9-4.


 結局、歩は何も決められなかった。

 ライセンス試験を前日に控えたこの日、未だに整備士を続けている歩は本番に備えてワークホースの最終チェックを行っていた。

 自主的に最終チェックを引き受けた歩以外の他の整備班メンバーは既に引き上げており、ハンガーには歩一人の姿しか見えない。

 パイロットとしての歩の業務は既に終了しており、今の歩の立場はただの整備士でしか無い。

 先程まで歩が乗っていたワークホースの機体状況が端末に映し出される、結果は勿論オールグリーンだ。

 重野が指揮する白馬システム整備班が一丸となって仕上げた機体である、問題が有ろう筈が無い。

 まさに完璧と言っていいワークホースの状態に、整備士としての歩は自分が関わった仕事の成果に強い満足感を覚えていた。


「自分で動かしたブロスユニットを自分で整備する、か…。 整備士とパイロットの兼業、ある意味で存分にブロスユニットに関われる立場だよな…」


 教習所でパイロットの夢を絶たれた歩は、パイロット以外で少しでもブロスユニットに関われる道を模索した。

 そして辿り着いた結論が整備士としてブロスユニットを整備する道であり、はっきり言ってしまえば現在の整備士という立場は妥協の産物でしか無い。

 これが教習所で整備科コースに転科した直後の歩であれば、即座に整備士の立場を捨ててパイロット一本に絞った事だろう。

 しかし曲がりなりにも歩は整備士として教習所で学び直し、ブロスユニットを整備する楽しみを覚えてしまった。


「やっぱり一年も触っていれば、こいつの事がお前のことが何となく分かるんだよ。 下手な操縦をした時はその後の整備に苦労するし、上手く動かせたらその後の整備は簡単に終わる。

 段々とコツも捕まえたぜ、操縦した時の感覚でその後に必要な整備の内容が何となく予想が付くようにもなったしな。 こんな経験は、パイロットだけをやっていたら絶対得られないよな…」


 初めてスタジアムで見たブロスファイトの試合、青の剣士と赤の拳闘士の戦いは歩をブロスユニットの虜にさせた。

 歩は純粋にブロスユニットと言う名の、男のロマンと言うべき巨大ロボットが大好きなのだ。

 パイロットとして巨大ロボットを乗るのは楽しい、整備士として巨大ロボットを弄くり回すのは楽しい。

 整備士兼パイロットと言う立場は、ブロスユニットを愛する歩に取っては理想的な状況と言えた。

 歩の眼前に直立する茶色の機体、何の変哲もないただの馬をイメージして作られたワークホース(使役馬)。

 白馬システムチームに整備士として入社し、成り行きでパイロットとなってからもうすぐ一年。

 この一年の間、歩は毎日ワークホースに乗り込み、毎日ワークホースの整備をしてきた。


「俺はパイロットになれなかった駄目な奴なんだよ。 そんな俺がパイロットと整備士を一緒にやるなんて欲張りをして、あの葵に勝てるのかな…、ワークホース」


 心情的にはブロスユニットを味わい尽くせる、整備士兼パイロットと言う立場をこれからも続けたい。

 しかし歩の中の冷静な部分がこうも囁くのだ、半端者の自分が二兎を追って二兎を得られる筈は無いと…。

 何しろこれからもブロスファイトの世界で戦っていくことになれば、歩の相手は競技用ブロスを勝ち取った天才たちになる。

 彼らのような天才たちを相手にセミオート機構と言う助けを借りているとは言え、競技用ブロスに手が届かなかった凡人である自分が太刀打ちできるとは思えない。

 そんな不利な状況にも関わらず、整備士と言う余計な仕事を続けるのは無謀と言っていいだろう。

 葵・リクター、歩の教習所時代の同輩であり、歩とは対象的にストレートで教習所を卒業して競技用ブロスを勝ち取った才女。

 彼女とのライセンス試験は二足草鞋と言う贅沢な立場を続ける歩への罰となるのか、それとも整備士を兼務して試合に勝てる事を証明する場となるのか。

 全ては明日のライセンス試験で決まるだろう、歩は顔を上げて共に戦うことになる相棒の姿を視界に収める。

 そこには先ほどと変わらず、歩をブロスファイトの世界へ誘ってくれた平凡な使役馬の勇姿があった。













 歩が愛機の前で苦悩している頃、彼の明日の対戦相手になる葵・リクターも自身の相棒である赤い機体を見上げていた。

 少々年季はいっているが十分に現役なブロスユニット用の施設は、葵の所属するチームの本拠地である。

 奇しくも道を分かったかつての同輩と同じ状態になっていた葵であるが、しかし彼女の表情は歩とは対象的な明るい物であった。

 まるで遠足を前日に控えている子供のように、葵は楽しげな雰囲気を醸し出しながら愛機に対して話しかける。


「いよいよ、明日よ。 またあいつと戦えるんだ…、ナックルローズ」


 "ナックルローズ"、葵・リクターの操るブロスユニットの名前である。

 この機体は名前だけで無く、その姿形も葵の父であるシューティングスターが駆った"ナックルエース"を意識して作られていた。

 アウトボクサーを思わせる細身の軽装甲、拳闘スタイルを操るこの機体は当然のように腕を保護するグローブ以外の武器は存在しない。

 しかし女性パイロットを意識しているのか、ナックローズの装甲は若干の丸みを帯びており何処か女性らしさを感じさせる。

 機体色も桃に近い薄い赤色だったナックルエースと違い、ナックローズはその名に冠する花をイメージしてるのか深い真紅となっていった。

 機体の肩には薔薇の意匠が刻まれており、ナックローズの姿はまさに薔薇の女戦士と言う感じの佇まいである。


「ふふふ…、意外に薔薇も悪く無かったわね。あの親爺ギャグは未だに許せないけど…」


 真紅の薔薇をイメージした姿をしているナックローズであるが、これは決して葵の趣味では無かった。

 女だからと言って花をモチーフにした機体するなんて単純過ぎると思ったし、百歩譲って花を使うにしても真紅の薔薇は無いだろう。

 葵の趣味としては百合などのもう少し落ち着いた種類の花が良かったのだが、残念ながら彼女の要望は通る事は無かった。

 この葵・リクターが率いるチームのスポンサー様の意見に、財布の紐を握られている葵たちが逆らえる筈も無いのだ。

 薔薇の機体で薔薇色の明日を手に入れて欲しいとスポンサー様から真顔で言われた時には、営業スマイルをかなぐり捨てて本気で怒鳴りそうになった物である。

 最初の頃は余りいい印象を抱いていなかった薔薇の機体であったが、この機体と共に過ごすことでその印象は一変していた。

 今ではナックローズは葵に取って一番の愛機であり、明日のライセンス試験もこの子と共に暴れることになるだろう。


「あらあら、お嬢様。 まだこんな所に居たのですか? ブロスユニットを見上げちゃって、そんなに明日の試験が心配なの?」

「猿野、お嬢様は止めてよ。 …不安は無いわ、有るのは期待だけよ」


 ナックローズと対話の対話に夢中になっていた葵は、知らぬ間に近くまで来ていた彼女のチームの監督である猿野に声を掛けられる。

 父からの付き合いである古参のチームメンバーは葵を子供扱いし、彼らは幾ら言っても葵を"お嬢"や"お嬢様"と呼んでいた。

 そんな古参メンバーを悪癖を真似て揶揄する猿野に対して、葵は特に怒る様子も無く素直に明日のライセンス試験に対する期待を打ち明ける。


「期待ね…、相手はパイロットコースに落第した落ち零れ何でしょう? 期待する程の戦いが出来るのかしらね…」

「前にも言ったでしょう、あいつが勝ち目も無しに勝負を挑んでくる筈も無いわ。 きっとあの時のように…」


 羽広 歩、パイロットコース時代に葵は幾度もなくあの男と戦ってきた。

 最終的にブロスユニットの操縦技術を身につける事が目標であるパイロットコース所属の人間に取って、ブロスワーカーの操縦訓練など所詮はお遊びである。

 実際に葵がワーカーを卒業してブロスユニットの訓練に入った時、ワーカーを操っていた時の経験は殆ど訳には立たなかった。

 その事実を知っているパイロットコースの人間が、ワーカーの訓練に本気を出さないのは仕方ない事なのかもしれない。

 しかし葵はワーカーだからと言って手を抜くことは出来ず、真剣にワーカーの訓練に打ち込んでワーカー同士の模擬試合では無敗を誇った。

 大半の人間はそんな葵の無駄な努力を白い目で見て相手にしなかったが、その中で唯一あの男だけは彼女と向かい合ったのである。

 わざわざ父の試合まで研究して葵に勝ちに来た歩、その後も互いに意地を張り合いながら彼らはワーカーで戦い続けた。

 自分と真正面から打つかってくれる歩と張り合う日々は、当時の葵に取ってはとても好ましい時だったのだろう。

 それは一般的な青春と言う物をかなぐり捨てて若干15歳で教習所に入った葵にとって、唯一の青春らしい日々だったのかもしれない。

 それ故に葵は歩が自分の前から居なくなった事に酷く悲しみ、わざわざ整備科コースまで乗り込む暴走をさせた要因にもなったようだ。






 パイロットコースから脱落した歩は葵の前から姿を消し、その数年後に何故か彼らはライセンス試験の場で再開する事になった。

 久々にスタジアムで顔を合わせた時は、教習所での怒りが蘇って歩に冷たい態度を取ってしまった。

 しかし試験までの時間でその怒りはすっかりと引いており、今では久々に歩と戦うことが出来る期待で胸が一杯らしい。

 ある意味で緊張している様子が全く無い葵に、密かにパイロットの様子を観察に来ていた猿野はとりあえずメンタルに問題なしと胸の内で判断する。


「ま、妙な噂を耳にしてるし、あんまり油断はしない方がいいかもね。 所詮はライセンス試験何だし勝敗は二の次、精々頑張ってよ

 あ、一応お願いしておくけど…」

「解っているわ、あれ(・・)は使わない。 あれを使わずに勝ってみせる」

「頼むわよ、あれは私達が苦労して編み出した奥の手、隠し玉よ。 あれを披露する舞台はブロスファイト本番でないと…。

 ああ、でもでも…。 明日の試験であれを出して、デンちゃんをあっと言わせるのも楽しいかも!!」


 監督として業界の噂に聞き耳を立てている猿野は、明日の相手であるワークホースがただのワーカーもどきで無いことまでは掴んでいた。

 公式試合の記録が全く無いプロ志望の素人同士が戦うライセンス試験において、相手の情報から試合の展開や勝率を予想するのは不可能である。

 明日の試合がどうなるかは神のみぞ知るという奴であり、もしかしたら猿野たちのチームが敗北する可能性も否定できない。

 しかし明日はライセンス試験である、例え勝利を得られなくともブロスファイトの舞台に上がれる実力を示せばライセンスは付与される。

 繰り返すようだが明日はライセンス試験であり、そのような貧弱な舞台で葵が猿野が二年掛かりで編み出したあの隠し玉を披露する訳にはいかないのだ。

 そのため猿野はリアクション芸人のようにいい反応を見せる犬居に対して、試合中にあれを披露して驚愕させるという誘惑に必死に堪えるのだった。



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