絶滅野営

鳥辺野九

第一話 絶滅サバトマト煮込みそうめん

 電気の消えたコンビニにカブを横付けに停めて、ヘッドライトに照らされた店内を覗き込む。うん、大丈夫。商品はきれいに陳列されている。それと当たり前のように人の気配もない。


 二台の車が停まっている駐車場にはソーラーパネル付きの照明灯ユニットがあるし、路面に接した店舗で駐車場の視界も開けている。なかなか好条件な物件だ。今夜はここで眠るとしよう。


 駐車場のなるべく真っ平らな場所を探して、放置されている砂埃をかぶった軽自動車に並べてテントを張る。自分で言うのも何だけど、いい加減テント設営にも慣れてほしいものだ。何度やっても、メインポールがうまくバランスよく刺さってくれない。やっぱりペグが打てる土の上にテントを張るのがいいのか。あれこれぎこちなく頑張って、小さな軽自動車よりもさらに小さなドームテントがようやく立ち上がった。


 ふと気が付けば、辺りはすっかり薄暗くなっていた。早く火を起こさないと、一気に真っ暗になってしまう。さて、テントの次はごはんだ。今日は昼からだいぶ走ってきたので、お腹もいい具合に減っている。


 近寄っても動かない自動ドアを無理矢理こじ開けて、わずかに広がった隙間に身体をねじ込むようにして入店。


「こんにちはー」


 わかってはいるが、習慣と言う奴はなかなか変えられないものだ。あたしは誰もいない店内に挨拶をして、そうっと息を止めて返事を待った。やっぱり、無音。物音一つしない。


「非常事態ですのでー、すいませんがー、商品を貸してくださーい」


 あたしの声が無人の店内に虚しく響く。わかりきっている事だが、当然、返事はない。


「ありがとーございまーす」


 返事がないのは了承の証し。では、遠慮なくお借りします。


 まずは火種となる新聞紙。自動ドアのすぐ側に置かれている新聞スタンドから適当に一部引き抜く。もう六ヶ月も前から変わっていない一面記事をさらっと流し見ながら缶詰コーナーへ。


 慣れた手付きでサバの水煮缶とカットトマトの缶詰を選ぶ。どこのコンビニも陳列パターンは似たようなもので、もう目をつぶっていてもサバの水煮缶を抜き取れるようになってしまった。


 そして乾燥そうめんを一袋、ペットボトルのお水、それとデザートにカカオ成分の濃いチョコレートを一枚借りよう。どれも賞味期限を気にしなくていい商品ばかりだ。オリーブオイルと固形コンソメはまだ残っていたから借りなくてもいいかな。


 一応形ばかりは、とレジに向かう。ふと、スイーツの冷蔵ショーケースが目に入った。コンビニの店内でも最も華のある売り場であるはずのそこには、無残にももはや原形をとどめていないスイーツ群が鎮座していた。


 真っ黒く変色してぱっかぱかに乾いてしまったモノ、ミドリ色のふさふさしたのをびっしりと生やしたモノ、どろりとマーブル模様に溶け流れたモノ。電気のついていない冷蔵ショーケースはカオスなスイーツ達に占拠されている。カビや微生物はまだ生き残っているんだ。あたしは少し感心した。


 そして混沌の中に一際異彩を放つ奴を見つけた。ぷるんとツヤのあるタマゴ色したプリンだ。まったく劣化した様子も見せず、ちょんと触れればたゆんと揺れそうなほど美味しそう。しかし、その見た目に騙されちゃあいけない。賞味期限はもう六ヶ月も前に切れているのだ。この艶やかさが逆に怖い。何が入っているんだ、このプリン。




 人類は絶滅した。たぶん。


 原因も理由もわかんないけど、みんな突然消えた。たった一人、あたしを除いて。もう半年もの間、正確には六ヶ月と三週間、あたしは人間の姿を見ていない。


 みんないなくなってしまった。


 人がいなくなって発電所が止まってしまったせいで数ヶ月前に全域で停電している。当然車だって一台も走っていない。動くものが何一ついない世界は、耳が壊れちゃったみたいに無音だ。怖いくらい静かな世界に、あたしはたった一人取り残されてしまった。


 誰もいない世界で独り、あたしは何事もなかったかのように生きてみたけど、人っ子ひとりいない街の風景と言うのはどうにも人をおかしくする効果があるようだ。


 ある日の青く晴れ渡った午後、あたしはもう死んでしまおうと思った。


 どうせ死ぬならあの場所で。テレビでしか見た事がないけど、青い空の向こう側にあるあの場所を目指して、いなくなった叔父さんの家からカブとキャンプ道具を借りて旅に出た。一週間前の事、正確には人類が絶滅してから六ヶ月と二週間後の事だ。




 手入れをする人間がいなくなったせいか、街路樹の根元は荒れ放題だ。人類は絶滅したって言うのに、植物は順調に生きているみたい。こんなに大きく成長するのかとびっくりするほど伸びきった名前も知らない雑草。わっさーと全方位に盛り上がった植え込み。道路は色濃いミドリ色に侵略されつつあった。


 街路樹そのものも道路側に大きく枝を張って、路面を覆うほどにミドリ色を茂らせていた。そして風に煽られて折れ落ちた小枝が道路に散乱していて、これがいい具合に乾いていてちょうどいい焚き木になるのだ。


 二食分くらいをクッカーで煮炊きするのに十分足りる量の小枝を道路で拾い集める。それはあたしにとって意外と大事な作業だ。いや、むしろ儀式と言うべきか。


 何も考えずに足元に落ちている折れ枝を拾っては歩き、歩いては拾う。ただ下だけを見て歩き、適度な太さの小枝を選別して、どう組み重ねて火をつけるか想像しながら拾う。そうすると地味に楽しくなってくる。これから料理するぞって気持ちがむくむくと湧き上がってくるのだ。いわばルーティンって奴か。そうやってわずかでも楽しみを見つけていかないと、人類が絶滅した街でのソロキャンプだなんて、とても正気を保ってなんていられるか。


 さあ、食材も焚き木も現地調達できた。人類絶滅キャンプクッキング開始だ。


 コンビニ駐車場に戻り、ソーラー発電照明灯の明かりの縁辺りに陣取る。ライトの真下だとせっかくのウッドストーブの火が光にかき消されて楽しめないし、光源から遠く暗過ぎても、ちょっと怖い。真っ暗いのはダメだ。


 まずは火だ。とにかく焚き火だ。円筒形のウッドストーブの底、受け皿に新聞紙をちぎってはくしゃって軽く握って重ねていく。火種用の新聞紙は大きめのこより状にしてやって、コンビニから借りてきたジッポライターのオイルをちょっとだけかけてやる。そこへ叔父さんから勝手に借りてるジッポライターで着火。黄色がかったオレンジ色の炎がぱっと咲いた。


 火種がついた新聞紙をウッドストーブに投入。お次はそこへ乾いた落ち枝をぽきぽきと細かく折ってくべてやる。ちろちろとか細く揺れる火を潰してしまわないように、ちゃんと空気の流れ道ができるように小枝を重ねていく。それは火と言う生き物に餌を与えるような作業だ。食べやすい餌をあげれば、美味しそうにたくさん食べてくれて、ぐんっと火も大きく育つ。叔父さんが言っていた。焚き火は火を育てるものだって。


 火がもう少し大きく育つまで、コンビニ駐車場であたしの食事フィールドの展開だ。カブに積んでいたキャンプ道具一式、こじんまりと展開せよ。


 アウトドアチェアを広げて駐車場の壁側を背に、ウッドストーブの明かりで道路と街路樹がよく見渡せるように設置。チェアに体重を預ける姿勢でも手が届く位置にアルミ製のローテーブルを開く。スタッキングしたクッカーをセット。よし、これであたしの陣地が完成した。


 暗くなりつつある誰もいない街角で、人類最後の一人として作る食事。思えば最後の晩餐か。気分を盛り上げなくちゃやってられないって。この六ヶ月間のひとりぼっちの生活でわかった事がある。寂しいって気付いたら負けだ。そして野外でのキャンプ料理は形から入るべきだ。その方が地味に楽しい。


 十分に育ったウッドストーブの火に新しい餌をあげる。オレンジ色に燃える火はまるで舌を出して喜ぶかのようにゆらゆらと踊る。その陽気な火に五徳をかぶせ、小さなクッカーを乗せる。ゆらり揺らめく火がちょうどクッカーの底を舐め回すようで、二次燃焼も申し分なく、調理にちょうどいい具合に育ってくれた。


 まずはクッカーにオリーブオイルを引く。二ヶ月くらい前に高級スーパーマーケットからお借りしたエクストラバージンなんとかオイルだ。なかなか使い切れないからちょっと贅沢にたっぷり使っちゃおう。


 ふつふつとあったまってきたオリーブオイルに香り付けの乾燥スライスにんにくを投入。このにんにくは一ヶ月くらい前に生協から借りてきたものだ。それにしてもオリーブオイルで炒めるにんにくの匂いをかぐと、どうしてこんなにもお腹が空くのだろうか。これはまさに匂いの暴力だ。


 フォークでちょいちょいとにんにくをつついてオイルにたっぷり香りを付けたら、さっきコンビニから借りたばかりのサバの水煮缶を塊のまま入れてやる。


 フォークの背でサバの塊をほぐし炒めて、でもあんまり崩しちゃうと口に入れてもぐもぐと噛む楽しみがなくなってしまう。ちゃんとサバの身の形が残るくらいにフォークでつっついてやる。


 サバの水煮を焼いている間に、缶詰に残ったサバの味がする水分に固形コンソメを入れてフォークでつついて砕く。このコンソメはどこで借りたものだったかな。忘れたわ。コンソメサバ味になったら缶詰の水分を全部クッカーへ注ぎ入れる。そこへこれまた借りたばかりのカットトマト缶だ。全部入れちゃおう。


 ウッドストーブの小さな五徳の上にちょこんと乗るソロキャンプ用のクッカー。アルミニウムの小さなお鍋の七分目くらいまでサバとトマトのソースで満たされる。そこへペットボトルのお水を少々、そしてメインとなるそうめんの登場だ。


 いろいろと缶詰料理を試してきたけど、サバ缶にはパスタよりもそうめんが抜群に合う。この絶滅キャンプでのあたしの一番の発見だ。


 サバトマトソースがくつくつと煮立ってきたら、乾燥そうめん二束の出番。タオルを搾るようにそうめん束を真っ二つに捻り折ってクッカーに波打つサバトマトの海へ垂直に挿し込む。それを二束分だ。あとは蓋をして三分間我慢する。いい匂いに惑わされて、どんなに蓋を開けたくなっても我慢。


 さあ、サバトマトそうめんの完成だ。クッカーから直でいただきましょう。


「いただきまーす」




 夜は暗い。本当に真っ暗い。


 人類がいなくなって、夜は変わった。暗い。暗過ぎる。暗闇の密度がとても濃いのだ。カブのヘッドライトやウッドストーブの火、LEDランタンの明かりがなかったら、鼻の頭に人差し指を持ってきてもまったく見えないくらい闇に包み込まれる。


 夜空があるはずの頭上を見上げても、まんまるに輝く月もなく、きらきら瞬く星も消え、のっぺりとした真っ黒い布を頭からかぶせられたみたいに何も見えない。黒しか見えない。


 しかもその暗さは部屋の中、建物の中、地下でも同じだった。太陽の光が差し込まない建物の奥や地下鉄の駅構内、地下街、何もかもが真っ黒く塗り潰されていた。LEDランタンを持っていないとトイレすら真っ暗で怖くて入れない。


 そう。暗闇が怖い。異常なくらいに暗闇に圧があり、明かりなしでは一歩足りとも侵入を許さないと言う意思を感じさせる闇がそこにはある。闇の中に何かが潜んでいて、あたしをじっと見据えているんだ。


 あたしは確信している。その何かが、人類を絶滅させたんだ。人類最後の一人であるあたしを狙って、闇の中に息を潜めて隠れているんだ。人類がいなくなって、夜が変わったって言ったけど、それは違う。夜が変わって、人類はいなくなったんだ。今はそう思う。


 だから、あたしは夜眠る時も明かりを絶やさない。暗くなる建物の奥や密閉された部屋の中では眠らずに、野外に火を焚いて、充電式LEDランタンの弱々しい光に守られて眠る事にしている。


 今夜もまた、ウッドストーブにたっぷりと小枝をくべてやって、ドームテントの入り口にLEDランタンをぶら下げて、寝袋に包まれて眠る。テントの周りだけ暗闇は切り払われて、あたしは無事に明日の朝を迎えるんだ。ウッドストーブの焚き木が燃え尽きたり、LEDランタンのバッテリーが切れたりして、あたしが闇に包まれたら、その時はその時だ。眠っている間に人類完全絶滅するのもいいだろう。




 朝がやってきて、太陽の光がテント越しにあたしの顔をぺしぺしと叩いて、ようやくあたしは目を覚ます。目を覚ましてまず思う事は、今日もまだ生きているって安心感だ。人類は完全に絶滅しちゃあいないぞ。あたしがまだ生きている。闇め、ざまあみろ。


 それも、今日までだろうけど。


 小さなドームテントからもそもそと這い出て、すでに青く明るい空の下、あたしは自分の死に場所を見上げた。このひとりぼっちの静かな世界に耐えられそうにない。もう死んでやる。闇に飲み込まれるんじゃなくて、あたし自身の手で人類の歴史にピリオドを打ってやる。


 大きく傾いた東京スカイツリーを見上げながらあたしは思った。


 あたしがこのスカイツリーから飛び降りて、人類は絶滅するんだ。でもどうして、スカイツリーは傾いているんだろう。斜めに傾いた階段登るのきつそうだわ。




 東京スカイツリー。世界最高峰の電波塔。その高さは634メートル。人が登れるぎりぎりの高さは第二展望台で、ビル160階分に相当するらしい。あたしの地元で一番高いビルは30階くらいだったか。それが160階だなんて、下から見上げてもタワーの全景が視界に収まりきらないレベルだ。


 そのバカでかいタワーの芯となる部分、心柱内部に非常階段が設置されている。人類が絶滅して電気が止まっているので当然エレベーターは動いていない。階段で登るしかないだろう。以前、ネットで読んだ事がある。確か2,500段あるとか。一段登るのに三秒かけたとしてもおよそ二時間で踏破できる非常階段だ。軽い軽い。行ける行ける。


 螺旋状に据え付けられた天望回廊からの眺めは、それはもう絶景中の絶景であり、人類最後の一人であるあたしが飛ぶのにふさわしい場所となるはずだ。


 と、思ってたのはどれくらい前の事か。もう時間の感覚も薄れてとっくに消えてしまったわ。密閉された心柱内部はやはり夜と同じくらい真っ暗で、恐怖心を煽る濃密な闇がみっちりと詰まっていた。


 あたしはそいつらを手のひらサイズのLEDランタン一つで切り払い、ぶち破り、突き進む。一歩一歩斜めに傾いた階段を登って行く。


 それにしても、斜めった階段の登りにくい事と言ったら。心柱内部の非常階段に対して左右の傾きだからまだ良かったものの、これが前後に傾いていたらとても登れたものじゃないぞ。


 まずは心柱の壁に身体を預けるようにして斜めの踏み板を踏みしめてよたよたと登る。最初の踊り場まで登り着くと、そこはやや傾斜のある上り坂になっている。これが地味にきつい。えいやっと勢いをつけて踏み込んで、今度は壁の反対側の手摺りにしがみつく。手摺りを頼りに斜めの踏み板を踏ん張って登り、お次の踊り場は少々の下り坂だ。足場を踏み間違えないよう慎重に降りる。一歩踏み外せば、下の踊り場まで転げ落ちてしまいそうだ。向こうの壁にタッチして身体を預けて、ようやく1サイクル。やたら圧が強い暗闇の中、このサイクルが延々と続くのだ。


 踊り場を登り、三半規管を酷使して斜め階段を攻略して、また踊り場を駆け下りる。何度この動作を繰り返しただろう。頭上を見上げればばさりと覆い被さるような濃い暗闇。足下を見下ろせばどろりと粘っこく湧き上がるような真っ黒い塊。LEDランタンの明かりが届く範囲があたしの生きている世界だ。何度も何度も同じ世界を繰り返し生きて、いったいいつになったら終わるのやら、また同じ踊り場がやってきて、あたしは汗だくになりながら登って行く。


 思えば、毎日の生活と同じかもしれない。同じ事の繰り返し。あたしはただただ同じ毎日を生きてきた。意味もわからず高校に通い、毎日同じように友達とバカな事をおしゃべりして。みんな同じ事を繰り返して生きてきたんだろう。でも、ある日突然それが終わる。みんないなくなってしまった。あたし一人を残して。それにどんな意味があるんだろうか。


 考えるのをやめた頃、どれくらい時間が経ったんだろう、あたしの狭い世界にようやく変化が訪れた。非常階段の終わり、天望回廊への扉が闇の中から現れた。


 息も絶え絶え、あたしは震える手で非常扉を開け放ち、身体いっぱいに光を浴びた。暖かかった。生きているんだか死んでいるんだかわからないままだったが、やっと生き返った気持ちだ。


 地面に突き刺さるように斜めに傾いた東京スカイツリー。その心柱に螺旋状にへばりついた天望回廊。下り坂になった展望台にあたし。あたしって、なんてちっぽけな人間なんだろうか。


 暗闇から抜け出したあたしの目の前に、嘘みたいな大パノラマが広がった。世界って、こんなに広くて大きなものだったんだ。視界いっぱいに、右も左も、上も下も、大地は人が住んでいたであろう街に埋め尽くされていた。


 味気ない灰色の、でもそれはきらきらと太陽の光に輝いて、人が造った建物は手を伸ばせば指先で摘み取れそうなほど小さくて、とてもきれいな鉱石のように見えた。隙間なく散りばめられた四角い鉱石群の合間を、ところどころに太い道路と川が流れていて、その曲線的なミドリ色がかえって鉱石の小ささと直角な形と、理路整然と並んだ都市模様を際立たせた。


 これ全部、人が造ったものか。


 ふらつくあたしの脚がついに耐えきれず、下り坂となった展望台をぱたぱたと転がるように走り出してしまった。


 落っこちる。


 止まらない脚に思わず息を飲んだが、びたん、ガラスに打ち付けられるすんでのところで柵にぶつかって踏みとどまれた。そして、そのぎりぎりの姿勢ではじめて見切れた青空と富士山が見えた。


 スカイツリーが傾いてたせいで展望台から空が見えなかったのか。だから展望台の視界いっぱいにミニチュアのような街が見えたのか。あたしははるか遠く青空にぽっかりと浮かんでいるような、頂上ががっつりとえぐれた富士山を見つめて思った。


 もっと、この誰もいない世界を、人間が絶滅した世界を見てみたい。富士山のえぐれた頂上がどうなっているのか、人類最後の一人であるあたしが確かめなくちゃ。


 あたしはスカイツリーから飛び降りるのをやめた。あたしは生きる事を決めた。これから、死ぬまで生きてやる。


 でも、下りの非常階段を見て、また死にたくなったのは別の問題。

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