。

 エレベーターに乗って7階のボタンを押すと鳴る仕組みだ。7階に入っているテナントはこの事務所だけ。つまり本人の知らないところで、事務所のチャイムを押したという事だ。

「水島、お客さんが来るよ。ちょっと隠れて」と小早川。

「おう」水島は急いで隣の部屋へと移動した。


 カチャリと音がして事務所のドアが開いた。

「こんにちは」

 小早川は素早く立ち上がり、人なつこい笑顔で出迎えた。

「こんにちは。いらっしゃいませ」

「必ず自分に合った仕事を見つけてくれるというのを見て来たんですけど」

「はい。私が転職エージェント『ナリワイヤ』の小早川公平です」


 隣の部屋で水島はモニターを見守った。事務所内に設置された複数のカメラで、2人の立ち位置から表情まで読み取ることができる。女はやや緊張した面持で小早川を見ていた。確かに、こんな変な所に来るには、勇気がいるだろう。


「あの……、私、瀬戸八重子と申します。今回は……」続けようとする女を、小早川は制止した。

「瀬戸さん、ご来店ありがとうございます。転職をご希望されているということで、よろしいですか?」

「はい」

「では、詳しい話はさておき、転職までの流れについて、説明させていただくことにしましょう。うちは少々変わっていますので、瀬戸さんの話を聞く前の方が良いかと。ご破算になってしまうと、お互いに時間がもったいないですから」

「え……、ええ。そうですね」小早川のぶしつけな物言いにひるみながらも、八重子は素直に従った。

「ありがとうございます。ではコーヒーを入れますので、少々お待ち下さい」

 のんびりしたものだ。隣室の水島はあきれた。コーヒーを入れるって、豆から挽くつもりだ。「今日は珍しく暖かいですね」なんて、どうでもいい天気の話を始める小早川に、八重子は律儀に返事をしていたが、明らかに戸惑っていた。もしかして、リラックスさせるのが目的だろうか。あまり効果が出ているようには見えないのだが。


 手動のコーヒーミルで豆を挽き、たっぷりと時間をかけてコーヒーを落とすと、事務所内に香ばしい匂いが漂った。ドアの隙間から伝って水島にもそれが分かった。「さ、どうぞ」と八重子にコーヒーをすすめ、一口飲んだのを見届け、水島はようやく本題に入った。


「うちの最大の特徴は、長期的な視点に立って、お客様にとって本当に合った仕事先を見つけることです。そのため、よそのエージェントとは進め方が違います。まずあなたの履歴書や職務経歴書を拝見し、希望職種もお聞きします。この辺りは、ほかと同じです。重要なのはここからです。あなたの生い立ち、人生の転換期、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったこと――また親兄弟や友人の話まで、あなたのこれまでの人生全てを知りたいのです。とはいえ、知られたくないこともあるでしょう。出せる情報だけで構いません。ただ、隠しごとがあると、私にとって少々つらい仕事になります」八重子の表情を注意深く観察する小早川。

「……はあ」八重子は呆気にとられた。

「はい」小早川はにこりとした。



「次にお客様のお仕事探しですが、提出していただいた膨大な情報を整理して、これまた膨大な仕事の中から探しますので、ご紹介までに少々お時間をください。早くて1日、最長だと……そうですね、1か月といったところでしょうか。そして、こちらが見つけた仕事は無条件で3か月、働いていただきます。ご希望通りではなくても、いえ、それどこか、やりたくない仕事であっても、お客様に断る権利はありません」


「えっ」八重子は驚いた。

 無理もない。強制的に仕事を決められ、しかも3か月は働かなければならない転職エージェントなど聞いたことがない。

「そうなりますよね。しかし、それだけ自信があるということです」小早川は淡々としていた。

 八重子は何かいいたそうだが、言葉が見当たらないようだった。


「3か月経って、それでもご満足いただけない場合は、慰謝料としてそこで働いた給料分をこちらからもお支払いします。会社からも3か月分の給料は普通に貰えますので、お客様には2倍の額が入るということです」先ほどより丁寧にゆっくりと話した。

 八重子は凍ったように一点を見つめ、沈黙が流れた。エアコンの音以外はなく、自分の音が響くとまずい、と水島は身体をこわばらせた。八重子は怒って帰るんじゃないだろうか、と心配していた。

 実際は1分程だっただろうが、ずいぶん時間が流れたように感じた。しばらくして八重子は口を開いた。「はい……。概要は分かりました。本当に、変わっていますね」とりあえず、受け入れたようだ。

「よく言われます。では、本日は以上です。職務経歴書と履歴書など、諸々について書いていただくテンプレートは、こちらのURLにあります。ご自宅のパソコンで入力して送信してください。確認できましたら、またご連絡させていただきます」


 いくつか質問したものの、言葉少なに去っていく八重子を見送ると、水島は部屋に戻った。

「彼女、二度と来ないんじゃない?」こんなふざけた会社、という言葉を水島は飲み込んだ。

「問題ないよ。うちの客は、ここにたどり着くまでにいろんな手段を使って転職活動しているし、何なら自力でそれなりの仕事を探せる人たちだ。それでも、ここを見つけて自分で選んで来た。その時点で決まっているんだよ」


 3日後、八重子から入力済みのデーターが届いた。

「きたんだ?」と意外そうにいう水島に「当然だよ」と小早川は勝ち誇った表情をした。

 小早川とメールで日取りを決め、再び八重子はやってきた。帰ってから気持ちの整理をつけたのだろう、前回とは打って変わって、決意を秘めた表情をしていた。


 八重子は30歳、名前を知らない人はいない大手化粧品メーカーの研究員。父親が高校教師で化学を教えていたという影響もあり、小さい頃から化学に親しんでいた。大学の専攻も、もちろん化学系。大学院卒業後、化粧品メーカーに就職した。入社後は6年間、同じ部署に在籍し研究開発に従事している。しかし、1か月後に退職する手続きをすでに取った。理由は、人間関係に疲れたため。大手でなくてもいいから、同じような職種を希望しているという。

 提出書類の項目には全て答えており、それを見る限り、幸せな家庭で、ごくありふれた人生を送ってきているようだった。面談でも、特に嘘をついている様子もなかった。

「詳細にお答えいただき感謝します。瀬戸さんの希望も承知いたしました。が、先日もお話した通り、全く違う仕事になる可能性はありますので、ご理解のほど、よろしくお願いします。ご了承いただければ、こちらにサインをお願いします」

「はい」八重子は、すぐにペンを取り、美しい筆跡でさらさらとサインをした。

「ありがとうございます。では本日は以上です。一か月以内にご連絡差し上げますので、お待ちください」


 「彼女、どう思う?」

 八重子を帰し2人になると、小早川は水島に聞いた。

「渡した書類にも細かく書いていて、几帳面で真面目な印象だな。契約書の字もきれいだ。君との会話でも、質問されたことについて、簡潔に的確な答えを返しているようだった。頭の回転も速そうだ。ちょっと堅い感じはしたが、会社でも仕事はできる方じゃないか。大手化粧品メーカーの研究所なんて、競争率も高そうだし、そうそう行けるところでもないだろう。院卒で30歳、ということは入社6年目か。新人を抜け出して、これから本格的に仕事に取り組む時期じゃないか。辞めるのはもったいないね」

「僕もそう思ったよ。ただ、恵まれた環境で、自分の専門ど真ん中の仕事ができるっていうのに、さほどやりがいを感じているようでもなさそうだった。あと気になったのは、人間関係の悩みかな。それほど深刻そうには聞こえなかった」

「そう?」

「これは今後、探っていくとしよう。彼女の経歴と大まかな性格はつかめた。よし、次の段階に行こうか」


 何をするのか、水島は検討もつかなかった。ここでの本格的な仕事は初めてだったのだ。



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