第十二話 絶滅芋煮

 今日も今日とてお風呂に入る。人類絶滅後の世界でのドラム缶風呂沸かしはあたしのライフワークとなった。あたしはお風呂に入るために生きている。ドラム缶の中で三角座りして、お湯の中で身体を揺らしてドラム缶をごとごと鳴らして、湯気に煙るまん丸く切り取られた空を見上げる。青く透き通った空が今日もきれいだ。


 道の駅のお土産コーナーで地元温泉の入浴剤を見つけてしまった。こんな良いものがあったなんて。早速使ってみた。浸かってみた。やや乳白色のしっとりとしたお湯にどっぷりと沈んで、もうドラム缶風呂が気持ち良すぎて出たくない。道の駅店舗からこの河原にキャンプを移設しちゃおうかな。


 でもそうもいかない。あたしはもうここを出る。この誰もいない世界で、あたしはやる事を見つけた。人間が何のために生きているのか。その答えを見つけたんだ。


 ひょいとドラム缶風呂から顔を出せば、火照った頬にひゅうと吹く河原の風が気持ちいい。ドラム缶のすぐ側、河原の石で組んだかまどを見ると、鍋が蓋の隙間からふつふつと蒸気を飛ばしていた。いい感じで野菜が蒸されている。今日のキャンプ飯は蒸し野菜のカレーだ。


 アキルノ世界種子貯蔵庫、いわゆる道の駅に併設された貸し出し農園を掘り起こしてみたら、出るわ出るわ、収穫されないまま土の中に埋まっていたり、ぼうぼうに生い茂った緑色の中に眠っていた野菜達。


 何とか食べられそうなさつまいも、人参、かぼちゃ、たまねぎを食べる分だけ収穫して、新鮮さに関してはちょっと疑問だけど、さあて、久しぶりの野菜たっぷりカレーだ。


 野菜の収穫と言えば、父さんがよく言っていた。最強の職業は農家さんだ。定年退職して退職金いっぱいもらったら畑を作ってそこでキャンプしようって。


「わざわざ自分の畑でキャンプするなんて、ただただめんどくさい作業を増やすだけじゃない。それが楽しいんだって言いたいんでしょうけど」


 収穫したばかりの野菜でごはんを作るとなると、まずは土を洗い流す大量のお水が必要となる。そして皮を剥いたりして発生する生ゴミの処理が問題となってくる。持ち帰るのも荷物が増えて手間がかかるだけだし、その場に埋めてしまうなんてとんでもない。キャンプで出たゴミはきちんと持って帰るのがルールだ。とにかくキャンプ飯での下ごしらえ未処理の野菜は重くて面倒なのだ。


 いいんだよ、それはそれだ。野菜を植えて育てて収穫するのもキャンプの一環だ。美味しい芋煮のためなら里芋を栽培するところから始めたっていいぞ。


 父さんはそこらにある石で組んだかまどで温まる鍋を見守りながら言った。


「じゃあ豚肉も仔豚から飼育しないとね。ぶーぶー」


 それは面倒だ。却下する。


「最強の農家さんを目指してんじゃなかったの? 豚さんを美味しく飼育するのも最強への第一歩よ」


 じゃあベジタリアンな農家さんを目指すとするよ。美味しい牛や豚は別の人にお願いするさ。


 つとお湯の中で膝立ちしてドラム缶の中から両腕をだらしなく垂らす。ドラム缶本体にしなだれかかるようにして、もうもうと沸き立つ蒸気に野菜が蒸される様子を眺めながら、父さんとの最後のキャンプを思い出す。

 

 父さんは言った。

 

 家畜と違ってな、野菜を育てる事は、前にも言ったと思うけど、植物による人間の奴隷化なんだよ。人間は食べるために自分の意思で植物を栽培しているつもりだけど、残念ながらそれは植物達の生存戦略にまんまと引っかかっているに過ぎないんだ。


「うん。前に聞いたよ。小麦こそ地球の支配者だって」


 芋煮の付け合わせである白いご飯を炊きながら、あたしはぼんやりと返事した。


 人間は食べるために生きている。それ自体間違っちゃあいない。確かに他の生き物の命を奪って生きている。でもそれは個体としての視点だろ? 生態系を俯瞰して見れば、食べるために栽培したり、家畜化したり、結果として人類は種の保存と繁栄にちゃんと貢献しているじゃないか。


「あたしは個体として生きてるから、生態系の問題はどうでもいいよ」


 叔父さんから例の件を聞いたんだろう。あの子の事なんて、もう気にしていないのに。それでも、あたしの気持ちを知ってか知らずか、理科の教師である父さんの臨時講義は続いた。人は何のために生きているのか。


 人間だって、地球まるごとひっくるめて考えれば、食べたり育てたり、食物連鎖の一環にちゃんと含まれている。この場合、食物連鎖の連環を管理するって立場だけどな。


「人が育てなきゃ生きていけない動物や植物もいるって事でしょ。それくらいは知ってるよ」


 沸騰したお鍋の中をゆらゆら漂う野菜達をおたまでかき混ぜながら、父さんは深く頷いた。


 うん。種の多様性を管理するのが人類の務めだ。かわいい動物も、美しい鳥も、楽しく歌う虫も、美味しい魚も、きれいに咲き誇る植物も。みんな人が管理して育てなければならないのだ。


「つまりメニューにも多様性をって事よね。いろんな生き物を食べなきゃ。肉、魚、草、何でも」


 いろんな野菜が鍋の中で踊っていた。父さんの芋煮には大根、人参、ごぼう、長ねぎ、そして里芋が入っている。全部一口大の乱切りで、とても柔らかく煮込まれている。野菜の他に油揚げ、こんにゃく、豚肉が投入されて、芋煮はクライマックスを迎えていた。ちなみに豚肉は薄いバラ肉じゃなくてカレー用のブロック肉だ。これがいい。がっつりお肉を食べている感が楽しめる。


 いろんな生き物を食べなきゃなんないなら、人間の文明が滅亡して食べ物がなくなっていよいよとなったら虫も食べなきゃな。次は昆虫食キャンプ、行くか。現地調達、地産地消の昆虫食だ。


「イヤ」


 好き嫌いは良くないよ。


「イヤ」


 虫は絶対に外宇宙からやって来た地球外生命体の末裔だ。あんなものを身体に取り込むだなんてとんでもない。でも、味噌を溶きながら父さんはあたしの魂の叫びを無視した。味噌漉しをちゃっちゃっと言わせてにやにやしながら続ける。


 無理に食べろとは言わないけどさ。それより、人間は何で食べ物に虫を選ばなかったと思う?


「造形がキモいから。そもそも美味しくないに決まってるし」


 意外と美味しい奴もいるよ。それにキモさなら魚介類にも相当なのがいるだろ。


 意外と美味しいって、食ったんですか? お食いになりやがったんですか? あたしは父さんからさりげなく一歩離れた。虫喰い父さんはそれに気付いたのか、あたしに一歩詰め寄って言った。


 答えは、昔からそんなに虫を食べてなかったからだ。


 ちょっと何を言ってるかわからない事を言って、父さんは芋煮の鍋に蓋をした。父さんの芋煮は豚汁のような汁物と言うよりも、大きくカットされた野菜がごろごろ入ったカレーに近い。もう昆虫食の話はいいからごはんにしようよ。


 発見されている中で世界最古の壁画は何年前のものだと思う?


 虫喰い父さんを無視してるあたしに父さんは言った。


「急に何? わかんない。一万年くらい?」


 約六万年前だ。獲物であろう動物の絵とか、畑のような植物の絵が描かれていたらしいよ。思うに、アートとして壁画を描いた訳じゃなくて、何を食べたらいいのかって次の世代に伝えるために描いたんじゃないかな。そこに虫の絵は描かれていなかったから、後々の古代人は虫を食べていないんだ。


 父さんは焚き火の中から小枝を拾い上げ、地面に前衛的な牛の絵を描き上げた。妙に角張った身体付きをしたツノが特徴的な牛の絵。歴史の教科書だったか、それとも美術の教科書だったか。どこかで見た事のある古い壁画を思い起こさせる原始的な絵。


 人間はね、後世に情報を伝えるために生きているんだ。何の情報でもいい。人が子孫を残す事だって、重要な遺伝情報の伝達だ。この動物は食べたら美味しいよって情報でも、悪戯に生き物の命を奪うのはよくないよって情報でもいい。


「もういいよ。そんなの」


 ええっ、もういいって、ずいぶん軽いな。自分は何のために生きてるかって悩んでたんじゃないのか?


「自己解決しました。どうでもいい事はどうでもいいのよ」


 それならそれでよし。


「でもなー、今んとこ子孫を残す予定もないし、あたしはどんな情報を伝えればいいのやら」


 その時、父さんの動きが強張った。不思議な踊りを舞い踊るように、奇妙にぎくしゃくとした動きで鍋の蓋を盾に、そしておたまを剣に見立ててあたしに向き直った。


 あのー、えーと、子孫を残す予定とおっしゃいましたが、その、何だ、カレシとかいらっしゃるんですか?


 何を言いだすかと思えば、そんな事ですか。不必要に鍋の蓋を開け閉めして、おたまで里芋が崩れるくらいにかき混ぜたりして、人類最古の壁画を描いた原始人はさらに不思議な踊りを踊っていた。


「予定はないって言ったつもりだけど。そもそも女子校だし。しっかりしなさいよ、父親でしょ」


 それならそれでよし。さあ、六万年後のまだ見ぬ次の世代へ、この芋煮の味を伝えようじゃないか。


 結局、あれが最後の父さんの芋煮だった。


 あのキャンプの後、人間はみんないなくなった。夜更かししてテントの中でLEDランタンを灯してスマホで動画を観ていたあたしを除いて、みんないなくなってしまった。


 カレー用の野菜が上手く蒸し上がった。別の鍋で煮込んでいたカレーもいい感じだ。トマト缶をベースに、たまねぎ、にんにく、生姜、あとは各種スパイスたっぷり。野菜だけを使って仕込んだカレーの出来上がり。これならファッションヴィーガンのあいつも文句ないだろう。完全野菜カレーだ。


 ドラム缶風呂から上がって、河原の大きな石の上をぺたぺた裸足で歩く。石の上に写されたあたしの小さな足跡のプリントは、ちょっとの風に吹かれてすぐに乾いて消えた。


 頭の上で結んでいた髪を解けば、すっかり長くなった髪は薄く濡れたまま生暖かい風に揺れた。少し、風が出てきたな。


 ドラム缶風呂とも少しの間お別れだ。あたしは情報を伝えるために、アキルノ世界種子貯蔵庫を出る。


 正直言って、あたしがあと何年生きられるか全然わからない。もう何ヶ月かで食べられなくなる保存食も出てくるだろう。何年か過ぎればレトルト食品も食べられなくなる。ペットボトルの水もどれだけ保つだろうか。缶詰だって、十年も経てば食べるのが怖くなるレベルで劣化するだろう。


 あたしの足であるカブだって、たぶんもうすぐガソリンが劣化して走れなくなるはずだ。黒い夜に対抗できる唯一の武器である明かりも、乾電池が使えなくなればもう抵抗手段がなくなってしまう。暗くなるたびに大きな焚き火を作らなきゃならない夜だってあるはずだ。手廻し式充電器やソーラー充電のバッテリーだって、何年も使い続ければ壊れて役に立たなくなる日がきっと来る。


 だから、あたしがお風呂に入れるくらい元気なうちに、あたしは次の世代へメッセージを伝えなければならない。あたしって存在がこの地球にいたんだよって情報を残すんだ。


 人類が絶滅して、独りきりのあたし。もう子孫を残す事は不可能だ。地球上からあらゆる生き物が消えた。たぶん、黒い夜が消したんだと思う。どうしてかはわからないけど、植物は逆に大繁栄している。ならば、いつかきっと、何万年後かわからないけど、植物から進化した動物が発生するはずだ。知的生命体も生まれるに決まってる。


 あたしのメッセージを受け取る次世代の知的生命体が誕生する事を祈って、情報を伝えるんだ。


 世界最古の壁画が約六万年前のものって訳だから、あたしも目指せ、六万年後の世界へのメッセージ。いや、植物から知的生命体が育つには六万年じゃ短か過ぎるかな。


 そうだ。いっその事、どーんと大きく百万年後を目指そう。百万年後の次世代の人類達へ、あたしが生きた証を刻んでやるんだ。




 届け、百万年後へのメッセージ。さて、どこに描く?


 アスファルトを突き破って伸び放題の名前も知らない雑草をスラロームのように避けて走る。かつては人口も多かっただろう都市部なのに、何かここら辺はだいぶ植物の勢いが濃いような気がする。カブのタイヤよりも背が高い草を足で蹴倒して、でこぼこに荒れた道路をあたしはゆっくり突き進んだ。


 情報を残すならやっぱり壁画だ。地形を生かしてダイレクトに情報を刻み込む。それだ。紙や木に文字を書いたところで、紙も木材もたぶん百年も保たないだろうし。それにインクやペンキだって色が飛んでしまいすぐに読めなくなるはずだ。


 そもそも次世代の知的生命体が何語だろうと現代の文字を解読できるとは思えないし。都市に氾濫する文字情報の数々も、道路標識に看板広告とか、たくさんの本や雑誌とか、それらも一千年、二千年って時が過ぎればぼろぼろになって文字を読むどころか素材としても役に立たなくなるだろう。


 街路樹が大きく枝を張り出して、影になって中の様子がよく見て取れない本屋さんがあった。あたしはふとカブを停めて、ヘッドライトで店内を照らしてみた。本屋さんに並んでいる本もそう言う意味なら情報の塊だ。後世に伝えるべき情報がみっちりと詰まっているはず。でも、いずれ隙間風に巻かれた砂埃に覆われて、あたし以外に誰にも読まれる事なく土塊のように朽ちていくんだろう。


 小学生の頃、科学雑誌で地球の未来像って記事を読んだ事がある。コンクリートのビル群も、鉄骨造の建物だって一万年もの長い期間風雨にさらされれば、あっけなく風化して崩れ落ちて、瓦礫や石ころ、錆びた鉄片となって地面に転がっているだけの存在になるって。


 人類が何世代もかけて築き上げた近代文明も、地球規模での時間と言う自然の猛威の前で原型すら留めていられず、ガラスとプラスチック片だけが散らばっている荒野と化す。未来はそう決まっている。


 今思えば、父さんは何て夢も希望もない本を小学生のあたしに読ませてくれたものだ。でもそのおかげで百万年後へのメッセージを書き残すヒントが得られた。父さん、あなたの情報はちゃんとあたしに伝わっていましたよ。


 アキルノ世界種子貯蔵庫を出て、草木がアスファルトをめくり上げて荒れ果てた道路をとことことカブで走る事半日、ようやく海が見えた。東京の観光ガイドブックをぱらぱらめくり、道を確かめる。目的地への最短コースは、いわゆる首都高に乗ればいいのね。


 あたしの地元の高速道路と言えば山の中を突っ切っているイメージだったけど、東京の高速道路は海の上を走っているようだ。真っ直ぐで見晴らしが良くてまるで別世界だ。植物に支配された無人の街よりも、遠くまで海が見渡せるだけでどこか生きている空間って気がする。本当なら逆なのに。


 緑色に侵食された灰色のコンクリートの無人の世界とは違って、海の上に渡された高架の道路はとても走りやすかった。土の上じゃないから植物が道路を荒らす事もなく、目的地に真っ直ぐ突き進んでる感があって走っていて楽しい。高速道路だけに放置された車の姿も見えず、ただひたすらに気持ち良く走れた。


 もうすぐネズミの国が見えてくるはず。お姫様のお城や火山のお目見えだ。でもその前に首都高を降りなきゃならない。あたしが目指す場所は夢の国じゃない。その手前の葛西臨海公園だ。観光ガイドブックに載っていた、百万年後へメッセージを刻み込む絶好のポイントがある。


 葛西臨海公園。あたしの目的地である水族館はここにある。公園と言うだけあってさすがに広そうだ。カブでどこまで入れるかな。わさわさと繁茂しまくっている植物達の合間を縫って、目的の建物入り口を目指してカブを走らせる。


 森のように生い茂った樹々の間を走り抜けて、ふわっと湿った空気が匂う海際、それはそびえ立っていた。


 スロープを走り抜けた向こう側の開けた空間に、ガラス張りの大きなドームがあった。臨海水族館のエントランスホールだ。水平線を模したような人工池がぐるりと周囲を囲い、夕暮れの赤く染まった空の色をガラスに反射させて、巨大なガラスのドームはあたしを飲み込もうと大きく口を開けていた。


 エントランスドームの中、もはや動いていないエスカレーターが下に伸びていて、夕暮れ時のせいか、その先は真っ暗闇だった。黒い夜に満ちているんだろうか。明かりが必要だな。ろうそくや乾電池は十分に用意したし、ずっとカブで走って来たからLEDランタンの充電もばっちりだ。暗闇の中でも問題なくメッセージを刻む作業が出来るはず。


 夕暮れの空を映すガラス張りのドームの周りを見回す。人工池は赤く染まり、すぐ側の海と人口池の縁が同化して見えて、まるで水平線に立ちすくんでいるような途方もない錯覚に陥りそうだ。


 ドームから振り返れば、夕闇に染まりつつある空の遠くに、斜めに傾いた東京スカイツリーが見える。日が沈みゆく海側を見やれば、はるかかなた、頂上付近が大きくえぐれた富士山のシルエットが黒く浮かんでいる。


 さてと、百万年後の未だ見ぬみんなへ、メッセージを描き残しに行きますか。


 エントランス側にカブを停めて、あたしはガラス張りのドームの中へ踏み込んで行った。

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