10-3.


 ライセンス試験における歩と葵との戦いは、イタチごっこの様相を見せていた。

 ナックローズの華麗なステップにワークホースが翻弄され、ワークホースの剣は空を切り続ける。

 そして剣閃の間隙を縫ってダウンを狙ってくるナックローズの拳に対して、ワークホースは事前に学習させていた転ばぬ先の杖などの動作によって凌いでいた。

 しかし初めは予想以上の動きに戸惑ったとは言え、何度も同じことを繰り返していれば慣れもしていく。

 ただ翻弄され続けている訳では無いという事を、歩とワークホースの切っ先に感じた感触で証明して見せる。


「"当たった、当たりましたよ!"」

「"掠った位で喜ぶな! 相手を倒してから喜びなさいよ!!"」


 先程の攻防、ナックローズの回避する方向を読んで軌道を変えた剣は僅かながら相手の装甲を掠めたのだ。

 これはただのラッキーヒットでは無く、歩が徐々であるが葵の動きに付いていけるようになった事を意味していた。

 初めて自分の剣が相手に触れた事に喜びを隠しきれない歩であるが、犬居はその程度ではしゃぐなと釘を刺してくる。


「"ああ、まずい。 相手がこっちの動きに慣れてきた。 普通あれだけやれば、倒れるもんでしょう…。

 幾ら倒そうとしても立ち直ってくるって、何、お前はゾンビなの?"」

「"どうする? このままやっても拉致が開かなそうだけど…"」

「"分っている、作戦変更よ"」


 一方のナックローズはワークホースの剣が掠った事実を、予想以上に深刻に捉えていた。

 ワークホースがナックローズに翻弄されている間、彼女たちは何度も相手に打撃を与えてダウンを奪おうと試みた。

 打撃によって相手のバランスを崩してダウンを狙う、拳闘スタイルの典型的な戦法である。

 僅かな操作ミスで制御不能に陥る競技用ブロスにおいて、バランスが崩れた状況を立て直す繊細な操作がそう何度も成功する物では無い。

 普通であればこれだけバランスを崩されれば、何処で操作ミスが発生して相手が無様に地面へと転がる筈なのだ。

 しかしワークホースは人間味を感じさせない完璧な動作で崩れたバランスを立て直し、すぐさまナックローズに向かってくる。

 そんなやり取りを繰り返している間に、ワークホースはこちらの動きに付いていけるようになってしまった


「"このまま速攻で倒すのは無理。 それなら面倒だけで段階を踏んで、相手の回避手段を奪おうかしら…」

「"まずは転ばぬ先の杖を封じる手ね、了解!!」


 ナックローズの動きに慣れる前に速攻で相手を倒して片を付けるという、当初の作戦は失敗に終わったようだ。

 それならばやり方を変えるだけである、ワークホースの予想外の抵抗を前に葵たちは方針転換を迫られる事になった。






 犬居の予想通りセミオート機構を備えたワークホースは、拳闘スタイルを相手に非常に優位に立っていた。

 転ばぬ先の杖をと言う明確な回避手段が存在しており、セミオート機構に学習させた回避動作は通常の競技用ブロスのような操作ミスは起こりえない。

 幾ら相手が頑張ってダウンを狙おうとも、ワークホースが相手では無意味なのだ。


「"っ!? 相手が来ます!!"」

「"この均衡した状態に業を煮やしたのね…。 いいわ、逃げずに迎え撃ちなさい!

 "手打ちの攻撃なんていくら受けても効かないわ、肉を切らせて骨を断つ戦法よ!!"」


 ワークホースの攻めをナックローズが凌ぎつつ反撃する、試合が始まってから今まで先手は歩が取るのが常であった。

 しかし此処でナックルローズの動きが変わった、剣を構えるワークホースに対して自分から近寄ってきた来たのだ。

 この今までにない行動を相手の焦りだと見た犬居は、此処が勝負所であると判断して歩に迎撃を命じた。

 肉を切らせて骨を断つ、監督である犬居が対拳闘スタイル用に用意していた作戦の一つだ。

 これはその言葉の通り相手の打撃を避ける事無くあえて受け止め、お返しに手痛い一撃をお見舞いしてやるという単純と言えば単純な策である。

 ブロスユニット相手では打撃でダメージを与えることは難しく、下手に避けるよりはあえて受けながら反撃の機会を作ると言う訳だ。


「"…なっ!? こちらの体を狙ってこない? これは…"」

「"まずい、相手の狙いは…"」


 歩と犬居は自分から攻勢に入ったとは言え、ナックルローズはこれまで通り相手のダウンを狙うだろうと予想していた。

 そのため歩はナックルローズの拳はワークホースの体を揺らすために放られる物として、それに耐えながら反撃を行う準備をしていたのだ。

 しかしナックルローズの拳は歩たちの予想外の方向、ワークホースの体でなく腕へと向かってくる。

 予想外の動きに歩は動揺して反応が遅れてしまい、それを見た犬居は瞬間的に己の失策を悟った。

 寸分違わぬ狙いで女拳闘士の拳は使役馬の両腕に吸い込まれるように当たり、使役馬はその手に握っていた剣を綺麗に弾き飛ばされてしまう。


「やばい、剣が…」

「これで転ばぬ先は出来ないでしょう。 楽しませて貰ったわよ、歩!!」


 ナックルローズがワークホースの腕を狙った意図は明白である、彼女たちは一足飛ぶにワークホース本体を狙うのを止めて段階を踏むことにしたのだ。

 拳闘スタイルの天敵とも言うべき転ばぬ先の杖、剣などの長物の武器を杖で転倒を防ぐ単純で確実な手段。

 転ばぬ先を行うには杖となる物が必要である、逆を言えばその杖さえ無ければ相手は転倒を防ぐ手段がなくなってしまう。

 まさか武器を狙ってくるとは思わなかった事もあり、歩はまんまと葵の思惑通りに彼女の打撃の衝撃によって剣を弾き飛される事になった。

 相手の武器をを奪うと言う段階を踏む手段は過去の拳闘スタイルの使い手が度々行っていた手法であり、監督である犬居がその狙いに真っ先に気付くべきであった。

 しかし犬居はそれに気付くこと無く愚かにも歩に待ちの作戦を授け、結果的にナックルローズがワークホースの剣を弾き飛ばす決定的な隙を与えてしまう。

 犬居が己の失策に悔やむ無く、両の剣を弾き飛ばされて無手となったワークホースにナックルローズの拳が容赦なく降り注いだ。


「今日は私の勝ちね! 次はブロスファイト本戦で会いましょう」

「うわぁぁぁぁっ!?」


 歩の乗るワークホースを殴り倒した葵は勝利を確信し、久しぶりの歩との戦いにそれなりに満足を覚えていた。

 ワーカーの時とは別次元である本当の拳闘スタイルの動きに曲りなりにも付いていき、自分に食らいついて来た歩は葵の期待通りの物である。

 試合の結果事態は此方の勝利に終わったが、ライセンス試験として見れば歩も自分も十分に合格ラインに達する戦い振りだったろう。

 歩にもライセンスが付与される事はほぼ確実であり、そう遠くない内にブロスファイト本戦でまた歩と戦う事になるに違いない。

 自分と歩がブロスファイトの世界で競い合う未来を想像しながら、ワークホースが地面に倒れゆく姿を眺めていた。






 自らを支える杖代わりの武器も無く、完全にバランスを崩したワークホースは後方へと倒れ込もうとしていた。

 普通のブロスユニットでは此処まで悪くなった体勢をリカバーするのは不可能であり、地面に倒れ込むことでその巨体相応の質量によるダメージを受けることになろう。

 しかしワークホースは普通のブロスユニットでは無く、パイロットの技量に左右されずに学習した動作を再現するセミオート機構を登載した機体である。

 そして歩はワークホースに対して事前に、武器が無い状態で体勢を整える動作を事前に覚えさせていたのだ。


「まだだ、持ってくれ、ワークホース! うぉぉぉぉぉっ!!」

「"嘘っ、あそこから立て直し!?"」


 ワークホースが見せた動きは競技用ブロスの使い手に取っては、予想外と言っていい物であった。

 両足で踏ん張りながら倒れかかっている体を支え、同時に腕を含めた上半身の動きによって崩れたバランスを戻したのだ。

 後ろに倒れそうになった人間が上半身を前に傾けて、腕をばたつかせながらバランスを取る。

 それは言葉にすれば単純な事であり、普通の人間であれば特に苦労する事無く出来る動作であろう。

 しかし競技用ブロスを使って、ブロスユニットにその動作をやらせるのは至難の業と言えた。

 一つの動作をするだけも複数のパラメータ入力を要求する競技用ブロスで、足と胴体と腕を同時に動かすためにどれだけの操作が必要になるか。

 加えてその操作が必要な状況は直立した平常な状態では無く、機体が倒れかかっている寸前の極めて不安定な状態なのである。

 そのような状態で咄嗟に体の全部位を使う繊細な操作などは不可能に近く、それ故に通常のブロスユニットでは精々手に持った武器を杖代わりするという単純な動作をするのが精々なのだ。


「危なかった、本気で終わったと思った…」

「…楽しませてくれるわね、歩!!」


 セミオート機構の最大の利点、それは一度学習させた動作がいつでも再現可能な事であろう。

 プロのブロス乗りから見たら神業と言うべき先程の動作を、ワークホースに覚えさせるために歩は何回失敗しただろうか。

 ダウン時の衝撃を和らげるためにブロスユニット用のマットと言うべき特殊緩衝材を用意した上で、歩とワークホースは今の動作を成功させるために何度も試行錯誤を繰り返した。

 幾度と無くバランスを崩してマットの上に無様に倒れながらも、歩とワークホースは少しずつ杖無しでバランスを保つ動きを徐々に身に付けていく。

 そして苦労の既に成功した時の動作パターンをしっかりと記憶しておき、セミオート機構でそれを再現することでこの窮地を凌いだのだ。


「ふふふ、猿野、さっきは正直言って意表を突かれたわよ。 けどただの武器封じるなんて、奇策が大好きなあなたにしては普通過ぎない?」

「…変な機体のは分っていたけど、まさかあんな真似も出来るとは流石に予想外ね。 

 武器封じの手は拳闘スタイルの使う常套手段でもある、その対策を疎か無い。 デンちゃんらしい面白みの無い堅実な手段ね」


 拳闘スタイルが転ばぬ先の杖を防ぐため、先に相手の武器を封じるという戦法は決して目新しい物では無い。

 そして教科書通りの堅実な指揮スタイルの犬居が、相手が武器封じによって無手になった場合の対策を忘れる筈も無かった。

 自身が準備していた策によって憎き相手監督の作戦を防いだ事が嬉しかったのか、犬居は自然と笑みを浮かべていた。


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