10-5.


 競技用ブロスの中身はブラックボックスと化しており、白馬システムのセミオート機構を作り出すまで誰もこれを弄ることは出来なかった。

 未来人が作ったオーパーツ、そのような噂がまことしやかに囁かれている程の完成度を誇る驚異のロボット用OS。

 それは競技用ブロスが世に出て今日まで、このOSに一回のアップデートも行われていない事実からもその凄さが分かるだろう。

 しかし高度な技術を持つ未来人の如き存在が開発したとは言え、それは神ならざる不完全な人が作り出した代物である。

 人が一点の瑕疵の無い代物を作れる筈も無く、どんなに完璧に見える代物にも何処かに穴が有る物なのだ。


「"相手の反応、どうやら自機の異常なダメージに気付いたようね。 このまま気付かなければ、楽に試合を終えられたのだけど…"」

「"どちらにしろ、後数発入れればブロスが戦闘不能を判断するわ。 このまま押し切るわよ…"」

「"本当はブロスファイトで披露するつもり奥の手だったのに…。 まあ、本番の予行演習だと割り切るか…"」


 ダメージを受けない当てるだけの手打ち、そのように判断して回避や防御を捨てていたワークホースが突然こちらから距離を取り始めた。

 その突然の変化の理由は明白である、恐らく彼らは自分たちの機体の有り得ない状態に気付いたのだろう。

 相手の機体状況を葵たちが把握することは出来ないが、手応え的に後何発か拳を放り込めば勝負は決まった筈だ。

 監督である猿野は楽に勝負が終わらなかった事を悔み、パイロットである葵はまだ歩との戦いが続くことを喜んでいる。


「"完璧と言われていた競技用ブロスも、実は完璧じゃ無かった。 ブロスが管理しているブロスユニットの機体状況を監視するプログラムのバグ、これを見つけるのに二年掛けた甲斐があったわね"」

「"私が教習所時代に研究していたデータを元にしているから、年数で言うなら四年以上は有るわよ。 特定の部位に一定の感覚で衝撃を与えることで、ブロスにダメージを誤認させる言わば裏技。 ふっふっふ、これはブロスファイトの歴史を変えるわよー"」


 猿野はふとした偶然から、完璧と思われた競技用ブロスのバグを知る事になる。

 教習所時代に監督コースの授業の一貫として、ランダムに選ばれた過去の公式試合のデータをレポート化する課題があった。

 不運なことに猿野に指定された試合はランク外同士の詰まらない試合であり、彼女は退屈な試合に飽き飽きしながらレポート作成に取り掛かっていた。

 しかしその試合の記録として残されていたブロスユニットの機体情報を確認した時、猿野はある違和感に気付く。

 試合の映像から見て取れた機体の損害状況と、ブロスが認識する損害状況に僅かなずれがあった。

 それはよく観察しなければ誤差と判断されそうな些細な差であったが、よくよく見れば確かに実際の機体とブロスが認識する状態に差異が存在している。

 その事実から猿野にある推測を立て、彼女はそれを実証するために今日まで歩んできたのだ。


「"初めてこの話を聞いた時は驚いたわよ。 拳闘スタイルの必勝法を確立してやるから、私を監督しろなんて大きいことを言って自分を売り込んだわよね?"」

「"教習所を卒業した時にはまだこれの再現方法は確立していなかったけど、これに一番相性が良いのは拳闘スタイルだって事は予想が着いたからね。 実際、拳闘スタイルのフットワークと手数が無ければ、この裏技を試合中に再現するのは不可能よ"」


 ランカー、ランク外を問わずに記録に残されているブロスファイトの試合記録を片っ端から調べた猿野は、この裏技には再現方法を漠然と掴んだ。

 必要な物は特定の箇所に一定の衝撃を与えること、それも一箇所では無くそれぞれ異なる箇所に間断無く当てなければならない。

 試合中にそんな芸当を出来るのは拳闘スタイルと言う特異な戦い方をする者たちくらいであり、猿野の代には二代目シューティングスターと言うおあつらえ向きの人材が居た。

 教習所の卒業間際に猿野はまだ不完全ながらもこの裏技の存在を証明するデートともに自分を売り込み、そして卒業と同時に葵の監督になったのである。


「"はぁ…、やっぱりこんな所で奥の手を出したく無かったけど、お嬢様の恋路を邪魔するのも気が引けるからねー。 ほら、さっさと痴話喧嘩を終わらせて、試合が終わったら告白でもしなさいよ"」

「"はぁっ!? 別に私と歩とは別に…"」

「"教習所で別れてから四年、何でも無い相手の事なら普通に忘れちゃう時間よ。 わざわざ奥の手を晒すほどに執着している相手に、何の感情も無いと言われても信じられないなー"」

「"うぅ…、と、とりあえず歩には勝つ!!"」


 監督である猿野としては彼女が四年以上掛けて作り出したこの裏技を、ライセンス試験などと言う小さな舞台で披露することは非常に不満であった。

 それ故に先のことを考えれば、暴走する葵がこちらの手札を晒す前にさっさとタオルを投げて試合を止める選択肢も頭に過った。

 しかし逆に監督の立場である猿野は、パイロットとのコミュニケーションも重要となってくる。

 羽広 歩と言う男に異様に入れ込んでいる今の葵に対して試合を止めるような真似をしたら、監督とパイロットの信頼関係に致命的な傷が出来るのは確実である。

 本当に先を見据えるならば此処はパイロットの我儘を通してあげるしか無く、猿野は若干投げやりにパイロットに対して試合を決めるように指示する。

 監督の指示に従ったパイロットの葵は、真っ向から鉄の使役馬に向かっていた。











 自機の不可解なダメージに気付いた白馬システムチームは、混乱の境地に陥っていた。

 あの不自然に増えた手打ちの拳が原因であると推測出来るため、とりあえずナックルローズから距離を取った。

 しかし離れていては相手を攻撃出来ず、近付けばブロスにダメージを誤認させるあの拳が繰り出されるだろう。

 華麗なフットワークと手数を重視する拳闘スタイルを相手に、被弾をゼロにするのは今の歩とワークホースでは不可能である。

 もう少し早く機体のダメージに気付けばもっと違う手も取れただろうが、既にワークホースのブロスが認識するダメージレベルはレッドゾーン。

 あと一歩でブロスが戦闘不能を判断するであろう危険な状況であり、最早一発足りとも被弾は許されない。


「"猿野の奴ーっ、こんな奥の手を隠していたなんてぇぇっ! よくブロスのバグなんて見つけたわねぇぇぇっ!!"」

「"セミオート機構とは言えども、機体のダメージ判定を行っている部分は競技用ブロスと同じですからね…"」


 セミオート機構を登載した全うでは無いワークホースのブロスであるが、流石に試合の勝敗に関わるダメージ判定などを行うシステムは手を加えていない。

 そもそもこれを弄ったらブロスファイトの試合が成立せず、そんな真似をすればそもそもライセンス試験を受けることすら出来ない。

 そのため今まさにバグを突かれている箇所については、ワークホースは競技用ブロスを搭載した全うなブロスユニットと同じように嵌まる事になる。


「"あの葵を相手の拳を一発たりとも受けずに、あいつを倒す…。 そんな事が出来るわけ…"」

「"…ストームラッシュもどきよ、あれで押し切りなさい。 もうそれしか手が無いわ…"」

「"はっ!? あれは重野さんに止めらてて…、それにあれも機体に大きな負担を掛けます。 今のブロスが認識ているダメージ状況で、そんな真似をしたらブロスが戦闘不能を判断しますよ"」


 ストームラッシュ、伝説のチャンピオン・ナイトブレイドの代名詞と言うべき連続技。

 その剣の嵐に巻き込まれた者な為す術無く切り刻まられ、相手のブロスは即座に戦闘不能と判断することだろう。

 ワークホースが出来るそれは自身に過大な負荷を掛けるもどきでしか無いが、その負荷を無視すればその再現度は本物と殆ど遜色は無い。

 確かに葵の拳に当たること無く相手を倒し切るには、一か八かあの大技を繰り出すしかないだろう。

 しかし問題も一つある、以前にワークホースはストームラッシュもどきを行ったことで機体に多大なダメージを受けた。

 その時の機体の状況は今と同じようなダメージレベルが真っ赤な状況であり、それはブロスが戦闘不能と判断に足る損害であった。

 ブロスが既に戦闘不能一歩手前のダメージを認識しているワークホースでそんな自爆技を行えば、ブロスは即座に戦闘不能を判断して白馬システムチームの敗北が確定してしまう。


「"多分、大丈夫。 ブロスがダメージを認識ている箇所を確認したけど、前にあなたが自爆した時のダメージ箇所とは殆ど一致していないわ"」

「"本当だ…、ストームラッシュのダメージは力任せに剣を振るった事による関節へのダメージ、それ今ブロスが認識しているダメージはあくまで打撃による物か…"」


 そこは監督と言うべきだろうか、犬居は猿野のバグ技に驚きながらもワークホースの機体状況を正確に分析していた。

 現在、ワークホースが認識しているダメージは、全て打撃が要因によって起こりうる過大な損害である。

 あくまで打撃と言う手段によって引き起されているバグである、打撃では発生し得ない関節などへのダメージは皆無だった。

 確かにこれならば関節に負担を掛けるストームラッシュもどきを繰り出しても、ワークホースが即座に戦闘不能を判断することは無いだろう。


「"けれでもあれは重野さんに…"」

「"此処で負けたら全てが終わりなのよ、責任は私が持つからやりなさい! っ、来るわよ!!"」

「"くっそぉぉぉっ!!"」


 追い詰められた歩たちが勝つには、此処であのストームラッシュもどきを繰り出すしか無い。

 確かにパイロットとして見れば負けを受け入れるよりは、犬居の言う通り一か八か勝負に出るのが正しいだろう。

 しかし整備士でもある歩は重野の薫陶により、機体を壊しかねない自爆技を使うことに非常に抵抗があった。

 ストームラッシュもどきによって傷ついたワークホースを整備したのは歩である、相手にやられたならまだしも自らの行動であれだけ機体を痛めつけるなんて真似はもうしたくなかった。

 この土壇場でまたもや整備士とパイロットの板挟みにあった歩の前に、こちらに止めを刺しに来たらしいナックルローズが近づいてくる。

 ストームラッシュもどきを出すには今から動き出すしか無いが、本当に重野に止められたこの自爆技を使ってもいいのか。

 ワークホースの中で雄叫びを上げながら、歩は最後の決断を迫られていた。


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