第22話 王沈《おうしん》:『三国志』よりもさきに『魏書』を編纂した人物

 王沈おうしんは字を処道しょどうといいます。

 

 幼いころに両親を亡くし、おじであり魏の司空でもある王昶おうちょうに養われました。

 書を好み、文章に優れていたといいます。


 大将軍の曹爽そうそうに仕えて中書門下侍郎になりましたが、司馬懿しばいのクーデターで曹爽が殺されると、連座して免職させられます。


 のちに呼び戻されて復職。文章にすぐれていたことから、魏の歴史書である『魏書』の編纂を任されます。

 これには荀彧じゅんいくの子である荀顗じゅんぎ、竹林の七賢のリーダー・阮籍げんせきも協力しました。

 

 ただ王沈の『魏書』は、陳寿ちんじゅの『三国志』とは別物です。また現存していません。

 内容的には、客観性の高い『三国志』のほうがすぐれていたといいます。


 学問を好む曹髦そうぼうは、即位すると王沈など文士たちをしょっちゅう呼んで文学を語り合っていました。

 とくに王沈は曹髦から「文籍先生」と呼ばれ、尊敬されていました。


 こうして王沈は、曹髦の信頼を得ていきます。


 いっぽう曹髦は、司馬昭の専横に頭を悩ませていました。

 そこで司馬昭誅殺をくわだて、信頼できる王沈に相談をしました。


 ところが――。


 決起の日、曹髦が数百人の近衛兵をひきいて司馬昭のもとへ向かいました。

 が、司馬昭はすでにこれに備えていたのです。


 それというのも、信頼していた王沈が、司馬昭に密告してしまったからです。


 曹髦は返り討ちにあい、殺されてしまいました。

 こうして朝廷は、司馬一族に掌握されることになります。


 王沈はそののち出世を繰り返し、司馬炎の代になって晋が興ると、賈充かじゅう羊祜ようこたちとともに朝廷の重要人物になります。

 そして安泰に生涯を終えました。


 もし王沈の密告がなかったら、歴史が変わっていたかもしれません。

 ある意味、晋のいしずえを築いた人物ともいえそうです。

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