第五章 名も無き英雄

第34話 秘密の冒険

 今を遡ること、約七年前……。


 ミャウ、ミャウ、ミャウ。と飛び交うウミネコの鳴き声。


 西海洋の爽やかな潮風が吹き抜ける、晴れ渡ったコバルトブルーの空の下。サン・カリブ島の中央の丘にある石造りの巨城、グアドループ王城。


 その最上階に近い一室、薄いピンク色のドレスを着た十歳くらいの金髪の少女が、机に向かって難しい顔をしている。

 現国王マルティニク=グアドループの息女、マルガリータ姫はただいま勉強のまっ最中であった。


「ねえ、ケイマン。毎日まいにち、お勉強やお稽古ばっかり。せっかく良いお天気なのに、どうしてお外に遊びに行っちゃいけないの!?」


 くるくる巻いたサイドテールを揺らし、ぷんすかと不満の声を上げるマルガリータ。

 それに対し、ポマードで髪をかっちりオールバックに固めた黒スーツの男。執事のケイマンは努めて冷静に。


「いえ、姫様。貴女はこれから国を導き、社交界に羽ばたくご身分。しっかりと教養を身に付け、王女としてのりっぱな風格をお纏いにならなければなりません。そもそも今までがぷらぷら遊び過ぎだったのです」


 ケイマンは、片手でメガネの黒いつるをくいっと持ち上げながら。


「不肖、このケイマン。姫の教育係など若輩ながら身に余る光栄! 仰せつかったからには国王様のご期待に応えるべく、びしびしとご指導つかまつりますぞ!」


 うおおおと無駄に燃える情熱を身に宿すケイマンに、はあとため息をつくマルガリータ。


「それに、その言葉づかい! 父上であらせられる国王様や私にはともかく、きちんと王女らしい話し方を心掛けていただかなければ」

「えー、めんどくさいのでございますわー」

「……まあ、良いでしょう。私はこれから席を外しますが、午前中は算術と語学と地理の勉強。午後からはピアノとダンスのレッスンとみっちり予定しておりますので、ご準備を賜りますよう」

「黄金の国の歴史を勉強して良ーい?」

「ダメです。それでは失礼いたします」


 うやうやしく部屋を退出したケイマンを、マルガリータはべーっと舌を出して見送ると、ちょいやーと自分のベッドにダイブした。

 枕を抱きしめてゴロゴロ転がり、石造りの部屋の天井を見上げる。


「あーあ、くる日もくる日も勉強勉強。いやんなっちゃうよ」


 父マルティニクが王に即位してから、指導方針ががらりと変わり、王女としての英才教育を受ける羽目になったマルガリータ。

 特に、祖父ウインドワードとチョップの祖父ナックルが亡くなって以来、城の中から一歩も出る事ができずに過ごす日々を送っている。


「最近はチョップくんとも全然会えてないし……。チョップくんと遊びたいな……」


 そう言って、深いため息をついて枕に顔をうずめていると、コンコンとガラス窓を叩く音が聞こえて来る。


「?」


 マルガリータが窓の方を見ると、白シャツの上に茶色のチョッキとズボンを纏った、つやつやの黒髪の少年が外から手を振っていた。


「えっ!? チョップくん!?」


 ここは地上数十メートルの、城の最上階に近い部屋。ありえない人物の訪問に目を疑いながら窓を開ける。


「やあ。久しぶりだね、マルガリータ」

「チョップくん? どうしてこんなところに!?」

「こうやって、ロープで登ってきたんだよ」


 見れば、城の屋上の縁に引っかけたロープに、チョップがブラブラぶら下がっていた。


「最近、ジョンおじさんに習って水兵団に入るための訓練を始めたんだ。中に入ってもいい?」


 どうぞどうぞとマルガリータが招き入れると、チョップはスタッと部屋の中に降り立つ。


「すごいわ、チョップくん! まるでピーターパンみたい!」


 物語のような夢にまで見たシチュエーションに、目をキラキラ輝かせるマルガリータ。だったが。


「ピーターパン? へえー、美味しそうな名前のパンだね」

「チョップくんはもう少し本とかを読んだ方がいいと思うの」

「うん、ジョンおじさんからもよく言われる」


 マンガ本だけじゃダメなのかなあとボヤく脳筋なチョップと、わたしがしっかりしなきゃなあと思うマルガリータ。


「まあ、それはさておき。遊びに来てくれてありがとう! わたし、とっても嬉しい!」

「うん。僕もマルガリータに会えてとても嬉しいよ」

「えへへっ」「ふふふっ」


 久しぶりに会った二人はお互いに喜びを分かち合った。


「今日は何して遊ぼっか? わたし、しばらく城の外に出てないから、お外で遊びたいなー」

「じゃあ、誰も知らない謎の洞窟に行くってのはどう? もしかしたら僕たちの秘密基地になるかもしれないよ」

「謎の洞窟? 秘密基地? 行きたい、行きたーい!」


 冒険心が沸き立つワードに、まだ膨らんでいない胸を期待に膨らませるマルガリータ。


「じゃあ、マルガリータのお父さんに外出の許可をもらわないと」

「ううん、それはいらないわ。むしろこういう時は、こっそり脱出するのがマナーだよ」

「そういうものなの?」

「そういうものなの」


 チョップとマルガリータは、キョロキョロしながら部屋の扉を開ける。

 周囲に誰もいないことを確認すると、こっそり廊下に出る。

 壁をつたって、エンカウントしそうになったらササッと花瓶や物陰に隠れながら、抜き足差し足で歩みを進める。

 すると。


「ややっ! 姫様、何でこんなところにおられるのですか!」


 ギクギクッ!


 ギギギギと錆び付いたロボットのように二人が後ろを振り向くと、そこには黒スーツの執事ケイマンの姿が。


「あ……、あのね、ケイマン。そのね……」

「言い訳はけっこうです。今すぐ自室にお戻り下さい!」

「はーい……」


 しょんぼりと黒執事の脇を通り過ぎ、マルガリータはもと来た道を帰っていく。


「さて、貴方は……」

「僕はチョップです。マルガリータの友達の……」

「ああ、英雄『白鷹』のお孫さんですね。よくぞいらっしゃいました。お会いできて大変光栄に思います」

「あ、はい。こちらこそ」


 丁寧な物腰のケイマンに、ペコリと頭を下げるチョップだったが。


「と言いたい所ですが、断りも無くどうやって城に侵入したのですか? 姫を連れ出してどこへ行こうというのです?」

「え、えーっと……」


 メガネのつるをくいくい、くくくい、くくくくくいっと持ち上げて迫るケイマンに、言葉につまるチョップ。

 マルガリータとの冒険も万事休すと思われた。

 しかし!


 キンッ!!


「おごーっ!?」


 ケイマンは、マルガリータに背後からキ◯タマを蹴りあげられ、股間を押さえてうずくまる。


「姫様……? なに……を……」

「チョップくん! 窓から逃げるよ!」

「えっ? う、うんっ!」


 シュルルルルル、シュルパッ!


 ピクピク痙攣するケイマンを尻目に、チョップは開いた窓からロープを伸ばし、外にそびえる樹の枝に巻き付ける。


『いやっほーいっ!!』


 マルガリータはチョップにしがみつくと、籠の小鳥が解き放たれたかのように、外の世界へと飛び出した。



 *



 チョップとマルガリータは連れだって、森の中のみちを歩く。


「いやあ、スリル満点だったねー。すっごい楽しかった」

「本当に大丈夫? 絶対、後からこっぴどく怒られると思うんだけど」

「へーきへーき。やっぱり、お外は気持ちいいねー!」


 両手を広げてくるくる回り、木漏れ日の中でマルガリータはまぶしい笑顔を見せる。

 透き通った緑色の風に解放感を感じ、涼しげな空気を胸いっぱいに吸い込む。

 たわいのない話で盛り上がりながら、二人がご機嫌に歩いていると行き止まりに突き当たる。


「こっちだよ、マルガリータ」

「えっ? そっちは行き止まりだよ?」

「いいからいいから、こっちこっち」


 がさがさと道のない繁みを先行するチョップに、マルガリータは不思議に思いながらついていく。

 すると、森を抜けて青い空と海と白砂が眼前に広がる、海岸線に出た。


「わあ。こんなところに浜辺があったの?」

「うん、最近知ったんだけど、干潮の時間帯だけはここに砂浜が出来るんだよ」

「へえー。そうなんだね」


 二人は白い砂浜に降りるとキュッ、キュッと足元を鳴らして先へと進む。


「あっ、あんなところに綺麗なお花!」


 マルガリータは切り立った崖の中腹に、白いユリの花アスセナを見つける。

 それは、常夏のサン・カリブ島ではめったに見られない珍しいもの。

 マルガリータは、さっそく崖をよじ登る。


「えっ? マルガリータ、危なくない?」

「だいじょぶ、だいじょぶ! わたしにおまかせ!」


 だが、子供が登るには傾斜がキツい上に、そもそも動きにくい格好をしているマルガリータにはちょっと無理がありすぎた。


 ガララッ!


「きゃあ!」

「よいしょ!」


 足を踏み外して落下したマルガリータを、チョップは軽々と受け止める。


「あ……、ありがとう、チョップくん……」

「あはは、マルガリータはお姫様だから、本当の『お姫様だっこ』だね」

「う、うん……」


 なぜか伏し目がちになるマルガリータの姿に、チョップは急に気恥ずかしくなり、慌てながらもやさしく姫君を地に下ろす。


(チョップくんって、こんなにたくましかったっけ?)

(マルガリータって、こんなに軽くて柔らかかったかな?)


 お互いに何ともいえない感じを覚えつつ、マルガリータは目映く輝く白い花を残念そうに見上げる。


「これじゃ、あのお花は取れないね……」

「そうかな? じゃあ、僕が取ってあげるよ」


 チョップは足場になりそうなポイントを捉えると、ポンポンポンッと崖を蹴り上がってアスセナが咲いている所まで到達する。

 ごめんねと心の中で謝りながら、チョップは白い花を摘むと、マルガリータの元へスタッと降り立った。


「はい、どうぞ」

「わあ! すごいね、チョップくん!」

「あ、ちょっと待って」


 チョップは姫君のくるくるサイドテールにアスセナの花を挿す。もともと整った顔立ちの少女に、新たに美しさが添えられる。


「うん、思ったとおりだ。マルガリータの青い瞳にこの白い花は良く似合うね」

「え……? うん……、ありがとう……」


 マルガリータは、ほんのり頬を染めてチョップを見つめる。

 気づかない間にチョップの身長が伸びていたので、マルガリータは上目遣いで見上げる形になる。


(チョップくんって、こんなにカッコ良かったっけ?)

(マルガリータって、こんなに可愛かったかな?)


 お互いに見つめ合っている事に気付き、二人はパッと顔をそむける。

 もともと好き合ってはいたが、しばらく会っていなかったためか、妙に意識してしまう二人。


「……」「……」


 なんとも甘酸っぱい想いを抱きながら、チョップとマルガリータは砂浜を巡って陸地に上がる。


「こ、ここが誰も知らない謎の洞窟だよ」

「う、うん。洞窟だね……」


 チョップに誘われ、やって来たのは崖壁に開いた空洞。

 昔は今よりも海岸線が高かったのだろうか、滑らかにえぐれた岩壁は潮の満ち引きで削られて出来たものと思われる。

 だが、マルガリータは洞窟への興味より、誰もいない場所で二人きりという今の状況の方がよけいにドキドキしてしまう。

 初めて見る、新しい世界に二人ぼっち。


「こうしているとわたしたち、最初の人たちアダムとイブみたいだね……」

「えっ?」

「なんてね♪」

「うん……」


 ぼくたちは……、わたしたちは……、きっとかけがえのない存在になる。


 チョップもマルガリータもそう予感し、少年と少女はどちらからともなく互いの手をそっと握りあう。

 リンゴのように甘いシチュエーションに浸っていた、その時。不粋なダミ声が二人の間に割って入った。


『あ゛ぁん!? なんで、俺たちの寝ぐらにガキが二匹もいやがんだぁ?』

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