第35話 王昶《おうちょう》:子らの教育に力を入れた文武両道の魏の司空

王昶おうちょうは字を文舒ぶんじょといいます。

曹操のころから魏に仕え、曹丕の代では兗州えんしゅう刺史に昇進しました。


曹叡そうえいが帝位に就いてからは魏の政治を改めようと『治論』を著し、兵法を述べた『兵書』とともに上奏。子らの教育についても訓戒の書を残しています。


郭嘉かくかの子である郭奕かくえきとも親しかったのですが、子らへの訓戒には「郭奕は聡明だが度量が狭く、人を気に入れば山のように重んじ、気に入らなければ草のように軽んずる」と書き、真似してはならないと諫めています。


呉で孫権の後継者争い(二宮の乱)が起こったときには、呉討伐を上奏します。

呉とのいくさでは大いに敵を撃ち破って活躍しましたが、城を落とすことはできませんでした。


文欽ぶんきん毌丘倹かんきゅうけん諸葛誕しょかつたんの反乱のさいには兵を率いて鎮圧に向かい、これらの功績で三公の一つ、司空の位に就きます。

甘露四年(259年)に亡くなり、穆公ぼっこうおくりなされました。


王昶は子らの教育に力を入れており、子の王渾おうこんは三公の一つ、司徒の位に就いています。

子らへの訓戒は教育論として評価されていますが、いっぽうで郭奕を例に挙げたことについて裴松之はいしょうしは、「旧友を貶すべきではない。文章に残せば、旧友の契りにも反することになり、その子孫にも先祖の悪を伝えることになる」と批判しています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る