25 暗い部屋

 女のすすり泣きと心電図モニターの音だけが聞こえる。

 薄暗い病室は厳つい男でいっぱいなのに、誰も口を開こうとはしなかった。


「こちらです」


 畠山の声がして、病室のドアが開く。男たちが一同に頭を下げる。

 チラつく蛍光灯のせいか、中に入ってきた廉司の顔色は酷かった。

 廉司が足を進めると、男達が彼の為に道を空ける。一歩、また一歩とベッドに近づく。

 廉司が背後に立っても気づかず、ベッドにしがみ付いて泣き続ける女を引き剥がそうとした若衆を夏目が制止した。


 横たわる体は全身が包帯で巻かれ、顔も分からない。頭部から僅かに飛び出した金髪しか、彼と認識できるものはない。女の傍にある腕の先端は妙に小さく、丸く、生えているはずの指が見当たらない。


 僅かに遠い目をした廉司の背を、夏目が周囲に気づかれぬようそっと支えた。

 ベッドの足元に立つ畠山の口から独り言のようなものが零れた。


「運が良かったと思います」

「……」

「普段は人の出入りの無い廃墟でしたから。取り壊しの下見に業者が入らなければ、そのまま発見されずに死んでましたよ」

「戻るのか」

「は?」

「意識は戻るのか」

「医者の話では……五分五分です」


 背後で誰かが「畜生っ」と苦しげな声を漏らした。

 皆がやり場のない怒りを無理矢理抑えこんでいるのが分かった。

 気がつくと廉司は彼らに向かって頭を下げていた。室内がどよめく。


「若っ?」

「すまない」

「やめてください、カシラ!」

「俺の責任だ」


 廉司の頭を上げさせようと飛び出してきた畠山の腕に押され、彼がよろめいたのを夏目は見逃さなかった。

 しかし、尚も下を向き続ける廉司に、畠山は縋りついた。


「若っ、俺達はそんな言葉が聞きたいんじゃありません!『我慢して待ってろ』って言われた時も俺達はちゃんと従いました。若の事を、皆信じてるんです。若の指示を待ってるんです!」


 だから言ってください。準備は出来ています。

 仲間をやられた弟分たちの気持ちを全て背負って懇願する畠山に、廉司は虚ろな目を向けた。


「……ダメだ」

「、若っ!」

「勝手な真似は許さねぇ。もうこれはお前らのケンカじゃねぇ」

「しかしっ」

「行くぞ、夏目」


 左右に揺れながら上体を起こし、ベッドから離れる。

 頭が整理できないながらも素直に道を空けた若衆の間をすり抜けていく。


 ドアをくぐる直前で追いついた畠山に掴まれた腕を払い、振り向きざまに彼の顎を左の拳で打ち抜いた。

 呆然と見ていた弟分たちの足元に勢いよく倒れた畠山を一瞥し、廉司は病室を出た。




 病院の駐車場に向かって歩く。

 廉司は何も言わない。夏目も聞かなかった。

 ベンツに乗り込み、エンジンが温まるのを待っていると突然、窓をノックされた。

 曇ったガラスの向こうに小さな影が見える。窓を開けると、先程まで朴にしがみついていた女が泣き腫らした目を廉司に向けて立っていた。寒いのか小刻みに震えている。


「俺に何か用か」

「……カシラ?」

「あ?」

「アナタが、カシラですか?ワタシ、リリー。ソンデのカノジョ」

「『ソンデ』?」

「若、朴のことです」

 朴成大パク・ソンデ。夏目が付け足す。


「あぁ。で?」

「コレ……」


 まだ育ち切っていないような細い薄着の腕を廉司に向かって伸ばす。 

 カタカタと上下する手の中に何かを握りしめていた。





 夜の街をベンツが走り抜ける。

 ギラギラと光る街並みがベンツの車体を撫でていく。


 夏目はハンドルを握りながらも意識を廉司に集中させていた。

 しかし、本人の顔はスマホの青い光に照らされたままピクリとも動かない。

 長年彼に連れ添ってきたが、ここまで考えが読めなくなったのは初めてだ。


 北川と戸部の件で半グレにケジメをつけさせることは出来ない。

 浜岡をダシにして辻組を揺することも難しくなってきた。朴が手に入れた情報も、きっと全て持っていかれただろう。

 そして肝心の朴が誰にやられたのか。見当はついていても証拠がない。


(何もできないのか?)


 仲間を守る。

 それだけの事がこんなにも難しいとは。

 夏目はヤクザの生き辛さを感じずにはいられない。


 もう少しで繁華街を抜ける。その手前で大きな交差点に差し掛かる。

 右折がしたいのに、前方の車がもたもたしていたせいでベンツの手前で信号が赤に変わる。

 夏目は小さく舌打ちをしながら思い切ってアクセルを踏む。

 強い遠心力を受けて車が曲がった途端、背後でゴトッと物音がした。


「?」


 不思議に思って後部座席をチラと見遣る。廉司はシートに沈み込んだまま下を向いている。

 何も異常は無い。前を向き直ろうとした時、廉司の手に握られていたはずのスマホの姿が消えていることに気がついた。

 路肩にベンツを停める。シートベルトを外し、後ろを窺う。廉司の足下でスマホが煌々と光っていた。


「若?」


 シートから乗り出し、呼んでみたが反応がない。顔を覗き込む。目を閉じている。

 眠っているのだろうか。

 いや、そんなはずはない。廉司は座ったまま眠れない性質タチなのだ。


「大丈夫ですか?」


 鬱陶しがられるのを承知で膝頭を揺すってみた。

 その振動で廉司の頭が傾き、窓ガラスに当たって鈍い音を立てた。

 それでも瞼は開かない。苦しげに浅い呼吸を繰り返す。


「若!」


 焦った夏目がベンツの外を回り、後部座席に乗り込む。

 しかし、彼が何度呼び掛けても廉司は全く応じない。それどころか体を支えようとする夏目の胸に倒れこんでしまった。夏目は急いで屋敷で待機しているはずの甲本に連絡を入れた。


 廉司の足元で、ずっと前に届いた一花からのメールがフッと光を失った。

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